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人「膠論」

2020-04-15 09:14:38 | 膠智膠民
雪山やレトロウィルス「人・膠論」     虚私


 「雪山や!」
「昨日、降ったんよ」
 
 同世代と思われる対話が聞こえてきた。石鎚等が雪化粧をしている。


 その時「雪山やレトロウィルス昆虫記」と記してはみたが、まてよ西田賢治の世界はもう少し深いに違いない。

 例えば「ジュエル・キャラクター」を「宝石」ではなく、「ジェリー」もしくは「ゲル」と表現することを好んでいる。

 その様な彼ならば『膠論』として概念の拡張・縮小は容易なことであるから、ここは「人・膠論」として置き替えても良いのではないか。

 さらに彼ならではの言葉が蠢いて来る!彼はこう言っている。
「出来るだけ多くの時間を人間が創らなかったモノに囲まれて生活をしていく事は大切な事です」とも。つまり頭で考えるのではなく、生きた化石のようなそこからの「しんかがく」を、膠古学的な理解を望んでのコスタリカではなかったか。

 ここに触発されたのがレトロウィルス問題なのだ。われわれは無意識であるが、われわれがミトコンドリアによって膠導を誘導されているかのようにウィルス由来のゲノムに誘導された膠導を選択しているのではないかと気づいてよいのだ。

 われわれとウィルスは融膠関係にあるのは確実視されている現在、その含意はウィルスではなく母胎となるわれわれが能動的なのだ!つまり膠分子であり、ATPなのだ。

 胎盤とウィルスとの関係はこうして理解できよう。「しんかがく」はウィルスと共にある、「人・膠論」問題なのだ。




はな風や

2020-04-05 09:04:27 | 膠智膠民
  はな風や戴く膠冠城下町    虚私



 珍しい事であるが風邪をひいたのかな、と思ったのは気管支辺りや肺胞辺りに違和感を覚えた頃であった。それから暫くして声変わりをしてしまったと読経の時に思い知らされた。

 一過性ではないと自覚してから、如何にも私らしく自己流の養生を模索していた。

その頃であった。
川名林冶『気道ウィルス感染症の実験室内診断」を拝読していたので。早速読み直してみた。そこのキーワードは「気道感染症・ウィルスの実験室的診断」である。

 現況を鑑みてその結語は、興味深い。ごく一部を転載しておく。

「かぜ症候群の病気診断は、必ずウィルス学的および細菌学的検査の並行が必要であり・・・」

 そんなわけで私はウィルスの、その封筒とも言われるエンベロープに照準を会わせていたのである。

 エンベロープの弱点は良く知られているように、アルコール・次亜塩素酸などがある。
何れも家庭内にあるものであるから誰でも簡単に悪戯が出来るとはいえ、自分を傷つける事となるのであるから十分な注意は当然働いていたに違いない。

 手始めは「消毒用アルコール」である。
ボトルの底に少しだけ残っていたのを少し振ってキャップを開くとアルコールの臭いがしてくる。それを腹式呼吸の要領で鼻腔。気道などへとエアゾールを吸引していくように送り届ける。

 そのような悪戯を数日間も続けているうちに、あの違和感は薄れてしまった。気を良くしていると読経の声まで戻ってきたから、何らかの機能が働いたのであろう。

 家庭の中は化学物質で充ちている。重曹等もその一つである。これもまた利用できるかもしれない。

 つまり家庭内には化学物質でみちあふれているのだ。問題はその利用の仕方を誤れば大きなリスクを抱えているのであるが、少し注意をすればクスリにもなるかもしれない。

 アルコールだって一緒で、消毒用アルコールなどを使用しなくても高級なブランデーとかウィスキー等を転用する事は誰でも気がつくことだ。
 念のために申し添えておくが、飲むのではなくエアゾールを吸引しているのであるから、誤解なきよう願う。

 ここで言いたい事は「膠智膠民」。
つまり自己責任に基づく様々な所見の集積を英知として育んでゆく道筋のありようとは、実に滑稽で愚かしいホワイトノイズのようなものが自己組織化されてゆく現象、言い換えれば井戸端会議のようなもの、その小さなクラスターが世界を変えてゆく「膠場」となるのではないか?と秘かに想っている。


現況を鑑みて想われうことは鎖国状態を目指すべきではなく、真逆の関係を構築してゆく道筋の有り様を模索していくべき時である。
 それを『しんかがく』と呼んで置こう。