ん~、そんなにがんがんにあかるくしなくってもいいかなっ、と。
大地震から16日。おかげさまで生活のリズムも元に戻ってきました。
あのあと1週間は電車が不通で職場にたどり着けず。スーパーにもだいぶ物が戻ってき。放射線は…こまりましたね。職場でもハウス栽培だというのに風評害で作物が売れません。早くみんなが安心してお仕事できるようになりたいものです。
それはさておき。
停電のおかげで、良かったことは(もちろん、停電自体はすご~~~く困ります)。
そんなに明るくしなくていいんじゃない?と認識できたこと。
駅の構内や繁華街の電気が半分以下に。
最初は、ちょっと陰気だな、と思ったけれど。まあ、別に問題はない。お年寄りや、視力の弱い方にはつらいのかもしれないけれど。
エスカレーターやエレベーターが止まってるのも、やはり赤ちゃんつれたお母さんや足が悪い人などには大変困るけれど、私はむしろ運動不足解消のために最近極力使ってないし。
いいんじゃないかな~。これを機会に、照明や電気機器のあり方を変えても。
もちろん、弱者のために必要な分は動かすようにして、健常者は極力使わない。ほら、鍛えとかないと、また歩いて帰るはめになったら、体力つけとかないといけないでしょ。
暗くなった街を歩いておもったこと。
暗闇の奥ゆかしさ。京都の暗闇。スペインの光と影。
京都の町が好きなわけは、華やかなにぎわいもあるけれど、そんな町の路地のふとした闇の、そのあやしさ。あのすだれ越しの奥には、何があるのだろう、と思わせる、そんな闇。
そういえば、京都の町家では、昔は暗がりの深さが自慢だったとも聞いたことが。
表からは深い家の奥で、そう灯をともしもせずに、坪庭からの明かりばかりをたよりに針仕事をする。玄関をくぐって、人がいるのかしら?と思いながら声をかけると、暗い廊下の向こうからおばあさんが顔を出す。ようこんな暗いところで、と思うところで平気ですごされる。
でも、だからこそ、丸く穿った竹格子の窓の、微妙な光の色を見る。
坪庭の緑の、瑞々しい色の変化を知る。黒々とした柱の、年季の入った艶を慈しむ。京都の闇はあやしくて、息をひそめれば、千年も昔の人々の衣擦れさえ聞こえそうな気がする。そして闇が深ければ深いほど、豪奢に散りばめられた金襴は、いっそうその蜜の色の輝きを増す。
きっとおばけもいたろうさ。そんな気にさせる、やさしく深い闇。
そんな魅力的な闇なら、いいよなあ。
そして、若い頃学んだスペイン語。"Sol y Sombra" ー スペインは、光と影の国。
もっともこれは、強烈な太陽と、その光がつくる影のこと。真っ白な壁を照らし出す太陽は、くっきりとその影を描き出す。じりじりと照りつける路地から一歩石造りの家の中に入れば、ひんやりとした心地よい空気が身を包む。
それは、情熱と静謐なのかもしれないし、人生の側面なのかもしれない。
スペインを代表する宮廷肖像画家たちも、闇の中に人物とその豪奢な衣装を美しく浮かび上がらせる。一筋の光がさす瞳は深い感情を湛え、宝石を透かす光はその人物の生きた一瞬を切り取る。
光があってこその闇。闇がゆえの光のまぶしさ。
まあ、なんというか、ちょっと暗くなったホームを見て、どことなくほっとしたというか。むかしは、こんなもんだったよね~。田舎の駅は。ぽつんぽつんと灯りが点いてて。
あんまりビカビカまぶしくしてると、夜寝られないよ~ん。
それと、少ない明かりでもいいんだけど、出来ればもうちょっと暖かい色の光がいいなあ~~~。なんか、青白いと陰気なんだもの。
ほら、ヨーロッパの石畳を照らすガス灯の黄色い明かりとか(もちろん今は電気ですが)。わくわくする祭りの提灯とか、たいまつとか。ディズニーランドの明かりも楽しげでしょ。
そんなすてきな照明、つくろ~よ。
☆今日のちび庭気温:1.5~12℃ 上の写真は蘇州の旧市街のライトアップ。全部が明るくはないけど、素敵でしょ。(^_^)