ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

原子力発電所は必要

2012年08月26日 | 消費、環境、食品問題
国会議員「原発ゼロ」支持42% 朝日新聞アンケート(朝日新聞) - goo ニュース

 2030年時点の原発割合など新しいエネルギー政策について、朝日新聞社は全国会議員を対象にアンケートを実施した。原発割合「0%」を支持する意見が全体の42%。民主党でも40%を占め、「脱原発」の志向が強まっていることがわかった。ただ、自民党はわずか4%にとどまった。
 7月下旬から衆参両院の721人に書面で質問し、25日までに記者会見などでの取材を含め計434人(60%)から回答を得た。
 政権が示した30年の原発割合をめぐる三つの選択肢では、「0%」が42%、「15%」が11%、「20~25%」が3%となった。東京電力福島第一原発事故を契機に、「原発ゼロ」への転換を目指す意見が目立つ。




 昨年の大震災に伴う事故以来、頗る評判の悪い原発ですが、私はそれでもなお、原発を支持します。

 その理由としては、原発反対派の挙げる代替策というのが、どれも現実的ではないからというのが一つです。正確に言うならば、彼らの提示する代替策は、「今すぐに」発電手段として使用できるものではないからです。 電力は、日々消費され、それが不要な時はありません。これはつまり電力の供給側に供給の不足が生じてはならないことを意味します。電力というのは、その場しのぎ的にギリギリに生産できればいいという代物ではありません。なぜならば、電力はインフラの基盤中の基盤ですから、不測の事態のために、常に余力をもって生産されなくてはならないものだからです。 だから、原発に代わる発電手段を示すならば、それは今すぐに代替可能なものでなければならないのです。

 しかしながら、彼らが提示する発電手段は今すぐに実用可能なものではなく、今後数十年単位の時間的スパンを要するものばかりです。 そして、風力や太陽光といった自然エネルギーは確かに事故時のリスクは原発に比べて遥かに小さいですが、周知のとおり、これら発電手段は天候に左右されるため、非常に不安定になりがちです。しかし、先述したように、社会・国家における電力の役割を考慮すると、それでは駄目なのです。



 このようなことを言うと、火力発電所が動いているからいいではないかという反論が聞こえてきそうです。しかし、火力発電の発電手段は石油です。石油は国際情勢によって供給が不安定になります。現に今、イランの情勢で石油の価格が変動しています。 したがって、火力発電は自然エネルギーによる発電に比べれば遥かに有力な発電手段ではありますが、電力供給にとっての安定性を欠くため(この場合は電気代の価格安定性も含む。)、発電手段の一翼を担えることはあっても、その主流(全電力供給のうち半数以上を占める)にすることはできません。

 よって、原発の停止で火力発電所がフル稼働している現在というのは、原発停止によって生じた電力供給の空白部分を火力発電が埋めている状態であり、つまり現在の火力発電は弥縫策に過ぎないと考えています。 このように考えていくと、結局上記の条件を満たすのは、原子力発電しかないということになります。とはいえ、原発で全電力供給の過半数を占めるのは、狭い日本の国土等を考えると、危険でしょう。

 なので、やはり以前に国が目指した、水力・火力・原子力によるベストミックスの発電が一番望ましい発電の形態であると思います。 さらに、これらによるベストミックスの発電の魅力は、どれか一つが欠けても、他の発電手段で「暫くは」繋いでいける、という点です。だから今、原発のほとんどが停止した状態でも、何とか電力供給に困らない状態を確保することができているのではないでしょうか。



 とはいえ、誤解されたくないのですが、私は原子力発電を支持しますが、その安全対策には万全を尽くすべきというのは言うまでもないと考えています。現在は去年の地震のこともあり、自然災害に対する備えばかりがクローズアップされていますが、原発を標的としたテロ対策にも同様に力を入れるべきです。 将来的には自然エネルギーの普及も目指されるべきですが、何度も述べるようにそれは将来の話であって、今使用できるものではありません。この点は強調しておきたいです。

 私の考えるベストな発電体制というのは、上記の水力・火力・原子力によるバランスの取れた発電に加え、それでも生じる電力供給の若干の空白部分を自然エネルギーで担保する、というものです。したがって、脱原発という発想には全く与しません。なお、なぜここで自然エネルギーによる発電を「若干」と表現したかと言えば、日本の置かれている気候条件等を勘案すると、自然エネルギーでは既存の発電手段が担っている部分(特に原子力発電の担っている部分)をカバーするのは到底不可能だからです。

 原子力発電は絶対に必要です。あのような事故が起きたから原発に対して拒絶反応を示すのはもっともなことだとは思いますが、電力供給のことを考えれば、今やるべきことは脱原発という空想に耽ることではなく、先述した安全対策の徹底でしょう。

「物的」証拠がない以上は

2012年08月26日 | 歴史認識
慰安婦問題で失望、竹島訪問の引き金に? 韓国大統領(朝日新聞) - goo ニュース

 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島(韓国名・独島〈トクト〉)上陸は、旧日本軍慰安婦の問題で日本政府の姿勢に失望して最終決断につながった可能性が高いことが、大統領府高官の話で浮かび上がった。日本政府と接触した申ガク秀(シン・ガクス、ガクは王へんに玉)駐日大使から報告を受け、判断したという。
 高官によると、李大統領は7月中旬に申大使を日本から呼び、日本の植民地支配からの解放を祝う8月15日の「光復節」までに慰安婦問題を進展させるよう指示。申大使は日本側と接触したが、思うような返事を得られず、大統領に「日本側には関心も誠意もない」と報告した。大統領は日本政府の対応に失望を隠さなかったという。
 大統領は竹島上陸の3日後の今月13日、国会議長らを招いた席で「日本が(慰安婦問題の解決に)消極的なので、行動で見せる必要を感じた」と述べている。慰安婦問題をめぐる直前のやりとりが引き金の一つになった模様だ。(ソウル=貝瀬秋彦)



