ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

「現実」と「空想」の区別がつかない石原

2010年12月14日 | 二次元(児童ポルノ規制)
自社漫画のアニメ化作品も出展拒否=都の漫画規制に抗議―集英社(時事通信) - goo ニュース

 集英社の鳥嶋和彦専務は13日、都内で開かれた漫画新人賞授賞式で、来年3月の東京国際アニメフェアへの参加を拒否するだけでなく、同社刊行の漫画を原作とするアニメ作品の出展も認めない方針を表明した。過激な性描写のある漫画やアニメを販売規制する東京都青少年健全育成条例改正への抗議の一環。
 同社刊行の漫画が原作の「ナルト」「ワンピース」などのアニメは海外でも人気が高い。
 同専務は新人漫画家らに「ぜひ石原慎太郎(都知事)をぶっ飛ばすような漫画を」と訴えた。茨木政彦同社第3編集部長も「萎縮しないで好きなものを描いてほしい。面白ければジャンプは全部載せる」と呼び掛けた。
 同社など漫画出版10社は10日、同アニメフェアへの参加拒否を表明している。



 この条例の問題点については幾度か書いてきたが、今回はこれまでとは別の視点から考察したいと思う。

 今回の改正案のポイントは、、「刑罰法規に触れる性交等」を「不当に賛美・誇張するよう描写した漫画ないしはアニメ」に規制が及ぶという点にある。しかしながら、こうした創作物、つまり「二次元」は、よくある表現を使うのであれば「実在するいかなる人物、団体とも無関係です」という事になる。したがって、実在する人物、すなわち三次元を対象にした「刑罰法規」を、創作物に当てはめること自体、そもそも許されないのだ。


 卑近な例で考えてみよう。

 たとえば、殺人のシーンを描いた漫画なりアニメがあったとしよう。「名探偵コナン」でもいい。こうした創作物の中で、いくら刑法上の殺人罪に該当する行為が描写されていたとしても、作者なり架空の人物(作中での犯人)を殺人罪に問えないことは言うまでもない。「怪盗ロワイヤル」でお宝を盗んでも窃盗罪や強盗罪が成立しないのも当然だ(笑)

 にもかかわらず、(活字作品が対象外なのも解せないが)どうして漫画やアニメでの、よりによって「性描写だけは」、規制の対象になるのか。「青少年の健全育成」という側面からすれば、性犯罪だけでなく、先述した殺人や強盗も「健全育成」の妨げになるのは明白である。


 仮に、こうした性描写の過激な漫画なりアニメに触れることによって、青少年が性犯罪に走るようになる、というのであれば、そのことを客観的かつ科学的に立証する必要があろう。しかしながら、規制推進派からは、一切そのような立証は提示されていない。

 つまり、「刑罰法規に触れる」創作物は、何も性描写をした創作物に限らないにもかかわらず、そうした創作物だけをピンポイントで取り締まるのであれば、取り締まるだけの、換言すれば、反対派の批判に耐えられるだけの根拠なり理由が必要になるが、そうしたものは何も提示されていないに等しい。したがって、規制を正当化できる根拠がないのだから、規制をすることは許されないことになる。



 思うに、規制推進派は「なぜ規制が必要なのか」、自分たちでもはっきりと分かっていないのではないか。だからこのような非常に杜撰な規制をしようとするのではないか。強いて彼らの規制の根拠を考えるならば、それはこうした性描写のある漫画やアニメに対する「嫌悪感」であろう。

 しかしながら、そんな曖昧模糊とした主観的なもので自由を奪えるのであれば、日本はあっという間にどこかの将軍様の国のようになってしまうであろう。もし、現政権がそうした「感覚的なもの」で規制をしようとすれば、右翼団体や保守派は一網打尽にされるに違いない。

 彼ら規制派が、このような感覚だけで規制を進めようとしているのは、次の猪瀬直樹のツイッターに端的に見てとれる。


マンガの関係が好きな人のなかには人生が行き止まりと感じている人が多いという印象を受けます。生きている女を口説きなさない。瞬間、瞬間、言うことが予想外に変わるから、そのほうがおもしろくて未知で愛おしいよ。


 このような偏見と独善に満ちた発想で、漫画やアニメの規制を考えるのだから、結論など最初から目に見えている。だいたい、漫画やアニメが好きでも、現実の女性への「代替」として読んでいるわけではない(苦笑)。典型的な偏見である。当然のことながら、だからといって創作物規制をしていい根拠にならないことは言うまでもない。ちなみに、猪瀬に「女を口説け」と言われて無性に腹が立つのは私だけではないだろう(笑)



 話が脱線したので、ここで話を戻すと、「刑罰法規に触れる」ような描写など、漫画やアニメにはそれこそ掃いて捨てるほどあるわけで、これを言い出したら芸術作品など何も生まれなくなる。

 芸術作品というのは、ときに国家なり時の権力者らの都合の悪いものや、災いになるものもあろう。しかし、それこそがまさに芸術作品であって、だからこそ、「空想」の産物である創作物を「現実」の刑罰法規に照らしてその是非を考える、などというのはナンセンスなのだ。



 石原も猪瀬も、一応は作家なのだから、同業者が作った「ドラえもんのうた」(特に「あんなこといいな、できたらいいな」という部分」でも歌って少しは自分のアホさ加減を省みてはどうか(笑)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。