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孤独な先駆者

2013-04-20 09:00:00 | はじめに
アーサー・ガムギー博士1841-1909は、この章で述べられた多数の人たちと同じ意味での孤独な先駆者ではなかったのだが、私たちの主題での重要な人物である。

ある時期に、彼はマンチェスターのオーウェン学部の生理学教授であった。

彼はヘモグロビンとトラシンの光学的性質についての観察結果を発表し、血液に対する亜硝酸の作用について研究して、医学での亜硝酸アルミの利用法を発展させた。

ヒストヘマチンおよびミオヘマチンと呼ばれる筋肉組織中のポリフィリン色素についてきわめて大切な観察をした人についての、もう一つの興味深い例はマックマン博士1852-1911である。

彼は、ダブリンのトリニティ・カレッジで勉学した。

開業医としての忙しさの中で、彼の観察も大部分は午後の業務の後の時間に、馬屋の2階の干し草置場の小さな実験室で行われた。
彼の研究は、分光学的なもので、この分野では彼は熟達した人として有名であった。

しかし、筋肉の色素についての彼の観察結果には、当時としては解決できなかった矛盾があって、そのために、レー・ランケスター卿やホッペ=ザイラー教授の承認が得られなかった。

この点でひどく悩んで、それが1921年の彼の死の一因となったのかもしれない。

時がたって、1920年代に、D.ケイリン教授が彼の見出したことの一部を再発見し、チトクロムについての彼の研究で、この分野を大きく進歩させた。

マックマンの研究のみごとな記述が、彼の本に見出される。

分光学の分野では、コブリー・メダル受賞者のデイヴィッド・ブルースター卿1781-1868によってクロロフィルのスペクトルがはじめて決定されたことを最後に述べておいてよいであろう。

前世紀のもう一人の生理学者は、酵素作用の研究をしていたがこの分野での教育にいちじるしい貢献があったのでここで述べておくべきであろう。
この人は、A.シュリダン・リー1853-1915である。

彼は、マイケル・フォスターの「生理学」の後のほうの版で、化学的生理学に関する数章を書いている。

リーは、ニューヨークに生まれ、ケンブリッジのトリニティ・カレッジの学生になり、後で、ゴンヴィル・アンド・キース・カレッジのフェローと給費生になった。

終わりに、イギリスの孤独な先駆者たちによってなされた研究についての、やや簡単なこの記述で、総合化された生化学のない状況でさえ、いろいろな問題を考察し、真に価値ある成果を得ることができた学問に一心の人たちがいたことを示すには十分であろう。

この人たちの大部分は、医学の修練から出発し、研究は職業というよりは楽しみであった。
別のところで指摘したように、いくつかのきわだった例外はあるが、イギリスの生化学は、化学の流れのなかではなくて生理学の流れの中で発達したのである。


付記
ヘンリー・デール卿は以下のような意見を追加された。

 トウデイクムは、最後まで旗を高く掲げていた。
自分の友人の間では満足な社交生活を楽しんだように思える。
明らかに、彼はブドウ酒の鑑識家で、またその化学の熱心な研究者であった。

彼が死んだときに、未亡人と4人の娘の生活の資産はほとんど残っていなくて、この人たちは元気にこの状況に対決し、当時は今日のイギリスよりもずっと少なかったしかたで自分たちで生活を支えた。

しかし、年月とともに、ついには、その労苦が重すぎるほどになった。

ローゼンハイム博士がこの人たちに会い、この状況を私たちに伝えたときに、私たちの一部は、当時の首相に対する請願を組織することに満足を感じ、その結果、父が自然科学に果たしたきわだった奉仕を認めて、この女性たちに王室費から年金が支給されるようになった。

女性たちは、その後、ローゼンハイム博士を通して、純粋な化学物質のもっとも興味深い蒐集を寄贈したが、これはすべて父の偉大な研究の製品の原物で、これらは現在国立医学研究所の図書館の専用の陳列箱に収められて展示されている。

