東京都の性描写規制条例が成立 出版界反発「慎重に運用」(共同通信) - goo ニュース
過激な性行為を描いた漫画やアニメの販売を規制する東京都青少年健全育成条例の改正案を採決する都議会本会議が15日午後、開かれた。民主、自民、公明の賛成多数で可決され、条例は成立した。漫画家や出版業界の反発を考慮して、「作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」などの付帯決議が付いた。条例施行は、自主規制については来年4月1日から、販売規制については同7月1日から。
私には、規制推進派がどうして規制が必要なのか、その根拠を明確にできていないと思う。そのように感じられるのは、以下の「産経新聞」の一文によく現れている。
「『表現の自由の侵害』を訴える出版業界の反発は広がるが、子供を性行為の対象とした漫画などがはびこる現状は無視できない。」
周知のように、産経は徹底した規制推進派のマスコミである。ということは、こうした考え方は大方の規制推進派のそれと同じと考えてもよいだろう。だからこそ、その産経の上記の一文は、結局彼ら規制推進派が一体何を根拠に規制を正当化しようとしているのか、彼ら自身でもよく整理し切れていないというのがよく分かるのである。
まず、今回改正の運びとなった東京都青少年健全育成条例であるが、その目的は条例名からも明らかなように、青少年の「健全育成」である。これが今回の議論の大前提にある。つまり、これがいわば規制の「スタート地点」と言える。
では、この「スタート地点」を大前提に今回の規制の議論を進めていくと、規制の根拠として以下の2つが出てくると思われる。
①過激な性描写のある漫画やアニメを見ると(触れると)、それに触発されて性犯罪に走るようになる(なお、これは青少年保護の観点から更に、過激な性描写のある漫画やアニメを見ると、青少年が性犯罪に走るのでこれを防止しようという意味と、青少年に対する過激な性描写を見ることにより、成人が青少年を狙った性犯罪に走る、という二つの意味が含まれている)
②過激な性描写のある漫画やアニメは青少年の人権を侵害する
上記二つのどちらに、彼らが規制の軸足を置いているか定かではないということを、先に挙げた産経の記事は明確に物語っている。なぜならば、「子供を性行為の対象とした漫画などがはびこる現状は無視できない。」という規制の根拠は、上記のどちらにも言えることだからだ。
しかしながら、①についてはその因果関係の立証はいぜんとしてなされていないし、②にいたっては創作物に人権など存在しえない(観念できない)のだから論外である。したがって、①②どの立場に立っても、規制を正当化することなどはできないのだ。
このように言うと、もしかしたら規制推進派は次のように言うかもしれない。すなわち、「そのようないかがわしいものが出回るのは不健全だ」と。
しかし、これもまたおかしい。なぜならば、そうした、「何が健全で何が不健全か」といった価値判断は、法である条例が決めるのではなく、親をはじめとした教育の仕事だからだ。法が価値判断を決めるということは、法が是とした価値観以外が排斥される可能性が非常に高いのだから、極力法が価値判断をすることは避けなければならない。
先に私は、①②いずれに立っても規制を正当化することはできないと述べたが、規制の根拠をきちんと整理することは、規制をする上では不可欠なことだ。思うに、規制の根拠についてきちんと整理できていないから、この改正のように非常に杜撰な条例になってしまっているのではないか。
これは推測の域を出ないが、彼ら規制推進派は自分たちも、明確にかつ具体的にどうして規制が必要なのか、よく分かっていないのだろう。何となくの感覚で、「いかがわしいものが出回ってるのはけしからん」という、上記のような発想で規制を正当化しようとしているのではないか。
だが、これは言ってみれば、自分たちではどうしようもないから、条例で一網打尽にして欲しい、ということだ。つまり、今回の条例は教育の敗北を意味している。にもかかわらず、保護者の組織であるPTAが旗振り役なのだから、悪い冗談としか言いようがない。
このように、規制の根拠が十分に整理できてない状態で条例が施行されると、規制の根拠が不明確なのだから、規制が恣意的になるおそれは十分にある。いくら表面的な文言が「明確っぽく」なっても、その根底にある規制の根拠が判然としないのだから、見た目だけ取り繕っても、それは無意味どころか有害である。
