「ある映画監督の生涯」/新藤兼人監督
結局、二度観た。新藤兼人監督によるドキュメンタリー「ある映画監督の生涯」。昭和31年に50代後半で早逝した巨匠溝口健二の半生どころではなく一生を追ったもの。実にオーソドックスな形式で、当時の彼を知る人へのインタビューや資料に基づき、時代順に構成、作品も全て紹介されている。作品的にいうと「滝の白糸」の前迄が第一期、「滝...」から、「浪華哀歌」をピークとした、山田五十鈴、入江たか子といった女優との戦前の仕事が第二期、大映を拠点に、「雨月物語」「西鶴一代女」「近松物語」といった代表作を連発し、世界を意識した戦後が第三期。黎明期たる一期も含め、必ず彼には低迷期があり、晩年の「楊貴妃」の条は中国を舞台としたカラー作品ということもあり、監督の迷い、スタッフキャストの困惑が抽出されていた。特に降板を余儀無くされた入江たか子の表情の歪みはいたたまれなかった。あと監督との関係を執拗に問われる田中絹代のコメントの躱そうとしつつもどこか愛憎が混濁した言葉からはいろんな解釈が成立する、逆に故意にそう語っている気もする。そうした詳細に気になるところが多々あるので、別途書きます。
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ある映画監督の生涯を語る女優たち
しかし、この映画に出演している何人が生きているのだろう?
川口松太郎、宮川一夫、小沢栄太郎、伊藤大輔、依田義賢、進藤英太郎。よくも、まあ、新藤監督は健在である。
しかし、流石に女性をメインにした物語を数多く世に送り出した監督である、とにかく女優のコメントが多い。浦辺粂子、森赫子、入江たか子、山田五十鈴、田中絹代、木暮実千代、京マチ子、若尾文子、乙羽信子、香川京子。
それぞれの佇まいが興味深い。まず、入江たか子。伏し目がちなのに眼力があり、丁寧に恥ずかしそうに口をすぼめて語る。しなやかすぎる手の艶やかさ。この人を女として生涯、美人として生きてきたに違いない、そうした老婦人を間の当たりにした感じだ。地味な和装なのに凜として、楚々として、教育というものが生活に存在していた時代の人である。とはいえ、女優。楊貴妃の際に溝口に降板させられたいきさつを話す彼女は、そうした抑制が感情を抑えようとするあまり、顔が痙攣する、泣き崩れそうになる彼女の映像に当時のスタッフのコメント。怪猫女優と罵倒された話。寂寞と情感だけが映像から浮き立つ。もののあはれ、とはちょっと違うか。
続いて、更に初期のトーキー作品に出ていた、森赫子。初期から何も言わないようでいて厳しく演出する溝口健二の姿が語られる。彼女は少しキツ目の赤のブレザーにサングラス、この人も戦前戦中戦後もその美貌で生きてきたのか、シャキっとしている、サングラスのせいでいささか高圧的にも見えるが、決してサングラスを外さないのはおそらく隠しきれない、年輪が見えることと、とうに引退しているのではないか、そのため、虚たる女優の顔で語るためではないか、そこにあるプライドのオーラが強い人なのに女優としての華は稀薄であった。
続いて女優監督共に名声を得た作品を作った山田五十鈴、もうバリバリの現役感が彼女を覆っているのだが、何だろう、女優というよりは芸人の風情、この人が一番普段な洒脱な感じは森とは好対照、おそらく彼女は女優だから、ドキュメンタリーでの自宅でのインタビューだから、そこにあるのは女優山田五十鈴が溝口作品を語るプライべートな彼女なんだろうなあ、にしてもスチールで紹介される「浪華哀歌」「祇園の姉妹」といった一連の傑作群に在る彼女の美しさは息をのむ。もう娘で後に早逝した女優嵯峨三智子を産んでいたから、え、何歳?
