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みち草・・・・「人工生命」

2012-11-30 09:00:00 | アルケ・ミスト
 しかし複雑さも、長いリストに載る一つの要素に過ぎない。

 われわれの科学的知識をもってしても、「生命について、一般的に受け入れられている定義はない」と、「ブリタニカ百科事典」の生命の項にカール・セーガンがそっけなく書いている。

 哲学者マーク・ベドウはこの問題について、「哲学の根本的な問題の一つだが、哲学者はあまり真剣に考えていない。生物学者も然りだ。彼らの典型的な反応は、両手を上げて放棄してしまうことだ。自然としての生命の性質は、水を調べて、「その本質はH2O だ」と言う類のものではない。生命は物質ではなく、はかない現象的なものなのだ」と主張する。

 哲学者もこのジレンマにはお手上げで、「こんな問題に、純粋に哲学的な答えが可能なのだろうか?」とエリオット・ソバーは書いている。
このウィスコンシン大学の哲学者は、この疑問は究極的には重要なものでないと主張しており、「ある機械が環境からエネルギーを取り出し、育ち、自分の体を修理し、再生するとしたら、それが『本当に』生きているか、問う余地などあるのだろうか」と述べている。

 しかしこのような機械があったとしたら、問題の解決どころか、かえって新しい問題を引き起こすことになる。
このように、人工的な有機体を文字通り生きていると見なすことに、多くの人は恐怖を抱くのではないだろうか。

 現在ほとんどの人は、自然の生物の有機体と同じ物質で作られていない物は、生きているとは見なさない。
物理学者のGerald Feinbergジェラルド・ファインバーグと生物学者のロバート・シャピロは、「生命はすべて炭素化合物でできており、水性の媒体内で機能すると信じている人」をさす、「カーバキストcarbaquistsという言葉を作り出した。それにしてもいまだ、生命が他の形態では生じえないと、きちんと論じた人がいないのも確かだ。

 いま生きていると見なされているものは、もしかしたらもっと高い次元の生命の一部に過ぎないのかもしれない。また生命の歴史の不幸な偶然によって、われわれには可能な生命のうちの非常に限られた部分しか見えていないのかもしれない。
 そうするとわれわれが挑もうとしているのは、われわれの知っている特性のうち、どれがその部分に特有なものなのか、またどれがあらゆる生命に共通なのかを見分けることだろう。
 今後われわれがどんな生命体を目にするのかは分からないが、それらはきっと〈ありえたはずの生命life-as-it-could-be〉(この言葉は、最初の人工生命会議を組織したクリストファー・ラングストンが作り出した)を創造したものになるだろう。

 「もし科学者が広範な生命理論を打ち立てるつもりなら、非有機物によってできた物も生きている、と認める根本的な発想の転換が必要になるだろう」とラングトンは言う。
「ほとんどの生物学者は、いまのところおしなべて、これをためらっている。人びとが生きているというのと同じ意味で、これらが生きているとみなせるようになるためには、少々時間がかかるだろう。しかしわれわれはそれを実現するつもりだ」。

 この本では、まさにこの、生命の過程そのものを創造することで世界の見方を変えてしまおうとする目論見について紹介する。
もしラングストンや彼の仲間たちがこの目標を達成したなら、人類は自分たちをもっと違った光のもとに照らし出すことになるだろう。
 その時われわれは、自分勝手に決めた進化の階層の頂点に立っているのではなく、ほかにもたくさんの可能な形態を含む生命の、ある部分集合を代表する特に複雑な代表に過ぎなくなるだろう。

 われわれのユニークな点は、自分を継ぐものを創造できる、という点にこそあるだろう。

 人工生命は、現実に十分に進化した生身の生命に基盤を置く遺伝子工学のようなものとは、かなり違うものだ。
人工生命を手掛ける科学者は、実際に生命系を生み出し、進化させ、観察することのできる方法を作り出そうとしている。
 進化の行く末を操作し、地球上の生命系の範囲を広げ、その先を目指すような努力が続けられている。
この大実験から、生命自身についてのもっと深い理解が生まれ、その機構をわれわれの仕事に役立てることが可能になり、きっと最終的には、生物系を司る自然の力強い法則が発見されるばかりか、もっと複雑な非線形型自己組織化の相互作用に潜む法則が見つけられるだろう。

 この人工生命への探求に人間を駆り立てるものは、われわれの前に繰り広げられている込み入って理解しがたい自然を、「生命とは何か」という最も意味深い疑問を通して解き明かしたいという欲望なのだ。

 いろいろな経歴を持った研究者たちが出した結論は、この疑問に答えようとするには、ただ観察をするだけでなく創造してみるべきだ、ということだった。

 まず最初に一歩は、これが可能だと信じることだ。
信じるに足る証拠は、実際にいくつもある。次には実行してみること。それが人間の寿命と比べてかなり長い時間を要しても、進化的な時間尺度からいえば一瞬の話だ。
ともかく、この恐ろしいまでの研究はすでに始まっている。そこでこの本では、これにかかわるすばらしい人びとを紹介しようと思う。

 彼らの研究の成果によって、われわれに生きていることの意味が分かるかもしれない。生命を作ることによって、ついにはlife生命とは何かを理解できるかもしれないのだ。

















みち草・・・・「人工生命」

2012-11-29 09:00:00 | アルケ・ミスト
 1987年9月、「人工生命」Artificial Life:A-Lifeという新しい科学を作ろうと、ニューメキシコ州のロス・アラモスに、百人以上の科学者と技術者たちが集まった。

