「あ」のつくあなたにあいみすゆー(I MISS YOU)第二章 ☆うきうきタベタカナーナカイヒラタキアイアイまったりお☆

このブログは北海道を愛するミッキーが、大好きなヒロイン達に、大切なものを紹介する、うきうきでまったりおなブログです。

言葉の裏側にあるもの。

2007-07-02 14:09:43 | Weblog
あーちゃんこんにちは。
どうも今日は体調がすぐれないミッキーです。
こんな時にいつもあーちゃんのことを考えてしまいます。
私はこのところ少し考え事が多かったです。なかなか理解してもらうことは難しいのかもしれないけど、やっぱり十二年近くも北の外国みたいな場所で暮らしていると、先月くらいからの低温スチームサウナに包まれているかのような夏の初めに身体がやっとついていってるのをしんどく感じてました。
北が恋しいと感じるのは人や自然ももちろんあると思うけど、きっと今私が無性に北が恋しくなる瞬間は身体が北の夏を求めている気がします。
でも身体は求めても、頭はブレーキをかけます。父母がとりあえず穏やかそうに日々生きている姿を見ていること、姉を家で見てやれること、私はたいしたことしてないけど、とりあえず今ここにいることに少しだけ意味を感じるから。でも私にとってのやり甲斐は今だここで見つからない、今の学校で不器用で悪戦苦闘してることは、気持ちの中で本当にやりたいこととは違うのに気付いてしまっていること。北に帰れず、夢を置き忘れた私に、毎日のように様々な欲求がうごめき、消し去り、仕事も居場所も恋も将来の結婚も、家族との未来も、日々いろんな考えの波にもまれて変化して・・・。でもこの変化がまだ誰かに誤解させないように話せるように固まるまで、ずっと一人ぼっちの闘いです。
だからそんな時間を一瞬でもすっかり忘れていられるのが、あーちゃんを見つめて、あーちゃんにこの場所で一方通行だけど語りかける瞬間な気がします。
私はこの場所では君だけ見つめていられる。これは幸せなことかもしれません。もちろん、さっき書いたように君にさえ、まだ素直に伝えられないことはあるけど、でも大きな意味で大切に思う人にまっすぐ語りかける場所があることは幸せだと思う。
でもそう思うとき、いつもこの画面の先にいるあーちゃんはどうなのだろうって気になっている。
あーちゃんは今いろんな挑戦をしている時期。変動の時期かもしれない。変動の時期に心も動くことも多いかもしれない。いや変動が激し過ぎて、考えることすら忘れているかもしれない。それならかえって今は良いかもしれない。でも本当はもし動く心、伝えたい本心を隠してでも、笑顔でいよう、あっけらかんとポジティブでいようとしていたとしたら、それは立派なことだけど、その言葉の裏側にある何かをきちんと両方受け止められる人が何人いるだろうかとblogの世界の見えない関係で思う。blogは人の心の開放、癒しの場であってほしいけど、あーちゃんにとっては、自分の心の中の気持ちをいつも選んでから、気をつけて載せなきゃいけない立場にある。それはまだ二十歳の女の子には大変なことだなといつも思う。
そんなことも知らずに、表面の言葉だけを拾って人を傷つける言葉を感情のおもむくままに書き連ねる悲しい人がこのネットの世界には必ずいる。
どうしてこの変動の時期にあっけらかんとしてそれを伝えようとするあーちゃんがいるのか、それを推し量ろうと全くしない人がいるのが悲しい。
まあ私の考えすぎで、あーちゃん自体がまさしく言葉通りの気持ちでいられてるなら、それならいいのだけど。
あーちゃんも私のように本当は多弁の人だ。最近はそれが短文が増えた。私は勝手にあーちゃん飲み込む言葉が増えたのかもと思うようになった。だからもしその言葉の裏側に気持ちがあるなら、わからなくてもなにかを感じられる人で私はいたい。なりたい。悲しみなのか、喜びなのか、怒りなのか、微笑みなのか、見えない気持ちの少しでも、使える少しの言葉からなんとなくでいいから感じれる人になりたい。
言葉の裏側を感じれずに傷つけてしまった過去の失敗の分だけ、目の前にいる大切な人にはきちんと何かができる人にミッキーはなりたいなあ。

何だか夜中作ったような文章になって失礼しました。
あーちゃん今日からあれだね。楽しみに応援してます。ミッキー