南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

十喜一憂

2006年08月19日 | ミクロネシアの幼稚園
今日の10時30分からの設定保育は、昨日のような子供の心が躍るとまではいかなかったです。僕の心の中に「子供をこういう風にしてやろう」という部分と、こちらの幼稚園教育の方針である知識的に教えるという部分をきっちり入れ込もうとしたこと、そして言葉の壁がうまくいかなかった原因です。

でも心は何故か晴れやか。
昨日は、NAPという好きな遊びの時間にいつものように子供は幼稚園の園庭で遊具を使って遊んでいました。昨日は自分は言葉がうまく通じないので、子供の細かいトラブルにも対処しきれないと、子供に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
昨日仕事が終わってから同僚のシニータにそのことを話すと「あなたがポンペイ語をはなせないことはみんなわかっているし、気にしなくていいよ」と言ってくれました。

そんな昨日でしたが、今日もやはり自分が好きな遊びで他の先生が見ていなくても、ちゃんと子供の姿を捉えようとして姿勢を伝えたいと思い、子供といることにしました。

すると、困った子供が僕の所に「悲しい」と言いにきました。今日明日では駄目ですが、
b子供にこの先生は僕のことをわかってくれると感じてもらうには言葉の壁がある僕にはやはりじっくり子供と付き合い、共感していくしかないと思いました。

それに元気者で昨日僕にたたいてきてアブサレムくんが僕の背中に乗ってきたり、泣いている子を僕がなだめていると「大丈夫」と励ましたり、クラスの部屋の中では見せない部分を見せてくれました。他にもにっこりと微笑む子どもなども。

本当に日に日に「これがいい」「これはやめたほうがいい」など気持ちが移り変わったり、
喜んだり悲しんだりと一喜一憂ならぬ、十喜一憂です。それくらい嬉しいことのほうが多いという意味で。

たくさんの喜び、憂いがあるということは、まだまだこの国に浸っているのではなく、自分が新鮮な感覚でものごとを感じ取っているから思える感覚なのだと思います。
そんな一喜一憂、やはり十喜一憂をしていきたいと思います。
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怒り!

2006年08月19日 | ミクロネシアの生活
このブログは、嫌なことや批判的なことは書かないと決めていましたが、今日は書きます。ご覧になられて嫌な気持ちになったら、すいません。

今日私の小学校に元JOVCの方が来られました。その方は、南の島をヨットに乗って周り、それぞれの島で飛び込みで学校に行き、子ども達に「あなたの大切なものは何」と聞き、それを絵に描いてもらうことを目的にされているそうです。バックに大きなスポンサーがついているらしく、また目的として、子どもが自分の大切なものは分かるが人の大切なものを理解すること、人の大切なものを壊したりしないこと、それが開発教育の一環につながることを目的とされているそうです。

昼間に僕の家の庭に立ち寄られ、折角なので、お昼ご飯を僕の家族の好意で一緒に食べることになりました。ちょっとその日本人の考え方や話し方が気になっていたのですが。
日本語が堪能なお祖父さんをみるなり、「ビデオとっていいですか」と許可を得たものの、会ったばかりのお祖父さんの目の前まで近づけてビデオを撮り続け、言葉はほとんど「ため語」。「おじいちゃん、これおいしいわ」「これどうやってつくるん?」お祖父さんは日本語も堪能でちゃんと分かっておられるのに。
(もちろんわかっていなくても、そんな話し方をしてはいけませんが)。
ここは僕がお世話になっているホストファミリーなんだぞ。全然分かっていない。

彼は子どもに開発教育で人が大切にしているものは、自分が大切と思ってなくても壊してはいけないということを教えるために南の島を廻っているはずなのですが、
子どもは壊してはいけないこど、自分は他人が大切に思っているお祖父さんを傷つけても平気なのでしょうか。

そして、あげくの果てに「おじいちゃん何歳まいきたいと思ってる?」だって。ビデオ構えながら。あなたは自分の本当のお祖父さんが、会って間もない人に「何歳までいきたい」なんて聞かれたらどんな気持ちがするんですか???

僕はずっと元気にいて欲しいし、そのためにどれだけお祖父さんと暮らしながらそのことに気をつけているか。本当に悔しかったです。同じ日本人として情けないです。

僕がこの家にしていることはリスペクト(尊敬)。そしてお祖父さんのこと、本当に尊敬しています。そしてお祖父さんがおっしゃってくださる「日本人はよかった、礼儀正しかった」という思いを僕との2年間で崩すことなく、持ち続けて欲しいと思っています。

夜に家で「お祖父さん、今日は日本人がとても失礼な質問をお祖父さんにしてすいませんでした」と誤りました。お祖父さんは「いや大丈夫だから大丈夫」とおっしゃってくれました。
それは裏を返すと、とても嫌な気持ちをされたということです。

