先日の夕方、地元の商店街の道路に日産GT-Rがハザードランプを点滅させながら停まっていた。運転手は見あたらない。私はその車のデザインがカッコイイなっーと、さりげなく遠目に、そのうち接近して、しばらく全体を見つめていた。カラーはメタルシルバーか、真正面のお顔はわたし的にはフツウでそれほどでもないけれど、フロントからリアにかけてのライン、フォルムが流れるように美しいと感じずにいられない。横顔がたまらなく好きだ。前輪のボンネットのあたりもスタイリッシュ。スカイライン名残の後ろの丸目ランプがなんとなく愛嬌があって、キュートだわって思ってみたりもする。
日産のネットサイトをちょっとのぞいてみたら、建築家の竹山聖さんがGT-Rについて語っていらした。車と音楽を重ねて、「バッハの通奏低音みたいなベースの音、車のサウンドも安定した低音に信頼感がある、GT-Rは魅力的な音がしている。人生ワンランク上の華をGT-Rに求めている・・。」もちろん私はこの車を運転したことがないのでその心地よさはまるでわからないのだけれど、それはデザインだけでなくやはり総合的な魅力の華やかさに包まれた車のようだ。この不況の折、自動車業界はことのほかキビシイようだが、スポーティーな夢のある自動車は憧れや夢をのせていつまでも走り続けてほしい、そんなイメージは消えないでほしいと思う。
ちょうど同じタイミングで★テーブルの上の建築 12人の現代建築家がデザインした12のカップ&ソーサー 本を読んだ。建築家のものづくり工程の発想の部分にスポットを当てている。建築家が白い小さなカップ&ソーサーを考えるとどうなるのか。これがなかなかに面白い。身体を包みこむ建物、建築は大きいから、その図面となると情報量も多く単純ではない、ザンネンながらきちんと理解して私には読み解くことができないのがほとんどだ。しかし、今回はシンプルなカップ&ソーサーだ。このくらいの大きさ、小ささなら、そうフクザツではないので、スケッチだけでなく図面からもどういう仕組みなのか、作り手の意図するところのプロセスなど何やらつかめそうで、とても愉快な気分になる。個性的な12人の建築家、それぞれに充分に楽しめる。さすがに出来上がりはどれも建築家らしく計算されたような美しいフォルム、ステキなカップ&ソーサー。できれば現実にそれらカップ&ソーサーの実物を手にして、そして口に運んで、優雅なお茶の時間を楽しめれば最高だ。
竹山聖さんの作品のコンセプトは生命をもったCup&Saucer「求めあう心の形のような気がしたから・・Cup&Saucerが恋をしてもいいと思った。」確かに彼と彼女はなるほどlove-loveで、白く清らかな生命体であるようだ気づく。描かれたスケッチもちょっとセンシュアル。愛しあうふたりで使いたくなるような、やわらかでふんわりとした感じの組み合わせの出来上がりだ。
興味深いのは隈さんだ、カップとソーサーの関係を2つで一体と考えているのは隈研吾さんも同じ。ところがただのカップリングだけでは済まない。もう一歩さらに奥に進んだ境地で発想している。「従来のカップとソーサーの関係は成り行きでしょうがなく夫婦関係を続けている、自立しているようでもあり、していないようでもあって、それぞれを疎ましく感じている中年夫婦のように見えた。」なんと隈さんにはそんな風に見えるのか。「僕のデザインしたカップとソーサーは3つの完全な曲面から構成されていて、それらの関係は絶対的である。ゆるぎない相互補完性、一体感が存在する。にもかかわらず、カップとソーサーは美学的には完全に自立していて、それぞれを単独に見ても欠けた部分がなく、美しい。」★ココ注目◎→「このカップとソーサーのような男女関係、人間関係を獲得したいという思いでこの一対をデザインした。」カップ&ソーサーひとつをデザインするにしても、作り手は深く考える。どこからか自分のなかから引き出してくる。カップで飲み干すのは自身の理想の男女関係のあり方か。
