カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

一人の科学者にとってのポスドク時代の意義

2005年08月23日 | サイエンス
今日は、ポストドクトラルフェロー(PDF)について書いてみます。日本でも、ここ10年ぐらいで、この制度がかなり浸透してきて、読者の中にもPDFとして研究をしている方々がおいででしょうね。私も88年から91年まで、米国の国立衛生研究所(NIH)でポスドクをやりました。そして、その3年と8ヶ月の間に、研究者としてかけがえのない素晴らしい経験をして、PDF制度の恩恵を受けた一人だと思っています。学位は言ってみれば運転免許みたいなもので、免許をとっても一人前の研究者になるにはまだまだ先は長いのです。一人の科学者が経験を積み成長していく過程で、ポスドク時代がいかに重要かということをここで考えてみます。

まず第一に、PDFは基本的に自分の研究だけをすればよいという暗黙の了解があります。研究者にとってこの上ない幸せな職種なのです。極端な言い方をすれば、本当に研究が好きなら、お金を払ってでもやりたくなるポジションです。グラントを自分で書かなくても、研究に必要な設備が与えられ消耗品が使えます。こんな時期は他にありません。学生時代のような授業もなければ試験もない、それに、講義もしなくていいし、雑用もほとんどない。研究者としてこれほど自由な時間が多い時期というのは、前にも後にも他にありません。研究にどっぷりと浸かることができる素晴らしい時期なのです。研究を生涯の職業に選んだ方は、まずそのことを念頭において、ポスドク時代を満喫してほしいのです。与えられた時間を生かすか、無駄にするかは本人しだいです。

次に、適切な研究環境でPDFをすることは大切です。すなわち、大学や研究所の科学に対するビジョンがしっかりしているかどうか?あなたの分野の科学に対するサポートは十分あるか?私の場合、周りの環境に大変恵まれていたといっても過言でないでしょう。NIHには研究第一の精神が漂っていたと思います。そして、私がNIHに行った88年当時は、NMRによる蛋白質構造解析をNIHが本腰を入れて始めようと、新しい研究室を二つと既存の研究室の協力体制を整えようとしていたところでした。その一つに私は入りました。やると決めれば、研究費をどんどん投資して、いい研究者を集める。そんなカルチャーに接することができたことは、言ってみれば、栄養豊富な恵まれた胎盤の中で研究者として成長することができたということになります。その経験を通して、自分自身の科学に対するスタンダードをどのレベルに定めるか、ということにも大きく寄与する結果に結びつきました。一研究者の生涯研究の遂行にとって、これは大きいと思います。

環境は、建物や設備などの入れ物だけでできているのではありませんね。環境は人が作ります。周りにいる研究者との接触、相互作用が、全体の環境に及ぼす影響は計り知れません。私の場合、直接の上司をはじめとして非常に多くの優秀な同僚に出会うことができ、実験の詳細や新しいアイデアなどを議論しながら互いに刺激しあう貴重な経験をしました。同じ分野の研究室間の交流も非常に盛んでした。同じ科学を志す研究者の同僚には、組織の壁は必要ないと強く感じました。そして、その時一緒にポスドクをしていた友人は今では世界中で活躍していて、そのネットワークは大きな財産になっています。人との出会い、そしてそのタイミングが大事です。科学のホットトピックスは時々刻々と変化していますから、それを的確にとらえ、時代とともに成長する進路決定は得にこそなれ損にはならないはずです。

結論は、学位を修めて科学者として次のステップを考えるとき、PDFはこの上ないありがたいポジションです。科学者の一生に一度しか回ってこないこのチャンスを生かすも殺すも、あなた次第です。進学する大学や大学院を決めるときよりも、その後の研究者としての人生にとってもっと重要な選択になるかもしれません。自分の研究方向を見定め、それをさらに発展させて行くためには、どこへ行けばいいか?どんな研究環境に自分の身を置くことが、あなたの研究者としての人生にとって最善手なのか?そういうことを真剣に考えて、学位取得後の進路を考えるといいのではないでしょうか?変化を恐れず、前向きにホップステップジャンプする方針を定めれば、必ず幸運が訪れるはずです。そう信じて進むのみです。

この記事を読んだ若い研究者の諸氏は、もしかしたら、具体的にどうやって海外のポスドク受け入れ先を見つけるか、という疑問を持つかもしれませんね。どうでしょうか?もし興味があれば、私の経験を披露して参考にしてもらうことも考えています。この記事が役に立ったかどうか、私の例をもっと知りたいかどうか、教えてください。コメントをお待ちしています。