人のことをリスペクト出来ないひとは日本はもちろん、どこの国いってもコミュニケーションどころか、迷惑かけるだけです。

これも自分に置き換えて、気づかないうちに自分がそうならないように反面教師にしたいと思いました。

次の日も、パラグライダーか何かで近くから飛び立ち、何人もの現地の人に「君の友達が・・・」と言われたので、はっきり「彼は友達ではないし、彼のことは嫌いだ」と話すと納得してくれました。

自分したいことは誰でもどんどんしてもいい。でも現場でこれから暮らしていく人のことも考えてもらわないと本当に困ります。
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宿題をする僕の先生

2006年08月17日 | ミクロネシアの生活
今日は幼稚園で書いたことを書いたUSBを忘れてきたので、先生の話。

僕の先生は今日家で宿題をしていました。
それも僕の電子辞書を使って。

僕の先生とは、ホストファザーのひ孫のクリストバルくん13歳。
彼は本当に性格がよくて、いつも僕にも気を遣ってくれます。
たまに僕を試すように夜に「メイセンマウ」(おはよう)と聞いてきたりと僕が大体の感じで話していることを見抜いています。

今日も朝授業で使う言葉を辞書で引いてから彼に確かめて学校に行きました。


昼は彼のお母さんが僕や彼の弟、妹の分のランチボックスを持って学校に来てくれます。
今日は海の近くでシートを広げて家族みんなで一緒に食べることに。
クリストバルは恥ずかしそうでしたが、それでもちゃんと一緒に食べてくれます。

昨日の夜彼と二人で話をしていて、「君の夢はなに?」と聞くと少し考えた後に「僕はパイロットになりたいなあ」と答えました。
彼が望んでいる高校の進学のこととか、勉強のことについても話をしました。

ポンペイの子どもは教科書が学校のみでしか使えないので、で勉強する習慣があまりないのですが、彼に家でも30分でも勉強したらいいよと話していました。(僕の過去を知っている人が聞くとびっくりする会話ですが)

そんな彼が宿題に困っていたので、電子辞書で一緒に調べて英語の宿題を完成。
もちろん僕より英語はできますが。
電子辞書どころか、辞書そのものがあまり普及していないので、辞書の存在に凄く喜んでいました。
貸してあげることはできないので、彼が終わるまでじっと?いやウクレレを弾いて待っていました。

途中で「眠たくない?」と僕が待っていることまで気にしてくれる良い奴です。
ウクレレ念願のBOOMの「かぜになりたい」大体コード覚えることが出来ました。




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お葬式&水面を見れば夕食がわかる

2006年08月16日 | ミクロネシアの生活
子供が帰り2時に緊急招集会議。もちろんポンペイ語で。議題はお金の話?
そして「お前はいくら払うんだ」と聞かれて、「WAHT’S KIND MONEY?」と聞くと、「ドルでも円でもいいけど」と答えるので、「WHY I NEED TO PAY MANEY?」(すいませんおかしな英語で)

よく聞くと「8年生の先生のお兄さんがなくなったので香典をするためだったのです」「いくらすればいいの?」と聞くと「5ドルかな?」「いや1ドルでいいよ、君はボランティアだから」と。「それって少ないよね」というと「いいからいいから」と。「日本でも同じように職場でお金を集めるけど、金額を決めて集めるんだ」と伝えると不思議そうでした。

それで終わったと思ったら同僚が「さあ窓を閉めて」というので???

今からお葬式に行くのだそうです。
あなたはどちらでもいいのって感じだったので、すかさず「行きます」と答えて、アロハに着替えて学校に行き、一緒に来るまで連れて行ってもらいました。

つくとすぐにご遺体のところに通されて、一瞬座ってすぐに席を立ちました。
そして同じ先生に聞くと「ご遺体が土の中に安置されるまでいましょう」ということなので、じっと2時間待っていました。

日本でも職場のご家族がお亡くなりになられると同じような雰囲気だなっと思いました。

そして悲しいときも嬉しいときもポンペイといえば、サカオと豚の丸焼きです。
ご遺族の悲鳴と共に豚の悲鳴も聞こえてきました。

日本も今は死語になりつつありますが「精進料理」とは感覚が違いますが、お通夜におすしをつまんでお酒を飲む感覚と一緒のような。ご遺体をまぎわまで布団に寝かせて、土に帰る時に棺に入れるのも一緒でした。

お亡くなりになられた方は「ビックタイトル」(高い村での位)を持っている上に、BIG FAMILYなのでとてもたくさんの人で埋め尽くされていました。400-500人くらいでしょうか?

