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みち草・・・・神経系

2013-03-22 09:00:00 | colloidナノ
神経細胞の高分子物質の構成

細胞質のリボ核酸

ニッスル物質がタンパク質であるというへルモンドの鋭い意見は、20世紀の初めの頃は一般に無視されていた。

事実、生化学の流行が生細胞から離れて組織片や組織の破砕液の研究へと方向が変わるとともに、ニッスル物質の化学的性質への関心は、衰えていった。

しかし、1932年に、ラルス・アイナーソンが、細胞内の核酸の検出のための自分のガロシアニン-クロムミョウバン法を導入して、ニッスル物質の中に核酸の存在を再確認した。

アイナーソンは、ニッスル物質の中のヌクレイン(核酸)の存在について、いくつか重要な論文を発表したが、彼の研究も当時あまり関心をひくことがなかった。

しかしながら、1940年までに、細胞内の化学へと関心が改めて向けなおされた。

この年に、ジャン・ブラーシェが、やっと、リボ核酸(RNA)の存在を例証するためにリボヌクレアーゼを用いて、ニッスル物質の中のヌクレインの存在についていっさいの疑問を追いはらった。

ニッスル物質の塩基性色素と結合する能力は、リボヌクレアーゼで前もって処理すると消失することを見出した。
こうして、彼はニッスル物質がRNAを含むことを確立した。

ほぼ同じ頃、ストックホルムのカロリンスカ研究所のカスベルソーンとその協同研究者は、核酸とタンパク質の紫外部領域の吸収能を利用して、細胞質核の核酸とタンパク質の系統的な研究を始めた。

これらの方法は、拡散に含まれる(プリン)とピリミジン基が波長2600Å付近の光を選択的に吸収し、他方、タンパク質中のチロシンとトリプトファンが2800Åの領域で吸収するという事実に頼っている。

この苦心して果たされた広範な研究から、カスベルソーンは、すべてのタンパク質の合成はポリヌクレオチド(核酸)の存在にまたは遺伝的なタンパク質の合成の原因となるもので、他方、細胞質のRNAは細胞質のタンパク質が形成される鋳型であると考えた。

また、カルベルソーンと彼の協同研究者は、活発に分裂している細胞と、(消化酵素、ホルモン、ヘモグロビンなどのような)特定のタンパク質を合成していることのわかっている細胞は、とくにタンパク質の合成に必要とされているRNAを多く含んでいることを発見した。

しかしながら、その他の細胞は、一つの例外を除いては、細胞質内のRNAは少なかった。その例外は神経細胞である。

ニッスル物質がRNAであると決めたブラーシェの結果を確かめたハイデンの研究から、ニッスル物質は実際身体の中でもっともタンパク質合成の活性の高い領域であることが、やがて明らかにされた。

ハイデンは、(神経の)活動の間と後でのニッスル物質中のRNAについて一連の研究を行った。

彼は、筋肉の行使で前角細胞から好塩基性顆粒が消失するという(半世紀以前に述べられた)グスタフ・マンの結論を確かめた。
彼は、さらに、神経細胞からRNAが失われることを見出した。

みごとに考案された実験によって、後になって、ハイデンは内耳の前庭の刺激が長びくと、内耳の神経節とダイテルス核の細胞からのRNAの消失の原因となることを確かめた。

さらにハイデンは、活動後の回復期に、RNAは、消失し多細胞の中で速やかにもとどおりになることを示した。

事実、ニッスル物質が活動中に使い果たされ、休息時に再生産されることを示したグスタフ・マンとラルス・アイナーソンの二人の以前の研究を完全に確証した。

ハイデンの研究は、また、ニッスル物質のタンパク質も、RNAと同様に、活動中に消失し、回復時でこのタンパク質の再合成は、その前に起こるRNAの回復に依存していることを示した。

事実、RNAは、タンパク質の生産のための合成上の鋳型である。

このように、生きている神経細胞では、活動時にはRNAは絶えず分解され、休息時には回復されていて、その細胞のタンパク質も消耗と蓄積の同様な型にしたがって変動する。

神経細胞にRNAが豊富であることは、「タンパク質合成系は、激しく機能している時期に、消費されたタンパク質を速やかにもとにもどすことができなければならない・・・・という事実から簡単に説明できる」

