2005年6月5日の高円寺無力無善寺での電脳ショックボーイズによるライブ企画
「だいじょうぶマイフレンド、第一夜」
introducing 電脳ショックボーイズ
小さなポイントから、「世界へと響き渡る無限に広がり続ける音」の波動を纏いつつ、黄金の櫂をあやつる人々を紹介していきます。
電脳ショックボーイズは1997年10月に山小屋のうてんきのイヴェント「FlyingMountainRide」の2回目に単発DJユニットとして結成されたのが最初です。ノイズやサウンドコラージュ、ポエトリーのループをハードかつアブストラクトなサウンドでアプローチしたものでした。翌年6月の同イヴェントで相方をterra D/Aに変え、変名でDJ。これが起点かもです。
2002年9月にterra D/AくんとアートキャンプパーティーARVEでハードなメタリックダブや雅楽に短波をフィーチャーしたスタイルに、彼のホーメイ、玩具楽器、ターンテーブルが合体。
これをライヴの形で、これがスタートではある。
ジャンルレスかつビートレスな空間を短波の周波数ノイズというとめどない音源で抽出するnaoeとトライバルという思考、志向、指向のアナーキーなterra D/A、世代すら全く異なる二人の活動は、クラブパーティ、ヒップホップイヴェント、ギャラリー、ノイズライヴ企画、インプロセッション、そしてキャンプと、場所もジャンルも垣根なくパフォーマンス。
電脳ショックボーイズとして初めての企画は、モザイクフリーでおととし出演させていただいた思い出の地、高円寺無力無善寺。
私個人としても、昨年のBankART、今年の鎌倉カフェエチカとソロセッションのオーガナイズはありましたが、イベント企画となると実に山梨以来、7年ぶり。本当の21世紀が始まる、と意気込んでいます。
音の波動の発信地としてこれほど合致する場所は無い。
電脳ショックボーイズは6月5日、夜9時40分くらいに音の波動を放烈いたします。
「だいじょうぶマイフレンド、第一夜」
introducing 電脳ショックボーイズ
小さなポイントから、「世界へと響き渡る無限に広がり続ける音」の波動を纏いつつ、黄金の櫂をあやつる人々を紹介していきます。
電脳ショックボーイズは1997年10月に山小屋のうてんきのイヴェント「FlyingMountainRide」の2回目に単発DJユニットとして結成されたのが最初です。ノイズやサウンドコラージュ、ポエトリーのループをハードかつアブストラクトなサウンドでアプローチしたものでした。翌年6月の同イヴェントで相方をterra D/Aに変え、変名でDJ。これが起点かもです。
2002年9月にterra D/AくんとアートキャンプパーティーARVEでハードなメタリックダブや雅楽に短波をフィーチャーしたスタイルに、彼のホーメイ、玩具楽器、ターンテーブルが合体。
これをライヴの形で、これがスタートではある。
ジャンルレスかつビートレスな空間を短波の周波数ノイズというとめどない音源で抽出するnaoeとトライバルという思考、志向、指向のアナーキーなterra D/A、世代すら全く異なる二人の活動は、クラブパーティ、ヒップホップイヴェント、ギャラリー、ノイズライヴ企画、インプロセッション、そしてキャンプと、場所もジャンルも垣根なくパフォーマンス。
電脳ショックボーイズとして初めての企画は、モザイクフリーでおととし出演させていただいた思い出の地、高円寺無力無善寺。
私個人としても、昨年のBankART、今年の鎌倉カフェエチカとソロセッションのオーガナイズはありましたが、イベント企画となると実に山梨以来、7年ぶり。本当の21世紀が始まる、と意気込んでいます。
音の波動の発信地としてこれほど合致する場所は無い。
電脳ショックボーイズは6月5日、夜9時40分くらいに音の波動を放烈いたします。