警察官が出ていたので、こういうときに交通整理するしかないよなと思ったら、彼らはホスピタルポリスで、亡くなられた方が勤めていた関係だそうです。
なんでも話をよく聞いて感じないと「葬式は警察がでてくるもの」と感じてしまいそうです。気をつけないといけません。

いろいろと 文化習慣は違いますが、少し角度を変えてみると「これって日本で言うとこういうこと?」と共通点が見出せるように思います。

いつも「あれは違う、これが日本だったら」ばかりではなく、ミクロネシアのよさや日本との共通点などの視点をもってかかわることを大切にしたいです。

追記
葬式後に家に帰ると鍵を部屋に置き忘れてお祖父さんが帰ってくるまで部屋に入れないことに気づき、教会が終わるまで、教会と家との間の橋で待っていました。

すると川上から鶏の羽が浮かんできます。これは紛れもなく僕の家からです。
「今日は鶏か」と水面を見ると夕食がわかります。

とても自然な感覚で、心地良いです。
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終戦記念日

2006年08月15日 | ミクロネシアの生活
今日はテーマに分けて2つブログを書きました。

今日は終戦記念日。アメリカに言わせると日本に勝った日。また敗戦記念日です。

ミクロネシアにきて、最も気になっていたことが戦争時の事です。
正直ミクロネシアの人からは「日本人はよかった」という言葉しか聞きませんが。

今日終戦記念のことを家族に話してみましたが、家族は遠慮とかをしているのではなく、知らないようです。
(もっと詳しく感じていかないといけませんが)

仕事を終えて、スペインウォールの公園にある日本の慰霊碑に行ってきました。
物故者慰霊碑とあり、ミクロネシアへ建設に尽力しつつなくなった方へ、また太平洋戦争で亡くなった人にとありますが、日本人の犠牲もさることながら、きっと空襲などでミクロネシアの人も亡くなられたのだと思います。そのこともお祈りしました。

この日は改めて、日本人が平和について、今までのことを教訓にしていくいい機会だと思います。
ここで書きて、思い出しました。最近言わなくなったけど「太平洋戦争」なんですよね。

この国(ミクロネシア)のためにがんばった人、ミクロネシアの人が「日本人はいい人で、教育とかを教えてくれた」と感じさせてくれた人、たくさんの人のおかげで今のミクロネシアでの私たちの活動が成り立っているのだと思います。悲しい歴史はありましたが、それを胸に刻みつけて、僕たち海外で活動するものは、今の日本人として活動して行かなくてはいけません。良い意味でも悪い意味でも「日本人はこんなひと」という印象は僕の行動にかかっていることを意識して。

遠くにいるからこそ日本が感じられる。それはここに来る大きな意味ですが、ここでは太平洋戦争は大きな意味を持つ振り返りであり、新たな誓いをすべき出来事です。
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保護者にばったり。

2006年08月15日 | 駒ヶ根訓練所
今日もブログ二つ書いたので時間があれば見てください。

写真は幼稚園から学校の校舎と校庭を見たところです。手前の校舎の中に幼稚園もあります。芝生の向こうは海と島ですよ。

まるで24の瞳みたいでしょう。
二十四の瞳ならぬ、丁度子ども達は二十四人で、四十八の瞳です。

昨日初めて夜に洗濯をしました。
仕事が始まるとなかなか朝に洗濯するのが難しいので。
親戚の人が泊まったり、DVDを見たりする部屋にお爺さんの許可を得て、針金で洗濯ものを乾せるようにしました。

昨日、家族の人に「今日見た限りだけど、ECEの先生はあまり元気がないのでは」と話すと僕のECEの先生のことを知っている家族は「それは互いに気にして意識しているからではないだろうか」と言ってくれました。
問題点を見つけて自分の役割を見出していくことは、僕の大きな仕事ですが、あまり断片的になったり、決め付けてしまわないようにしないといけないと思います。
いろいろと家族に話すことは、噂話が好きなポンペイの人なので、すぐ本人に伝わったりしてしまう可能性もあるのですが、気をつけながら、積極的に問題点や不思議に思ったことを家族と話していきたいなあと思いました。

朝、シニータから「今日はどんな風にレッスンプランをたてている?」と聞かれたので、「君がこのクラスの担任だから、僕は全部のプランは考えていないけど、昨日ことを基にして、繰り返しながら、楽しめるようにするよ」と話しました。
そして「昨日シニータたちが教えた歌はとても楽しかったけど、もっとなんども繰り返さないと子供は覚えないし、楽しくならないのでは?」と伝えました。
そして「今日子供が帰って時間があったら、レッスンプランを考えよう」という話になりました。さてそうとんとん拍子に実現するか?

今日は8時15分のセリモニーの時に集まっていた子は5-6人。不安でしたが、みんなで子供たちを部屋で待っている間に子供が増えてきました。

木の皮で作っていたネームは、子供たちが座る場所を示すものでした。
こちらが教えると座れます。文字を学習するならマークとか作らないほうがいいし、聞いてみながら考えます。

朝ごはんまで少しあるので、「ヒロなにかして」と振られたので、昨日おじいさんにポンペイ語に直してもらった「トントントントン」の手遊びをしました。

トントントントン アリシ オンラウド(ひげのおじいさん)
トントントントン キリン オンラウド(こぶのおじいさん)
                      っていう具合に。

意味がわかって楽しむ子が増えてきました。
まわりにいる保護者も笑っていました。

子供たちの給食の朝ごはんはパイナップルとミルク。終わると自由にしていいのかと思って遊ばせていると、「だめだめ」といって設定保育。
アシスタントの先生が学校のルールを文字の書いたプレートを使いながら教えてくれました。

