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「信膠場」

2020-08-01 09:41:34 | 膠智膠民
 楕円は“アーウン”の大平正芳から生まれた出た政治哲学と言えよう。
その膠綜の革新性はホロニックと言う概念にある。

 清水博は生命が育まれていく「場」としての認識を素粒子論から得ていた。

アインシュタインとボーアの止揚が楕円であると膠創されたのであろう。

ニュートンそしてアインシュタインを検証した叔父クイリーノ(1891-1957)の仕事は、エットレー(1906-1959?)に影響を与えた。

 とろこでウィリアム・クリフォード(1845-1879)は粒子論の成果を踏まえて、つまり原子論・分子論を超えた代数幾何でありその哲学で語られている。更には、ご膠倫!をも残し若くして亡くなった。

 ポスト・コロナ時代の認識は、それらの実在を覚えさせずにはおかない。量子重力、異次元の世界は「並膠界」でもある!

 ご注意  プラグマティズムが語られる場において、しばしばクリフォードが登場してくるけれども有難迷惑な事だと誰しもが思い知る事となろう。
 造語scientistを拒んだトーマス・ハックスリーならばどのように毒づくであろうか?

黒猫

2020-05-08 06:58:18 | 膠智膠民
 準備運動を丹念に行うかのように長い時間が過ぎ去ったけれども、ようやく歩き・ジョギングが出来るまでになったと確信をした。
 その場での感慨は「膠然の気蜜若葉風」と表現されていた。

 浩然の気に導かれ、昂然と現れたのが黒であった。
そこで自己紹介として「我輩は猫である名前はまだない」と名乗られる。

 『己れあ車屋の黒よ』彼こそがそこでの主人公である。彼は同盟敬遠主義の的になっている居る奴だ。

 黒はこう締めくくった。
『うちの亭主なんか己の御蔭でもう壱円五十銭位儲けて居やがる癖に、碌なものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものテイの善い泥棒だぜ』
さすが無学の黒も此位の理屈はわかると見えて頗る怒った容子で背中の毛を逆立てて居る。

 
 そもそもの始まりはロンドン大学からの速報に眼が留まったときであった。何かが出来る。
科学が始動し始めている時間だ!
如何程の時間が待たれているのかは誰にも解らない。

 思い出したのは「ふるさと 伊予・松山」である。
「物理化学」の聖地を名乗り出るには必要・十分条件があろうが、それを満たすのは松山を置いて他には無い。

 必要条件としての青地林宗・川本幸民。
十分条件として長州ファイブとして良く知られた伊等博文を起用した。更に言えば小川正孝など枚挙に暇が無いであろうからよす。

 そこに寺田寅彦がいれば、自然観を改めて解き直すであろうと想われる。
そう想いながら連ねて見れば、公然と言う言葉がこのように言い換えられて混迷を深めるのは自然観に拠るのであろうから天延・自然は『膠然』と置き換えておけばそれらの全てを包摂止揚出来るに違いない。

このような背景には日常の膠景が正しく認識されていない恨みが有るからであろう。それがよくであるのだろうとよく言われている。

 その頃パウリーユング等の専門外での融合現象は珍しくも無かったシンクロ現象。
同時代を生きたワンチームとも言えるマヨラナ達は、未完で終わったとは言えどもその足跡を偲ぶに値する。

その頃の世界的流行は戦争であったけれども、幸いにも現況は自然現象である。

 『膠然の気密』はそのような時分の精神を受け継いでもいる、今や科学ではない。
われわれの「膠導」を予言するはずのものとなってゆく「コロイドのai」、今ではAIと書き改められるべきかもしれない。

