ひとり井戸端会議

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不要な再試験という配慮

2008年01月20日 | 教育問題関係
 大学入試センター試験が終了した。各地で今年もリスニングの不具合があり、再試験が行われるという報道があったが、これは再試験の配慮は不要ではないかと思う事例である。以下読売新聞の記事から引用。



 大学入試センター試験の徳島大の会場で19日、試験監督者の一人が「公民」の試験の前、氏名や受験番号などを記入するよう受験生に指示するのを忘れるというミスのあったことが分かった。
 この教室には60人の受験生がいたが、ミスのせいで氏名などを書き忘れたケースがあったかどうかは確認できていない。
 大学入試センターでは、この教室の受験生について「氏名などの記入に試験時間の一部を使った可能性はある」としており、希望すれば26日に再試験を受けられるよう検討する。



 もはや、こんなことを言ってしまえば根も葉もないのだが、センター試験という、人によっては一生を左右すると言っても過言ではないような大切な試験で、自身の氏名・受験番号を記載し忘れる受験生がいたら、そういう人間は所詮その程度の者なのだ。

 そもそも試験で自分の名前なりを書くというのは、昔っから耳にタコができるほど言われてきた、至極当然のことではないか。それを忘れるというのは、あまりにも情けないと思うのだが。

 それを、試験監督者が言い忘れたぐらいで再試験をしてやるという、はっきり言って甘過ぎる措置に対し、もし自分が受験生だったら、不公平だと感じるだろう。「それなら自分の会場でも注意をして欲しくなかった」と(苦笑)。

 大切な試験だからこそ、緊張のあまり自分の名前を書くという基本を疎かにしてしまう可能性があることは認める。だが、それを言うなら受験者は皆緊張してるに違いない。けれども、きちんと名前は書き、記載漏れがないか、その精神状態の中で確認をしている。

 ややこじつけ的になってしまうが、氏名の記載を怠ったという、明らかに受験者本人に責任のあるようなことには、その受験者本人に責任を取らせる(この場合であれば公民の試験は0点になるという結果を甘受させる)べきで、そうすることによって、これから大人になったらこういう凡ミスは許されないのだ、ということを身をもって悟らせる。そのためにも、再試験という救済措置は取らなくてもいいと思う。

 仮に、注意をされていないがために、名前などの記載をし忘れた受験生がいたとしたら、彼の桜は今年は咲かないだろう。もう18にもなれば、このような当たり前のこと、いちいち人から言われる前にできなければならないと思うのである。

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