そして学校の休み時間の鐘がなると幼稚園の子供も自由遊びで今日は幼稚園の遊具に子供が群がりました。

うんていは、押してしまったり、両サイドから行こうとしたりしてかなり注意してしまいました。もちろん先生はだれもいません。

そのあと、またまた10時50分くらいになると「ヒロの時間」といわれて、僕が保育をしました。今日は子供たちが最初ステップで子供たちがウサギになって跳んだり、眠ったりして、しばらくすると僕が犬になって追いかけるというもの。ウサギ(子供)が座ったら犬(先生)は食べることつまり捕まえることはできません。みんな立って捕まりたがるので、犬に食べられてしまった人は、もうウサギになれないことにしてするとかなり本気に。もちろん意味がわからなかったり、面白くって走り回ってしまうこともいますが。

昨日緊張していて遊びに参加しなかったCOBY(子供の名前)とかも参加してくれて、終わったCOBYは僕にわざわざ近づいてきたので、今日は少し彼の気持ちに近づけたようで嬉しかったです。これが保育の楽しさですよね。(ささやかですが)

あとシニータも自分がボールを使って子供たちがまわして遊ぶときに「ヒロ、子供がボールがまわせるようにキーボード弾いてくれるか」と言ってきてくれて嬉しかったです。
ささやかだけどこんな風に一緒に保育ができる機会をこれからも作りたいです。

子供の顔は男の子の名前は顔と名前が一致するけど、女の子はまだまだです。これってやはり日本の時と同じです。

明日から自分の役割、とりあえず「Hiroの時間」って言われたときに子供が楽しめようにプランを練ってから明日に挑みます。もともとがぶっつけ勝負なのですが。
語学はマタン(早く)、ワワイ(ゆっくり)を家族が昨日教えてくれて、とても助かりました。
今まで遠慮していたけど、もっと言語を積極的に聞いていって家族の言うように早くポンペイの人になれるように自分から近づいていかなくては。

テーマの保護者にばったりは、コロニアに行くときにタクシーに乗り、「運転手さんにあなた幼稚園の先生ですよね」と聞かれ、「なんでと答えるとだって私の娘がお世話になっているから」だって。そしてスーパーでも「あなたアワック幼稚園の先生ですよね」またまた?。わたしの子どもが幼稚園に行っていますだって。
小さいと言っても3万5千人くらいいるし、町には村から10キロくらいあるのでがとりあえず顔は知れ渡ってきました。

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保育開始・入園式?

2006年08月14日 | ミクロネシアの幼稚園
日本は夏休み真っ只中ですが、こちら、ミクロネシアいやポンペイでは、今日はいよいよ幼稚園が始まります。不確かですが、ポンペイ以外の島はそれぞれ新学期が違うみたいです。

朝始まる時間は、8時と聞いていたので、行ってみるとなんとシニータは、部屋を空けてもう来ていました。

金曜日に聞いたとき「8時より早く来ることはない」って言っていたけど、ちゃんとやるときにはやるじゃないですか。

部屋の前になんとなく保護者と子供が集まり、出席を確認することもなく、小学校の合図の鐘がなって、「MAKE LINE」といってECE(幼稚園)の子供たちも並びました正直とても上手です。(日本より?)
今日入園したばかりなのに。

そして校長先生の話の後、一列になって100メートルくらい離れている校長先生の所まで行き、一人ずつ握手をして、そのまま教室を3つぶち抜いた多目的ホール?にいって座らせました。
校長が僕に「今日は何人いるの?」と聞いてきたので23人中19人です。と答えましたが、他の先生はわかっていなかったみたい。

僕は前からシニータに「ちゃんと子供の表を作ったほうがいいよ。男女をわけるとわかりやすいよ」(今ジェンダーフリーで男女に分けるのは良くないという意見もありますが)
そして子供の表を昨日作ってきました。それをつかって始業式の最中にシニータは子供をチェックしてくれました。

話は正直言ってかなり退屈。僕も紹介してもらいました。また校長は「ヒロヒト」と言って僕を紹介してくれました。「それは前の天皇の名前でしょう」といつも突っ込みますが。

子供はかなりがんばっていましたよ。日本の子より落ち着きあるかも?
途中一人他の友達にちょっかいを出す子がいたので、一緒に座っていました。
そこで嬉しかったことは、言葉はわからないけど、ちゃんと「それでいいよ」「それはだめだよ」ということが、言葉を解さなくてもアイコンタクトで通じるということです。
ほっとしました。これならどうにかできるかもしれないと。




式が始まる直前に子供は全員集合しましたが、名前が違う子がいてこれって飛び入り?
でしょうか?
終わるとすぐに朝食で給食室に移動。建物は違いますが歩いて10歩くらいかな?
メニューはバナナとミルク。
ちゃんと食べる前に一人ずつに液体石鹸を手につけて、洗って、消毒液に手をつけてからテーブルについて頂きます。
このときは、給食を作る人の仕事でお祈りもその人がして、何故か担任はいませんでした。
一人の子供に当てると、ちゃんとお祈りの言葉を立っていっていました。