みち草・・・・神経系

2013-03-21 09:00:00 | colloidナノ
現代への推移

それで、このころまでに、脳の主な細胞成分と化学的成分が発見されていた。

脳の神経細胞は思考の単位と考えられていて、いちじるしく細くまたそれと比較してたいへんな長さの分枝状の突起のあるこれらの複雑な細胞は、脳の活性と代謝の実体であると認められていた。

血液によって灰白質へ絶えず栄養を送る必要性が確立され、神経細胞内の物質の存在位置についてさえいくらかの知識が得られていた。

また、この頃までに、18世紀の初期のガルヴァーニの観察から、電気生理学がめざましい発展をとげて、20世紀初頭のアイントホーフェンとケイス・ルカスの活動電位の研究にまで到達していた。
その頃までに、神経での情報の伝達は、電気分極の同等な速さの波を伴っていることが知られていた。

インパルスの物理的性質についての知識は、その後、エードリアン、マシューズ、ホジキンその他の人の今世紀の研究によって、劇的な形で拡大された。

20世紀に入って時とともに脳の生化学の足跡は広くなり、同時にいくつかの方向への発展が可能になる程度にまで細分化されていった。

以下の短い記述では、これらの究明の流れのほんのわずかのものの跡をしかたどることができず、またそれもごく簡単な要約でしかない。
幸いにして、知識の追及のいろいろな道程が、ときどきお互いを照らしあい、明確になっていった。

しかし、簡単であるために、それらを別々に考察するのがよいだろう。
こられは二つの主な区別に分けるのが便利であろう。

① 神経細胞の高分子物質の構成。
これは神経細胞の細胞質内で、絶え間ない分解によって失われた分子の再補給のために必要な複製因子または鋳型を与えるもので、低分子物質の反応に必要な構造上および触媒作用の枠組みともなっている。

② 神経細胞の低分子物質、高分子物質の合成と再補給の素材とともに、神経細胞の機能に必要な発エルゴン反応を維持する熱源を供給する。低分子物質の中には、神経の興奮と伝達を開始するものもある。


みち草・・・・神経系

2013-03-20 09:00:00 | colloidナノ
神経細胞内の脂質

神経細胞内の色素を含む顆粒は、フォン・ケーリカーによって、彼の有名な組織学の教科書の中に記述されている。

これらの黄色味を帯びた(使用しすぎてすりきれて生じる色素の)顆粒は、通常核の側に存在しており、年齢とともに数が多くなる傾向がある。

1896年に、ローレンはこれらの神経細胞内の色素粒は脂肪性の物質を含むという考えを示し、その物質に後にリポフスチンという名が与えられた。

「髄鞘のある」神経繊維をおおっているミエリン内に脂質が存在することは、もちろん、19世紀のずっと以前からわかっていた。しかし、リポフスチンは、神経細胞の内部で存在が示された最初の脂質である。

1899年に、ジョン・ロバート・ロードはこれらの黄色の顆粒は、ニッスル物質の脂肪変性によって生じてくるという考えを提出した。ロードは実際、これらの神経細胞内の黄色顆粒が四酸化オスミウムで黒化し、エタノールとエーテルに部分的に溶解することを示した。

このように、彼には、これらの粒子が脂肪変性の産物であると考えるもっともな理由があった。

リポフスチンが脂質であるということは、最終的には、1906年に、エルンスト・ゼートルによって証明されたが、彼はこの色素顆粒がスダンⅢで染色されることを示した。

みち草・・・・神経系

2013-03-19 09:00:00 | colloidナノ
ニッスル物質の生理的意義

ニッスル物質と神経の活性との関係は最初に、1898年にグスタフ・マンによって認識された。
彼は細胞化学の偉大な先駆者の1人である。

生理学的な組織学についての彼のもっとも有益な論文(1902)は、色素による細胞成分の染色の基礎となる原理を理論的に説明している。

彼はその時代の偉大な教育者の1人であった。
医学博士をエジンバラで取った後、オックスフォードで大学の上級実験助手になり、後にニューオリンズのチュレーヌ大学の生理学の教授になった。

マンは、好塩基性のニッスル紡錘体が、過剰の筋肉運動の後では、イヌの脊髄の前角(前柱)細胞から消失することを示した。
写真4は、ニッスル物質についてのマンの古典的論文(1895)からの図である。

この図は、多数の好塩基性の紡錘のある正常な前角細胞と、疲労した動物からの同じような細胞で、細胞質内の好塩基性顆粒がほとんど失われているものとを、一緒に示したものである。