 この催しは科学技術の重要な分水嶺となるものだった。

生物学的な機構への理解が深まるのと同時に、デジタル・コンピュータの能力が指数的に増大し、自然の最高傑作である生物系を人類が複製できる寸前のところまで来ているのだ。
 集まった研究者たちは一様に、この分野への期待に胸を膨らましていたが、同時に過去の経験から、今後の可能性について慎重にもなっていた。
 
 この会議で産声を上げたこの分野の暗い側面に、「フランケンシュタインとその怪物」を書いたMary Wollstonecraft Godwin Shelleyメアリー・シェリーの伝説が影を落とし、あたりを徘徊しはじめた。
ある参会者はそれを、まるで幽霊がいるかのようだと評した。



 「今後50年から100年の間に、新しい種類の生物が出現するだろう。それらはもともと人間によって設計されたという意味において人工の生物となるだろう。しかし彼らは繁殖して進化し、元の形から変化していき、まともな定義ならどう見ても「生きている」ということになる・・・この人工生命の誕生は、人類の出現以来の最も重要な歴史的な出来事であるといえる・・・・。

 人工生命、すなわちA-Lifeは、人類の手による生物的な有機体や機構の創造と研究をさす言葉だ。
この生命の材料は無機物で、その本質は情報であり、コンピュータという窯の中から創り出される。
ちょうど医学者が生命の機構を試験管の中(in vitro)で扱うように、人工生命を手がける生物学者やコンピュータ科学者は、シリコンの中(in silico)に生命を創造しようとしているのだ。

 しかしこれらは、本物の「生身」の生命体にどれほど近いものなのだろうか。
多くの実験者たちは、実験室で作られてたこれらが、ただ生命の一側面をシュミレーションしたものにすぎないと認めている。
 これらの「弱い」人工生命の実践家たちの目標は、地上もしくはどこか知らない場所に存在する可能性のある生命に光を当て、その理解を深めることなのだ。



細胞というものを発見して以来、物質がいかに自ら形を成し、生きた構造物になっていくのかについて、科学者たちはさまざまな考え方をしてきた。
 そして、ダーウィンの考えが生命科学にとっていかに重要かが理解されると、進化というものが生命を定義する際の中心的課題となった。
ある人にとっては、進化〈こそ〉が中心的な問題だった。
 「生命は、自然淘汰によって進化を起こす性質を獲得しているかどうかで定義されるべきだ」と、ジョン・メイナード=スミスは進化生物学者らしい書き方をしている。

 「つまり、増殖すること、多様性を持つこと、形質の継承を備えたものが生きているのであり、これらの性質のうち、一つでも欠けているものは生命とはいえない」と、彼は続ける。後に発見されるDNAは、生きていると考えられる物質のすべてに存在する本質的な要素であり、もっとも重要な意義を持ったものだ。略

 最近の研究によれば、複雑系理論が生物学の中心的要素と考えられるようになり、これが生気を生じるために必要な条件として認識されはじめている。
 複雑系とは、その要素がかなり絡み合っていて、それらのふるまいが従来の標準的な線型方程式では予測できず。あまりに多くの要素があるため、その中に含まれる無数のふるまいの総和を全体として理解する以外に方法がないシステムをいう。

還元主義者はこういうシステムは相手にしてないが、最近では彼らの方法だけでは生命の問題には太刀打ちできないことが明らかになってきている。
 というのは、生命系の中では、全体は部分の総和よりも大きくなてしまうからだ。

これから見ていくように、生命は不思議な微量の液体によって生じるのではなく、複雑さのおけげで結果的にあるふるまいや特性が生じてくるのだ。
 こうした機構自体が進化によって作り出されたものかもしれないが、進化を進める力はある程度の複雑さがなければ生じてこない。

生命系は、こうした複雑さを多かれ少なかれ要約したもので、その点からいって、ある科学者は、複雑さこそが生命の性質を定義付けるものだと考えている。

 

「ザ・プロファイラー」ダーウィン 神に挑んだオタク …をみた。
そのジェントルマンの軌跡は、責任感のある勇気を支えられた、手紙力。
1000人余りへの15万通のその文面にも、ジェントルマン精神が滲み出していた。





みち草・・・・「複雑系」

2012-11-28 09:00:00 | アルケ・ミスト
 1987年9月22日、火曜日、サンタフェ研究所で新たにはじまる経済学研究プログラムの共同責任者の地位を提示された翌朝、早朝の日差しを浴びてすべてがまぶしいまでに光りかがやくなか、ブライアン・アーサーは眠い目をこすりながら、ジョン・ホランドといっしょに車に乗りこみ、ロス・アラモスへ向かった。

 前日から5日間の予定ですでにはじまっている人工生命のワークショップに顔を出すためだった。

 「人工生命」という言葉がつまるところ何を意味しているのか、それについてアーサーは、どうもいまひとるはっきりしないという感じをいだいていた。
 
 じつのところ、前の週の経済学の会議を終えたばかりでまだ疲れきっていたアーサーには、どうもピンとこないという感じがつきまっとていたのである。

 だがホランドが説明してくれたように、人工生命は人工知能に似ているようだった。
ちがいは、コンピュータ上で思考のプロセスを模する代わりに、コンピュータ上で進化や生命そのものの基本的な生物学的メカニズムを模するところにあった。
 
 ホランドがいうには、人工生命は遺伝的アルゴリズムでクラシファイア・システム(移動;案内)で彼がこれまでやろうとしてきたこととよく似ているが、それよりさらに広範囲にわたるさらに野心的な試みだということだった。



補記
「猫とネズミ」と名付けたゲームを構築し,クラシファイア・システム(CS)の学習効果を調べた.