終わると、それぞれきまったこちらが用意したタオルが入れれてあるロッカーがあり、そこで歯ブラシをとって歯磨き粉をつけて、砂時計で先生が時間を測りながら歯を磨きます。
その歯磨きを指導するのは何故か?PTAのような会の会長。
日差しの照りつける所でするから「ここは暑いから」っていっても言うこと聞きません。

幼稚園では最初に座って、アシスタントティーチャーが歌を歌って僕はキーボードで伴奏弾きました。でも何故か初めてなのに、一回歌ったらおしまいです。
それでは子供がわからないだろうってちょっと思いました。

そしてクラスですき遊び。サイエンスやアートのコーナーもありますが、人気は積み木やおもちゃがあるところです。
ボールを持った子供は外に出ても良いので、4-5人の女の子と外に出て、ボールをなげあったり、とちゅうから僕一人と子供4人で同時にボールを投げたりして遊びました。
遊んでいる所に大人用のバスケットゴールがあるので、それに入れようと子供はしますがそれは到底無理。なので部屋にあったダンボールを持ってきて僕がもって入れる遊びをしました。
入ると「マウ」(GOODの意味)を言うと笑顔で返してくれました。

そして片付けは僕の積み木ボックス効果があったのか、かなり片付けやすかったみたいですが、あまり片付けには力を入れていないようでした。

後トイレの使い方と遊具のある場所への行き方などを話した後は、11時30分のランチまでは、サークルになりながらも待ち状態。

僕が「トントントントン、ひげ爺さん」という手遊びを日本語でしました。
恥ずかしがってしない子もその子供にも「ちゃんと聞いていたね」と認めたのですが、なにせ英語なのもで。

1ヶ月はじっと見ておくつもりだったのですが、こども見ていると黙ってられないです。

今日は夕食時に今日の手遊びのポンペイ語版を教えてもらいました。
おじいさんにやってみると「面白いねえ」と受けていました。

昼食を食べて帰ります。バスを見送っていると他の先生はもうお昼ご飯食べ始めていました。

歩いて2-3分の家に帰るとお昼ごはんはカレー。ついでにひと風呂ならぬ、シャワーを浴びて再び学校へ。
家の子供たちに「もう1時だから学校に行かないと」と言ってから出たのですが、今日は学校昼まででした。

ポンペイ語の1時間の職員会議のあとに、今日子供たちが給食室で混乱したことはロッカーに名前や子供のサインがなかったことを伝えて、僕が家とか車とかでそれぞれの子供のサインを作りました。いつも任せることの多い先生も自然と手伝ってくれて、これは必要と思っているなあと。

やはり子供の前に立って保育すると胸が熱くなります。
そしてたとえ言葉が通じなくても気持ちが通じたときは最高です。
今日はデジカメで全員の写真を撮ったので明日までに覚えて挑みます。
明日もミクロネシアの子どもと炎天下の中、思いっきり遊びます。

そして明日は終戦記念日です。ミクロでシアでしか感じられない終戦記念日を送れればと思います。

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夏休み最後の日

2006年08月13日 | ミクロネシアの生活
今日は最後の夏休み。明日から幼稚園も学校も始まります。
幼稚園の先生ですが、校長先生が「もう一人の日本人の仲間と一緒に8年生の体操も教えてくれよ」だって。授業本当にあるのでしょうか?

今日は教会が始まる直前にカメラを取りに行きました。
私の教会には司祭が一人、助祭が二人います。今日は司祭もいないし、もう一人の助祭さんはアメリカに出張なので、僕のお祖父さんが教会を全て取り仕切ります。
それに気づいてこの瞬間をカメラに納めなければとダッシュで30秒、駆け足1分の家まで取りに行きました。

お祖父さんは足がちょっと悪いので心配しましたが途中座りながら1時間のミサを終えられました。
僕がたくさん写真を撮っていると隣の小学校の校長先生が僕ににこっと笑い「OK」のサイン。僕が何故写真をたくさん撮っているか彼は分かってくれています。

家に帰り、昨日仲間と約束していた仲間の担当の小学校の草刈りに行こうと草を刈る道具は、何かないかと聞きました。するとお祖父さんのお嫁さんが「なぜあなたが違う小学校の草刈りをするの?今日は日曜日だし。向こう学校のファミリー(先生集団のこと)はどうなっているんだ」と少し怒っていました。仲間が体育の教科を担当するので、草が生えていては困ること、他の先生は草が生えていてもあまり教科などに影響がないことなども伝えました。結局仲間の都合で今日は手伝えなかったのですが、お嫁さんのいうことはもっともだと思います。「僕がちゃんとしておかないと、日本人同士なんだし、日本人で力を合わせればいい」と考えていたのだと思います。日本人が頑張る場面をたくさんあるし、同じ村の3人はこれからも力を合わせて、いろいろなことをしていきたいと思いますが、それが現地の人にとってどのように映るかは、きっちりと見極めたり意見を聞く必要があったりします。