トウデイクムとその業績を記念するために開催された会合に出席できた人たちにその事実を伝えるために、この蒐集品の写真が送られた。




「みち草」に聞く通奏低音のような響きを一言で言い表すことは難しいが、その黎明期を告げた教科書からの一言。

PREFACE・・・A condensed view is given of the new discoveries in the former department,and also of the important conclusions respecting the animal functions of respiration and digestion,results which are entirely new,and now enter for the first time into a systematic work on Chemistry.

references ;
「Elements of chemistry」including the applications of the science in the arts.  With numerous illustrations. By Thomas Graham ... With notes and additions, by Robert Bridges ... Published 1843 by Lea & Blanchard in Philadelphia.
Written in English.

そこへ執拗低音ともいえるのが、彼の師でもあった無機化学者のThomas Thomson1793-1852の著作「the Element of Chemistry」(1910)の巻頭文。その必然性は理解できる。

The objest of Chemistry is to ascertain the ingredients of which bodies are composed、・・・・

植物・動物の分類を超えた問題、それが呼吸とか消化等への関心事の高揚感、こそは時代の意識であったろう。
その役割を期待された人々、ことに生理学者並びに化学者の奮起を促したものと見られる。

その「拡散と浸透」こそが『生化学の歴史』であったのだが、その道筋はまるで、フラクタルともいえる。 

みち草・・・・「化学」

2012-12-18 07:00:00 | はじめに
 丸山工作の本から抜き書きを終えたのは、昼過ぎであった。

 近くの一草庵まで出かけ、そこでボランティアの森さんと雑談していると婆娑羅と映る派手な襟巻きに着物姿の出で立ちで自転車にのった男が来た。
すかさず森さんは「いらっしゃいませ」と、声をかけたがしばらくは静寂が続き、ようやく男の声がしてきた。

 それからは堰を切ったように、一方的に喋りまくるのは自民党の批判であり、安倍の酷評に終始していた。
その筋道立てた話しぶりは・・・・彼は我楽多市へ来たらしいが、愛憎開いてはいなかった。

 その反響のなさに男は去っていったのであろう。
それと入れ替わるように「遅れてしまった」と太田さんが来られた。

 奇妙に思えたのは太田さんが道案内をしてきたかのように、瞬時をおかずに一台のタクシーが横付けされ、3名の紳士が降りてこられた。
間髪を入れず「いらっしゃいませ」と太田さんが、お迎えした。

 3人は「大丈夫ですか」と呟いて荷物をベンチに置いて、太田さんのガイドに聞きいっておられた。
気がつかないでいたけれども、韓国からの客人だとわかったのは暫くしてからだった。

 韓国における日本文化と言えば、やはり漫画が第1位。
俳句は第11位なのだそうだ。相撲が10位、芸者は12位だと紹介された。
 子供たちは9割が学ぶ第二外国語としての日本語。1割ほどが中国語らしい。英語は必須である。

 ご本人は大学で25年間教鞭をとり、芭蕉で学位を得た文学博士である。もっとも芭蕉は、哲学とみなされているいるらしく、山頭火などのほうが受け入れられやすいとも、紹介された。

 今は「韓国俳句研究院」院長である。
同行された方は、東洋美術研究家でもあり、韓国俳句研究院の委員らなのだ。

 2時間ばかりの豊かな時間を過ごしての記帳には、即席で「きのう雨 今晴れてから 山頭火」と記された。


 そこへ一句を添えてみたくなった。
「ほし柿や ふでたてまつる 一草庵」筆柿


余滴
 郭 大基院長は、個人主義に陥りつつある現状に対しての危機感をお持ちになっていると、お見受けした。
ストレス社会である。
 そのためにも、自然なふれあいウオーキングなどの重視が垣間見えたのは、山頭火を訪ねてのウオーキングコース等について質問をされた時だった。
 自然/共存/幸福と名刺に添え書きされているのも印象に深いことである。数多くご教示くださり感謝申し上げます。