従来のAI(人工知能)的な手法によって記述されたルールが,if(餌がある)then(食べろ)のように明示的に,上位のレベルで表現されるのに対して,ここではルールを明示的に記述することを避け,if(自分の座標・相対速度・残り体力)then(動く方向と力・捕獲行動の有無)のように非明示的に,より下位の物理レベルの記述をしている.

また,優秀なルールの系列を積極的に記憶する発火の実績を重視したアルゴリズムを考案し,常に安定して好成績を残すことに成功した.

バケツリレー・アルゴリズム(BB)の検証を行うことで,Hollandが主張する橋渡しクラシファイア(bridging classifier)の存在も確認された.さらにランダムに設定された初期ルールから,優秀なルールに進化させることで知識の獲得を行なった.

これは,ルールをemergence創発(emerge)させるという意味で,非明示性をコンセプトとする人工生命のアプローチでもある.




物理世界の猫とネズミ : クラシファイア・システムによる学習How cat and mouse aquire the physics-law? : A learning by Classifier Systems上田 雄悟Ueda Yugo筑波大学構造工学系星野 力Hoshino Tsutomu
筑波大学構造工学系「情報処理学会研究報告. 人工知能研究会報告」 94(20), 17-24, 1994-03-08 一般社団法人情報処理学会



みち草・・・・「複雑系」

2012-11-27 09:00:00 | アルケ・ミスト
 いや、デイヴ、私にはこの新しい経済学ワークショップを組織する時間はないんだ、とアンダースンはいった。

だがフィル、リードと会ったとき、きみはいろいろ興味深い話をしたじゃないか、それにこの新しいワークショップはものすごいチャンスになる。
 きみは自然科学者を招待する。

 われわれはだれか超一流の経済学者に残り半分の経済学者を招待してもらうように頼むから。そうパインズは電話でいた。

 ノー。
いいかい、また頼み事だっていうことはわかっているが、じつに面白いもんだと思うよ。考えてくれないかな。
 ジョイスにそれをはなしてくれないかな。もしイエスといってくれれば、手伝うから。放っておいたりしないよ。

 わかった、わかったよデイブ。やるよ。アンダースンはため息をついた。
イエスとはいったものの、アンダースンはどう事を運んだものか、途方に暮れた。

 こんなことを組織したことは一度もなかった。いや、だれだってそうだ。
そう、まずやらねばならなぬことは、会合の半分の経済学の頭になってくれる人物を探すことだった。

 なるほど彼は、少なくとも1人はエコノミストを知っていた。
エール大学のJames Tobinジェイムズ・トービンだった。トービンははイリノイ州シャンペン・アーバナのユニバーシテイ・ハイ・スクールの数年先輩だった。
 それに、たまたま彼もノーベル賞をもらっていた。

 ジム、あなたはこういうことに興味をもたれますか?とアンダースンは電話でいった。
いや。
 ひとしきりアンダースンの説明を聞いてから、そうトービンはいった。
自分は適任者ではないが、スタンフォード大学のケン(ケネス)・アローならいいかもしれない。もしよければ、自分がアローに電話をしよう。

 どうやらトービンが好意的に話してくれていたようだった。
アンダースンが電話をかけると、アローはとても興味をもっていた。

 「ケント私は電話でいろんな話をしたよ」と、アンダースンはいう。
「われわれ2人はとても似たアイデアをもっていることがわかった」。

 アローは今日の主流の経済学の創始者の1人だというのに、アンダースン同様、彼もまたちょっとした偶像破壊者だった。
彼は標準的な理論の欠点が何かを十二分に知っていた。事実、たいていの批評者よりは彼のほうがそれを的確にいうことができた。
 また、みずから「異端の」論文と呼んでいるものを著し、新しいアプローチを呼びかけていた。


 たとえば、エコノミストたちにもっと人間の本当の心理に注意を向けるように促したり、ごく最近は、非線形科学やカオス理論の数学を経済学で使えないかどうかに関心をもつようになっていた。
 だからアンダースンやサンタフェの連中が新しい方向に進みはじめられるのではないかと考えているというなら----「そう、それは面白くないはずはないように思えた」と、彼はいう。

 かくしてアンダースンとアローは、以前研究所創立のためのワークショップにてきようしたのとまったく同じ基準で、それぞれに名簿をつくりはじめた。
 彼らが求めたのは、図抜けた専門的背景と開かれた心を併せもつ人間だった。

 とりわけアローは、必要な人間は正統的な経済学がよくわかっている者、と考えていた。
標準的なモデルを批判することはかまわないが、何を批判しているのかを十分わけまえているほうがいい。彼は少し考えてから、数人の名前を書き留めた。

 ついで彼は、経験主義的傾向を持つ人間を数人混ぜたいと思った。
新古典派の理論家一色の集団になっては健康的ではあるまい、標準的な理論が扱いに困っているものがあることを思い出させてくれる人間が必要だ、と彼は思った。

 そうだな----たぶん去年あのセミナーをやったとかいう若い男、人口統計学の研究をやっていた、そしていつも収穫逓増についてまくしたてている男。ぴったりじゃないか。
 アーサー、と彼は名簿に書いた。
そう、ブライアン・アーサーである。
  
書評Amazon.co.jp
「収益逓増と経路依存―複雑系の経済学」W.ブライアン アーサー

 ただ本書を読まれる場合、複雑系についての多少の予備知識は必要だと思います。ミッチェル・ワールドロップ「複雑系」がお薦めです。
また自然科学系に強い方は、スチュアート・カウフマン「自己組織化と進化の論理」を読んでおけば、大体のことはわかります。