予定が変わって、お祖父さんの家の横の道を山まで歩くことにしました。コロニアから家までもほとんど海沿いで、家も海の前にあるので、沿岸以外は普段の生活では歩かないので。やはり途中から急でしたが、15分から20分くらいで行き止まりまでいけました。
途中でお祖父さんのお婿さんが車の中から「どうしてこんな所にいるの」と心配をして声をかけてくれました。
あと、雨の後で増水している川で子ども達がパンツ一枚になって石にしがみつきながら、泳いで?いました。やっぱりこっちの子どもはたくましい。
これが最後の夏休みの姿なんだと。(私の家族の子はここまでしないかもしれないけど)

やはり今日も寄り道が大切だなと。目的に一直線に進むのもいいけど、なんとなくぶらっと歩くと今まで知らなかったことに出会います。
あと、予定外の楽しさ。今日は草刈り張り切っていたので、朝から早起きして洗濯して準備万端だったけど、その予定が変わっても自分の中でそのことを楽しんで行かなくてはいけないなあと思います。

夕方、一人暮らしの先輩から誘いを受けて、コロニアに。
おいしいラザニアを頂きました。
帰りにタクシーを呼ぶと、運転手の人なんだか見たことのある人。
そうです。僕の幼稚園の運転手。
たまにアルバイトでしているそうです。

明日からとうとう幼稚園。
正直いつもの新年度より「なんとなくどうなるのかな?」と気持ちは多いかも。
とりあえず、子ども23名の名前は覚えたので、顔と一致させられるように頑張ります。
ABSALEM・AJ・ARKANGLEなどなど今まで覚えたことのない名前ですが、中には「KIYOKO」っていう日本人の名前の子もいます。楽しみです。
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缶詰ありがとうございます。

2006年08月12日 | ミクロネシアの生活
今日は州別会議がありました。10時で9時前にタクシーを呼んだのに来たのは9時25分。コロニアまで約20分間に合いました。やはり土日のタクシーは侮れません。

会議終了後、他の国から旅行に来られた方や短期としてこられた新たな仲間と食事をして、ドミトリーに戻ってウー村で暮らす仲間三人と新たな仲間と4人でしゃべったり、ウクレレを弾いたりしました。ウクレレって近くで弾いていてもあまりじゃまにならないし、やはりなごみ系だなと思います。

昼食は日本人の方が経営されているところです。そこの息子さんも僕たちと一緒に遊んだりするのですが、その方がこの間盗られたカメラのことを心配してくださり、「ラジオで懸賞金付きで呼びかけてみたら」と提案してくださいました。
盗っても、現地の人は使い道がないし、懸賞金つけたら出てくることがあるそうです。
うーんどうしよう?

仲間が友達?と一緒に出かけたり、トラックに走りに行ったりしている間にご飯を炊いて、3人でドミトリーで夕食。

* ドミトリーとは、各国にある僕たちが連絡したり、緊急避難したりするために作られた施設で泊まることも可能です。ポンペイは当然メインの町のコロニアにあります。

同じ村の仲間と新たな仲間はドミトリーに泊まるので、僕だけ家に帰りました。

帰りのタクシーは僕一人でした。
このガソリン代高騰のおり、ひとりでウー村まで帰ったらガソリン代で足が出るのは?
途中にスーパーに運転手の人寄り道して、手にはチューインガム。
そして「はい」と一枚僕にくれました。
僕の村とコロニアを結ぶタクシーは会社が決まっていて、他の所のタクシーに乗っても、結局乗り換えさせられて、いつもワイドっていう会社になるので、運転手の人はたいてい顔見知りです。
なにかとてもさりげなくて嬉しかったです。

嬉しかったと言えば夕食で、缶詰を頂きました。日本製。
何故かと言えば、先輩ですでに帰国した方がみんなで食べてくださいって段ボールいっぱいに日本食を送ってくれました。みんなはお菓子を欲しがったけど、僕は断然おかず。お祖父さんにも食べてもらいたいし。

先輩ありがとうございます。

僕も2年後にこんな風にミクロの仲間のことを思い続けられる人になりたいと思います。
明日は同期でとなりの小学校で働く仲間の校庭の草刈りが済んでいないので手伝いに行く予定です。体育を担当するので、活動できるように草刈りがすすむといいなあ。
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ギアチェンジ

2006年08月11日 | ミクロネシアの生活
今日はこの前にももう一つブログ書きました。

前から書きたかったこと。
今日は家に帰ってから、マリアナ(お祖父さんの長男のお嫁さん)が食堂の掃除をしていました。僕も一緒に手伝いました。何故か自然と自分も家族なんだからと掃除してしまいます。僕の家は村でも有名のきれい好きです。

掃除しながら、先週の金曜日に自転車を借りてきたことを思い出しました。
人生にはギアチェンジが大切だということです。
自転車をコロニアで借りて、いつもはタクシーで通う道を自転車で帰りました。

