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『膠情』

2019-06-04 09:37:22 | 虚私
 少しはにかみながらも、皮肉っぽい笑みを浮かべながら「冷っとする素足」の日本人が好き!と語ってくれた。


芝草を踏みしめてきた、あの感触が今、蘇ってくる。
今では街歩きの果てなる芝草へと到る。
それが梅雨晴れ間ならば、大樹の元で風を感じられるであろう。
身繕いを済ませると、膠庭・膠導で遊ぶはラテン語・ギリシャ語に尋ねるその語源。

「時の観念とエントロピーならびにプロバヴィリテイー」その冒頭部にはラテン語らしきが認められる。

寺田は書き記している。時の前後の観念はとにかく直感的なものであって、なんらかの自然現象に関して方則を仮定する事なしに定義を下しうるべき性質のものではないと思われる。


ところで、スミスの場合には敬慕してやまないトーマス・グラハムを偲んでの編纂作業は一編のギリシャ詩人へと化身させている。

令和元年は、トーマス・グラハムの立志200年であり没後150年となる。
身辺が、かくしてあわただしくも過ぎ去りゆく事を有り難く思う。

とは言え、素足で芝草を踏みしめる事も無くなってしまった人間の事だから、ひたすら「膠界」を想うに違いない。