竹山聖さんも隈研吾さんも1954年生まれ、同じ東京大学大学院で学ばれている。その当時、二人は学内で、研究室で顔を合わせていたのだろうか。あり得るか。竹山さんは京都大学から東大大学院へ、京都駅などを手がけた原広司さんの研究室生だった。お二人が参加されるとても興味深そうな★シンポジウムがあるのだが、残念ながら東京会場は既に定員に達し、うーん、京都か・・。
本来の建築家の仕事、建物、建築作品に目を向けてみる。竹山さん、隈さん、ふたりの建築家が建ててきた過去から現代の建物を少し重ねてみたくなる。
★OXY乃木坂 1987年 竹山聖+アモルフ
→「ポストモダンの潮流のなかにありながら、歴史的な文脈の引用や装飾性によらず、コンクリートの硬質な素材感と幾何学的な美しさを探究した上質の作品である。」
★東京人・特集六本木の歩き方 建築見て歩きガイド・文・米山勇
(できれば米山先生の現代建築評論のお話ももっと伺いたいです)
同じく竹山さん設計で、キラー通りには★TERAZZA青山1991年というやはりコンクリート素材の建物がある。見た目の幾何学的な形態よりは、なんとなくもの静かな印象を与えるように感じるのはなぜだろう。同年には、イオニア式あるいはドリス式列柱とそのまま古典主義を引用したポストモダン、隈さん設計の★M2★ドーリックが建ち上がっている。まったく同時代でありながら、これら二人の作風はそれぞれに違っている。興味深いところである。竹山さんは当時のポストモダンをご自分の中でどのように捉えていたのだろう。隈さんにしてみれば過去の一部の作品、その部分ばかりをクローズアップされて取り上げてほしくないだろうけれど。もちろん建築家は建物を現在もつくり続けている。話題の歌舞伎座のあの新しいデザインは隈研吾さんの設計らしい。完成予想図を見るとガラスの格子と仕方なくの破風の組み合わせのよう、これに関してご自身は納得したコンセプトを打ち出せているのだろうか、少し疑問である。
そうだ、もうすぐお誕生日でいらっしゃる達彦さん、やはり1954年、早生まれ。ホームグランドのライブハウス南青山マンダラ、ちょうど外苑西通り向かいにドーリックが聳える。そして、カップ&ソーサーの話題からリクエストを思いついた。♪tea for two また聴きたくなった。アレンジは達彦さんのおまかせで。
建築家であれ、音楽家であれ、クリエイティブな発想でもって、あるカタチにしていく、デザインしていく。美しいメロディーを紡いでゆく。なんと豊潤で魅力的なんだろうと思う。すばらしい。その創作過程の秘密にもっと迫ってみたいと思ったりもする。
日産のネットサイトをちょっとのぞいてみたら、建築家の竹山聖さんがGT-Rについて語っていらした。車と音楽を重ねて、「バッハの通奏低音みたいなベースの音、車のサウンドも安定した低音に信頼感がある、GT-Rは魅力的な音がしている。人生ワンランク上の華をGT-Rに求めている・・。」もちろん私はこの車を運転したことがないのでその心地よさはまるでわからないのだけれど、それはデザインだけでなくやはり総合的な魅力の華やかさに包まれた車のようだ。この不況の折、自動車業界はことのほかキビシイようだが、スポーティーな夢のある自動車は憧れや夢をのせていつまでも走り続けてほしい、そんなイメージは消えないでほしいと思う。
ちょうど同じタイミングで★テーブルの上の建築 12人の現代建築家がデザインした12のカップ&ソーサー 本を読んだ。建築家のものづくり工程の発想の部分にスポットを当てている。建築家が白い小さなカップ&ソーサーを考えるとどうなるのか。これがなかなかに面白い。身体を包みこむ建物、建築は大きいから、その図面となると情報量も多く単純ではない、ザンネンながらきちんと理解して私には読み解くことができないのがほとんどだ。しかし、今回はシンプルなカップ&ソーサーだ。このくらいの大きさ、小ささなら、そうフクザツではないので、スケッチだけでなく図面からもどういう仕組みなのか、作り手の意図するところのプロセスなど何やらつかめそうで、とても愉快な気分になる。個性的な12人の建築家、それぞれに充分に楽しめる。さすがに出来上がりはどれも建築家らしく計算されたような美しいフォルム、ステキなカップ&ソーサー。できれば現実にそれらカップ&ソーサーの実物を手にして、そして口に運んで、優雅なお茶の時間を楽しめれば最高だ。