いつもは感じない坂も、緑の木々も車の速さでは見えない人の顔も、海の香りも、そして自転車をこぐからでる額からの汗も。自転車だからこそ感じられるものです。

そしてたびたびギアーチェンジもしながら。自転車に乗ることもギアーチェンジです。
そして、僕も今、ポンペイに来て人生の大きなギアチェンジをしています。

ギアチェンジをすると日頃気がつかない様々なことが見えてきます。見えているのに見えなかったこと、気づかなかったことも。

それって自分で意識的にギアチェンジをしないと駄目だなあと思います。
もちろん、ポンペイに来るようなギアチェンジはそうそうできませんが。

ギアチェンジすると時には重くなったり、軽くなったりもします。

そうだった話は掃除。掃除もきっと日本ではしなかったです。
ポジションを変えると人間は大きく自然と変わることができます。
意識するともっと変わることができます。
そのことに喜びを感じるともっと変わることができます。

そして自分が今まで大切にしてきたこと、大切だったのに大切に仕切れなかったことも見えてきます。

この人生で数少ない貴重なギアチェンジを楽しみたいと思います。
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1枚のシャツが宝箱

2006年08月11日 | ミクロネシアの生活
今日はお祖父さんの2番目の船乗りの息子さんが帰ってきます。
金曜日で明日はコロニアで州別会議という州ごと(私ならポンペイ)での月一回の会議が
あるので、前日からコロニアでの生活も楽しみですが、お祖父さんの息子さんに会っておきたいので。
もちろん今日はサカオでお祝いです。
* サカオとは木の根っこを砕いて飲むお酒のようなものですが、アルコールはなく、飲むと騒ぐのではなく、落ち着いてきてしんみりすると言う南の島にある習慣です。
島によって名前が異なります。
お祖父さんが「今日は“臭い”からのサカオだよ」と言うので???
「くさい」ってコスラエのことだよ。昔「臭いって名前だったんだ」とのこと。
日本人がつけたのかは不明です。

本題の1枚のシャツも宝箱でした。
玄関にずっとほっておかれたシャツがありました。
お祖父さんに「このシャツお祖父さんのですが?洗っておきましょうか?」と聞くと、
「これは、軍隊で陸軍の大尉がいるだろう。線が三つあって星が三つある勲章持っている人。その人とはずっと知り合いで、戦争終わって帰ったんだけど、何十年か前にたくさんの軍人だった人で、ポナペに来たいって人が家に遊びに来て、そのとき、着ていた服をくれたんだ」と話しくれました。

仕事を終えて、お祖父さんが教会に行くまでのそんな一時に、何気なく話している会話からポナペのことや日本のことが分かってきます。こんな何気ない会話をこれからも大切したいと思います。

違う文化・違う言語だからこそ、いっぱいいっぱい話をして、互いの気持ちを感じ取っていければと思います。
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幼稚園の生活&警察

2006年08月03日 | ミクロネシアの生活
昨日は、幼稚園に朝から出勤しました。

幼稚園ではアシスタントの先生もきて、メインの先生と僕と3人で壁面を作りました。アシスタントの先生は僕がつくる22人の子どもの服を紙で一枚一枚丁寧に作りました。途中でいなくなったので全部できたのかと思ったけど、未完成でした。

メインの先生は、昨日はどことなくよそよそしかったですが、今日は彼女がいまつくっているハート型のデコレーションを見せて「これはどう?」と聞いたり、「チョウチョを作って」といって聞いてきてくれて、僕が一つ作り「このやりかたで
作ったらいいよ」と自分で作ることをすすめると納得して頑張って作り、「これきれいにできたでしょ」と嬉しそうに見せてくれました。

作るときも鼻歌で僕が歌っていた「島人ぬ宝」をずっと口ずさんでいました。
ちょっとだけど、気持ちが近づいているような気がします。

あと、昨日幼児の名簿をもらったので、名前だけ書いたチェック表をつくったり、
日本式だと怒られるかも知れませんが、先生の書類上は男女をわけるといろんなことがスムーズに書類に書けるよ。と伝えると「それはいいから書類を作ってほしいと言われました」

他にも楽器がないというので、ペットボトルで作れるし、その中に近くの海にある
貝を入れたらいいのでは?と言いました。それなら取りに行くというので、「取りに行って先生が準備するのも良いけど、子どもが自分で取ったら、もっと楽器に親しみがわくと思うよ」と話しました。それも「そうか」となっとくしてくれたようです。
まだまだこれからですが。

その前に朝6時過ぎから洗濯しました。は2層式ですすぎの時に水を自分でホースを持って入れ続けないといけないので、洗濯にかかりきりになります。

でもこの家で洗濯をして助かるのは、水がとても豊富にあることです。
お祖父さんにそのことを聞くと、井戸水ではないのですが、地面の下に水をためて、それを大きなタンクにいれているので、川や地面の水と違ってきれいだし、よほど雨が降らない日が続いてからからにならないと水が出ないことはないそうでせす。

