夕刊に連載。そう、昔あった。思い出す。
今も「シオンの娘」はある。
千石イエスという男が主催の聖書研究会。彼は01年に死去。
78年、東京から集団蒸発した娘、20~30代が多く、
捜索願いを受けた警察。イエスの方舟はマスコミに追われた。
10代はいなかったよう。なので事件にはならなかったのだろう。
81年、女性会員接客のクラブ「シオンの娘」を福岡中州に開業。
繁盛した。19年老朽で閉店。
昨年5月古賀市に新築再オープンした。
14人で経営。13人は共同生活、一人は夫と暮らす。
店長はイエスの三女。老舗クラブのママの風格。
何を取材してもいいですと。91歳のイエスの妻も生きていた!
〇イケメンでもない男にひかれ集まった女性たち。
それぞれ理由はあるのだろう。
新興宗教。多人数ではないから、まとまっていた。
40年以上経過後も継続中。驚く。
クラブで稼ぎ、皆で生活は楽かもしれない。
古賀で一番高い店と言われているが、8千円が基本料金。
同伴、指名なし。女性は全員、飲酒しない。
こんな店もあってもいいね。
連載なので、また。
〇イエスの方舟とは、主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし、1923年7月12日 - 2001年12月11日)が開催していた聖書勉強会が母体となった集団である。
千石は、1923年(大正12年)に兵庫県加西市の富裕な農家に生まれ、
1943年(昭和18年)、20歳で海軍に入隊。終戦後は自営業である刃物工場の経営に失敗し、てきや、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始める。
常に何かに飢え、何かに怒っていた[1]。20代は喧嘩に明け暮れる毎日だった。
自分自身の気の短い性格に、いつかは傷害事件を起こしたりして最後は死刑になるのではないかとおびえていた。
夫人と再婚後[2]の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。
1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して
「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源である。
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