直江実樹 naoe-miki / Radio Perfomer 's Blog

短波ラジオ奏者直江実樹のライブスケジュール活動報告等のブログ

2005/6/12 酔いどれ東京ダンスミュージック at 新宿レッドクロース

2005-06-26 11:34:24 | Weblog
と題された真黒毛ぼっくす20周年記念ライヴイヴェント、オペレッタ狸御殿の翌日、6/12に新宿RedClothに行ってきました。ちょうど、ちょっと前に春風堂、rumi、パラダイスガラージを観たJAMの対面。今は無いパワステを越えた辺り。

題して、「酔いどれ東京ダンスミュージック」。
こう題されて、あがたさん、ライダーズ、ぱい好きな私が行かないわけにはいかないでしょう。

ニッカポッカー、真黒毛ぼっくす、しかも、ゲストアクトは、あがた森魚

客入れの段階でもう、徒然楽隊の演奏。
ここからすでにこの夜は約束されていた。和み、ダイナミズムとダンス。それが歌に直結する。
無尽に客席でチンドンする佇まいが楽しい。

ニッカポッカーは昨年末の無善寺でも観た、その時はオリジナルメンバーのお姉さんが帰国中で、メインヴォーカルでしたが、今回は、現在の正調なメンバーで。ザバダックの「遠い音楽」あたりを思い出すけれど、ザバダックはおそらく吉良知彦のプログレ的ロックセンスが勝ちすぎて、ガッチリしてて、「ロック」すぎる、ピーターガブリエルマナーというか(ピーガブも上野洋子も好きですが)。それに比べると自然にヨーロッパトラッドの楽しさとメロディの美しさがすんなり体に入ってくるなあ。3ムスタファズ3とか思い出したり、4ADっぽくはあるけど、もっと乾いてる。「バグダッドカフェ」が国立とか西武線、東武線にあるよな風景?牧歌的になるはずのチューバもヴァイオリンもパンク的な楽しさに転化されていく、最近のバルカン音楽とかとも連なる。

今はこうした音の快楽的アプローチさえ、伝われば、流行りとかって無く、体が反応する。

20周年なのですね、私は遅れに遅れた聴衆なので、学生時分から名前は知っておりましたが、真黒毛ライヴ体験も去年、いや、おととしの年末?最近記憶が。モザイクフリーの繋がりから、ライヴに遭遇。結局、関内のBBでも青山月見る君想う、ニューイヤーロックフェスと踊ってました。すみません、打ち上げにもお邪魔しました。

いきなり、「レフトフライ」(でいいんでしょうか、野球の唄)。こうしたフォーキーなメロディの刹那さ、とパンキッシュな音のダイナミズムの同居がたまらない。昨年の青山での対バン、マーガレットズロースともリンクする世界ですね。「荒川土手で会いましょう」とか。再生後の真黒毛はメンバーを増幅し、アコーディオン、チンドン、ホーンセクション、三線、パーカッション、ダンス、お子さんと曼荼羅というわけでもないですが、幸福な雑食性がそのまま、出てくる。
今回の圧巻は「中国の工場で働く娘」。(ヴォーカルにしてMr.真黒毛、おーつきさんは中国出張もしてらっしゃるので、実際行かれてから書いた曲なんでしょうか?)。
今までも、ポーグスを思わせる、大所帯にしてパンキッシュな爆発力はありましたが、この日の演奏は神がかり的、音の塊が体にダイレクトにきました。私にとっての真黒毛、ベストアクトでした。
CDで聴いているともっとストレートにロックを感じますが、ライヴはかなりお祭りムード、あまりに楽しんで、後ろに居たさぼ天さんに小突かれました。酔いどれ東京ダンスミュージック!ちょっと茨城入り。切ないメロディなのに、楽しく踊れるのは何故なんだろう、ということをずーっと考えていたのですが、言葉にある希求性なのかなあ、サビの言葉はライヴでのおーつきさん同様に斜め上方前方へと、未来へと向かっていく感覚、なのにノスタルジック、前進というよりは、前のめりな、のたうつようにはしゃぎ回るおーつきさんのステージングとダブってくる(この日のライヴはあまり暴れては無かったですよね、他のメンバーの気合が全面に溢れていたから?自主企画は大変です)。今回はこまっちゃクレズマーの多田さんが参加。梅津さんのライヴでも何度か観てます、そういえばオッパーラで、梅津さんのソロの前にガリノイズ+電脳ショックボーイズでライヴをやってるなあ。しかも、ガリノイズで対バンなどしていただいたブーツボーイズ(よく多田さん、梅津さん参加でライヴやってます)と真黒毛、対バンしてるなあ、やっぱ、世間狭い。今HP確認したら、ライヴで、ソウルフラワーの「満月の夕」をやったことがあるのかあ。電脳相方terra D/Aくんはチンドンバンドやってましたし、私、寿町で角材で殴られましたし。