溝口-五十鈴コンビというのも名コンビだが、世界になだたる名声を誇ったのはやはり、田中絹代との取り合わせ。
そんな彼女もこの頃は健在、前略おふくろ様とかサンダカン八番娼館とかありましたよね。とはいえ、映画一筋の彼女は舞台でも活躍する山田五十鈴と違って、何だかおばあさんになってしまっている。「愛染かつら」のヒロインで一世を風靡したとはいえ、実際、美人女優ではないもんなあ、しょうがないかあ、「流れる」とか「おとうと」とか疲れた風情が似合うし(なんでかどっちも幸田文原作)。ところが、彼女の受け答えが面白い、ちょうど偶像としての大女優と実力もある職人肌的女優を兼ね備えた感じ。プライドも高いし、エゴも強い、もちろん年代的に控えめではあるが、溝口とのゴシップを取り沙汰されたのもあるのだろうが、捲し立てるように整合性もあるんだかないんだか、語る。見た目は品のあるおばあちゃんだが、そこから見えてくるもの全てが、大女優だ、彼女は老けていく自分をどう思っていたのだろう。奥歯抜いたり、アプレゲール呼ばわりされたり、逸話数々あるのが、納得の行く物腰とオーラ。
山田五十鈴についてのところで触れ忘れていたが、祇園には甲部と乙部があり、溝口が題材として選んだのは、より生活感のある下層な乙部の方。これは知らんかった。
続いて、京マチ子、「雨月物語」と最晩年と出演した彼女だが、普段着なのか、楽屋なのかのバンプっぷりな佇まいが凄い。ジャンヌモローをふくよかにしてブリジットバルドーもしくはディバイン的装いにしたような、彼女も当時まだ現役バリバリにテレビ舞台をこなしていたから、若い。まだ、ご健在でしたっけ?艶ある老婦っぷりで10年ちょい前まで主役で頑張っていたと思うのですが、雨月にしろ黒澤の羅生門にしろ市川監督の鍵にしろ、妖婦としてのファムファタールが似合う、珍しい日本人。しかし、楊貴妃、赤線地帯と溝口、最晩年の低迷期の話のいぶかしさは、相当なもんだったのか、ちょいと吐き捨て感はあったなあ。
祇園囃子で小気味いい姐さん芸者を演じた木暮実千代は何だか金持ちのおばさんって感じだったなあ、洒脱というよりはおばさん、当時太ってたと述懐してたが、わかりませんでした。エルメスとかディオールで全身固めそな、中期フェリーニに出そう、それは京マチ子か。二人ともグラマラス
若尾文子はわりとファンも多いので置いといて。まだ撮影所に入って二ヶ月というコメントの通り、祇園囃子の半玉の彼女はまだ子供の面影というか子供でしたね、初々しい。品良く喋る時に少し噛みしめて話す感じが好きだなあ。
で、香川京子。この人は私にとって実にミステリアスな女優さん。絵に書いたように70年代的なやさぐれた俳優が好きだったので、行儀が良すぎる佇まいの真面目そうな役者さんというのがどうも苦手で、栗原小巻とか紺野美沙子とか、ロバートレッドフォード、竹脇無我、加藤剛、児玉清、高峰秀子(成瀬作品が無ければずっと嫌いな女優でしたね)、子供の頃からどうも苦手でした。昔の日本映画を見だすようになって、原節子みたいに少々異形だったり、久我美子ほど眼力あればね、まだ何とか大丈夫でしたが、三宅邦子とかあんまりとっつきよくなかったです。香川京子という女優さんも、平岩弓枝とか出てそうと勝手なイメージがあったのですが、黒澤の「どん底」でかなりイメージ変わりましたね。最後には狂乱してしまう守銭奴な長屋の大家の唯一、綺麗な心持ちと容姿の凜とした町娘を演じてました。小津の東京物語の女学生の末娘役という裏アイテムもあって、好きになりましたね。それから、「悪い奴ほどよく眠る」、これも足に障害のある令嬢役で面白かった。その頃にリアルタイムの彼女は熊井啓監督の「式部物語」の老人役で助演賞を受賞、これも意外に狡滑な感じでした。でも、次作「まああだだよ」ではまたおっとりとした初老の女性を好演。イメージにぴったりでした。ようやく、その頃からインタビューとかも見るようになったのですが、彼女はいち早く戦後の5社協定の枠組みを抜け、フリーでやっていた映画女優と知り、びっくり、確か三国連太郎はそれで干されたって聞いたことがあるんですが、小津、成瀬、黒澤、溝口と巨匠の作品を貪欲に渡り歩いてきたんですね、凄い。まあ、小津の頃はフリーじゃないのか。とはいえ、監督と夫婦とか、にんじんくらぶとかでもないですよね。どこにそんな強さがあるのか、二回り上の未年。あれ三周り?で、この映画のインタビューでもしたたかな彼女とは裏腹にいつも通りにおっとりと丁寧に受け答え、そんな彼女の溝口作品といえば、近松物語。いやあ、ラスト辺りの逃避行の顛末は、いいですよ、くどい長谷川一夫と現代的な彼女の激情の対比というか、腹のすわった堂々たる心中っぷりは、このドキュメントのインタビューにある彼女とは重ならない。というか、演技を離れた彼女には、華はあるが、女優的な妖婦の面持ちはかけらも無い。
心中ものって、太地喜和子とか岩下志麻とかさ、少しこわもてな女優を思い浮かべてしまうし。ハムレットのオフィーリアとか近いのでしょうか?