マンは、また、後頭部の皮質の錐体細胞質中の好塩基性物質は、眼を光にさらすと減少することを見出した。

彼は、休息時に、「染色性の物質は神経細胞中に蓄えられ、その細胞の機能の間にこの物質は利用されてしまう」と結論した。後になってマンは、ニッスル小体と核の双方の好塩基性は、拡散の存在に依存していることを提案している。

マンの考えはアイルランドの偉大な神経学者ゴードン・ホームズの研究によって確認され発展させられたが、この人は現在、後頭部の皮質の視覚野の形状の地図を図示したことで有名である。

ホームズは、1903年に、ストリキニーネで引き起こしたけいれんの間に、カエルの前角細胞からニッスル物質が消失するが、けいれんが起こらないないようにカエルを氷の中で冷やしておくと、ストリキニーネの十分量を注射してもニッスル物質の消失は阻止されることを示した。

彼は、ニッスル物質の消失は「神経細胞の疲労の直接的な結果」であり、ストリキニーネの毒作用に原因があるのではないと結論した。


新着の「化学史研究」(化学史学会)第40号 第1号 2013年の表紙を飾ったのは、玉蟲 文一(1898-1982)氏。

1975年にドイツ・コロイド学会より、Wo.オストワルド賞を受けたコロイドおよび界面化学者、当会初代会長、8年間会長職にあった。
東京大学に科学史・科学哲学分科を創設されるのにも尽力された。日本の化学史の世界の恩人の1人である。

その1975年ダルムスタットで行われた集会の様子を簡単に記しておく。

コロイド研究の過去半世紀にわたる動向が17篇の論文として発表されたのだが、著者の関心は最後の論述。
H.W.Kohlschuter:「kolloidchemie im Vewbundsystem der Naturwissenschaften」(科学の複合系におけるコロイド化学)で、コロイド化学が自然科学の各分野の接合系としての役割を果たすべき位置にあることを強調している。

つまり現代の自然科学が過去において分化された形態から、再び総合化されようとする、その基盤となり得るとの位置づけと受け止められる。
 
                          「科学」49巻 6号 『コロイド・界面科学への展望』玉蟲 文一 399-375

みち草・・・・神経系

2013-03-18 09:00:00 | colloidナノ
ニッスル物質の化学的性質

ニッスル物質の好塩基性は、それに酸性物質が含まれていることを示している。

1895年に、ハンス・ヘルドが、ニッスル物質の化学的性質について基本的に重要なことを観察した。

彼は虎斑物質が苛性ソーダに溶けるが、しかし神経細胞の細胞質中の他の物質と異なって、ペプシンには抵抗性であることを発見した。

彼は、また、ニッスル物質がリンを含むことを見出し、ニッスル物質の顆粒が「ニュークレオアルブミン」(核タンパク質)を含むと結論を下した。

神経細胞内の成分の化学的本性についてのこの最初の観察は、最初に細胞の細胞質中での核酸とタンパク質の存在位置を記録したのだから、細胞化学の歴史の中で画期的な事件である。

不幸にも、細胞質内の核酸についてのヘルドのこの目ざましい発見は、ほとんど半世紀の間無視されてしまった。


みち草・・・・神経系

2013-03-17 09:00:00 | colloidナノ
ニッスル変性

1892年にニッスルは、ウサギの一方の側の顔面神経を切り取った。
彼は、この損傷の後で、橋の顔面神経核の細胞体膨潤して、その好染色性顆粒が消失することを発見した。

この変化はニッスル変性と呼ばれている。

それには神経細胞の膨潤とニッケル物質の消滅が含まれていて、この後のほうの現象は染色質融解と呼ばれる。

ニッスル変性は、神経繊維の切断または損傷の部位よりも基部でおこり、ワラー変性とは対称的な関係にある。

ワラー変性とは異なって、ニッスル変性は通常、可逆的な過程で、事実、損傷をうけた細胞の多くは回復し、好染色性物質も復元され、また後で、(ラモン・イ・カハルが示したように)分離された軸索の基部の方から部分から、軸索の芽が生長してくる。

この回復には、疑いもなく、細胞体と樹状突起の中でのはげしい合成活性が関係していて、細胞体が神経細胞の代謝の合成的または同化的anabolic過程に責任を負っているというワラーの考えに対して的を射た確証を与えている。


