アーサー・ガムギー博士1841-1909は、この章で述べられた多数の人たちと同じ意味での孤独な先駆者ではなかったのだが、私たちの主題での重要な人物である。
ある時期に、彼はマンチェスターのオーウェン学部の生理学教授であった。
彼はヘモグロビンとトラシンの光学的性質についての観察結果を発表し、血液に対する亜硝酸の作用について研究して、医学での亜硝酸アルミの利用法を発展させた。
ヒストヘマチンおよびミオヘマチンと呼ばれる筋肉組織中のポリフィリン色素についてきわめて大切な観察をした人についての、もう一つの興味深い例はマックマン博士1852-1911である。
彼は、ダブリンのトリニティ・カレッジで勉学した。
開業医としての忙しさの中で、彼の観察も大部分は午後の業務の後の時間に、馬屋の2階の干し草置場の小さな実験室で行われた。
彼の研究は、分光学的なもので、この分野では彼は熟達した人として有名であった。
しかし、筋肉の色素についての彼の観察結果には、当時としては解決できなかった矛盾があって、そのために、レー・ランケスター卿やホッペ=ザイラー教授の承認が得られなかった。
この点でひどく悩んで、それが1921年の彼の死の一因となったのかもしれない。
時がたって、1920年代に、D.ケイリン教授が彼の見出したことの一部を再発見し、チトクロムについての彼の研究で、この分野を大きく進歩させた。
マックマンの研究のみごとな記述が、彼の本に見出される。
分光学の分野では、コブリー・メダル受賞者のデイヴィッド・ブルースター卿1781-1868によってクロロフィルのスペクトルがはじめて決定されたことを最後に述べておいてよいであろう。
前世紀のもう一人の生理学者は、酵素作用の研究をしていたがこの分野での教育にいちじるしい貢献があったのでここで述べておくべきであろう。
この人は、A.シュリダン・リー1853-1915である。
彼は、マイケル・フォスターの「生理学」の後のほうの版で、化学的生理学に関する数章を書いている。
リーは、ニューヨークに生まれ、ケンブリッジのトリニティ・カレッジの学生になり、後で、ゴンヴィル・アンド・キース・カレッジのフェローと給費生になった。
終わりに、イギリスの孤独な先駆者たちによってなされた研究についての、やや簡単なこの記述で、総合化された生化学のない状況でさえ、いろいろな問題を考察し、真に価値ある成果を得ることができた学問に一心の人たちがいたことを示すには十分であろう。
この人たちの大部分は、医学の修練から出発し、研究は職業というよりは楽しみであった。
別のところで指摘したように、いくつかのきわだった例外はあるが、イギリスの生化学は、化学の流れのなかではなくて生理学の流れの中で発達したのである。
付記
ヘンリー・デール卿は以下のような意見を追加された。
トウデイクムは、最後まで旗を高く掲げていた。
自分の友人の間では満足な社交生活を楽しんだように思える。
明らかに、彼はブドウ酒の鑑識家で、またその化学の熱心な研究者であった。
彼が死んだときに、未亡人と4人の娘の生活の資産はほとんど残っていなくて、この人たちは元気にこの状況に対決し、当時は今日のイギリスよりもずっと少なかったしかたで自分たちで生活を支えた。
しかし、年月とともに、ついには、その労苦が重すぎるほどになった。
ローゼンハイム博士がこの人たちに会い、この状況を私たちに伝えたときに、私たちの一部は、当時の首相に対する請願を組織することに満足を感じ、その結果、父が自然科学に果たしたきわだった奉仕を認めて、この女性たちに王室費から年金が支給されるようになった。
女性たちは、その後、ローゼンハイム博士を通して、純粋な化学物質のもっとも興味深い蒐集を寄贈したが、これはすべて父の偉大な研究の製品の原物で、これらは現在国立医学研究所の図書館の専用の陳列箱に収められて展示されている。
トウデイクムとその業績を記念するために開催された会合に出席できた人たちにその事実を伝えるために、この蒐集品の写真が送られた。
「みち草」に聞く通奏低音のような響きを一言で言い表すことは難しいが、その黎明期を告げた教科書からの一言。
PREFACE・・・A condensed view is given of the new discoveries in the former department,and also of the important conclusions respecting the animal functions of respiration and digestion,results which are entirely new,and now enter for the first time into a systematic work on Chemistry.
references ;
「Elements of chemistry」including the applications of the science in the arts. With numerous illustrations. By Thomas Graham ... With notes and additions, by Robert Bridges ... Published 1843 by Lea & Blanchard in Philadelphia.
Written in English.
