直江実樹 naoe-miki / Radio Perfomer 's Blog

短波ラジオ奏者直江実樹のライブスケジュール活動報告等のブログ

美しき運命の傷痕

2006-06-07 00:31:23 | Weblog
渋谷ル・シネマでだいぶ前に、観ました。

「ふたりのベロニカ」、トリコロール三部作、デカローグ十部作のポーランド出身のクシシュトフ・キシェロフスキ監督の遺稿である三部作「天国」「地獄」「煉獄」の内の「地獄」を「ノーマンズランド」のボスニア出身のダニス・ダノヴィッチ監督が映像化した作品。フランスでの原題はまんま、「地獄」。

ある一つの出来事によって、家庭が崩壊した三姉妹の愛にまつわる。22年後のストーリー。
罪深き父の不在、母らしき人間を見舞う遠路電車で通う女性。一本の電話で、繋がる三姉妹。カメラマンの夫への嫉妬に駆られつつも二人の子供のある家庭を守る長女、足しげく母の面倒を見、ひっそりと暮らす次女、勝手に精算された大学教授との不倫を今も執拗に追い掛ける三女。次女に連絡を取ろうとする電話一本から、彼女たち各々の物語を観る側が俯瞰する、冒頭のいくつかのシーンの時間軸がこの時点ではまだ、はっきりしないからだ。
ファーストシーンは、母に連れられた少女(次女)が父の仕事場へ行くと、裸の少年と二人で居るところに出くわしてしまうところから始まる。

そこから、悲劇が起き、彼女たちに明らかなトラウマが残る。

長女は家庭を守るものの、仕事で留守にする夫を執拗に追い掛ける、描かれている時点では、もうすでにセックスレスになり、夫が仕事のクライアントと不倫しているが、ここまでに到る経緯は、そうした彼女からの強迫観念の産物と取れなくもない、彼女の怒りは暴力的に爆発する。次第に彼女の少女時代の父と母の事件後の確執で紛糾した家庭とシンクロする。

次女は一人、車椅子で声が出ない気丈な母親を見舞う。それ以外の日常はほぼ描かれない。隣りの老婦人に毎日新聞とパンを届けているのが、冒頭あたりで、出てくるのを見ても彼女の簡素な生活は明らかだ。何処か、気弱い。彼女の居所を探し、突然、パブのような場所で詩を披露した青年との出会いが、彼女の脆弱で畏怖を伴って、手足をもがれた恋愛観を露呈していく流れは、一番の被害者たる彼女をポツンと照射する。

三女は、大学教授との不倫から一方的に別れられ、忘れられず追い掛けまわす。教授が老境にあることから、父性に対する彼女の憧憬やらを慮るが、それこそが、男にとっては辛かったのかもだ。彼女にとっての運命を彼は享受出来ないことを罪と感じたのではないかと、思わせなくもない。彼女は彼の講義に押しかけ、友人たる彼の娘に会うかにして、家に訪れ、本人を目の前に恋の悩みを相談する。半ば、ストーカーの風情だ。

彼女たちにとっては、まだ人生の途上にして、ストーリーの結末が訪れる、ちょっとした過去からの風穴が、姉妹を集め、不慮の死を遂げた父との折り合いへと向かう。

それをこの物語は、ただ三姉妹が久々に集まることに帰結するのみだ。そんなさりなげさが、逆に悲劇を背負ったおかしみを生み出す。それは、喜劇かもしれない。風雲急はちょっとした日常に過去という回路を通して、一本の時間軸に集約される、それはファンタジーだ。キシェロフスキの「トリコロール青の愛」、マイク・リー監督の「秘密と嘘」や「キャリアガールズ」やペドロ・アルモドバルの「オールアバウトマイマザー」を思い出す。
例えば、「トリコロール青の愛」の最愛の夫に死なれ、一人暮らしを始めた時に、ネズミに驚いている場面のコミカルさ。悲喜こもごもの在り様が、生活然とした慈しみや哀しみや生命力を、笑いに転化してしまうような瞬間。「オールアバウトマイマザー」にある「そんな事言ってられない様な」時の流れのドタバタ加減、マイク・リーの必然と偶然のアクシデントが醸し出す、さりげない劇的さの嘘臭さに漂う現実感の浮遊した確固たる生命の愚鈍なる美しさは、ここにも通底している。

ただ、もう一つの視点が、その劇的さをリズミカルに見せる。

俯瞰する映像、天を仰ぐ、視点の多用。オープニングとエンディングの潔いくらいの作りこんだ演出の歯切れよさ。
王女メディアの分かり易い挿入、次女を見つめる善良でおかしみのある車掌の淡い恋心、死を間近にした磊落な老人の万華鏡、教授の講義内容と物語のリンク。多面的な物語の構造が、このリアルで夢の無い悲喜劇のファンタジーを彩る。

業のあり方の精神分析的な悲喜劇を演じる女優の個性が素晴らしい。情念を肉体で表現するにはうってつけのエマニュエル・ベアールが長女、少し間の抜けた哀歓を見せる次女のカリン・ヴィアールはあまり知らなかったが「憎しみ」とか「百貨店大百科」、「デリカテッセン」と有名作に出ている人、三女のマリー・ジランは「さよならモンペール」「裸足のマリー」の女の子だ、少し顔の下半身が緩くはなったが、キュート、脚線美にブーツが映える、下着姿でベランダに佇む悲しげなシーンの美しさ。
で、何より、母親役の激女振りを醸し出す、キャロル・ブーケがいい。狂気すら感じる美しさを湛える夫を拒絶する母親から、不随の体でも気丈に振舞う車椅子の老婆を見事に演じている。「欲望のあいまいな対象」の主役だったのか!

他も演技陣は豪華、「ロシュフォールの恋人たち」「ロバと王女」、最近では「WATARIDORI」の総監督も務めたジャック・ペラン、「髪結いの亭主」等、フランス映画人でも日本に認知度の高いジャン・ロシュフォール、「ヴィドック」「ザ・ビーチ」のギョーム・カネ、クロード・ルルーシュ監督作品の常連で今村昌平の「カンゾー先生」にも出演しているジャック・ガンブラン、エミール・クストリッツァ監督作を皮切りにヨーロッパ各国の作品に出演するミキ・マイロノヴィッチと、この作品に注がれた映画熱が窺える。

それに答えるほどの清々しいくらいに劇的に心憎い逸品。

かなり好きです。老獪な脚本が、瑞々しい演出で、ラストにニンマリします。
コメント
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