みち草・・・・「複雑系」

2012-11-26 09:00:00 | アルケ・ミスト
 そもそもこのワークショップは、ロス・アラモス研究所のポストドック、クリス・ラングトンが1人で考え出したものだった。
ラングソトンはかって、ミシガン大学でホランドやアート・パークスが指導した学生だった。ホランドにいわせれば、ラングトンにはやや晩成型のところがあった。
 しかも、博士論文をまだ完全に仕上げきってはいなかった。
だが、ラングソトンはいつもなみはずれた学生だった。
 「想像力がじつに豊かでね」とホランドはいった。
「あらゆる種類の経験を生かし、それを一つにまとめあげるのがじつにうまい」。

 そのホランドが、人工生命のワークショップに途方もないエネルギーをそそぎこんでいた。
人工生命はラングトンの頭のなかで誕生したものだ。人工生命という名前もChristopher Langtonラングトンがつけた。
 この十年間というもの、ラングトンは人工生命をほんものの科学の一分野に仕立てあげようと、このワークショップを----いったい何人が顔を出すのかもわからずに----組織した。
 各方面を説得して回った結果、ロス・アラモス研究所の非線形研究センターがワークショップに1万5千ドルを拠出す、これとはべつにサンタフェ研究所が5千ドルを提供した。
 またサンタフェ研究所は、複雑性をテーマにした新しいシリーズ本の一部としてワークショップの記録を出版してくれることになった。そして昨日、第1回の目のミーテイングでホランドが目にしたこところでは、ラングトンはみごとにやってのけつつあるようだった。それは----そう、それはアーサーが自分の目で確かめなければならないことだ。

 実際、アーサーはそうした。
ホランドといっしょにロス・アラモス研究所の講堂に歩を進めながら、アーサーはたちまち二つのことを感じとっていた。
 一つは、これまでの自分の同居人をひどく割り引いて評価していたということだ。
「まるでガンジーと歩いているみたいだったよ」とアーサーはいう。「それまでは、背の低い愉快なコンピュータの達人と同じ家に住んでいるぐらいにしか考えていなかったんだ。ところがここにきてみると、みんなが彼をこの道の偉大なる導師のように迎えているじゃないか。
 「ジョン・ホランド!」ってね。
入口のホールで、みんなが彼をめがけて押し寄せてきた。これについてどう思う?あれについてどう思う?論文を送ったが、届いたか?」

 こういったすべてに、アーサーの同居人はつとめて冷静に対処しようとした。
だが、逃れるすべはなかった。本人がひどくまごつくくらいに、ジョン・ホランドの名は高まりつつあった。
 実際、それをとめようとしても、ホランドにできることはあまりなかった。これまでに25年にわたって、ホランドは毎年1人か2人の割合で博士号取得者を世に送り出してきたから、いまではその教えをひろめる信奉者がたくさんいた。
 しかも、そのうち世の中がホランドに追いついてきた。
ニューラル・ネットワークはかなり以前から流行のテーマだった。
 また学習の問題が人工知能研究の主流を占めるもっともホットな話題としていまになって脚光をあびてきたというのも、けっして偶然ではなかった。
 遺伝的アルゴリズムをテーマにした最初の国際会議が1985年にあり、さらにいくつかの会議が開かれそうな情勢だった。
「だれが話すときも、まるでお手本をなぞるようにこう切り出した」とアーサーはいう。
 「ジョン・ホランドの主張はかくかくしかじかだ。さて私の意見をいおう」

 アーサーが感じたもう1つは、人工生命というのは、そう----ちょっと勝手がちう----ということだった。
ラングトンと言葉をかわす機会は1度もなかったが、ひよっろとした背の高い男で、長く伸ばした褐色の髪としわくちゃの顔がちょうど俳優のウオルター・マッソーを若く人当たりをよくしたのとそっくりだというのは、遠くからでもわかった。
ラングトンはたえずあちこちと動きまわっていた----問題に対処し、決定をくだし、気をもみ、すべてをうまく運ぼうと夢中になっていた。

 そこでアーサーはたっぷり時間をかけて、ワークショップ会場のまわりの廊下に展示してあるコンピュータのデモを見てまわった。
こんなどんでもないものには、これまでお目にかかったことがなかった。
 矢のように空を切る電子アニメーションの鳥の群れ、目の前のスクリーン上で芽生えて成長するほんものそっくりの植物群、気味の悪いフラクタル状の生き物たち、うねうねと動き、光を放つ数々のパターン。
 じつにおもしろい。だが、どんな意味があるというのか?

そしてワークショプに参加している連中の話しときたら!アーサーは何人もも発言を聞いたが、それは過激な理論を手堅い経験主義のごった煮だった。
 発言者が立ち上がって話しはじめるまで、その発言者が何をいうかだれにも見当がつかないといったありさまだった。
会場ではポニーテールやブルー・ジーンズがやたらに目についた。〈ある女が立ち上がって発言するのを見ると、彼女ははだしだった〉。

 「創発」という言葉があちこちでひっきりなしに芽吹いているようだった。そして何よりも、この信じられないようなエネルギーと同士愛とでもいうべきものが、その場の空気を満たしていた----いくつもの障壁がくずれおちる感覚、新しいアイデアがつぎつぎに解き放たれる感覚、自発的にそして突発的に底抜けの自由がおとずれる感覚。
 風変わりにして知的なあり方で、人工生命のワークショップは、時間を逆もどりしたような、ベトナム戦争のころの反体制文化がそのままそこに花開いているような感覚を呼び起こした。

