旅の最終日 早朝ホテルをチェックアウトすると 名古屋から桑名に向かった
電車で2~30分という近さ(最速の電車で)だというが これでは十分通勤圏内ではないか
確かに本数こそ少ないが 東京よりも豊かな暮らしかもなぁ
ちなみに 我が家から同じ時間で東京駅には行けないもの(40分はかかる)
これから見にいくのは 旧諸戸清六邸(二代目清六)「六華苑」
竣工は大正2年(1913)
今回の旅ベスト3のうちのひとつだ!!
確か桑名には8時前に着いたんじゃないかな
相変わらずバスの本数は少ないし 待つのも面倒なので歩くことにした
駅から徒歩で25分ほどか
海が近いせいだろうか それとも気のせいか 心地よい風を感じる
桑名といえば焼き蛤なんだけど そんな看板 ちっとも見ないなぁ~
もしかしたら 目黒のサンマなのか~~?
例の ネットの地図を印刷した紙を手に持ち 汗を拭き拭き歩く
もうこの近くだと思うところで 朝の水撒きをしている男性に尋ねてみた
もうすぐそこですよ
洋館 ありますよね(狂気の眼だったかも^^)
あぁ コンドルのでしょ ありますよ
(満面の笑みをたたえて)そうですか ありがとうございますと 私
見ていってください まだ開いてないですけど と男性が言う
そこで気がついた
諸戸○○会社とあるのを
そうか ご子孫さんなのか
その先に あった!あった!
いかにもコンドルってのが ほんの僅か てっぺんだけ見えた
今は無き鹿鳴館を建てた人だ
あの岩崎邸を建てた人だ
日本の近代建築の父と言われた人だ
それがチラと見えた
それだけで興奮した
開館を待てずに何枚か 僅かでも高いところからと へっぴり腰で堤防から撮る
十分良いのが それだけでわかる
前を流れるのは 揖斐(いび)川なのだろうか
桑名で長良川と合流して伊勢湾に流れ込むとあるけど
川も海も非日常な私には 水の流れが新鮮に見える
そばに小さな 神様を祭ったものがあった
ジョギングをしていた男性がそこでお賽銭を入れてきちんと拝み また走り去っていった
素敵な光景だった
六華苑の入り口の 大きな木の下の日陰の下で待つ
掃除の人が出てきて 僅かな落ち葉を掃除していた
おはようございます そう 声をかけた
開門と同時に入る
一番乗りだ
人影を気にせず写真を撮れる
ほとんどが当時のまんまだという
だから 傷みやすいタイルのベランダは 立ち入り禁止
4階の丸い塔屋
これが最高の見どころと思った
湾曲した部屋の窓ガラスに 同じように湾曲したガラスを使っている
これは そうはない
当時の日本では製造できないものであって 輸入したそうだ
ほとんど修復の手が入っていないという
二階へ上がる途中の壁に 大きなガラス窓がある
模様の入ったガラスで それが最近のものなのかどうか気になって 尋ねてみた
受付の女性は 私はまだ勉強不足でわからないけれど 10時から案内ボランティアがあるからと
迷ったが 結局その案内を聴かずしてそこを出た
私はそれを見たとき これは新しいものではないかと思ったが 今 写真を見直してみると やはり当時のままだと
今はそう思うが やはり確かめるべきだっただろうか
駅近くのロッテリアで水分補給をして 再び名古屋に戻る
いよいよベスト3の最後を見る時が来た!