あがたさんは実はちゃんとライヴ観るの初めてなんです。ちょい前にインストア観たぐらいで、私の大学の友人がプラネタリウムライヴに通ってて憧れていたのですが、なかなかキッカケ掴めず、神楽坂ライヴはチャンスかなと想っていたら、いきなりこの企画をmixiで観て。
何より、雷蔵で「ふらむきりんの庭」として演奏している「象ねづみの庭」が聴けて嬉しい。しかも真黒毛との共演で。
新作のスタイルもあってか、ポップな弾き語りメインでしたが。「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」とか「大道芸人」(ぱい再結成ライヴ盤のが好きでした)とか、嬉しい曲も。バンドネオンとか第七東映アワー(これブログでタイトルいただいた曲が入ってるし)とかヴァージンVSの曲も聴きたかったけれど、アンコールで「赤色エレジー」。もうステージ何人居るのだろう、バカ騒ぎ。また小突かれました。

宴です、また行きます!
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オペレッタ狸御殿

2005-06-25 09:37:14 | Weblog
天上天下唯我独尊

まさにそうしたもの、ただ、この作品が至宝かというとそうではない、生き仏、活き仙人の風情たる監督、鈴木清順そのものだ。張りぼてセットは日活時代でもあった、「東京流れ者」のクライマックスは象徴的だし、「カポネ大いに泣く」「結婚」もだが、「狸御殿」である、もう全編全開、フォルムで切り取る必要も無いからかなり緩い。
紙芝居的戯作的舞台。案外、ルパン三世が近いのかも。

何よりチャンツィイー。「SAYURI」で日本人女優が起用されなかった理由が良く判る。身振り手振り、身のこなし、張り詰めていて、自然に流れるような流麗なしなやかさ+超然たる強さ。完璧。
オダギリジョーも最近の役者さんでは、貪欲に活躍する人で、注目はしていたのだけれど(この前ちらっとテレビで観た「あずみ」で唯一人、ちゃんとしてた)、二人が最初に触れ合うシーンの立居振舞の彼の細かな所作のだらしなさに少し失望。可愛いルックスだが、今の日本の役者はみんな可愛いからなあ(←これ今の日本映画の最大の欠点、かっこいいのと可愛いのは違う)。まあ、可愛い役なんでいいけど、でもこの小姓姿、ゲイセンスを感じます。永瀬や浅野忠信に感じる違和を彼にも感じてしまったが、この二人はもうベテランの域で滅私出来る器用さがある。とにかく、ショーケンのようなカリスマチックで個だけで行ける、活ける役者はもう出ないんだろうなあ(ミフネでも勝新でもなんでもいいが)。
匂いでむせるような映画スターになってね。

うつし世ではない世界、狸御殿における極めてギリシャ悲劇的、寓話的展開、張りぼてと高原のロケーション、狸と人が恋におちる、父が美しさのために我が子を殺す。御伽噺。それを1時間半から2時間の映画という形式の大団円に収めていく、明快な娯楽を冥界なる世界観で提示した、死生の宴。伊達や酔狂なんである。伊達や酔狂の映像絵巻だから、着いてこれない人は多々ある筈。

前作「ピストルオペラ」はかなり好きだったのですが、好みとかの問題では無く、ハードボイルドにして痛快な「殺しの烙印」の続編も好き放題に撮っていると見せ付けた清順節に過ぎない、もう涅槃会である。

それだけに主人公二人の葬送シーンの優しく溶け込むようなシーンが怖い。あれは子供にも判るんじゃないか?

音楽は騒々しさという点においては、楽しかったけど、白井良明もう老人の域で歯止め利かないのか、ギター、コーラス全開。まあ緩さにおいてはいいのかも知んないけど。「恋する炭酸水」の瑞々しさは好きです。これは大島ミチルの仕事?河内紀さんの仕事で見たかった気もします。
未だにあのいなたい江戸前ラップ作ってるのがちょいと許せませんでしたが、由紀さおりと平幹二郎の二人が圧巻。上手い。由紀さおりのどゴスペルが観たいね、流石スキャットディーヴァ、かっこよかった。ラップの出来がかっこ悪いと知ってか知らずか、平幹二郎のはずし方が絶妙、まあ舞台の第一人者だし、ゲイだし。彼がチャンツィイーと浜辺で絡むシーンはちょいと宍戸錠然としてました、「ピストルオペラ」でも錠の役でしたしね。

