ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

そもそも子連れでパチンコするな

2009年04月12日 | 民事法関係
親パチンコ中、子が交通事故 「店にも責任」の判決(朝日新聞) - goo ニュース

 両親がパチンコ中に子どもが店外で交通事故に遭った場合、パチンコ店側に責任があるかが争点となった訴訟の控訴審判決が10日、福岡高裁であった。牧弘二裁判長は「幼児同伴の客の入店を許す以上、幼児の監護を補助すべき義務があった」とパチンコ店経営会社の過失を認定し、同社を含む関係者に総額約650万円の支払いを命じた。
 判決によると、大分市のパチンコ店に04年6月、2歳の男児と女児が双方の両親に連れられ入店。パチンコ玉を運ぶ台車に女児が乗り、男児が押して遊んでいた際、店外に出てしまい、国道で乗用車にはねられて女児が死亡した。



 タイトルにも記載したが、そもそも子供を連れてパチンコ屋に行く時点で、親の程度が知れる。パチンコ屋は子供を連れて行くような施設ではないし、あの騒音と空気の悪さは、子供の成長にも悪影響を及ぼすだろう。それでもパチンコをしたいなら、夫婦揃って行かないで、どっちかが行っている間は、どっちが家で子供の世話をしていればよろしい。にもかかわらず、パチンコ屋と一緒に行った両親を訴えるというのは、理解に苦しむ行動である。

 この両親(原告)は、少しは自分たちのしたことの重大さを認識して、悔いたりはしたのだろうか。第一次的には、確実に、子供が亡くなったことの原因は、亡くなった子供の両親にある。はっきり言おう。これは両親の監督不行きが起こした結果に過ぎない。常識的には、パチンコ屋と一緒に行った両親を訴えるという行動には、違和感を禁じ得ない。しかしながら、裁判になった以上、法律論的に検討しなければならなくなる。そこで以下、自分なりに法律論的に検討してみることにする。



 今回問題になった主たる点として、「安全配慮義務」の違反があったかどうか、という点がある。

 安全配慮義務とは、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの」と定義されている(最高裁昭和50年2月25日判決)。

 それでは、今回のケースにおいて、上記安全配慮義務の違反があったのだろうか。そしてそもそも、安全配慮義務が生じうる基盤となる契約関係が、原告の両親とパチンコ店との間に存在したのか、という点が問題になってくる。

 まず後者について検討すると、上記朝日新聞の記事によれば、「従業員が幼児の面倒をみると伝えたこともあった」という事実が存在するのだという。もしこれが本当ならば、ここにおいて契約関係から一種の付随的義務が発生していると言える。逆に言えば、これがなかったならば、パチンコ屋と原告との間において、安全配慮義務があったというのは、極めて難しいだろう。

 そもそも、パチンコ屋と客との間で交わされる契約における主たる店側の義務の内容は、客に対しパチンコ台等を提供することにより、そこでパチンコやスロットといった娯楽を楽しむための場を提供することであり、子供のお守など普通は付随的なものとしても契約内容に組み込まれているとは考えられないだろう。

 加えて、パチンコ屋が子供のお守をするということが、社会通念に照らして是認されているかと言えば、これをイエスと答えることはできなだろう。子供をパチンコ屋に連れてくるということ自体、非常識な親であるという評価が一般的であるとも言える。よって、子供のお守を、パチンコ屋の従たる契約上の義務として構成ことは不可能であろう。

 先ほどの引用判例には、「信義則」という言葉が出てきたが、信義則は「権利義務関係のないところに規範を設定することにも使われる。」(四宮和夫・能見善久『民法総則』第7版、16頁)。この表現を具体化したものが、上記判例の「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」という件になると理解することも可能である。つまり、本来ならばその契約からは生じない権利義務関係なのだが、信義則を媒介することにより、安全配慮義務という規範を創設するということである。

 だが、信義則の本来の意味は、「社会共同生活の一員として、互いに相手の信頼を裏切らないように誠意をもって行動することを要求するルール」(四宮・能見、前掲書15頁)なのである。このように信義則が定義されるならば、そこからパチンコ屋が客に対し、客の子供のお守をするという義務を、暗黙のうちに導き出すのは困難であろう。よって、本来ならばパチンコ屋の子供に対する安全配慮義務違反は、安全配慮義務そのものが成立しない以上、成立する余地がない。

