どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の記憶(豊橋・岡崎・知多・常滑・名古屋)⑦―知多半島で夕日 ―

2011年08月20日 | 日記
愛知県は 想像以上に鉄道が発達している

なんていうと おみゃ~ばかにするでにゃあ~よ(方言に間違いあっても許してちょ!) なんて言われそうだが 

けれど どうもよくわからない

特急というのに特急料金がいらない電車というのもあって 小心者の私は知らないばっかりに乗りはぐった

中岡崎と岡崎公園前という二つの駅は ほとんど同じところにあるというのに 同じ名前は使わないんだね

知らない人は路線図だけだと 乗り換え出来るのか心配になっちゃう

私は中岡崎から愛知環状鉄道に乗ってJRの駅の岡崎まで行き 安城 刈谷 を通過

大府(おおぶ)でJRの武豊線に乗り換えて 半田まで


半田は知多半島にある

この駅の跨線橋(こせんきょう)は 現存するJRのものでは最古(明治43・1910年)

それを記したプレートがちゃんとありました

近くには煉瓦造のランプ小屋もあり よくある地方の駅かと思いきや・・・

どうだ!といわんばかりにそびえたつのは12階建てのミツカン本社ビル

さほど高いビルが無いから 駅前からでもいやでも目に入る

鈍い黒の外壁に あのミツカンの見慣れた白のロゴマークがなんとも粋

だが 今日は見ない

明日のお楽しみだ


ホテルのある知多半田駅(名鉄河和線)は ここから歩いて5~6分か

半島に吹く心地よい風を感じながら 広くて奇麗な道を歩く

チェックインを済ませると 私は再び電車に乗って終点の内海(うつみ)へと向かった

「温泉で夕日」を決行するためだ

歩けば20分ほどの距離 地図も持ってきたが 朝から歩き続けたせいか さすがの私もくじけた

駅前に停車していた一台のタクシーの誘惑には とても勝てるものではなかった

二キロ近くあるようだ

帰りが心配になり 一応電話番号の書いてあるカードをもらっておくことにした


温泉は 老若男女で大繁盛

特にビーチが近いこともあって 海から上がった若者たちの日焼けの肌がその若さを一層主張しているかのようだ

今が夕日の見ごろですと アナウンスが入る

私は あの夕日を見て何を考えていただろうか

今 思い出そうとしても思い出せない

何も考えていなかったのかもしれない

夕日は大きかった

大きくて真っ赤だった

ただそれだけが 鮮明に残っていること


帰りは 贅沢は敵とばかりに歩くことにした

途中で近所に住む老女に出会った

暑いですね と声をかけられた

歩く人なんかご近所さん以外にはいないような町だ

ええ 暑いですね と言葉を返した

ふと母のことを思い出した


知多半田の駅に戻った私は 食事する店を見つける気力もなく スーパーで食材とビールを買ってホテルに戻った

いつもよりも一層貧弱な夕食(しかもこの日唯一の食事)ではあったが 充実の一日を無事終えたことに感謝して

ひとり静かに祝杯をあげた
 
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旅の記憶(豊橋・岡崎・知多・常滑・名古屋)⑥―八丁味噌の郷・カクキュー ―

2011年08月20日 | 日記
一目瞭然 私の下手な説明よりも写真があったほうが良いかと載せたけれど けっこう面倒なのね


さて 岡崎市郷土館をあとにして今度は八丁味噌で有名なカクキューへと向かう

東岡崎から一駅先の駅の近くにあるのだが けっこうな距離

岡崎城址が見えてくれば もうすぐ


カクキューは 江戸時代から続く八丁味噌の会社である

私は東京生まれ東京育ちだが 赤味噌も大好き

へとへとになって到着すると ちょっとした観光ルートになっているみたい

簡単な申し込みで説明を受けられるというので 1時からの回を申し込んでみた


資料館となっている蔵は明治40年(1907)に作られたもの 事務所部分は昭和2年(1927)

ともに国の登録文化財だ

八丁味噌の名前の由来は 岡崎城から8町離れていたこの場所を八丁村といったからだそうで

現在の地名は八帖 と少しややこしい


製造方法を中心に 若い娘さんが40人ほどを引き連れて蔵の中を案内してくれた

直径ほぼ180センチほどの桶にふたをして その上に重石を積むのだが それがまた職人技なのだそうだ

きちんと積めば 何があっても崩れない

味噌作りには欠かせない桶(6尺という) それを削る鉋(かんな) そして箍(たが)

食は文化だと実感できる資料館だった


案内の最後に赤味噌の試飲があった

空腹にはぐっとくる!おにぎり ありませんか~?

レストランも付設されているのだが さほど大きくない上に夏休みのせいか お客で満員

また食いっぱぐれた!

売店で買い物をしたかったが 旅の始まりということを考えると味噌はまさに荷が重い

東京でも買えるしと 宿泊予定の半田に向かうことにした


追記:下記はカクキューのHPです。興味を持たれた方は、是非ご覧あれ。

http://www.kakuq.jp/home/Default.asp
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旅の記憶(豊橋・岡崎・知多・常滑・名古屋)⑤―旧岡崎銀行本店―

2011年08月20日 | 日記
そろそろ昼食をと思いながら 旧岡崎銀行本店を目指す

岡崎市内を貫く旧東海道は通称27曲と呼ばれているそうだ

岡崎城主だった田中吉政が防衛上から 道をくねくねと曲がらせた ということ


その伝馬通をひたすら歩く

わずかながら古い商家があり それが歴史を物語る

それにしても ここって和菓子屋が多くない?と 歩いているあいだずっと思っていた

お盆ということもあり稼ぎ時なのか 休みの張り紙が多い中 和菓子の店は開店している

城下町だったこともあるのだろうか

とにかく 朝食はおろか昼食もまだな私の目に飛び込んでくるのは 和菓子屋ばっかり・・・


このあたりの裏手のはずと道を曲がってみたら ありました!!

旧岡崎銀行本店(岡崎信用金庫資料館)

赤煉瓦と地元産御影石を組み合わせた 鈴木禎次設計による大正6年(1917)竣工の建築物

愛知県には彼の作品が数多く残っているので この名前は赤線引いておくとこです!


そう大きくは無い建物ではあるが 意匠の細部にわたってこだわりを見せている

漱石の義弟 やるもんですなぁ~!

ただ これは仕方の無いことではあるのだが 何度か修復されている

一番最初は空襲を受けた後 昭和25年である

煉瓦は時を刻むものだ

時間を食らって味が出る

私にはどうしてもレプリカのように見えてしまう

それは少し残念なことだったが それでも町の景観の一つとして存在し 

資料館としても また市民の共同の場所として今も十活用されているというのは 非常に嬉しいことではあった

町中の敷地いっぱいのこの建物 写真を撮ろうと思うとどうにも電線やらが邪魔で邪魔で

それで数枚しか撮らなかったのを 今 ちょっぴり後悔しています 
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