みち草・・・・神経系

2013-03-16 09:00:00 | colloidナノ
神経細胞に含まれる物質、神経細胞の細胞化学

ニッスル物質  

19世紀の終わりまでに、神経細胞に含まれる物質は細胞の相互の連結とともに精力的に研究されていた。

細胞質の他の部分よりも強く色素で染まる好染色性の顆粒は、1874年に、ルドルフ・アルントによって記述された。
しかし、これらの神経細胞の細胞質内の特徴的な好染色性の領域が、塩基性色素で特異的に染色されることを最初に示したのは、1890年のフランツ・ニッスルによる研究であった。

このようにして染色される物質は、通常、ニッスルの好染色性物質、または虎斑物質と呼ばれている。
この後のほうの名称は、固定された細胞で観察される、この物質の卵形または紡錘形の顆粒の、縞状の配列を記述するためにつけられた。

ニッスル物質は、細胞体と樹状突起の中にみられるが、軸索の中には存在しない。
塩基性色素のメチレン・ブルー、トルイジン・ブルー、およびピロリンで強く染色される。

みち草・・・・神経系

2013-03-15 09:00:00 | colloidナノ
独立の単位としての脳の神経細胞

脳の神経系の中で、神経細胞が構造と機能の双方の単位であるという考えは、19世紀の終わりまでは、確立されるようにはなっていなかった。
機能的および代謝上の存在としてのワラーの輝かしい概念は、実際、神経細胞の栄養に関しては広く承認されていたが、しかしこの考えは、脳の神経細胞の構造あるいは活性のいずれについても十分に適用されたはなかった。

ワラーの実験は、主として、脊髄と感覚神経節の神経細胞に関係していて、彼の結果は、当時、もっと高等な中枢の明らかにもっと複雑な構造に適用できるような用語には容易には翻訳できなかった。

事実、長い間、ゲルラッハの理論が普及していた。
これでは、いろいろな細胞体から放射されている突起の間に連続的な網目構造が存在していると考えられていた。
つまり、灰白質は、多数の細胞の間を相互に伝達しあう突起でできていた、複雑な、多核の原形質の網目構造syncytial reticulumとみなされていた。

中枢神経系全体の構造上および機能上の両者の単位として、神経細胞の個々の存在と個々の統一性は、結局は、ヒスとフォレルの研究によって確立され、偉大なスペインの神経組織学者サンテイアゴ・ラモン・イ・カハル1852-1934の立派な研究で最高潮に達した。

ラモンの研究は、彼の「人間と脊椎動物における神経系の構造に関する新学説」という本の中にみごとに要約されていて、この本は1894年にパリで出版された。
彼の最初の結果は、カミロ・ゴルジの炭酸銀法を用いて得られた。
後に、ラモンは、彼自身による現在有名な銀染色法----もっとも細かい神経繊維の末端を明らかにするための還元または「写真」法----を導入した。
しかし、彼が最初に軸索突起と樹状突起との間、および軸索突起と体細胞との間の近接部に見られる、軸索突起の瘤状の末端をはっきりと示したのは、ゴルジ法を用いてであった。
これらの軸索突起と樹状突起との接触と軸索突起と体細胞との接触を、彼は、脊髄、大脳、小脳の灰白質の中で観察した。

彼は次のような結論を下した。

①神経細胞は独立した単位であり、樹状の枝や軸索から放射されている神経繊維を通じて接合していることはない。
②すべての軸索の髄鞘は、終末釦(シナプス小頭部)と屈曲した分枝で終わっている・・・
③これらの分枝は、他の神経細胞の細胞体とか樹状突起に認められ、接触によって連絡が確かめられている。・・・・それは、神経細胞間に物質的な真の連絡があるかのように、神経刺激を伝達するうえで有効である。
④細胞体と樹状突起は、ニューロンの栄養に関すると同じ程度に神経刺激の伝達に関与している。樹状突起は刺激を細胞体に伝えるが、他方軸索による伝達は細胞体からのものである。

ラモンはニューロン(この言葉はワルダイアーによって導入された)が神経系の「まぎれもない」細胞単位であることを確立した。

彼は、すべての神経細胞の軸索の末端が遊離して終わっていて、これらの末端が他の細胞液や神経細胞の樹状突起の枝と決して連続していることはなく、隣接しているのであることを見出した。

