明日、パンケーキのお弁当はどうかな?
孫に聞くと
孫:先生に怒られるかもしれない。
私:そんなわけないよ。お弁当の中身まで先生は何もおっしゃらないはず
孫:でも、先生に聞いてからにして。
ふううん
昭和の時代ならともかくも、令和になって先生がお弁当の中身までおっしゃるだろうか?と思ったので、お電話で学童の先生にお聞きした。
先生:大丈夫ですよ。だって、パンと同じでしょ? 良いに決まっているじゃないですか。
私:そうですよね。孫が先生にお伺いしてからと言うものですから。
先生:そうですか。
私:もしかしたら、本当はパンケーキが好きじゃないから、先生に聞いてからと言ったのかもしれませんね(笑)
夜、
私:先生に電話で聞いたけど、パンケーキは大丈夫だったよ。でももしかしたらパンケーキ苦手だったん?
孫:ううん。大好きだから、明日入れて欲しい。
嬉しそうな表情をした。
人と違うものとか、誰もがしそうもないことを、自らが持ってきたりしたりすることに、孫も不安なのかもしれない。そういうところは昔と変わってはいない。
たかがパンケーキではあるけれど。
私も子どもの頃何度か、誰もが持ってこないものや、しないことをした時に違和感を感じたことがあった。昭和はそういう時代だったかもしれない。
子ども同士では、誰が正しいかは力関係で決まっていたように思う。
今でも記憶にあり、悔しい思いをしていることは、”蜂蜜事件”である
低学年の頃、グループの中に口が達者な男子がいた。勉強面では大したことないのだが、とにかく口が立ちそれでみんなを牛耳って黙らせていた。
”蜂蜜は、砂糖を入れて甘くしている”とその男子が言うのだが、
”違うよ、蜂蜜はそのままでも甘いんよ。だって、うちには蜂がいていつも蜂蜜を食べているんだから”
”ばか、嘘つくな、そんなはずはない”
私は引き下がった。推しがが強い人間に私はめっぽう弱かった。当時私はは他の女子にもいじめにあっていて抵抗できずにいた。親に相談したけれど、その子に蜂蜜を食べてもらいなさいと言われたが、それを言うことすら報復が怖くて言えなかった。登校拒否になるほどではないので、親も出て行くことはないと見ていたのだろう。
他の人がしない行動をとる時とか、自分のオリジナルの意見を、周りに反して言う時は、勇気が必要なのだ。
それから成長とともに私は、徐々に意見が言えるようになった。
蜂蜜事件の男子は転校したので、今更捕まえて蜂蜜の真実を説明することはできない。
今の私はどうだろう?
毎日何を考えているかというと、できるだけ面白い話をしたい。人があっと驚いて、楽しくなるような、面白いことがしたい。
日々オリジナリティを求めている。
今は、誰に対しても、堂々と言える勇気があるというのに、肝心のアイデアがひらめかない自分が辛い。
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