 さて、元へと戻って雑誌「化学」などを立ち読みする。それらは何れもノーベル賞授賞の記事で埋め尽くされていた。

「化学はいろんな意味でかかわれます。まず一つは、いま遺伝子でiPS細胞をつくっていますけれども、効率が低いんですね。しかし、その効率を上げるような化学物質がきっとあるんじゃないかと思っています。あとは細胞内のシグナルとか、いろんなメカニズム研究、これもものすごく大切なんです。昨日発表されたノーベル化学賞もGタンパク質共役型受容体が対象でしたが、化学の範囲もどんどん広がっていますから、接点はいっぱいあると思います」山中伸弥


GPCR〈for studies of G-protein-couple recepter〉研究の源泉「アドレナリン」を発見した日本人 高峰譲吉(上中啓三)も押さえておきたい事項である。

 そもそもGタンパク質共役受容体GPCRとは

①外界のシグナルを感知する受容体。
 それはホルモンとか神経伝達物質など。
それが細胞内の情報伝達へと送られて細胞応答、つまり形態変化、物質代謝、分泌、増殖、分化、電気信号などへとつながる。

②2011年9月29日の「Nature」の表紙を飾ったのだが、鍵と鍵穴の関係を原子レベルでの解明に成功した。
それは正に鍵と鍵穴が結合せんとする瞬間の「立体構造解析に成功した」。つまりGPCRがGタンパク質と複合体をつくらんとして活性化させている、その状態を鷲掴みにした。
αの位置の連結部が127度まで開いていることがわかったのだ。

③これらは従来の手法では不可能であったのだが、ブライアン・コビルカの開発した手法が功を奏したのだ。
それがナノデスクとか結晶化を助けるリゾチームの挿入さらには抗体をもってがんじがらめにする事によって、初めて結晶化に成功した。

ところで化学に何ができるか?

 その1つがiPS細胞の培養に関して、動物由来の成分でカバー(コート)している、プレート用のコート剤であり、その2つ目がそこからの剥がす工夫であると言われている。

 このあい矛盾した機能を満たさなくてはならないのだが・・・くっつけては剥がし、くっつけては剥がしと言えば、再剥離型粘着剤のようなモノでよいのではないかとイメージされる。
 しかし、その粘着力を絶妙にコントロールできるのだろうか?
それはむしろ超伝導のような新しい技術に負うべきか・・・・化学への期待は、ある種のe-浮遊感のような世界ではないかと、昨日気がついた。
                                                 


ご参照ください;NPO法人まつやま山頭火倶楽部公式WEBサイト

the elements13

2011-09-23 20:00:00 | はじめに
この本の目的には二つある。
                 

一つは、一般の人々およびChemistry化学を志す人々に、わかりやすく、しかも科学的に、化学の基本的データや結果を紹介することであり、また物質および、われわれの周辺で起こっている現象の性質を理解し、また農業、工業およびその他の応用科学に化学が利用されていることを理解する上でこれらの結果がもっている意味を示すことである。

哲学および生命に対するこれらの関係は、われわれの科学を理解しやすくしており、その関係によってわれわれの科学は公共的な意味をもつことになる。

しかし、その結果が得られた方法についての知識をもたないで、結果を知っているだけでは、哲学のみならず、応用科学の面でもすぐ迷ってしまうことは明らかである。
何故ならば、そのときには、しばしば相対的で、しかも一時的なものに絶対的な意味をもたせてしまうようなことが必然的におこるからである。

自然に関する科学には、幾何学のように記述する簡単にするような公理が存在しない。
ここでは、全ての心理は絶え間ない仕事のつみかさねによって得られたものであり、あらゆる帰納法の試みによって得られたものである。

化学のこういった面から、わたしたちは第2の目的として、より専門的なものをとったのである。すなわち、結論と一緒に、それを得るための方法を記述してできるだけ多くのデータを系統的に一つにまとめることである。

