直江実樹 naoe-miki / Radio Perfomer 's Blog

短波ラジオ奏者直江実樹のライブスケジュール活動報告等のブログ

玉井夕海+神田光監督「White Elephant」を観る

2017-06-11 09:37:26 | Weblog
玉井夕海さんが2年前に完成したまま未公開の神田光さんとの共同監督作品「White Elephant」が1週間公開ということで拝見しました。

https://www.white-elephant-found.com/single-post/2017/06/06/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8EWhite-Elephant%E3%80%8F%EF%BC%96%EF%BC%8F%EF%BC%96%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%80%E9%80%B1%E9%96%93-%E7%84%A1%E6%96%99%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

私は玉井夕海さんを知っていて、彼女の音楽なり、ブログやSNSで書かれた言葉なりを見知っているから、とてもわかりやすく、映像そのものを楽しみました。

夕海さんにあるその年月を切り取って、出会った人、町、街、出来事、そこに佇む情景、時間、言葉、そしてそこに挿入される歌の存在。
映像詩として、歌そのものがうまく溶け込んでいるのは、その映像にある出来事や出会いや時間、記憶、考えていることのなにがしかが、歌に結び付くその瞬間として、観ている私が出会うことが出来るから。
だから、そこに切り取られた「何か」が映像に紡がれていき「何か」の展開を表出させるものではない。
物語ではなく(そこに存在する人たちには、その人たちの生活として歴史として物語は存在する)、何等かの明確な主題たる主体たる観点のドキュメンタリーではなく、玉井夕海さんの視点そのものが映像としてそこにある。時制の編集や挿入されるその場でのショットに、その場で何を映像に収めるか、ということの判断など、クローズアップされていく人々のその状況や語られていく話が、夕海さんの視点の100%かどうかはわからないが、その視点に移って納められたものの中に、歌は導き出される(作った場合でも、もともとある曲を歌うのでも)映像がすんなりと入ってきて、情感の抑揚と共に映像の展開を追っていけた。それでいて音楽のイメージの為の映像では決してなく、デモやおばあちゃんや子供たちや寿町の人や広島、長野、天草のいろんな場所や人たちの情景が常に存在する。自分にはそこがとにかく痛快だった。
「何か」はこの映像を見た人から生まれるものだと思う。観終わったあとに想像力を掻き立てる好奇なる興奮が残りました。

あがた森魚さんが一時(もしかしたら今もずっと公開しないだけで続けているかもですが)、月いちで日記的に撮り続けている映像を公開するイベントを開催していました。その企画に行ってみたかったのだけど、一度だけアップリンクに足を運んだ時には時間に間に合わず、上映会の後の第2部のライブからでした。

単体のロードショーというよりは、いろいろな場所で一緒に巡回して、その地でまた、人や出来事に出会い、夕海さんの歌が、その時その時で紡がれていったら面白いな、と思う。
今回はラストの歌のところで映像をまとめてはいるが、常にリブートして、紡がれていく終わらない物語であてくれたらなんて思うから。毎回どんどん書き加えられ、10年後には8時間ぐらいの長尺になって、古民家(とか映像に出てきた大きな日本家屋)とかで、みんなでのんびり見たりとか。

そして、これはちゃんと映画だと思う。スクリーンでも見てみたい。
上記のような巡回で上映が一番素敵だと思うので、映画としての興行形態では伝わりづらいかもしれないが。

あの大きな木はどこにあるんだろう、一度行ってみて下から眺めてみたい。
寿町のお父さんの弾き語りもよかった。
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2017 0608 秋葉原GOODMAN 緑のA+α on YouTube

2017-06-11 07:46:22 | Weblog
2017 0608 秋葉原GOODMAN 緑のA+α
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