といっても、「近松物語」、ラスト手前、少しだれる。悪役の二人、小沢、進藤のエイタロウズがいい具合に憎たらしいのですが。ただ大坂の大店を俯瞰するファーストシーン、あれだけでも観る価値のある映画です。
さて、女優というより友人だった浦辺粂子を置いといてあと一人。乙羽信子。
この時、カメラはインタビュアーたる監督を初めて背中ではなく、女優の対面の位置で捉えている。
それは、ある映画監督の生涯を撮影する監督の生涯の定点観測でもある、のちの夫人である乙羽信子と新藤監督は当時まだ半ば夫婦といって差し支えない愛人関係にある、とはいえ、独立プロの監督と主演女優という、同胞でもある。
ここにおいて、対面で語る女優の柔和な表情は、女そのもので、私にとってそういうイメージの稀薄な女優さんだったので、面白く観た。
2005年2月3月のmixi日記より
結局、二度観た。新藤兼人監督によるドキュメンタリー「ある映画監督の生涯」。昭和31年に50代後半で早逝した巨匠溝口健二の半生どころではなく一生を追ったもの。実にオーソドックスな形式で、当時の彼を知る人へのインタビューや資料に基づき、時代順に構成、作品も全て紹介されている。作品的にいうと「滝の白糸」の前迄が第一期、「滝...」から、「浪華哀歌」をピークとした、山田五十鈴、入江たか子といった女優との戦前の仕事が第二期、大映を拠点に、「雨月物語」「西鶴一代女」「近松物語」といった代表作を連発し、世界を意識した戦後が第三期。黎明期たる一期も含め、必ず彼には低迷期があり、晩年の「楊貴妃」の条は中国を舞台としたカラー作品ということもあり、監督の迷い、スタッフキャストの困惑が抽出されていた。特に降板を余儀無くされた入江たか子の表情の歪みはいたたまれなかった。あと監督との関係を執拗に問われる田中絹代のコメントの躱そうとしつつもどこか愛憎が混濁した言葉からはいろんな解釈が成立する、逆に故意にそう語っている気もする。そうした詳細に気になるところが多々あるので、別途書きます。
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ある映画監督の生涯を語る女優たち
しかし、この映画に出演している何人が生きているのだろう?