 

備考  ラングトンは、1990年にカオスの縁 (Edge of Chaos) という用語を生み出した。これは、セル・オートマトン (CA) の振る舞いを評価する変数 λ(ラムダ)のある範囲を指したものである。λ が変化すると、セル・オートマトンは振る舞いの相転移を示す。

この用語は、科学界全体(物理学、生物学、経済学、社会学など)で比喩として使われるようになり、秩序と完全な無作為性(カオス)との中間で複雑性が最大となるようにシステムを運用する状態を指すようになった。しかし、この概念の一般性と重要性については Melanie Mitchell らが疑問を呈している。ビジネスにおいてもこの用語が本来の意味とはかけ離れた状況を指すのに借用あるいは誤用されている。

スチュアート・カウフマンは進化の数学的モデルを研究し、カオスの縁近辺で進化速度が最大になるとした。

みち草・・・・「複雑系」

2012-11-25 09:00:00 | アルケ・ミスト
その一例がごく最近の世界経済の大変動で、カーター大統領が連邦準備制度理事会(FRB)の議長にポール・ヴォルカーを指名したのはその象徴だった。

この大変動のストーリーはじつは1940年代からはじまっていた。

 当時は世界中の政府が、二つの世界大戦とそのはざまで起きた大恐慌の影響にどう対処すべきか苦しんでいた時代である。
各国政府の苦心の努力は1944年のプレトンウッズ協定を生み、世界経済は以前とは比較にならないほど相互に結びついているという認識をもたらした。
 新しい体制のもと、各国とも国家の政策手段として孤立主義と保護主義を捨て、かわりに世界銀行、国際通過基金(IMF)関税および貿易に関する一般協定(ガット)のような国際制度をとおして協力することに同意した。そしてそれは機能した。
 少なくとも財政に関していえば、世界は4半世紀のあいだ驚くほど安定していた。
だがそれから70年代がやってきた。73年と79年のオイルショック、ドル値を世界の通過市場で変動相場制に移行するというニクソン政権の決定、失業率の増大、蔓延する「スタグフレーション」。

 プレトンウッズでともに繕ったシステムはほころびはじめたと、リードはいった。
貨幣が世界中にどんどん流れはじめた。
また第三世界は自国の経済をうちたてるべく大量の借金をしはじめていた----それを手助けしたのは、コストを最小にするために生産工場を国外に移しつつあったアメリカとヨーロッパの企業だった。

おかかえのエコノミストたちの助言にしたがい、シテイコープをはじめとする国際的銀行が何百億ドルという金を喜んで途上国に貸したと、リードはつづけた。

 ポール・ヴォルカーが連邦準備制度理事会の議長になり、どんな犠牲を払おうと、たとえ金利の大幅上昇と景気後退を引き起こそうとも、インフレと闘う、と宣言したとき、だれもそれを信じなかった。

 銀行家もおかかえのエコノミストたちも、世界中の行政機関であがっている同様の声を正しく評価しなかった。
そんな苦しみに民主主義が耐えられようか?
 かくしてシテイコープなどの銀行は、1980年代はじめ、途上国に金を貸しつづけた。
そして1982年に、まずメキシコが、ついでアルゼンチン、ブラジル、ヴェネズエラ、フィリッピンなど多くの国々が、インフレ対抗策が引き起こした世界規模の景気後退により借金返済不能になりつつあることを明らかにするまで、それはつづいた。

 1984年に頭取に就任してから、この混乱を一掃するために莫大な時間を投入したと、リードはいった。
この混乱によりシテイバンクはそれまでにすでに数百億ドルを使い、世界中の銀行損出はざっと3千億ドルに及んでいた。

 では、いま彼はどんな種類の代替案を探し求めているのか?
そう、いまやリードは、どんな新しい経済理論によっても、たとえば、ポール・ヴォルカーという特定の人物を任命することが必要であることを予測するのは不可能だと考えていた。
しかしもっと社会や政治の現実に目を向けた理論だったら、ヴォルカーのような人物----インフレ抑制に必要な政治的な仕事をすこぶるうまくこなす人間----の任命を予測できていたかもしれないと考えていた。

 より重要なことは、もっと優れた理論があったら、ヴォルカーが行動を起こしていたとき銀行家たちがその意味を正しく認識できていたかもしれないということだ、と彼はいった。
「この経済世界のダイナミクスに対する理解を高め、またそれに対するより優れた認識を引き出してくれるようなものがあるなら、それは十分もつに値する」。

 現代物理学やカオス理論に関して自分が耳に挟んだところでは、なんでも物理学者たちには適用できそうなアイデアがいくつかあるらしい。サンタフェ研究所に手助けしてもらえるだろうか? 


サンタフェ陣営は魅せられた。
サンタフェ陣営の多くの者にとって、それは耳新しいことだった。また彼らは、グローバル・コンピュータ・モデルに対するユージェニア・シンガーの詳細な分析にも興味をそそられた。
 
 6千の変数をもつ「プロジェクト・リンク」、「フェデラル・リザーブ・マルチ・カントリー・モデル」、「世界銀行グローバル・デベロップメント・モデル」、「ウオーリー・トレード・モデル」、「グローバル・オプティマイゼーション・モデル」等など。
 そのどれも望みをかえるものではない、とくに変化と変動を扱うということになるとそうだ、と彼女は結論づけた。

 で、ふたたび、サンタフェ研究所はやってくれるか?

