今日の10時30分からの設定保育は、昨日のような子供の心が躍るとまではいかなかったです。僕の心の中に「子供をこういう風にしてやろう」という部分と、こちらの幼稚園教育の方針である知識的に教えるという部分をきっちり入れ込もうとしたこと、そして言葉の壁がうまくいかなかった原因です。
でも心は何故か晴れやか。
昨日は、NAPという好きな遊びの時間にいつものように子供は幼稚園の園庭で遊具を使って遊んでいました。昨日は自分は言葉がうまく通じないので、子供の細かいトラブルにも対処しきれないと、子供に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
昨日仕事が終わってから同僚のシニータにそのことを話すと「あなたがポンペイ語をはなせないことはみんなわかっているし、気にしなくていいよ」と言ってくれました。
そんな昨日でしたが、今日もやはり自分が好きな遊びで他の先生が見ていなくても、ちゃんと子供の姿を捉えようとして姿勢を伝えたいと思い、子供といることにしました。
すると、困った子供が僕の所に「悲しい」と言いにきました。今日明日では駄目ですが、
b子供にこの先生は僕のことをわかってくれると感じてもらうには言葉の壁がある僕にはやはりじっくり子供と付き合い、共感していくしかないと思いました。
それに元気者で昨日僕にたたいてきてアブサレムくんが僕の背中に乗ってきたり、泣いている子を僕がなだめていると「大丈夫」と励ましたり、クラスの部屋の中では見せない部分を見せてくれました。他にもにっこりと微笑む子どもなども。
本当に日に日に「これがいい」「これはやめたほうがいい」など気持ちが移り変わったり、
喜んだり悲しんだりと一喜一憂ならぬ、十喜一憂です。それくらい嬉しいことのほうが多いという意味で。
たくさんの喜び、憂いがあるということは、まだまだこの国に浸っているのではなく、自分が新鮮な感覚でものごとを感じ取っているから思える感覚なのだと思います。
そんな一喜一憂、やはり十喜一憂をしていきたいと思います。
でも心は何故か晴れやか。
昨日は、NAPという好きな遊びの時間にいつものように子供は幼稚園の園庭で遊具を使って遊んでいました。昨日は自分は言葉がうまく通じないので、子供の細かいトラブルにも対処しきれないと、子供に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
昨日仕事が終わってから同僚のシニータにそのことを話すと「あなたがポンペイ語をはなせないことはみんなわかっているし、気にしなくていいよ」と言ってくれました。
そんな昨日でしたが、今日もやはり自分が好きな遊びで他の先生が見ていなくても、ちゃんと子供の姿を捉えようとして姿勢を伝えたいと思い、子供といることにしました。
すると、困った子供が僕の所に「悲しい」と言いにきました。今日明日では駄目ですが、
b子供にこの先生は僕のことをわかってくれると感じてもらうには言葉の壁がある僕にはやはりじっくり子供と付き合い、共感していくしかないと思いました。
それに元気者で昨日僕にたたいてきてアブサレムくんが僕の背中に乗ってきたり、泣いている子を僕がなだめていると「大丈夫」と励ましたり、クラスの部屋の中では見せない部分を見せてくれました。他にもにっこりと微笑む子どもなども。
本当に日に日に「これがいい」「これはやめたほうがいい」など気持ちが移り変わったり、
喜んだり悲しんだりと一喜一憂ならぬ、十喜一憂です。それくらい嬉しいことのほうが多いという意味で。
たくさんの喜び、憂いがあるということは、まだまだこの国に浸っているのではなく、自分が新鮮な感覚でものごとを感じ取っているから思える感覚なのだと思います。
そんな一喜一憂、やはり十喜一憂をしていきたいと思います。