
今日は昼からMATH PLAN で ポンペイ最大の人口密度を誇るPICS(ポンペイ アイランド セントラル スクール)で先生をしている仲間の算数の授業を見にいくつもりで、準備をしていたら、中止になりました。
お昼におじいさんと二人きりで話をしていたら、今日は人生について話しました。
最初は、家族を継承する話から
おじいさんのお父さんが亡くなられたときは、長男がすべてを相続する法律だったので、おじいさん一人がこの土地を相続されたそうです。
日本が戦争で負けて去り、今は子どもたち皆に相続する権利があるそうです。
おじいさんはまだお元気ですが、継承する(相続)ことについて家族ですでに話し合いをもたれているとのこと。
おじいさんには息子さんが6名・娘さんが3名おられますが、継承するのは息子さん6名のみだそうです。娘さんはそれぞれご主人がいるから必要ないと。でももし困ったことがあったら、住むことができるくらいの土地は上げるからそのときは言いに来なさいといってある話されているそうです。
そしておじいさんと今一緒に(離れに別棟に)すんでいるお孫さんは、おじいさんの長男の長男になります。
おじいさんのご長男は今でもハワイに在住で、その息子さんたちもハワイに住んでおられます。それだとポンペイのウー村でおじいさんの家族を継承することができなくなるので、
長男であるお孫さんがポンペイに住まれているそうです。
ここではちゃんと長男の家の継承が行われているし、おじいさんのしっかりとしたお考えが、家族に受け継がれているのだと感じました。
また、相続するときに、子どもがいないと、お嫁さんの家のものになってしまうこともある話しになると、「それはしょうがないことだ、人生は思い通りにならないし、まわっていくものだから、そのときはそのときでいいんだよ」と話されておられました。
そんなしっかりとしたお考えをお持ちになりながら、決して自分だけという考えを持たず広い心でおられるおじいさんらしいお考えだと思いました。
またそこから、おじいさんが「人は生きていることが大切だ」「生きてさえいればいい」「例えば人のことが嫌いになったとするだろう、でもその人が一週間後に死んでしまえばもうそれきりで仲直りもできないだろう」と話してくださいました。
おじいさんの言葉の中には日本語だけでは語りつくせない、ものがいっぱいつまっていると感じ取りました。
「生きているだけでいい」というのは、私が人生で大切にしている言葉の一つです。それは震災のときに「生きてさえいればいい」と心から思ったからです。
簡単に仲たがいをしてはいけない、生きている間に精一杯のことをしなくてはいけない、生きていることに感謝すること、おじいさんはポンペイの人の中では飛びぬけて上手な日本語を話しますが、それでも言葉の壁はあります。しかし言葉の壁があるからこそ、お互いに相手の言葉をしっかりと心に刻んで、受け止め理解しようとする。そのことで、単に言葉だけでは伝えきれない、言葉の壁のおかげで新たなものが見えてくるように思います。
写真は僕のおじいさんのトイレです。においがいいようにお花が今飾られています。
お昼におじいさんと二人きりで話をしていたら、今日は人生について話しました。
最初は、家族を継承する話から
おじいさんのお父さんが亡くなられたときは、長男がすべてを相続する法律だったので、おじいさん一人がこの土地を相続されたそうです。
日本が戦争で負けて去り、今は子どもたち皆に相続する権利があるそうです。
おじいさんはまだお元気ですが、継承する(相続)ことについて家族ですでに話し合いをもたれているとのこと。
おじいさんには息子さんが6名・娘さんが3名おられますが、継承するのは息子さん6名のみだそうです。娘さんはそれぞれご主人がいるから必要ないと。でももし困ったことがあったら、住むことができるくらいの土地は上げるからそのときは言いに来なさいといってある話されているそうです。
そしておじいさんと今一緒に(離れに別棟に)すんでいるお孫さんは、おじいさんの長男の長男になります。
おじいさんのご長男は今でもハワイに在住で、その息子さんたちもハワイに住んでおられます。それだとポンペイのウー村でおじいさんの家族を継承することができなくなるので、
長男であるお孫さんがポンペイに住まれているそうです。
ここではちゃんと長男の家の継承が行われているし、おじいさんのしっかりとしたお考えが、家族に受け継がれているのだと感じました。
また、相続するときに、子どもがいないと、お嫁さんの家のものになってしまうこともある話しになると、「それはしょうがないことだ、人生は思い通りにならないし、まわっていくものだから、そのときはそのときでいいんだよ」と話されておられました。
そんなしっかりとしたお考えをお持ちになりながら、決して自分だけという考えを持たず広い心でおられるおじいさんらしいお考えだと思いました。
またそこから、おじいさんが「人は生きていることが大切だ」「生きてさえいればいい」「例えば人のことが嫌いになったとするだろう、でもその人が一週間後に死んでしまえばもうそれきりで仲直りもできないだろう」と話してくださいました。
おじいさんの言葉の中には日本語だけでは語りつくせない、ものがいっぱいつまっていると感じ取りました。
「生きているだけでいい」というのは、私が人生で大切にしている言葉の一つです。それは震災のときに「生きてさえいればいい」と心から思ったからです。
簡単に仲たがいをしてはいけない、生きている間に精一杯のことをしなくてはいけない、生きていることに感謝すること、おじいさんはポンペイの人の中では飛びぬけて上手な日本語を話しますが、それでも言葉の壁はあります。しかし言葉の壁があるからこそ、お互いに相手の言葉をしっかりと心に刻んで、受け止め理解しようとする。そのことで、単に言葉だけでは伝えきれない、言葉の壁のおかげで新たなものが見えてくるように思います。
写真は僕のおじいさんのトイレです。においがいいようにお花が今飾られています。
「生きているだけでいい」。この言葉はわたしにとっても、とても大切な言葉です。
家族やたいせつな存在が命を失いかけたとき、「生きてくれていたら、ほかに何も要らないから」。そう念じたことを思い出すからです。
日本にいて、健康な生活をさせていもらい、仕事を続けていると、忘れがちな価値観のひとつでした。
けれど、健康であり続けることや変化しないことは、自分が作り上げてきた幻想であり、本来、「死」を控えて私たちは生きているということに気づかされる機会がありました。
常に、年を老い、身体は変化していく。それに気づくと、なんだか自分やまわりの人や物事を客観的にみるようになります。
そして、物は消えてなくなってしまうけれど、大切だと感じる家族や仲間、お世話になっている人々の心に触れることで得る熱い思いは、自分のなかから消えないことに気づきました。
今日のお話は、わたしにその思いを再び、体感させてくれました。
言葉も大切だけれど、その言葉に含まれている相手の思いや経験に触れる感触もまた、忘れずに心に残っていくものなのですね。
from:james