と、書き忘れてた、薬師丸ひろ子。もう、遂に復活しましたね、まず、白塗りが似合う、立居振舞も華奢でいて日本人体型の彼女にはうってつけの和装。それで歌、しかもオペレッタ、オペレッタには判り易いソプラノ。由紀さおりもそうだけど、判り易い女性的声。もう、全てが素晴らしい。この作品が皆から忘れ去られても、ハリウッドでも活躍するチャイニーズスターが主演した事と、薬師丸ひろ子の脇役としての代表作として歴史に刻まれるはず。このキャスティングは素晴らしい。高橋元太郎も良いけれど。

そして象徴的に立つ、桜。「ツィゴイネルワイゼン」では死の果て、地の果てを想起させるデーモニッシュな黄泉的なもんでしたが、緑成す桃源郷のようですね。思えば「夢二」でも「ピストルオペラ」でもそうした境目に桜があった気がします。桜の森の満開の下は逢魔が時の彼方、此方の淵にあるのか。でも、今作品は端から、何でもなくさらっと登場。もう端からあっちなんだな。「ツィゴイネルワイゼン」の中砂と青池が洞窟で言葉を交わすシーン、あるいは塚本晋也の「双生児」で性格のまるで違う双子が入れ替わるシーン、ああいう転換点が必要ない。もう最初から、あっち。赤塚不二雄の「ギャグゲリラ」だね。

山本太郎、篠井英介、市川美和子というポイント高い役者を贅沢に使ってたりもします。千両役者ならぬ千両(しかもフェイク)監督を観たい方は是非!ってもう終わってるのか。
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P.W. Babies Paperback

2005-06-08 20:28:03 | Weblog
久々、本文

80年代のムーンライダーズの熱に浮かされ、90年代に復活を遂げてから、20世紀は「AOR」以外のツアーでの東京ライヴは必ず1回は行っていたのだ。博文のソロも一回、慶一とパンタのジョイント、ロウガンズに、インストアも1回。まあ、大ファンなんだろうなあ。
常にはぐらかしては、やってくれた感への麻薬的な呪縛でもあった。リアルタイムに「Animal Index」「Don't Trust Over Thirty」「最後の晩餐」「AOR」と完璧な作品を見せ付けられたのだから、もうしょうがない。

ただ、アルバムは聴き続けているものの、ライヴには行かなくなった。最初に観たパワステのAfter the Left Partyを超えるインパクトに実は遭えない。楽曲的なインパクトは毎回いろいろあるのだけれど、トータルな強すぎて痛いくらいの孤高にロックなイメージはどんどん薄れていくような気がする。
それはそれで面白いのだけれど。そうした自虐的当事者たちのロックも続いていく上で風化したり、より鋭敏になるようなところも、ロックが歴史を刻む事を選んだ時点で「ロック的でない」ということは有り得ないのだ。ボノが90年代に模索したような形も然り。
とはいえ、かっこいいかどうかというシンプルな疑問も帯びている。「月面賛歌」ツアーで初めてニューアルバムを全曲歌わなかったのが、一番の要因ですね。あと、客の少し温い雰囲気も。私も含めてなのですが。

当事者。
新作「P.W.Babies Paperback」を聴いて最初に浮かんだ言葉は、それだ。
妙にノスタルジックなのに、フィクション性が高く思えるような、散文的な言葉の蒙昧とした具象感とは裏腹に何故だか、狡猾に響く。
前作の「Flags」という博文の曲を拡大解釈したような、拒絶的なアジテートにこの夢世界が思えてくる。

時代にビートルズ及びロックへの情緒が霞みつつも思いは風景とともに強く匂っていく、2曲目「Wet Dreamland」。大体が、「Wet」。このアイロニカルな表現はまず若さでは得られない。曲調がアグレッシヴというわけでもないし。
この微妙にいろんな表情の交錯が音頭的サイケなゴスペル「スペースエイジのバラッド」、ヴォコーダーとの掛け合いがたまらない暗ポップな「Bitter Rose」(これが今のところ1番好きです)、フォーキーなミニマル「真実の犬」、かしぶち哲郎渾身のハイパーゴスペル「ひとは人間について語る」とそうした色彩感が統一してるように思える。
心地いいのか、居たたまれないのか、不思議な質感。

その前後をワルツで包んでいる。

ワルツにある祭りが終わったような、一抹の寂寞さ。
イメージを煽る。PostWarと冠したタイトル、戦後という掲げられたターム。既に矛盾したような語義のパラドックスは、何だかやんわりと、老成の速度を増した国の無い人々が世界の終わりの果ての彼岸で奏でるブルーズのようだ。もう何が何だかわけがわからない。書いてる私も。
最初から拒んでいて開かれている。

「地下道Busker's Waltz」の諦観と希望に満ちた馬鹿騒ぎの後、来たりし、囁く言葉の群れは、何だか開戦前夜の警告のようで、どんなホラーよりも怖かった。
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船はみんなを乗せてどんどん進んでいる Vol.7

2005-06-06 14:49:26 | Weblog
2005年6月5日の高円寺無力無善寺での電脳ショックボーイズによるライブ企画
「だいじょうぶマイフレンド、第一夜」

終演感謝を短き挨拶に代えて

満員御礼!多謝!