 だが、実はポイントはここからなのだ。というのは判決でも指摘しているように、このパチンコ屋が「幼児同伴の客の入店を許」していたからである。そうであれば、信義則の基礎である、「互いに相手の信頼を裏切らないように誠意をもって行動する」ということが認められそうである。なぜなら、こう記されている以上、原告側としては、店側が子供のお守をしてくるものと理解しても、それが社会通念上おかしい理解だとは切って捨てられないからだ。

 しかしながら、これをもって直ちに店側の安全配慮義務違反を認定するのも、安全配慮義務の存在を認定するのも、論理的に飛躍があると思われるが、判決は私が見るに、「幼児の監護を補助すべき義務があった」という曖昧な表現をし、正面から安全配慮義務違反を認めているようには読めない。

 これを素直に読めば、子供の監護は第一には親にあるが、店が子供同伴の入店を許している以上、店側にはその親の監護義務を補助する義務がそれによって生じているということになる。しかも先述したように、「従業員が幼児の面倒をみると伝えたこともあった」ということもある。これらを総合的に判断して、今回は安全配慮義務類似の(限りなくそれに近い)義務を店側に課した判決であると思う。だが、一般的に子供を連れてパチンコ屋に行く親には非常識という判断が下されることが普通であるので、こういうお茶を濁した表現をしたのだろう。



 しかし、やはりどう考えても、親も親だろう。「パチンコ玉を運ぶ台車に女児が乗り、男児が押して遊んでいた」。普通の親なら他の客の迷惑にもなるし、店の備品で遊んでいるのだから、ここで注意をしろよ、と思ってしまう。というか、まだ2歳の幼児から目を離してパチンコを打つという行為自体、私としては理解し難い。

 最初に述べたように、親が馬鹿だから、子供が不幸になったのだ。このケースに限らず、親がパチンコに熱中するあまり、連れてきた子供のことを忘れ、誘拐されたり、車内で熱中症で亡くなったりと、悲惨な事件が後を絶たない。

 パチンコ屋の「幼児同伴入店許可」というのは、こうした惨事を考慮してのことなのだろうが、何度も繰り返すように、そもそも、パチンコ屋は子供を連れてやってくるような施設ではないし、パチンコ屋に、しかも2歳の幼児を連れて来店するということ自体、許されていいことではないはずだ。

 パチンコ屋は、自分の店のためにも、子供を連れての来店を断るべきである。子供がパチンコ屋にいるということ自体、極めて不健全なことである。

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2 コメント

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親の責任 (gunkanatago)
2009-04-14 13:19:01
仰るとおりで、親は子を守る責任があります。パチンコ屋ならずとも不特定多数が多く集まる場所は危険を受けやすい。そういうところに子供を連れて行かないのは親の智慧ですが、親自体が「遊びたい。遊びたい。」でついつい連れて行ってしまうのでしょう。今回の判決はアホ判決ですが、パチンコ屋が子連れの来店を断る契機になれば禍転じてということになりますね。
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gunkanatagoさん (管理人)
2009-04-16 01:03:22
コメントありがとうございます。

そもそも、パチンコ屋は18歳未満の入店を禁止しているはずです。これは別の意味で子供にとって有害な場所だからということでしょうけど、そのような施設で、18歳よりも遥かに幼い2歳の子供が遊んでいるという光景自体、私にとっては不自然に思えてなりません。

子供がいない私が言うのもおこがましいですが、親に親としての自覚、今回の場合で言えば自制心(自分の欲求実現のために子供を巻きこんではならないという理性)がなくなってきているのではないかと思いました。

私は現在25歳で、このぐらいの年齢だと2歳ぐらいの子供がいる人もたくさんいます。しかし私ぐらいの世代は幼いころから物質的に恵まれていて、自制をする心、相手の立場になってものごとを考える心が養われる機会にあまり恵まれていなかったと思います。

こうした背景も、今回の悲劇の要因になっているものだと思っています。
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