 うーん、たぶん。
午後の多くが研究所陣営の自己宣伝に当てられた。

 アンダースンは、創発性、集合的挙動に対する数学モデルについて説明した。
他の何人かが、データの山を明確で把握しやすい図に変える最新のコンピュータ・グラフィックスの利用、経験とともに適合・進化・学習するようなエージェントをモデル化するための人工知能技術の利用、そして株価や気象の記録などランダムに見える現象を分析して予測するカオス理論の利用可能性、などについて説明した。

 そして最終的に、予想されぬことではなかったが、そう、経済プログラムはトライする価値あり、というのが両陣営の合意点だった。
アンダースンはこう回想する。
「われわれは全員がいったことは、ここにどうやら知的な課題がありそうだということ。ジョンがいったような種類の変動をゆるしてしまう現代の均衡経済学には、いったい何が欠けていたのか?」

 だが、サンタフェ陣営はまたひじょうに抜け目なくやることも忘れなかった。
コーワンたちはシテイコープからの資金を心から期待したが、同時に、奇跡を約束することはできないとリードに明確にいっておきたいとも思っていた。そう、役に立ちそうなアイデアがいくつかあった。
 しかしそれは徒労に終わることもあり得るリスクの高い企てだった。
巣立ったばかりの研究所にとって、過度の期待と誇大宣伝は無用である。
 やれそうにないことを約束しているように思われたら、自殺同然だ。


 いうことはよくわかったと、リードはいった。
「われわれが何か確実かつ具体的なものを手にできるとは思っていなかった」と、彼は回想する。
 彼はただ何か新しいアイデアが欲しかったのだ。
だから期限はおろか、具体的な成果を規定することさえしないと約束した。
 もしサンタフェ陣営がこの仕事にとりかかり、年々目にみえる進歩をしさえすれば、それで十分だった。

 「私の意気込みがそれで煽られたよ」と、アンダースンはいう。
つぎのなすべきは新たな会合----それなりの数のエコノミストと自然科学者が一堂に会し、問題を徹底的に議論し、本物の計画表をこしらえる集中的なワークショップ----をもつことで、みなの意見が一致した。そして、もしリードが数千ドルを寄付し、そういう方向にそった努力を支援する用意があるなら、サンタフェ研究所はそれにとりかかる用意がある、ということになった。

 こうして取引は終わった。
そして翌朝のこと。リードはイースト・コースト号の乗員たちを朝5時にベットからたたき起こし、サンタフェ空港行きのリムジンに押し込んだ。
 できるだけ早くニューヨークに戻り、丸一日ぶんたまった仕事を片づけたかった。

備考記事①
 「銀行救済許すまじ」 米金融システム脅かす世論の逆風
2011/11/29 10:10  日本経済新聞 
反ウオール街デモが激化する中で、欧州債務危機は米系銀行にも伝染の兆し。リーマン・ショック第二幕とも言える今回の金融不安であるが、第一幕とは決定的に異なる点がある。too big to fail 大きすぎて潰せないとはもはや言えないことだ。銀行に対する米国世論の反感が銀行救済を許さない。特に2012年は大統領選挙年。そもそも二人の民主党議員の提案によるドッド・フランク金融規制法案を支持し署名して銀行に対する厳格な規制導入の旗を振ったのもオバマ大統領である。略   豊島逸夫著

備考記事② 
 実は1980年代後半、そこにトラベラーズグループCEOジョン・リードは渦中の人であった。
その時のGeorge Sorosジョージ・ソロスの慧眼は・・・

 連邦準備制度議長ポール・ボルカーは、ソロスの著書『ソロスの錬金術』(原題:The Alchemy of Finance)の序文に寄稿し、以下のように述べた。
ジョージ・ソロスは、非常に成功した投機家として、あるいは、まだゲームが有利なうちに手を引く賢明さを具えていることで、その名を知られている。
現在、彼の得た大金の大半は、途上国と新興国の社会が「開かれた社会」になるために使われている。ここで言う「開かれた社会」とは、"商業の自由"のことだけを意味しているわけではない。もっと重要なこと、すなわち(人々が)新しい考え方や、自分とは異なった考え方や行動に対して、寛容の心を持っていることを意味している。
 当時彼は、日本株を売り抜けることに成功した。

みち草・・・・「複雑系」

2012-11-24 09:00:00 | アルケ・ミスト
 かくして、1986年8月6日の水曜日の夕方、アンダースンと妻のジョイスは、シテイコープのジェット機ガルフストリーム号に乗り込み、サンタフェへ向かって飛び立った。
なるほど速いもんだと、アンダースンは思った。

 しかし凍てつくほど寒くもあった。
このシテイコープのジェット機は商業航路よりずっと上の高度1万5千メートルで飛んでいたが、ヒーターが十分効いていなかったようだった。
 ジョイス・アンダースンは毛布にくるまって後部座席で丸くなっていた。
一方フィルは、前部座席でリードと経済学の話をしていた。話にはリードの3人の補佐、バイロン・ニーフ、ユージェニア・シンガー、ヴィクター・メネゼス、それに、かってプリンストン高等学術研究所の所長を務め、いまはラッセル・セージ財団とサンタフェ研究所双方の委員を務めるMITのエコノミスト、カール・ケイスンも加わっていた。

