どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の記憶(豊橋・岡崎・知多・常滑・名古屋)⑭―コンドルの六華苑

2011年08月28日 | 日記
旅の最終日 早朝ホテルをチェックアウトすると 名古屋から桑名に向かった

電車で2~30分という近さ(最速の電車で)だというが これでは十分通勤圏内ではないか

確かに本数こそ少ないが 東京よりも豊かな暮らしかもなぁ

ちなみに 我が家から同じ時間で東京駅には行けないもの(40分はかかる)


これから見にいくのは 旧諸戸清六邸(二代目清六)「六華苑」

竣工は大正2年(1913)

今回の旅ベスト3のうちのひとつだ!!


確か桑名には8時前に着いたんじゃないかな

相変わらずバスの本数は少ないし 待つのも面倒なので歩くことにした

駅から徒歩で25分ほどか

海が近いせいだろうか それとも気のせいか 心地よい風を感じる

桑名といえば焼き蛤なんだけど そんな看板 ちっとも見ないなぁ~

もしかしたら 目黒のサンマなのか~~?


例の ネットの地図を印刷した紙を手に持ち 汗を拭き拭き歩く

もうこの近くだと思うところで 朝の水撒きをしている男性に尋ねてみた

もうすぐそこですよ 

洋館 ありますよね(狂気の眼だったかも^^)

あぁ コンドルのでしょ ありますよ

(満面の笑みをたたえて)そうですか ありがとうございますと 私

見ていってください まだ開いてないですけど と男性が言う

そこで気がついた

諸戸○○会社とあるのを

そうか ご子孫さんなのか


その先に あった!あった!

いかにもコンドルってのが ほんの僅か てっぺんだけ見えた

今は無き鹿鳴館を建てた人だ

あの岩崎邸を建てた人だ

日本の近代建築の父と言われた人だ

それがチラと見えた

それだけで興奮した


開館を待てずに何枚か 僅かでも高いところからと へっぴり腰で堤防から撮る

十分良いのが それだけでわかる

前を流れるのは 揖斐(いび)川なのだろうか

桑名で長良川と合流して伊勢湾に流れ込むとあるけど

川も海も非日常な私には 水の流れが新鮮に見える


そばに小さな 神様を祭ったものがあった

ジョギングをしていた男性がそこでお賽銭を入れてきちんと拝み また走り去っていった

素敵な光景だった


六華苑の入り口の 大きな木の下の日陰の下で待つ

掃除の人が出てきて 僅かな落ち葉を掃除していた

おはようございます そう 声をかけた

開門と同時に入る

一番乗りだ

人影を気にせず写真を撮れる


ほとんどが当時のまんまだという

だから 傷みやすいタイルのベランダは 立ち入り禁止

4階の丸い塔屋

これが最高の見どころと思った

湾曲した部屋の窓ガラスに 同じように湾曲したガラスを使っている

これは そうはない

当時の日本では製造できないものであって 輸入したそうだ


ほとんど修復の手が入っていないという

二階へ上がる途中の壁に 大きなガラス窓がある

模様の入ったガラスで それが最近のものなのかどうか気になって 尋ねてみた

受付の女性は 私はまだ勉強不足でわからないけれど 10時から案内ボランティアがあるからと

迷ったが 結局その案内を聴かずしてそこを出た

私はそれを見たとき これは新しいものではないかと思ったが 今 写真を見直してみると やはり当時のままだと

今はそう思うが やはり確かめるべきだっただろうか


駅近くのロッテリアで水分補給をして 再び名古屋に戻る

いよいよベスト3の最後を見る時が来た!


※ 諸戸(もろと)清六は家督を継いだ時 1000両の借金があったという。
  それを3年で返済。相当のケチケチぶりだったよう。
  だが明治維新の後、商売繁盛。地元の水道施設にも貢献したとある。
  昔の実業家、資産家は、こうしたことも当然の行いとして、地域に貢献してきた。
  今はどうなのか・・・。

  初代が、岩崎とも親交があったらしく、それでコンドルの設計となったとか。
  ちなみに二代目は、山林王と呼ばれたらしい。
  重文指定の建物。

  
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旅の記憶(豊橋・岡崎・知多・常滑・名古屋)⑬―貞奴の二葉館―

2011年08月28日 | 日記
バスを降りると それはもうほとんど目の前にあった

石をふんだんに使用した外観と 濃いオレンジ色(ほとんど赤に近い)の屋根は強烈な印象である

ベスト3には入らなかったものの 写真で見た瞬間に気に入った一品


その名前こそ知ってはいたが 川上貞奴に関する知識はほとんどなかった

売れっ子芸者になったあと オッペケペー節で有名な川上音二郎と結婚し 日本初の世界的女優といった程度

だがこの建物(二葉館)を見るにあたって検索したところ 福沢諭吉に見込まれて養子に入った男とのロマンスが

NHKで昔ドラマになったというから 知っている人は多いのだろうが 昔からテレビはそれほど見なかったもので

二人は若い頃に出会ったそうだが その後 福沢家に養子に入った桃介は 諭吉の次女と結婚 

音二郎の死後 女優を引退し「川上絹布株式会社」を設立した貞奴が

その後の人生のパートナーとなる電力王と言われた福沢桃介と暮らした家

それが この二葉館なのだ

もとは二葉町にあった2000坪の屋敷

その後 他の人の手に渡ったあと 80%ほどをそのままに現在の場所にこの建物を移築保存したという


月曜とあって ここは休館

中を見ることはできなかった

なかなかのカメラを持った近所に住むと思われる年配の女性と 互いに邪魔にならないように配慮しながら

私達は 位置を変えながら何枚か写真を撮った

いいのが撮れましたか?

そう彼女が私に声をかける

ええ まぁ でもとても奇麗 絵になりますね と私は答えた


絵になるといったとおり 移築しそれなりの修復を施したものはどうしても浮いたものになってしまう

建築物は その土地 庭 借景も全て含めて成立するものだと思うからだ

このあと紹介する「揚輝荘」と「六華苑」は そのままにある

(ただし前者は 広大な敷地がかなり分断されて マンションも建っているが)

2000坪とあっては そのままに維持するのは容易いことではないのが現代

保存されたことだけでも 十分良かったと思うことにする


設計施工は 新進気鋭だった洋風住宅専門会社「あめりか屋」とある

現在も京都にあるそれだろうか

ここの作品はいくつか残っているので 今後も気になる住宅として要チェック


お気に入りの 以前それとは知らずに歩いた道を散策しながらホテルまで歩いてもどった

前回の訪問の時 たまたまホテルの隣に感じの良い店があったのでそこで夕食にするつもりだったのだが

なんと お盆休み!

店はあまたあれども なかなか思うような店はなく もうどこでもいいやという気分で飛び込み ほどほどの食事

ホテルに戻り荷物の整理をする

明日は駅のコインロッカーに荷物を預けて 桑名まで

ベッドに潜り込み 旅の写真を見つつカメラを抱きながら寝てしまった
  
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