彼は細胞の間の連続性を否定し、ある細胞の突起から他の細胞の突起への神経刺激の伝達は、隣接かそれとも接触によるもので、物質の連続性に依存しているものでないことを主張した。

ラモンは、脊髄と脳の灰白質内での神経細胞間の連絡について複雑で細心な解析を遂行した。

脳皮質では、顆粒細胞の軸索の末端とブルキニェ細胞の樹状の分枝との間の独特の軸索-樹状突起の接触を、大脳皮質自身の中で確かめたことである。
この組織については、カミロ・ゴルジが、事実、最初に、角錐形の細胞の頂点の樹状突起または原形質の枝を血管の付属物とみなして、全体としての神経細胞への栄養上の付加物と考えていた。

ラモンは、皮質の構築についての輝かしい研究で、それぞれの錐体細胞の頂点からの樹状突起が、分子的な層に達して、さらに枝分かれして、「原形質の枝状の小さな突起がみごとな羽飾りのようなふさ、または花束になり、それはその部分の神経繊維の間で離れた形で終わっている」ことを示した。

彼は、錐体細胞を「心の細胞cellule pyschique」と指定してる。
このように、彼は、同じ程度に複雑で接触しあった軸索突起の枝の末端が、一緒になって、思考する心の主要な細胞成分であることを確立した。




みち草・・・・神経系

2013-03-10 09:00:00 | colloidナノ
トウデイクムの時代の生理化学のいわゆる指導者が、ふさわしい形で忘却のかなたに去ってしまうまで、脳の化学の主題全体を新鮮な形で照らし出したこれらの発見が、ほとんど完全に無視されたというのはどうしたことだろうか?

トウデイクムは、ヴィクトリア朝のイギリス生理化学で重要な位置にあった誰の弟子でも助手でもなかった。
そのうえ、彼はドイツとイギリスの双方で、当時既成の科学的権威にそむくという不幸をしょいこんだ。

彼の研究から、ただちに、神秘的な物質のプロタゴンが脳の主要成分であるというリーブライヒの教義の誤りが明らかにされた。
不幸にも、この考えには強力な支持者があった。

その中には、「生理化学雑誌」の創設者で編集主幹であったフェリックス・ホッペ=ザイラー、マンチェスターのオーウェン・カレッジの生理学のブラッケンベリー教授であるアーサー・ガムギーが含まれていた。

ホッペ=ザイラーは、疑いもなく、自分の弟子のリーブライヒの成果が誤りであるとの論証に憤慨していた。
また、トウデイクムがヘマトポルフィリンの分離において先んじたことを、ホッペ=ザイラーはねたんでいたかもしれない。

ガムギーは、トウデイクムの発表をはげしく攻撃し、プロタンゴの存在を確かめる意図をもった研究を発表した。
不幸にも、トウデイクムへの忠実な弁護の中で、彼の共同研究者の中の2人が、当時通用していた教科書に不利益な論評を下したが、当時重要な生理学者であったその著者の感情を害した。

こうして、ドラブキンの言葉を借りると、「新しい強力な敵がつくり出された」。

その時以降、プロタゴンは、その世紀の終わりまで、既成の権威によって支持されていた。

「フォスターの生理学教科書」への明らかに、権威ある生化学の補遺の中に、トウデイクムの脳についての輝かし研究にほんのささやかな言及すらもなしに、プロタゴンの考えが宣伝されていたことを認めるのは、ケンブリッジの人間としてとくに不面目なことである。

トウデイクムはプロタゴンの考えに対してきわめて批判的で、当時のこれほど多数の学問的な生理学者に支持されていた脳化学の誤った考えに正当で辛辣な解説者であり、弱い精神の持ち主なら大部分が圧倒されてしまったであろうような残酷な不公平さが彼に影響を与えなかったのはいちじるしいことであった。

彼は、自分が正しいことを知っていて、相変わらず彼の世紀におけるもっとも多才で輝かしい科学者の1人であった。

彼の時代の権威ある生理学者によるはなはだ不公平な名誉毀損にもかかわらず、トウデイクムは、ロンドンの医師の多数の同僚の間では愛情と尊敬で大切にされていた。

この仲間の中では、彼の天才、教養、人格と個性の暖かさは、高く評価されていた。
彼は西ロンドン内科・外科医師会の元気づけてくれる精力的な会長であった。

彼の音楽と文学の素養、さらにもっと重要なことには、彼自身の家族の愛情が、彼に必要とされていた支えを与え、名声を確立したが愚かな人たちの頑固な非妥協的な態度との長くつづいた闘いをなだめた。