しかしこの場合できるだけ多くのデータで、完全な科学全集をつくることが目的ではない。
理論と実際を対応させ、科学の過去と未来とを対応させて、無意識に一つの最も魅力的な信念に没頭することを避けて、わたしは、読者が科学の対象を自分で判断する能力をのばすことができるようにすることに努めた。

この能力こそ、科学の結論を正しく応用し、科学の将来の発展を促進することのできる唯一のものである。以下略




Санкт-Петербургセント・ペテルブルグ 1869年3月     D.メンデレーエフ

            



古典化学シリーズ⑨「化学の原典」
        田中豊助 福渡淑子共訳  昭和53年8月30日第1版

「はじめに」

2010-07-03 07:25:28 | はじめに

 十年以上も前の事であるから確かな記憶と言うわけにはいかないが、「宇宙・物質・生命」と言うコロイド観が芽生えた。

 その背景と成ったのであろうか田中豊一博士の論文は未だに記憶に残っている。
それと絡まりあうかの如く,ここのところしきりに「膠漆」と言う言葉が、恰も自己増殖するかのごとく流動化しかつ複雑化し始めたかのような心象を覚える。

 それをわたしは、「しんかがく」と呼称しようと考えているのだが、多分それは“かいぎてき”と丁寧に言い直す事になるのではなかろうかと密かに想っている。
 それをわたしのコロイド史観と呼びかえる事もできるに違いないとも思われる。

 だから膠漆と言う言葉は膠質に完全に重なり合っているのではないかとも、思えるがそれは違っているのではなかろうか。

 とわ言えども「膠漆」と言われたからと言って誰でもが直ちに理解されるとも思えないから、広辞苑を紐解いてみた。

 こ・う・し・つ。
 その始めに「公室」があるけれども余はしらぬ。
次いで「後室」も知らぬと言うべきであろう。「皇室」を知らぬとは言わぬが知らぬに等しい。「高質」はどうか、何となく馴染みが薄い。
 まるで知らぬ馴染みの薄い言葉ばかりであることよ。
 「閘室」などは全く存じ上げぬと思ったが、待てよと思ったのは付記された“こうもん”。

 随分と聞き覚えのある語感である事よ!しかし違っていた河口付近で見覚えがある、と言い直すべきが“閘門”であった。


 最後尾になって、ようやく御尋ねものに出合った。

 『膠漆』①にかわとうるし②転じて、きわめて親密ではなれにくいこと膠漆の交わり。
左様ではあるけれども、ここでは「膠質」を本旨とする。

『膠質』 《化》コロイドに同じ。
《化》とは、学術語・専門語。略語表に記されているところの化学である。

 化学辞典(森北出版)を調べてみると、
こう(膠)質=コロイド(colloid)1861年T.グレハムは水の中でにかわ、デンプン、タンパク質などの水溶液が拡散する速度が、塩酸、食塩、硫酸マグネシウム、ショ糖の水溶液に比して格段におそいことを発見し、前者をコロイド(膠質)、後者をクリスタロイド(晶質)と名付けた。 

 また上記2種類の溶液の混合液と水とを動物膜あるいは硫酸紙で仕切るとクリスタロイドは膜を通過して水の方に移るが、コロイドの方は膜を通りにくく、この方法で両者を分離することができることを示し
ていた。 これを透析という。

 その後Wo.オストワルトは分散状態論の立場からあらゆる物質の径が10-5~10-7cmの程度に分散されている状態が、グラハムのいうコロイド状態に相当することを指摘して以来(1907年)、コロイドの概念は気相を分散媒とする霧や煙、固相を分散媒とする着色ガラスなどにも拡張されるとともに、厚さや大きさが10-5~10-7cmの程度の膜や繊維にまで拡張され、、それぞれ二次元的および一次元的コロイドと考えられるようになった。以下省略


                                                                2010年6月27日




みずからの言葉

わたしの言葉

それらの言葉

言葉へのおもい

すみわける言葉

かいぎてき『しんかがく』2010年7月3日