竹山聖さんの作品のコンセプトは生命をもったCup&Saucer「求めあう心の形のような気がしたから・・Cup&Saucerが恋をしてもいいと思った。」確かに彼と彼女はなるほどlove-loveで、白く清らかな生命体であるようだ気づく。描かれたスケッチもちょっとセンシュアル。愛しあうふたりで使いたくなるような、やわらかでふんわりとした感じの組み合わせの出来上がりだ。
興味深いのは隈さんだ、カップとソーサーの関係を2つで一体と考えているのは隈研吾さんも同じ。ところがただのカップリングだけでは済まない。もう一歩さらに奥に進んだ境地で発想している。「従来のカップとソーサーの関係は成り行きでしょうがなく夫婦関係を続けている、自立しているようでもあり、していないようでもあって、それぞれを疎ましく感じている中年夫婦のように見えた。」なんと隈さんにはそんな風に見えるのか。「僕のデザインしたカップとソーサーは3つの完全な曲面から構成されていて、それらの関係は絶対的である。ゆるぎない相互補完性、一体感が存在する。にもかかわらず、カップとソーサーは美学的には完全に自立していて、それぞれを単独に見ても欠けた部分がなく、美しい。」★ココ注目◎→「このカップとソーサーのような男女関係、人間関係を獲得したいという思いでこの一対をデザインした。」カップ&ソーサーひとつをデザインするにしても、作り手は深く考える。どこからか自分のなかから引き出してくる。カップで飲み干すのは自身の理想の男女関係のあり方か。
竹山聖さんも隈研吾さんも1954年生まれ、同じ東京大学大学院で学ばれている。その当時、二人は学内で、研究室で顔を合わせていたのだろうか。あり得るか。竹山さんは京都大学から東大大学院へ、京都駅などを手がけた原広司さんの研究室生だった。お二人が参加されるとても興味深そうな★シンポジウムがあるのだが、残念ながら東京会場は既に定員に達し、うーん、京都か・・。
本来の建築家の仕事、建物、建築作品に目を向けてみる。竹山さん、隈さん、ふたりの建築家が建ててきた過去から現代の建物を少し重ねてみたくなる。
★OXY乃木坂 1987年 竹山聖+アモルフ
→「ポストモダンの潮流のなかにありながら、歴史的な文脈の引用や装飾性によらず、コンクリートの硬質な素材感と幾何学的な美しさを探究した上質の作品である。」
★東京人・特集六本木の歩き方 建築見て歩きガイド・文・米山勇
(できれば米山先生の現代建築評論のお話ももっと伺いたいです)
同じく竹山さん設計で、キラー通りには★TERAZZA青山1991年というやはりコンクリート素材の建物がある。見た目の幾何学的な形態よりは、なんとなくもの静かな印象を与えるように感じるのはなぜだろう。同年には、イオニア式あるいはドリス式列柱とそのまま古典主義を引用したポストモダン、隈さん設計の★M2★ドーリックが建ち上がっている。まったく同時代でありながら、これら二人の作風はそれぞれに違っている。興味深いところである。竹山さんは当時のポストモダンをご自分の中でどのように捉えていたのだろう。隈さんにしてみれば過去の一部の作品、その部分ばかりをクローズアップされて取り上げてほしくないだろうけれど。もちろん建築家は建物を現在もつくり続けている。話題の歌舞伎座のあの新しいデザインは隈研吾さんの設計らしい。完成予想図を見るとガラスの格子と仕方なくの破風の組み合わせのよう、これに関してご自身は納得したコンセプトを打ち出せているのだろうか、少し疑問である。
そうだ、もうすぐお誕生日でいらっしゃる達彦さん、やはり1954年、早生まれ。ホームグランドのライブハウス南青山マンダラ、ちょうど外苑西通り向かいにドーリックが聳える。そして、カップ&ソーサーの話題からリクエストを思いついた。♪tea for two また聴きたくなった。アレンジは達彦さんのおまかせで。
建築家であれ、音楽家であれ、クリエイティブな発想でもって、あるカタチにしていく、デザインしていく。美しいメロディーを紡いでゆく。なんと豊潤で魅力的なんだろうと思う。すばらしい。その創作過程の秘密にもっと迫ってみたいと思ったりもする。