トウデイクムは、医学と脳の生化学の範囲外の多くの問題にも興味を向けた。
それらのすべてを、彼は透徹力のある心と明晰な記述で明らかにした。

これは、1978年に出版された「ブドウ酒の研究」の中に十分に例が示されている。
この本は優美な版画の挿画で飾られている。その中には、簡潔な化学用語で、ブドウ酒の熟成についての混迷と紛糾を消散させ、また「芳香」の本性について啓発的な考えを述べている。

トウデイクムの研究の目ざましい特質は複雑な精製と分析に基礎をおいていることだが、しかも幅広い科学的および医学上の重要さを決して見失うことはなかった。

「脳は動物の経済の中で、もっとも驚くべき化学実験室である。その中で、タンパク質、リン酸化された成分、窒素を含む成分・・・が、最も洗練された性質をもつ能力の形成のために、もっとも変化に富んだ形で関係づけられている」と、彼は述べている。

彼の洞察力は、いろいろな形の精神異常に化学的根拠があることを予見していた。
彼は「慢性のアルコール中毒に随伴する精神異常が、身体の外での発酵によってつくられた比較的単純な毒物による蓄積された効果であるのと同じように、身体の中で発酵して生じた毒物の脳への物質への影響の外的なあらわれ」として精神異常が生じるのであるという考えをさえ提示している。

彼は、このように、今日、精神医学に一般的な生化学的損傷と自己中毒の概念の創始者であった。
彼は、実際に、このような異常な産物が「体制下された酵素かそうでないものに引き起こされたかは今のところどうでもよいとして、永続的な発酵作用」----事実酵素作用のかたより----によって生じると考えた。


トウデイクムと彼の成果についての簡単な記述を、彼の歴史的な本の最後の文で終わらせるのが適切であろう。
「つづめて言えば、化学の助けによって、現在はまだ不明瞭な脳と心の多くの乱れは正確に規定できるようになり、また正確に治療に服するよになるであろう。また現在、経験的な不安の多いやり方の対象とされているものも、精密科学の誇ってよい行使の対象となるであろう」


昨今に至り、アルコールをあまり嗜まなくなった。
そして寝酒にかえて「宝みず-ノンアルコール」、もしくは果物を少量欲するように変わってきた。

みち草・・・・神経系

2013-03-09 09:00:00 | colloidナノ
1863年に、トウデイクムの胆石についての大論文が発表された。

この本の中で、胆の結石の形成についての彼の「発生箇所」説が発展されている。胆石の同心円的で薄片状の形状についての彼は意見は、今日も支持されている。

1864年に、彼は正常尿中の主要な着色物質であるウロクロムの発見と分離に対して英国医師会のチャールズ・ヘーステイングス卿金メダルを受けた。

1867年に、ヘモグロビンに硫酸を作用させて、鉄を含まない色素へマトポルフィリンを初めて調整した。
1869年に、現在カロチノイドとして知られているルテイン色素を初めて分離し、特徴を決定した。

これらの発見の1つだけでさえ、ロンドンのロイヤル・ソサエティへの選出に値する以上のものであった。

しかし、トウデイクムには、イングランドとドイツで承認されていた科学者の一党からの認定を確かめるに必要な影響力が欠けていて、そのうえ後で述べるように、この一団の人たちにすでに定着していた関心は、やがて、彼の偉大な進歩にふさわしい容認を最小限の程度与えることにさえ積極的に反対するようになった。

これらの初期の発見は、そのどの1つでもそれだけで、トウデイクムを医科学の大先駆者の中に位置づけたのであろうが、これらは、事実、彼の研究の偉大な本体以外のものである。

今やわれわれは彼の主な功績----脳の化学the chemistry of the brain----にたどりついた。

トウデイクムがロンドンで働き始めた頃、ジョン・サイモン卿が枢密院の医学委員であった。

ジョン卿の地位は、今日の医学研究協議会の幹事に対応している。
ジョン卿は、先見の明にすぐれた人で、脳を冒す発疹チフスやその他の病気に化学的な説明がつくのではないかと考えていた。