※ 諸戸(もろと)清六は家督を継いだ時 1000両の借金があったという。
それを3年で返済。相当のケチケチぶりだったよう。
だが明治維新の後、商売繁盛。地元の水道施設にも貢献したとある。
昔の実業家、資産家は、こうしたことも当然の行いとして、地域に貢献してきた。
今はどうなのか・・・。
初代が、岩崎とも親交があったらしく、それでコンドルの設計となったとか。
ちなみに二代目は、山林王と呼ばれたらしい。
重文指定の建物。
電車で2~30分という近さ(最速の電車で)だというが これでは十分通勤圏内ではないか
確かに本数こそ少ないが 東京よりも豊かな暮らしかもなぁ
ちなみに 我が家から同じ時間で東京駅には行けないもの(40分はかかる)
これから見にいくのは 旧諸戸清六邸(二代目清六)「六華苑」
竣工は大正2年(1913)
今回の旅ベスト3のうちのひとつだ!!
確か桑名には8時前に着いたんじゃないかな
相変わらずバスの本数は少ないし 待つのも面倒なので歩くことにした
駅から徒歩で25分ほどか
海が近いせいだろうか それとも気のせいか 心地よい風を感じる
桑名といえば焼き蛤なんだけど そんな看板 ちっとも見ないなぁ~
もしかしたら 目黒のサンマなのか~~?
例の ネットの地図を印刷した紙を手に持ち 汗を拭き拭き歩く
もうこの近くだと思うところで 朝の水撒きをしている男性に尋ねてみた
もうすぐそこですよ
洋館 ありますよね(狂気の眼だったかも^^)
あぁ コンドルのでしょ ありますよ
(満面の笑みをたたえて)そうですか ありがとうございますと 私
見ていってください まだ開いてないですけど と男性が言う
そこで気がついた
諸戸○○会社とあるのを
そうか ご子孫さんなのか
その先に あった!あった!
いかにもコンドルってのが ほんの僅か てっぺんだけ見えた
今は無き鹿鳴館を建てた人だ
あの岩崎邸を建てた人だ
日本の近代建築の父と言われた人だ
それがチラと見えた
それだけで興奮した
開館を待てずに何枚か 僅かでも高いところからと へっぴり腰で堤防から撮る
十分良いのが それだけでわかる
前を流れるのは 揖斐(いび)川なのだろうか
桑名で長良川と合流して伊勢湾に流れ込むとあるけど
川も海も非日常な私には 水の流れが新鮮に見える
そばに小さな 神様を祭ったものがあった
ジョギングをしていた男性がそこでお賽銭を入れてきちんと拝み また走り去っていった
素敵な光景だった
六華苑の入り口の 大きな木の下の日陰の下で待つ
掃除の人が出てきて 僅かな落ち葉を掃除していた
おはようございます そう 声をかけた
開門と同時に入る
一番乗りだ
人影を気にせず写真を撮れる
ほとんどが当時のまんまだという
だから 傷みやすいタイルのベランダは 立ち入り禁止
4階の丸い塔屋
これが最高の見どころと思った
湾曲した部屋の窓ガラスに 同じように湾曲したガラスを使っている
これは そうはない
当時の日本では製造できないものであって 輸入したそうだ
ほとんど修復の手が入っていないという
二階へ上がる途中の壁に 大きなガラス窓がある
模様の入ったガラスで それが最近のものなのかどうか気になって 尋ねてみた
受付の女性は 私はまだ勉強不足でわからないけれど 10時から案内ボランティアがあるからと
迷ったが 結局その案内を聴かずしてそこを出た
私はそれを見たとき これは新しいものではないかと思ったが 今 写真を見直してみると やはり当時のままだと
今はそう思うが やはり確かめるべきだっただろうか
駅近くのロッテリアで水分補給をして 再び名古屋に戻る
いよいよベスト3の最後を見る時が来た!
※ 諸戸(もろと)清六は家督を継いだ時 1000両の借金があったという。
それを3年で返済。相当のケチケチぶりだったよう。
だが明治維新の後、商売繁盛。地元の水道施設にも貢献したとある。
昔の実業家、資産家は、こうしたことも当然の行いとして、地域に貢献してきた。
今はどうなのか・・・。
初代が、岩崎とも親交があったらしく、それでコンドルの設計となったとか。
ちなみに二代目は、山林王と呼ばれたらしい。
重文指定の建物。