川口松太郎、宮川一夫、小沢栄太郎、伊藤大輔、依田義賢、進藤英太郎。よくも、まあ、新藤監督は健在である。
しかし、流石に女性をメインにした物語を数多く世に送り出した監督である、とにかく女優のコメントが多い。浦辺粂子、森赫子、入江たか子、山田五十鈴、田中絹代、木暮実千代、京マチ子、若尾文子、乙羽信子、香川京子。
それぞれの佇まいが興味深い。まず、入江たか子。伏し目がちなのに眼力があり、丁寧に恥ずかしそうに口をすぼめて語る。しなやかすぎる手の艶やかさ。この人を女として生涯、美人として生きてきたに違いない、そうした老婦人を間の当たりにした感じだ。地味な和装なのに凜として、楚々として、教育というものが生活に存在していた時代の人である。とはいえ、女優。楊貴妃の際に溝口に降板させられたいきさつを話す彼女は、そうした抑制が感情を抑えようとするあまり、顔が痙攣する、泣き崩れそうになる彼女の映像に当時のスタッフのコメント。怪猫女優と罵倒された話。寂寞と情感だけが映像から浮き立つ。もののあはれ、とはちょっと違うか。
続いて、更に初期のトーキー作品に出ていた、森赫子。初期から何も言わないようでいて厳しく演出する溝口健二の姿が語られる。彼女は少しキツ目の赤のブレザーにサングラス、この人も戦前戦中戦後もその美貌で生きてきたのか、シャキっとしている、サングラスのせいでいささか高圧的にも見えるが、決してサングラスを外さないのはおそらく隠しきれない、年輪が見えることと、とうに引退しているのではないか、そのため、虚たる女優の顔で語るためではないか、そこにあるプライドのオーラが強い人なのに女優としての華は稀薄であった。
続いて女優監督共に名声を得た作品を作った山田五十鈴、もうバリバリの現役感が彼女を覆っているのだが、何だろう、女優というよりは芸人の風情、この人が一番普段な洒脱な感じは森とは好対照、おそらく彼女は女優だから、ドキュメンタリーでの自宅でのインタビューだから、そこにあるのは女優山田五十鈴が溝口作品を語るプライべートな彼女なんだろうなあ、にしてもスチールで紹介される「浪華哀歌」「祇園の姉妹」といった一連の傑作群に在る彼女の美しさは息をのむ。もう娘で後に早逝した女優嵯峨三智子を産んでいたから、え、何歳?
溝口-五十鈴コンビというのも名コンビだが、世界になだたる名声を誇ったのはやはり、田中絹代との取り合わせ。
そんな彼女もこの頃は健在、前略おふくろ様とかサンダカン八番娼館とかありましたよね。とはいえ、映画一筋の彼女は舞台でも活躍する山田五十鈴と違って、何だかおばあさんになってしまっている。「愛染かつら」のヒロインで一世を風靡したとはいえ、実際、美人女優ではないもんなあ、しょうがないかあ、「流れる」とか「おとうと」とか疲れた風情が似合うし(なんでかどっちも幸田文原作)。ところが、彼女の受け答えが面白い、ちょうど偶像としての大女優と実力もある職人肌的女優を兼ね備えた感じ。プライドも高いし、エゴも強い、もちろん年代的に控えめではあるが、溝口とのゴシップを取り沙汰されたのもあるのだろうが、捲し立てるように整合性もあるんだかないんだか、語る。見た目は品のあるおばあちゃんだが、そこから見えてくるもの全てが、大女優だ、彼女は老けていく自分をどう思っていたのだろう。奥歯抜いたり、アプレゲール呼ばわりされたり、逸話数々あるのが、納得の行く物腰とオーラ。
山田五十鈴についてのところで触れ忘れていたが、祇園には甲部と乙部があり、溝口が題材として選んだのは、より生活感のある下層な乙部の方。これは知らんかった。
続いて、京マチ子、「雨月物語」と最晩年と出演した彼女だが、普段着なのか、楽屋なのかのバンプっぷりな佇まいが凄い。ジャンヌモローをふくよかにしてブリジットバルドーもしくはディバイン的装いにしたような、彼女も当時まだ現役バリバリにテレビ舞台をこなしていたから、若い。まだ、ご健在でしたっけ?艶ある老婦っぷりで10年ちょい前まで主役で頑張っていたと思うのですが、雨月にしろ黒澤の羅生門にしろ市川監督の鍵にしろ、妖婦としてのファムファタールが似合う、珍しい日本人。しかし、楊貴妃、赤線地帯と溝口、最晩年の低迷期の話のいぶかしさは、相当なもんだったのか、ちょいと吐き捨て感はあったなあ。