無力無善寺にお越しいただいた全ての皆様に感謝です。

嬉しい悲鳴の立ち見に、大変ではありましたが、何とか、無事終演となりました。

10分押しで、スタート。

電脳ショックボーイズの電脳ショックボーイズたる相方、terra D/Aくんに感謝!
電脳だけでは有り得ない集客、そして、明日へと繋がる多方向へ分散しつつ、実は底辺で結束している鼓動とアグレッシヴな音への愛情が交錯する素晴らしき出演者、ジュセイ、ABIKYOKAN、中川一郎さんに感謝!
おまんこライフな無善寺マスターに感謝!
フライヤー等協力いただいた椿さんに感謝!
息苦しい中、この音のアンサンブルを楽しんでいただいたお客様に感謝、もうクドイほどに感謝。

個人的には新潟から来ていただいたガリノイズ刈氏、山梨からお越しいただいたワクさん(会うのは6年ぶりくらいでしょうか?)、岩間さん、コミュニティサイトで知り合ったロック的愛情に溢れるfunkaさん、今、一緒に素敵な音の謀(はかりごと)を企てているまひこさん、ジェフリーさん、次は是非ご一緒したい舞踏家謹成さん、山梨時代から見守ってくださる小西さん、エチカマスター千田さん、、、、、、、、、。汲めども尽きません、有難うございます!

何より、船は進んでおります。
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船はみんなを乗せてどんどん進んでいる Vol.6

2005-06-02 22:37:04 | Weblog
2005年6月5日の高円寺無力無善寺での電脳ショックボーイズによるライブ企画
「だいじょうぶマイフレンド、第一夜」

あくまで個人的な、「だいじょうぶマイフレンド」、というイベント名

電脳ショックボーイズでライヴイヴェントをやろうと考えたのは、おととしぐらいから、ずっと模索してたのだけれど、結局、昨年末、筆者の脳内で具体化。何より、最初にABIKYOKANという対バン相手がいた。

外人バンドというのがあったのかも知れない。それなら、「チョットマッテクダサイ」でも「ドントウォーリーキョーコ」でもよかったのだろうが、このタイトルには想いがある。

もちろん、村上龍の小説+彼の監督した映画のタイトル。

先に映画を観た、あまりに酷評されている映画なので、逆に、そんなにこき下ろすほどでは無いと思った、もう10年近く経ってテレビで観たからかもではあるけれど。もっと、糞味噌に言うべき日本映画は腐るほどある筈。まあ、ツライはツライが。広田玲於奈の若さが眩しいというか、80年代的色彩と肌の色だなあと郷愁がありました。地球に落ちてきた男、ゴンジートロイメライが空を飛ぼうとすることに終始する後半は、純文学的というか、映画「つぐみ」の穴をひたすら掘る下りに似ている。ある意味、白けきった戦いを挑む「狂い咲きサンダーロード」(まあ、これは他の2本と比べて大傑作ですが)とも近い。

果てしなき内的宇宙へ邁進する、破壊行動。

それから、2年ほどして、人から小説はかなり面白いと言われ、当時「イビサ」を読んで、かなり村上龍に入れ込んでいた頃だったので、即買って、読んだ。
「コインロッカーベイビーズ」と「愛と幻想のファシズム」の間の時代、一番彼が試行錯誤を重ねていた時代ではないだろうか?「テニスボーイの憂鬱」もこの辺りで書かれた作品。

小気味よい文章、SF的な内容は80年代の日本の純文学的でもあり、50~70年代のアメリカの匂いでもあるような、無国籍と言うか異次元と言うか。

そこで、私はラストへ向かうきっかけとなる件で泣いてしまった。実に、微妙に「だいじょうぶマイフレンド」という台詞の囁かれるシーンが、ニュアンスが映画版とまるで違うのだ。
宇宙人とはいえ、ある世代を象徴するハリウッドスターが演じた、フィルム世界ではリリシズムであった言葉が、絶望感を匂わせ、アンビバレンツな世界観を分断し、寂寞とした想いと怒りに到達するには無力な破壊衝動にかられるのである。
小説版のゴンジートロイメライは宇宙人という、尋常には測れない詐欺師である。
彼はひたすら人を巻き込み、無へと向かう。
もう、読んでからかなり経つので、私の想像が一人歩きしていたら、ごめんなさい。