そこへ執拗低音ともいえるのが、彼の師でもあった無機化学者のThomas Thomson1793-1852の著作「the Element of Chemistry」(1910)の巻頭文。その必然性は理解できる。
The objest of Chemistry is to ascertain the ingredients of which bodies are composed、・・・・
植物・動物の分類を超えた問題、それが呼吸とか消化等への関心事の高揚感、こそは時代の意識であったろう。
その役割を期待された人々、ことに生理学者並びに化学者の奮起を促したものと見られる。
その「拡散と浸透」こそが『生化学の歴史』であったのだが、その道筋はまるで、フラクタルともいえる。
ある時期に、彼はマンチェスターのオーウェン学部の生理学教授であった。
彼はヘモグロビンとトラシンの光学的性質についての観察結果を発表し、血液に対する亜硝酸の作用について研究して、医学での亜硝酸アルミの利用法を発展させた。
ヒストヘマチンおよびミオヘマチンと呼ばれる筋肉組織中のポリフィリン色素についてきわめて大切な観察をした人についての、もう一つの興味深い例はマックマン博士1852-1911である。
彼は、ダブリンのトリニティ・カレッジで勉学した。
開業医としての忙しさの中で、彼の観察も大部分は午後の業務の後の時間に、馬屋の2階の干し草置場の小さな実験室で行われた。
彼の研究は、分光学的なもので、この分野では彼は熟達した人として有名であった。
しかし、筋肉の色素についての彼の観察結果には、当時としては解決できなかった矛盾があって、そのために、レー・ランケスター卿やホッペ=ザイラー教授の承認が得られなかった。
この点でひどく悩んで、それが1921年の彼の死の一因となったのかもしれない。
時がたって、1920年代に、D.ケイリン教授が彼の見出したことの一部を再発見し、チトクロムについての彼の研究で、この分野を大きく進歩させた。
マックマンの研究のみごとな記述が、彼の本に見出される。
分光学の分野では、コブリー・メダル受賞者のデイヴィッド・ブルースター卿1781-1868によってクロロフィルのスペクトルがはじめて決定されたことを最後に述べておいてよいであろう。
前世紀のもう一人の生理学者は、酵素作用の研究をしていたがこの分野での教育にいちじるしい貢献があったのでここで述べておくべきであろう。
この人は、A.シュリダン・リー1853-1915である。
彼は、マイケル・フォスターの「生理学」の後のほうの版で、化学的生理学に関する数章を書いている。
リーは、ニューヨークに生まれ、ケンブリッジのトリニティ・カレッジの学生になり、後で、ゴンヴィル・アンド・キース・カレッジのフェローと給費生になった。
終わりに、イギリスの孤独な先駆者たちによってなされた研究についての、やや簡単なこの記述で、総合化された生化学のない状況でさえ、いろいろな問題を考察し、真に価値ある成果を得ることができた学問に一心の人たちがいたことを示すには十分であろう。
この人たちの大部分は、医学の修練から出発し、研究は職業というよりは楽しみであった。
別のところで指摘したように、いくつかのきわだった例外はあるが、イギリスの生化学は、化学の流れのなかではなくて生理学の流れの中で発達したのである。
付記
ヘンリー・デール卿は以下のような意見を追加された。
トウデイクムは、最後まで旗を高く掲げていた。
自分の友人の間では満足な社交生活を楽しんだように思える。
明らかに、彼はブドウ酒の鑑識家で、またその化学の熱心な研究者であった。
彼が死んだときに、未亡人と4人の娘の生活の資産はほとんど残っていなくて、この人たちは元気にこの状況に対決し、当時は今日のイギリスよりもずっと少なかったしかたで自分たちで生活を支えた。
しかし、年月とともに、ついには、その労苦が重すぎるほどになった。
ローゼンハイム博士がこの人たちに会い、この状況を私たちに伝えたときに、私たちの一部は、当時の首相に対する請願を組織することに満足を感じ、その結果、父が自然科学に果たしたきわだった奉仕を認めて、この女性たちに王室費から年金が支給されるようになった。
女性たちは、その後、ローゼンハイム博士を通して、純粋な化学物質のもっとも興味深い蒐集を寄贈したが、これはすべて父の偉大な研究の製品の原物で、これらは現在国立医学研究所の図書館の専用の陳列箱に収められて展示されている。
トウデイクムとその業績を記念するために開催された会合に出席できた人たちにその事実を伝えるために、この蒐集品の写真が送られた。
「みち草」に聞く通奏低音のような響きを一言で言い表すことは難しいが、その黎明期を告げた教科書からの一言。
PREFACE・・・A condensed view is given of the new discoveries in the former department,and also of the important conclusions respecting the animal functions of respiration and digestion,results which are entirely new,and now enter for the first time into a systematic work on Chemistry.
references ;
「Elements of chemistry」including the applications of the science in the arts. With numerous illustrations. By Thomas Graham ... With notes and additions, by Robert Bridges ... Published 1843 by Lea & Blanchard in Philadelphia.
Written in English.
そこへ執拗低音ともいえるのが、彼の師でもあった無機化学者のThomas Thomson1793-1852の著作「the Element of Chemistry」(1910)の巻頭文。その必然性は理解できる。
The objest of Chemistry is to ascertain the ingredients of which bodies are composed、・・・・
植物・動物の分類を超えた問題、それが呼吸とか消化等への関心事の高揚感、こそは時代の意識であったろう。
その役割を期待された人々、ことに生理学者並びに化学者の奮起を促したものと見られる。
その「拡散と浸透」こそが『生化学の歴史』であったのだが、その道筋はまるで、フラクタルともいえる。