祇園囃子で小気味いい姐さん芸者を演じた木暮実千代は何だか金持ちのおばさんって感じだったなあ、洒脱というよりはおばさん、当時太ってたと述懐してたが、わかりませんでした。エルメスとかディオールで全身固めそな、中期フェリーニに出そう、それは京マチ子か。二人ともグラマラス
若尾文子はわりとファンも多いので置いといて。まだ撮影所に入って二ヶ月というコメントの通り、祇園囃子の半玉の彼女はまだ子供の面影というか子供でしたね、初々しい。品良く喋る時に少し噛みしめて話す感じが好きだなあ。
で、香川京子。この人は私にとって実にミステリアスな女優さん。絵に書いたように70年代的なやさぐれた俳優が好きだったので、行儀が良すぎる佇まいの真面目そうな役者さんというのがどうも苦手で、栗原小巻とか紺野美沙子とか、ロバートレッドフォード、竹脇無我、加藤剛、児玉清、高峰秀子(成瀬作品が無ければずっと嫌いな女優でしたね)、子供の頃からどうも苦手でした。昔の日本映画を見だすようになって、原節子みたいに少々異形だったり、久我美子ほど眼力あればね、まだ何とか大丈夫でしたが、三宅邦子とかあんまりとっつきよくなかったです。香川京子という女優さんも、平岩弓枝とか出てそうと勝手なイメージがあったのですが、黒澤の「どん底」でかなりイメージ変わりましたね。最後には狂乱してしまう守銭奴な長屋の大家の唯一、綺麗な心持ちと容姿の凜とした町娘を演じてました。小津の東京物語の女学生の末娘役という裏アイテムもあって、好きになりましたね。それから、「悪い奴ほどよく眠る」、これも足に障害のある令嬢役で面白かった。その頃にリアルタイムの彼女は熊井啓監督の「式部物語」の老人役で助演賞を受賞、これも意外に狡滑な感じでした。でも、次作「まああだだよ」ではまたおっとりとした初老の女性を好演。イメージにぴったりでした。ようやく、その頃からインタビューとかも見るようになったのですが、彼女はいち早く戦後の5社協定の枠組みを抜け、フリーでやっていた映画女優と知り、びっくり、確か三国連太郎はそれで干されたって聞いたことがあるんですが、小津、成瀬、黒澤、溝口と巨匠の作品を貪欲に渡り歩いてきたんですね、凄い。まあ、小津の頃はフリーじゃないのか。とはいえ、監督と夫婦とか、にんじんくらぶとかでもないですよね。どこにそんな強さがあるのか、二回り上の未年。あれ三周り?で、この映画のインタビューでもしたたかな彼女とは裏腹にいつも通りにおっとりと丁寧に受け答え、そんな彼女の溝口作品といえば、近松物語。いやあ、ラスト辺りの逃避行の顛末は、いいですよ、くどい長谷川一夫と現代的な彼女の激情の対比というか、腹のすわった堂々たる心中っぷりは、このドキュメントのインタビューにある彼女とは重ならない。というか、演技を離れた彼女には、華はあるが、女優的な妖婦の面持ちはかけらも無い。
心中ものって、太地喜和子とか岩下志麻とかさ、少しこわもてな女優を思い浮かべてしまうし。ハムレットのオフィーリアとか近いのでしょうか?
といっても、「近松物語」、ラスト手前、少しだれる。悪役の二人、小沢、進藤のエイタロウズがいい具合に憎たらしいのですが。ただ大坂の大店を俯瞰するファーストシーン、あれだけでも観る価値のある映画です。
さて、女優というより友人だった浦辺粂子を置いといてあと一人。乙羽信子。
この時、カメラはインタビュアーたる監督を初めて背中ではなく、女優の対面の位置で捉えている。
それは、ある映画監督の生涯を撮影する監督の生涯の定点観測でもある、のちの夫人である乙羽信子と新藤監督は当時まだ半ば夫婦といって差し支えない愛人関係にある、とはいえ、独立プロの監督と主演女優という、同胞でもある。
ここにおいて、対面で語る女優の柔和な表情は、女そのもので、私にとってそういうイメージの稀薄な女優さんだったので、面白く観た。
2005年2月3月のmixi日記より
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