 慰安婦の募集に際し、軍による強制があったと主張する方は未だにたくさんいますが、やはり文書なり物的証拠がない以上、慰安婦が強制連行されたとは言えないでしょう。

 このようなことを言うと、「証拠は終戦時に軍によって処分されている」と言いだす人もいますが、敢えて言いますが、だから何だというのでしょう?それでは、韓国や中国、ロシアはそうした自国にとって都合の悪い「黒歴史」を一切抹殺していないとでも思っているのでしょうか。

 これを言いだすと水かけになってしまいますけど、それでは、韓国が慰安婦が強制連行されたものではなかったという物的証拠を隠蔽していないと言えるのでしょうか。


 もし本当に彼らの言うように終戦後に軍が強制連行があったとする物的証拠を処分していたとしても、自称元慰安婦の証言だけに基づき謝罪をしてしまうのは愚の骨頂です。

 なぜならば、証言というのは、あくまでも「事実そのもの」の存在を直接的に証明するために利用されるべきものではなく、そのようなことがあったということを裏付ける補足証拠のうちの一つに位置付けられるべきだからです。

 証言をそのように位置づけないと、たとえば痴漢事件に置き換えて考えてみれば明らかなように、被害者と称する者の証言一つで有罪が確定しまうことになり、これでは法治国家の体をなしていません。証言というのは、事実そういうことがあったらしいということを補足的に証明する証拠に留まるべきです。


 とはいえ、実際に痴漢を行った加害者が発覚をおそれ、物的証拠を処分してしまうかも知れません。しかしながら、訴訟上ではもしそういう疑念があるならば加害者が物的証拠を隠滅したという事実を証明しなければなりません。

 さきほどの慰安婦のことに置き換えれば、終戦後軍が処分した書類等の中に本当に慰安婦強制連行に関する書類等があったということを証明する必要があるでしょう。

 そして、その証明ができなければ、痴漢なり慰安婦の強制連行なり、そうしたことはなかったと判断するのが近代法治国家間同士のあるべき問題処理の姿です。

 そうしなければ、証言一つで際限なく被害者を生み出すことができ、そうなってしまうと当事者間の法的関係はいつまでも安定しません。そしてそれは法的関係だけでなく、両者間の友好関係もいつになっても発展しないことを意味するでしょう。



 また、慰安婦が強制連行されてきたと主張する人たちは、軍が慰安婦の募集に関与していたという「事実」を挙げます。

 しかしながら、彼らがときたま「従軍」慰安婦などと呼ぶように、慰安婦が軍の管理下に置かれていたのは今さら言うまでもありません。軍人の性の処理をする慰安婦が軍の管理下に置かれていないほうがむしろ不自然ですし、それこそ不埒者による甘言を弄した拉致まがいの「連行」も起こりやすいともいえます。

 そしてまた、軍が民間業者に委託して慰安婦の募集を行っていたという「軍の関与」(こちらについての物的証拠は多数あります)と、軍が強制的に慰安婦を連行してこいとの方針だったという意味での「軍の関与」とでは、全く意味が異なることは子供でも分かるでしょう。

 故意に両者を混同し、軍が慰安所の運営に関与していたという雑な議論をするのではなく、後者、すなわち軍が強制的に慰安婦を連行したという物的証拠があるのなら、それを証明する責任は、強制連行があったと主張する側にあります。「なかったこと」を証明する悪魔の証明はほぼ不可能なのですから。


 それではまたこのようなことを言うと、「慰安婦の中には騙されて連れてこられたり、身売りに出されたりした者もいた」と反論するのでしょうが、そのことと軍の関与の肯否とは別問題です。

 騙されて連れて来られたり身売りに出されて慰安婦になった人がいたとしても、それはその人ないしはその家族と民間業者の問題であって、軍の関与があったかどうかとは別の次元の話です。



 とは言え、余談ですが、私は当人の意思に反して(それがただちに軍の強制を意味すると解するのは論理の飛躍です。)慰安婦になった人がいたのではないかという点まで否定するものではありません。それは辛かったと思いますし、心ならずして慰安婦になった人には同情できる面もあるでしょう。

 しかしながら、(これが慰安婦の実際の姿の全てとまでは断言しませんし、できませんが)慰安婦の中には日本の軍人と恋に落ち、駆け落ちをしたといったエピソードや、家を建てられるほどの大金を手にした慰安婦がいたともいいます(こうしたエピソードの多くも聞き取り調査ですけどね(苦笑))。

 それならば、せめてこうした話も紹介させるべきだし、「客観的な歴史認識」の確立を追求するなら、紹介しなければならないものでしょう。


 私がこれまで慰安婦について勉強してきたことを総合的に考慮すると、慰安婦は徹頭徹尾、日本軍の被害者でもなく、なかには恵まれた境遇にいた者もいたというところでしょうか。

 歴史は人間が作る以上単純に割り切れるものではなく、したがって、100%被害者、100%加害者という構図は不毛だと思います。