彼等からの宿題が、今試されている。


  黒猫や膠然気蜜若葉風   虚私



人「膠論」

2020-04-15 09:14:38 | 膠智膠民
雪山やレトロウィルス「人・膠論」     虚私


 「雪山や!」
「昨日、降ったんよ」
 
 同世代と思われる対話が聞こえてきた。石鎚等が雪化粧をしている。


 その時「雪山やレトロウィルス昆虫記」と記してはみたが、まてよ西田賢治の世界はもう少し深いに違いない。

 例えば「ジュエル・キャラクター」を「宝石」ではなく、「ジェリー」もしくは「ゲル」と表現することを好んでいる。

 その様な彼ならば『膠論』として概念の拡張・縮小は容易なことであるから、ここは「人・膠論」として置き替えても良いのではないか。

 さらに彼ならではの言葉が蠢いて来る!彼はこう言っている。
「出来るだけ多くの時間を人間が創らなかったモノに囲まれて生活をしていく事は大切な事です」とも。つまり頭で考えるのではなく、生きた化石のようなそこからの「しんかがく」を、膠古学的な理解を望んでのコスタリカではなかったか。

 ここに触発されたのがレトロウィルス問題なのだ。われわれは無意識であるが、われわれがミトコンドリアによって膠導を誘導されているかのようにウィルス由来のゲノムに誘導された膠導を選択しているのではないかと気づいてよいのだ。

 われわれとウィルスは融膠関係にあるのは確実視されている現在、その含意はウィルスではなく母胎となるわれわれが能動的なのだ!つまり膠分子であり、ATPなのだ。

 胎盤とウィルスとの関係はこうして理解できよう。「しんかがく」はウィルスと共にある、「人・膠論」問題なのだ。




はな風や

2020-04-05 09:04:27 | 膠智膠民
  はな風や戴く膠冠城下町    虚私



 珍しい事であるが風邪をひいたのかな、と思ったのは気管支辺りや肺胞辺りに違和感を覚えた頃であった。それから暫くして声変わりをしてしまったと読経の時に思い知らされた。

 一過性ではないと自覚してから、如何にも私らしく自己流の養生を模索していた。

その頃であった。
川名林冶『気道ウィルス感染症の実験室内診断」を拝読していたので。早速読み直してみた。そこのキーワードは「気道感染症・ウィルスの実験室的診断」である。

 現況を鑑みてその結語は、興味深い。ごく一部を転載しておく。

「かぜ症候群の病気診断は、必ずウィルス学的および細菌学的検査の並行が必要であり・・・」

 そんなわけで私はウィルスの、その封筒とも言われるエンベロープに照準を会わせていたのである。

 エンベロープの弱点は良く知られているように、アルコール・次亜塩素酸などがある。
何れも家庭内にあるものであるから誰でも簡単に悪戯が出来るとはいえ、自分を傷つける事となるのであるから十分な注意は当然働いていたに違いない。

 手始めは「消毒用アルコール」である。
ボトルの底に少しだけ残っていたのを少し振ってキャップを開くとアルコールの臭いがしてくる。それを腹式呼吸の要領で鼻腔。気道などへとエアゾールを吸引していくように送り届ける。

 そのような悪戯を数日間も続けているうちに、あの違和感は薄れてしまった。気を良くしていると読経の声まで戻ってきたから、何らかの機能が働いたのであろう。

 家庭の中は化学物質で充ちている。重曹等もその一つである。これもまた利用できるかもしれない。

 つまり家庭内には化学物質でみちあふれているのだ。問題はその利用の仕方を誤れば大きなリスクを抱えているのであるが、少し注意をすればクスリにもなるかもしれない。

 アルコールだって一緒で、消毒用アルコールなどを使用しなくても高級なブランデーとかウィスキー等を転用する事は誰でも気がつくことだ。
 念のために申し添えておくが、飲むのではなくエアゾールを吸引しているのであるから、誤解なきよう願う。

 ここで言いたい事は「膠智膠民」。
つまり自己責任に基づく様々な所見の集積を英知として育んでゆく道筋のありようとは、実に滑稽で愚かしいホワイトノイズのようなものが自己組織化されてゆく現象、言い換えれば井戸端会議のようなもの、その小さなクラスターが世界を変えてゆく「膠場」となるのではないか?と秘かに想っている。


現況を鑑みて想われうことは鎖国状態を目指すべきではなく、真逆の関係を構築してゆく道筋の有り様を模索していくべき時である。
 それを『しんかがく』と呼んで置こう。