 なるほどリードは、アダムズがいったとおり、なかなかの人物だった。
頭がよく、率直で、話は理路整然としていた。

 ニューヨーク界隈では、大量解雇をしたことでこきおろされていたが、じかに会ってみると、穏やかで、気取りのない人物であるように思えた。
 どうやらこの頭取は、座席の肘掛に脚を1本だらりと掛けて話すのが好きらしかった。
相手がノーベル賞受賞者だからといって、おじけづくようなことはないのだ。この会合を楽しみにしていた、自分がかかわっているラッセル・セージ財団や他の学究的な会合を楽しみにしているのと同じ理由からね、と彼はいった。

 「そういった類のことが楽しくてね。私の毎日の仕事とはまったく違う見方で世界を見ている学究的な知的集団の人間と話ができるからね。世界を二つの目で見られるようになる」と、彼はいう。

 そしてこのときは、世界経済に対する自分のひねくれた見方をどうやって学者仲間に説明したらいいかをあれこれ考えて楽しんだと、彼は回想する。
「銀行家たちにそれを説明する場合とは明らかに違うからね」

 アンダースンにとってこのサンタフェへの旅は、物理学、経済学、そして予測のつかない地球レベルの資本の動きをめぐるすばらしい放談の会になった。
 彼はリードの補佐の一人が会話から取り残されまいとしていることに気づいた。
何枚ものセーターを重ね着して震えているユージェニア・シンガーが、リードのために彼女が用意した経済モデル(連邦準備銀行や日本銀行などが使っている世界経済の大規模コンピュータ・シュミレーション)の調査結果についての話に、加わろうとしていた。
 たちまちアンダースンは彼女が気に入ってしまった。

 じつはシンガーは機内の温度ゆえに震えているわけではなかった。
「ジョンが私にやらせたことにビクビクしてたんです!」と、彼女は笑う。
 彼女には数理統計学の修士号以上のものはなかったし、その分野で最近仕事をしたこともなかった。
「それを知った上で、ジョンは私をあの場にいかせノーベル賞受賞者たちと話をっせたのよ!あの専門レベルにはついていけそうになかったわ」
  彼女はいう。
「ジョンからいわれた仕事にノーといおうとしたのは、あとにも先にもあのとき1度だけ。でもジョンはいとも平然と何気ない調子で、「ああ、ユージェニア、うまくやれるよ。君のほうがみんなよりよく知ってるさ」」。
 そんなわけで彼女はやってきた。そしてリードのいうとおりだった。

 アダムズとコーワンの2人が座長を務める会合がはじまったのは翌朝の8時、サンタフェから10マイルほど北にある観光牧場、ランチョ・エンカンダードにおいてだった。

 出席者は12人。
その中にはコーワンの旧友、ニューメキシコ・パブリック・サービス・カンパニーの会長でこの会合を資金面で支えたジェリー・ガイストもいた。
 この会合は科学的な意見の交換の場として設けられたわけではなかった。
双方が互いに相手方を説得し自分がやりたいことをなんとかして相手にやらせようとする、いわば自己宣伝の場だった。

 オーバーヘッド・プロジェクター用資料を何枚も携えてきたリードが、口火を切った。
基本的に自分にとっての問題は、経済分析を無視するように進行していく世界経済システムに自分が身動き取れなくなっていることだと、つぎのようにいった。

 既存の新古典派の理論ともっぱらそれに頼ったコンピュータ・モデルからは、リスクと不確定性を前にリアルタイムで決断していくのに必要な情報が得られない。
 こういったコンピュータ・モデルには信じれらないほど複雑なものがある。
あとでシンガーがくわしく説明するが、たとえばあるモデルは世界を4500万の方程式と6000の変数で記述している。
 にもかかわらず、そういうモデルのどれ一つとして社会的、政治的要素を扱っていない。
しかし、そうした要素こそしばしばもっとも重要な変数なのだ。

 そうしたモデルのほとんどは、モデル化する人間が金利、為替レートといった変数を手で入力していくことを前提にしているが、まさにこうしたものこそ銀行家が〈予測〉したいと思っている量なのだ。

 また実質的にすべてモデルが、世界は静的な経済均衡からそれほどずれたりはしないと仮定しているが、実際には世界はたえず経済的ショックや大変動に揺さぶられている。

 要するに、大規模なEconometrics計量経済学的モデルから自分たち銀行同業者が得るものといえば、本能的にわかるようなもの、つまり想像できるような結果ばかりだ。





参考記事

単位根と共和分 [編集]

 1960年代まで、古典的計量分析において時系列データを用いた回帰分析では、データそのものに対する考察はほとんどなく、そのまま最小二乗法などが適用されていた。主にマクロ計量分析では、高い決定係数を示す分析結果が多く、それは結果の妥当性を示すものと認識されていた。

 これに対し1970年代に入ると、ノーベル経済学賞のGrangerが無関係なランダム・ウォークに従う変数同士を回帰させた場合、無関係にもかかわらず、回帰係数の値が統計的に0でない値になり、高い決定係数を示し、同時に低いDurbin-Watson統計量を示すことをモンテカルロ分析から明らかにした。
 この結果の意味することは、1970年代以前に計量経済学で検証されてきた様々な経済モデルが統計的には全く意味がない可能性があるということである。
 この画期的な論文を発表する前は、計量経済学者および統計学者からはあまり評判がよくなかったが、彼らも実際に分析したところ、同様の結果を得たことから次第にデータそのものに対する考察が進められてきた。

 1970年代から急速に研究が進み、1980年代に入るとP.C.B.Phillipsが金字塔とも言えるべき論文をEconometricaに掲載する。
同じ号の次の論文が、Grangerがノーベル賞を取る理由の1つとなった共和分に関する論文であった。これらの論文により、単位根および共和分の検定が普及することとなる。