私がライヴを始めるきっかけは、方法論の問題だった。
ロックミュージックやパンクミュージックはその時代の今を否定していたはずなのに、それは、アートでもフィルムでも、芝居でも。全ての何かが、時間軸を持った瞬間に、本物や意味や価値にすりかわる。まあ、価値はわからんでもないが、皆、先物買いみたいになっていく。先駆である必要もないし、前衛(今でもこの言葉を使う意味がよく判らない)である必要も無い、でも新しければいいと思う。そんな、宵越しの銭を持たない感覚、それに憧れる。明日のことを知る前に、世界の果てに連れてって!
terra D/Aくんによく「みんな一緒にしてしまえばいい」と私はよく言う。

ゴンジートロイメライは結局、宇宙に帰れないまま、死んでしまった。
メイジャートムはただのジャンキーだ。
別にマッチョな思想はこれっぽっちもありません。

Don't Believe the Hypeと唱え続けよう。明日は檜の木になろう。見たことも無い木ですから。

だいじょうぶ、マイフレンド

そんな、嬉々としたキャストとお客さんと、ハコ。

このタイトルしかないでしょう。

といいつつ、この紹介文のタイトルはあがた森魚の歌詞からとりました。
引用礼賛!?
おあとがよろしいようで。

では、6月5日、夜7時に、高円寺無力無善寺で。
ジュセイ、ABIKYOKAN、中川一郎、電脳ショックボーイズと共に。
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船はみんなを乗せてどんどん進んでいる Vol.5

2005-06-01 22:02:57 | Weblog
2005年6月5日の高円寺無力無善寺での電脳ショックボーイズによるライブ企画
「だいじょうぶマイフレンド、第一夜」

無力無善寺という磁場

初めて無力無善寺という場所に行ったのは私が関わったアフロビートファンクロックバンドのルーツパニックスにジャンベ兼ダンサーとしてメンバーだった「あなるちゃん」が音響系のイヴェントに出るというので、足を運んだのが無善寺だった。
実は少々遅れて到着したため、彼女のパフォーマンスを見ることは出来なかったが、そのイヴェントに誘っていただいたパニックスのKさんに、あなるちゃんをメインとした「ちびパニックス」というセッションバンドに誘われ、武蔵小金井アートランドでライヴに参加した。
もちろん、短波ラジオで。その日の夜、私は、ガリノイズという一人インダストリアルフォークユニットの刈氏にユニット参加を働きかけた。2001年秋のこと。無善寺に行ったのは夏だったか梅雨だったか。ライヴパフォーマーとしてのきっかけの萌芽だったのかもしれない。

混沌の似合う居心地のいい場所だと知ったのは、その次。

江ノ島オッパーラでのイベントで知り合ったモザイクフリーのマッチさんに是非、ご一緒しましょうと言われてから、半年後に、連絡。電脳ショックボーイズでモザイクフリーのライヴ企画に呼んで頂いた。それが、無善寺。

その時は、打ち上げも無善寺。マスターのあのおまんこなスタンスを見たのも、ここ以外で観た事の無いあのファニーな内装を知ったのもこの2003年12月が最初。その夜は、地下生活者周辺の人々が2時ぐらいまで、歌っていただいて賑やかな幸せな一夜だった。

その後、何度か客として、大谷氏やアホンダラーズ、真っ黒毛ぼっくすなどなど、観た。マスターの咆哮するライヴ、無善法師のバックをマッチさんと魚くんがやるのを昨年末観に行ったら、一緒にやる事になり、笛とテルミンでご迷惑をかけた。
横浜インプロセッションでご一緒した八木橋司さんも無善寺で企画をされていて、高円寺界隈で大活躍中で、ペンギンハウスのパフォーマンスで惚れた謹成祝花さん(近々、前ブログのライヴ評復活します!)もご一緒ということで、観に行って、次の企画にソロで出していただき、その三人でセッションという夢のような出来事も。

無善寺は30人も入ったら、満杯の、JRのガード直下のスカムなハコ。

モザイク企画の時の電脳のライヴはベストな出来の一つ。

やはり、ここしかない、起点であり、始点、支点として。
あの泣き叫んでいるような佇まいの、チンコスもマンコスも三上寛もパフォームする脳内に介在する原色の庭で。
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