直江実樹 naoe-miki / Radio Perfomer 's Blog

短波ラジオ奏者直江実樹のライブスケジュール活動報告等のブログ

20080512 麻布スーパーデラックスの謹成祝花Live

2008-05-31 08:03:57 | Weblog
舞踏やコンテンポラリーダンスを基調としたボディインプロヴィゼイション、マイク、ハイハットによるサウンドエフェクトノイズインプロヴィゼイション、浮浪する声の吐露する唄、それを渾然一体化するダンスミュージックが彼女のソロパフォーマンス、今回は麻布スーパーデラックスにおいて。

無音の響きに馴染むのに時間の鼓動を見失ったような気がした。
ぺチャッとステップが残響音を吸収して許さない、そのラウンジな空間で、彼女のパフォーマンスを見るゆったりと座って観るのは逆に今までのライヴハウスと異なり新鮮。
20000V、Earthdomとコアにラウドな空間が多いせいもあるだろう。
残響の残り香を活用すべく、マイクを縦横無尽にエフェクト:リバーヴ、エコー、立体にAirwaveを撒き散らすいつものスタイル、その様が打ちっ放しのコンクリの壁に朧な影に、観る側の私が光を見出すように、光を見つけて陰影を満たすように、身体の端という端を、意識の行き着く先の虚空をメタファーたらしめ、マイクを突き出し、差し出す彼女の姿の、空気の稜線をなぞらえる点のプリズムとして、音が照射、放射、乱射、屈折、屈光、軋轢を投影、間断なく、時間、空間、隙間、間隙を埋めて、繰り返し、ミニマムと暴発を点在させるノイズの絶え間のない増幅とループ効果と、ハイハットが震え、マイクを通した振動を美しい歪んだ螺旋構造を、鳥瞰図を展開させていくのは、会場の音響だろうか、PA的にノイズの高温が観客をのけぞらしもするが、小さな体躯を駆って、静謐に激しく上気しながら、情念をソプラノする声の幽かなる、少し弛緩した大腿部の声の残滓は音響を形成して、プリズムに新たな方向性、芳香性、彷徨性、咆哮性を有機的に湛える、読経のような空間支配力と音圧の魔的な喚起力をまたマイクコードに携えて、からだに巻きつけ、動きじゃくっていく。
30分ぐらいからややルーティン化していく、おそらくは轟音の幅とステージングのバランスが20000VやEarthdomほどに音圧・音量の幅が無い為と適度に過ぎるパフォーマンスエリア、そして、照明。
照明と合わせたセットならばもっと身体を使いこなせたのではないだろうか?
ノイズの音量が、少し、一定になったきらいがあるのだ。ノイズの点在が座標軸を失い、並立して、パノラマに閉塞感を与えてしまったのだろうか?
とはいえ、エンディング、無音にたたずみ、静寂に屹立する彼女の姿の遠慮の無い姿態はそこまでにあった不連続なダンスビートをものリスと化したかのように聳え立ち君臨していた。
その効果が上記を踏まえていれば、これまででの最高の瞬間を彼女に、われわれに、私に与えてくれたことだろう。
そうした意味でも、SuperDeluxにおいては、PS、照明と三位一体であるとよいのかな、「ソロ」とはいえど。
雑音を光源とする宙空を瞬間瞬間リライトさせていく、両腕の動きや髪のうねりは観音や菩薩を連想、、いやわがイマージュの連関を時空列を無視して加速する、呪呪的な情念の声の響鳴は堕地獄を思わせ、観念と空間をリミックスするインプロヴィゼイションと呼べるダンスミュージック、不連続な鼓動と速度に踊る、観ている私も踊る、体を揺らす。
ラスト手前の無音の屹立は、彼女がビートそのものという結。
とむすぶのは褒め過ぎか→それくらい、今回は体のキレもよく感じなかったし、言葉も不明確に過ぎて輪郭を失っていた。
しかし、そこにあるビートの可能性にまた、刺激を求めて、謹成祝花を観る事だろう。
コメント
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