一刻も早い条例再検討が望まれる。
過激な性行為を描いた漫画やアニメの販売を規制する東京都青少年健全育成条例の改正案を採決する都議会本会議が15日午後、開かれた。民主、自民、公明の賛成多数で可決され、条例は成立した。漫画家や出版業界の反発を考慮して、「作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」などの付帯決議が付いた。条例施行は、自主規制については来年4月1日から、販売規制については同7月1日から。
私には、規制推進派がどうして規制が必要なのか、その根拠を明確にできていないと思う。そのように感じられるのは、以下の「産経新聞」の一文によく現れている。
「『表現の自由の侵害』を訴える出版業界の反発は広がるが、子供を性行為の対象とした漫画などがはびこる現状は無視できない。」
周知のように、産経は徹底した規制推進派のマスコミである。ということは、こうした考え方は大方の規制推進派のそれと同じと考えてもよいだろう。だからこそ、その産経の上記の一文は、結局彼ら規制推進派が一体何を根拠に規制を正当化しようとしているのか、彼ら自身でもよく整理し切れていないというのがよく分かるのである。
まず、今回改正の運びとなった東京都青少年健全育成条例であるが、その目的は条例名からも明らかなように、青少年の「健全育成」である。これが今回の議論の大前提にある。つまり、これがいわば規制の「スタート地点」と言える。
では、この「スタート地点」を大前提に今回の規制の議論を進めていくと、規制の根拠として以下の2つが出てくると思われる。
①過激な性描写のある漫画やアニメを見ると(触れると)、それに触発されて性犯罪に走るようになる(なお、これは青少年保護の観点から更に、過激な性描写のある漫画やアニメを見ると、青少年が性犯罪に走るのでこれを防止しようという意味と、青少年に対する過激な性描写を見ることにより、成人が青少年を狙った性犯罪に走る、という二つの意味が含まれている)
②過激な性描写のある漫画やアニメは青少年の人権を侵害する
上記二つのどちらに、彼らが規制の軸足を置いているか定かではないということを、先に挙げた産経の記事は明確に物語っている。なぜならば、「子供を性行為の対象とした漫画などがはびこる現状は無視できない。」という規制の根拠は、上記のどちらにも言えることだからだ。
しかしながら、①についてはその因果関係の立証はいぜんとしてなされていないし、②にいたっては創作物に人権など存在しえない(観念できない)のだから論外である。したがって、①②どの立場に立っても、規制を正当化することなどはできないのだ。
このように言うと、もしかしたら規制推進派は次のように言うかもしれない。すなわち、「そのようないかがわしいものが出回るのは不健全だ」と。
しかし、これもまたおかしい。なぜならば、そうした、「何が健全で何が不健全か」といった価値判断は、法である条例が決めるのではなく、親をはじめとした教育の仕事だからだ。法が価値判断を決めるということは、法が是とした価値観以外が排斥される可能性が非常に高いのだから、極力法が価値判断をすることは避けなければならない。
先に私は、①②いずれに立っても規制を正当化することはできないと述べたが、規制の根拠をきちんと整理することは、規制をする上では不可欠なことだ。思うに、規制の根拠についてきちんと整理できていないから、この改正のように非常に杜撰な条例になってしまっているのではないか。
これは推測の域を出ないが、彼ら規制推進派は自分たちも、明確にかつ具体的にどうして規制が必要なのか、よく分かっていないのだろう。何となくの感覚で、「いかがわしいものが出回ってるのはけしからん」という、上記のような発想で規制を正当化しようとしているのではないか。
だが、これは言ってみれば、自分たちではどうしようもないから、条例で一網打尽にして欲しい、ということだ。つまり、今回の条例は教育の敗北を意味している。にもかかわらず、保護者の組織であるPTAが旗振り役なのだから、悪い冗談としか言いようがない。
このように、規制の根拠が十分に整理できてない状態で条例が施行されると、規制の根拠が不明確なのだから、規制が恣意的になるおそれは十分にある。いくら表面的な文言が「明確っぽく」なっても、その根底にある規制の根拠が判然としないのだから、見た目だけ取り繕っても、それは無意味どころか有害である。
一刻も早い条例再検討が望まれる。