洗濯だけでなく、庭の水もかなり勢いよく出ますよ。
洗濯の後は、豚のえさやりと掃除です。この間1頭売ったので今は9頭がいます。
えさは大きな豚と子どもの豚は異なります。あと、糞を水で洗い流して、水桶に水を入れて、最後に残っているえさに水を少し掛けて食べやすいようにしておしまいです。

豚のきれい好きさには驚きます。

今日の、メインは、警察署。
調整員の方がナショナルスタッフ(現地の人で事務所で働いてくれている人がいます)に言ってもらおうかと言ってくれましたが、ここではなんでもまず自分でやってみたいと思います。煩雑なことや時間がかかったり、いらいらすることは予想されていますが、それ自体を感じることもこの国を知る大切な体験になり、自分の力になるから。

最終的にどうしても困ったときにスタッフに助けを求めることもできるはずだから。

警察では、火曜日に絶対作っておくと言った書類ができておらず、違う部署にまわされ、なんでそんな紙がいるんだと言われました。

そしてその後にまた違うところでチーフがいないからだめ、といれて、またまた違うところに。ちょっと怒りがこみ上げてきましたが、これが実態なのでしょう)
文化の違いを受け止めつつ、自分の考えは出しつつ、この国のやり方を感じ取っていきたいと思います。


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さよなら日本の小学生&とうとうやってしまった

2006年08月01日 | ミクロネシアの生活
今日は、交流学生としてきていた小学生が帰国する日です。
仕事を早めに切り上げて、空港に。

仲間の隊員と一緒に行くつもりだったのですが、今、村に携帯の電波が来てなくて、連絡が取れずじまいでした。

空港に向かうと小学生がいました。
みんなミクロネシアの交流学生と別れを惜しんだりと楽しい時を過ごしたことが伺えました。

税関を通った後に空港の柵からみんなが飛行機に乗り込むのを見送りました。
(飛行機に乗り込むのは、もちろん滑走路近くを歩きます)

みんな大きく手を振ってくれました。
みんなミクロネシアでの思い出を忘れないでね。

さてここからが本番。
実は昨日事件が。

昨日、とうとうやってしまいました。
デジカメとビデオカメラを鞄に入れていて盗まれてしまいました。

行き先のお店やタクシーも探しましたがありませんでした。

そして警察に届けを出しに行きました。
警察では僕が自分で英語で書いて、警官がなぜ盗まれたんだとか、なぜ気づかなかったのか?と何度も聞きます。

タクシーは、お祖父さんの友達の運転手だったので、聞いていないと「なぜ聞かないんだと」と不思議がられました。

金額は正直小さくないけれど、これも良い勉強だと思うことにします。

あと嬉しいお知らせ。
お祖父さんにホームステイの事を聞いてみました。
ホームステイは当初3ヶ月は続けることになっていて、その後は任意です。
僕はずっと続けたいのですが、お祖父さんの気持ちや他の人にそれとなしにきくと
「3ヶ月たったらどこにいくの?」と聞かれることがあって、お祖父さんの家でのホームステイは3ヶ月以上無理なのかな?とあきらめていました。

お祖父さんに聞いてみると、あなたがいたいのならずっといていいとのこと。
お祖父さんは、「心配なことはあなたが食事に満足しているかということ」だと言ってくれました。もちろん100%満足していますよ。

お祖父さんと二人の時間があったのでお祖父さんから「おいおいお祖父さんそれはいけないだろう」ってことを聞きました。

お祖父さんには子どもさんが9人いるのですが、他にも3人いるのだそうです。
それはお祖父さんが結婚する前とのこと。
子どもができても、好きではないと結婚できないと言ってました。

でも結婚してからは絶対に浮気はしてはいけないので、日本のように結婚してから浮気することは信じられないとも。
僕はお祖父さんが二人の女性に3人も子どもを身ごもらせた事の方がちょっと信じられないけど。

幼稚園ではちゃんと働きました。
パートナーが壁面を作ってと言うので、相談して作りました。
最初「花とかで良いよ」と言うので、チューリップとか他にも作ったけど、「そんなのおかしい」と言われました。
最初はそれでもいいと言うので、「本当に良いの?ちょっとおかしくない」と言うと「やっぱりおかしい」というので、これからもコミュニケーションがとれていない間は、必ず確認がいるなあと思いました。

結局、動物を作りました。犬・ライオン・ウサギなどなど

アイデアが浮かんで、22人来る子どもの顔を描いて、名前も一人一人つけようと提案しました。でも名前を書くのは、よくないとのことだったので、形だけつくることにしました。これも確認がいりました。絶対にごり押しはしてはとんでもないことになるなあと思いました。

動物を作ると「これ張らないの」と聞いてくるので、動物は動物、子どもは子ども、他にも海の魚とか、「トータルコーディネート」というと、「分かった!」とと言ってくれました。
まだまだ緊張しながら話していますが、自分の考えを遠慮せずに誠実に伝えながら、必ず相手の気持ちをきっちりと確認しながらすすめていきたいと思いました。

というわけで、今日も画像はありません。



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