ジョン卿は、トウデイクムの初期の研究に非常に感銘をうけて、トウデイクムの脳の研究を援助するようにと政府を説得した。

この目的のために、1864年にトウデイクムは地域政府委員会の化学者に任命された。
脳の研究についての彼の結果は、枢密院の医学委員報国の中に発表された。

この一連の目ざましい論文は、トウデイクムの記念碑的な著作「脳の化学組成に関する研究」の1884年の刊行で最高に達した。

脳化学についてのこの研究は、かつて一人の個人によって達成されたもっとも実りの多い一連の研究の一つである。

何よりもまず、彼はケファリンを分離し、レシチンと区別することに成功した。
それから、スフィンゴミエリンが分離され、特徴が決定された。

事実、リン脂質が、特有の生物学的重要性をもつ一群の物質であるというわれわれの認識は彼によるものである。
それらを記述するために、彼は「フォスファチド」という名を導入した。----「フォスファチドは、植物でも動物でも、いかなる形であれすべての生物の原形質の中心であり、その生命であり化学的精髄である」といっている。

彼は、これらの物質が特に脳に豊富であることを理解していた。

つぎに、彼は、脳の中にまったく新しい一群の脳の物質、セレブロシドを発見した。

それらの中で、彼はフレノシンとケラシンを分離した。

これらのもとの物質ばかりでなく、それらの構成成分をも精製して分析した。彼は、フレノシンが、新しく発見された塩基のスフィンゴシン一分子と脂肪酸一分子とからできていることを示した。
この六炭糖は彼によってセレブロースと名づけられた。

現在ではこの糖は、乳糖の加水分解で生じてくるガラクトースと同一であることが知られている。

彼はまた、脳の中の乳酸は主としてかいはくしつ灰白質に存在し、それには光学的活性があり、事実筋肉の筋乳酸sarcolactic acidと同一の物質であることを発見した。


この印象的で、実際類のない発見の一覧表は、彼の脳の化学組成についての論文にまとめられている。

彼にはただちに、自分の発見が健康と病気の際の脳の機能に関係がありそうなことがわかった。
すでに述べたよううに、フォスファチド----彼自身がはっきりさせた多数の脂質の一群----の注目べき性質を強調した。

水の中で、これらの物質は、「1つの粒子として光学的に限定できる範囲外の程度に小さい」。
それでもこれら「存在は虹色によって、・・・・また偏光の反射によって」示される、水の中への脂肪の乳液とはちがって、これらの物質には乳化剤が必要ではなく、「これらの脳の物質は水だけでこの特有の溶液をつくる」。


トウデイクムは、この乳液が「不完全かそれとも不十分な溶液で、物質の固体状態と液体状態の中間の段階」であると考えた。

リン脂質の水への特殊な引力と、その結果として生じるお互いの間の反発力を彼は強調している。
実際、この種類のコロイドの重要な特徴として、現在知られているミセル構造の概念にきわめて近い考えを、彼は抱いていた。

彼はこれらのフォスファチドのあるものは、体温のもとでは真の溶液かもしれないが、「平熱と熱病でのもっと高い体温の中間の温度ではコロイドになるのかもしれない。そのような変化の中には、熱病の状態や過剰な熱にさらされた多くの場合にみられる死の原因となることがあるのも不可能ではない」という考えを提示している。

このように、彼は、原形質に対する熱による損傷が、細胞の脂質の変化によって決定されているかもしれないという最近かなり支持されている考えを提案した最初の人であった。

彼は「いわゆる脳の軟化は、まず第一に、コロイド状態の喪失にあり」、また「全身麻痺、急性および慢性の躁病、憂うつ症、その他の脳と背骨のはげしい病気は、神経細胞の物質の特定の化学変化と関係していると示されることであろう」という意見をさえ述べている。

彼は、脊髄癆では、脊髄の後柱の白質中のセレブロシドが分解されていることを知っていて、脳と脊髄(これらには炭水化物が多く含まれている)のアミロイド顆粒は、セレブロイドの分解によって生じた糖からつくられるという、興味をかきたてる考えを提示している。

トウデイクムは、実際、きわだって優秀な化学者で、医学の深い知識にもとづいて脳とその病気の本性に対する自分の化学的発見の意義を十分見きわめることができたのである。




付記
ここでは触れないが、「巨大分子」概念の魁としてのトウデイクムには、機会を改めてとりあげていく予定である。