いまだ、“しんかろん”。
「種の起源」出版記念日、改訂の始まりとなる。




みち草・・・・「複雑系」

2012-11-23 09:00:00 | アルケ・ミスト
 そんな中、連邦政府の基金提供機関がどう出てくるかが大きな謎だった。
百万ドルといった大金を提示してくれるはずもなかったが、国立科学財団のナップの後継者エリック・ブロックはは、研究所がどうしても必要とする1万ドル程度の着手資金を寄付することには前向きのようだった。

 コーワンの旧友でエネルギー省の研究部長をやっていたアルヴィン・トリヴェルピースもそうだった。
ブロックはこの二つが共同で資金提供する可能性すらほのめかしていた。が、問題は、研究所が正式な提案書を作成し、それを承認してもらうまでは、何事もはじまらないということだった。
 全員が依然として非常勤で仕事をしていることを考えればゆうに二年はかかる。すでにコーワンにはほとんど運営資金がなかった。サンタフェ研究所はもがき苦しんでいた。

 というわけで、1986年3月9日の取締役会はほとんど、資金を提供してくれそうな人間の名前をあげるブレーン・ストーミングに向けられた。
いろんな案が飛び交った。そして会議室の後方でテーブルの一番端に座っていたボブ・アダムズが遠慮がちに手をあげたのは、会議も終わり近くのことだった。
 アダムズは、この会議が開かれる少し前に、ラッセル・セージ財団は、Social science社会科学系の研究に基金を提供しているところだ。その折、彼はシテイコープの新任の頭取で友人のジョン・リードと話をした。

 リードはじつに興味深い人間だと、アダムズはつぎのようにいった。
彼は47歳になったばかりだったから、アメリカでもっとも若い頭取の1人である。アルゼンチンとブラジルで育ち、父は両地でアーマー・アンド・カンパニーの役員をしていた。アダムズはワシントン・アンド・ジェファーソン・ユニヴァーシテイで一般教養の学士号を、ついでMITで金属学の学士号を取り、さらにMITのスローン・スクールで経営学の修士号を取った。 
科学の知識がひじょうに豊かで、どうやらラッセル・セージの理事会で学究的な人間とあれこれアイデアをこねますのを楽しんでいるようだ、と。

 それはともかく、委員会の休憩時間にできる範囲でリードに研究所の話をしたところ彼はとても興味をもった。
自分には百万ドルを寄付する力はないが、世界経済を理解する上でもしかするとこの研究所が役立つかもしれない、といっていた。
 話が世界の金融市場になると、彼は、プロのエコノミストたちはボーッとしている、ときめつけた。

 前任者のウオルター・リストンのもと、シテイコープは第三世界の債務危機の中で大損をした。
シテイコープは一年間で十億ドルの損失を被り、焦げついている百三十億ドルのローンに手を焼いている。銀行おかかえのエコノミストたちは、それを予測したばかりか、彼らの助言で事態はさらに悪化している。

 だからリードは、まったく新しい経済学のアプローチが必要かもしないと考えていて、サンタフェ研究所がこの問題に取り組むことに関心があるかどうかを調べてくれないかといっている。
 リードみずからサンタフェにやってきて話をしてもいいといっているが、どうだろうか?

 アダムズの話が終わったとき、「私は一も二もなく、「そいつはすごい提案だ!」といったよ」と、パインズはいう。
コーワンがすぐあとに続いた。「彼にここにきてもらおう。必要な金を手だてはする」。
 ゲルマンら全員が相槌をうった。
しかし彼らのだれがみても、経済学のような複雑なものに取り組むのは二十年は早かった----「それは、困難とはどういうことかの例のようなものだった」と、コーワンはいう。


 「そこには人間の振る舞いが絡んでいた」。だが、いまとなってはもうあとには引けなかった。
やってみる価値はあった。

 やあ、デイヴ。
フィル・アンダースンが電話でパインズにいった。そう、アンダースンは経済学に関心をもっていた。
 じつは、経済学は彼のちょっとした趣味だった。
それに、そう、リードとの会合が興味深く思えたのだ。でもだめなんだ。デイブ、いけそうにないんだ、とても忙しくてね。
 だけどね、フィル。
パインズはアンダースンが旅行嫌いであることを知っていた。うまくやればリードの自家用飛行機に乗ってこれるんだ、かみさんだって連れてこられるし、そしたら二人で自家用飛行機が楽しめる。
 そりゃ、すごいもんだよ。
ああいうジェット機は目的地まで直行してくれるから、六時間も短縮できる。
 ジョンと知り合いになって計画について議論するチャンスもできる。それに・・・・。
わかったよ、とアンダースンはいった。よし、いくよ。




みち草・・・・「複雑系」

2012-11-22 09:00:00 | アルケ・ミスト
 15ヶ月後、彼らは依然として待っていた。

あの興奮のあとにはかならず金がついてくるという自信があったと、当時を振り返ってコーワンはいう。
 「いわば抱卵の時期だった。事は急速に動いているように感じていた」。

だが、ただただ爪を噛んでいる者もいた。
「われわれは危機感を募らせていた。ある程度の勢いを維持しつづけていないと、支持を失うことになってしまう」と、パインズはいう。

 とはいえ、その時期がまったく生産的でなかったというわけでもなかった。
というより、多くの点でその15ヶ月は結構うまく動いていた。
コーワンらは2、3のワークショップを開くくらいの金を集めていた。また組織上の無数のこまごまとした問題をあれこれ考えていた。
 あるいはまた、ロス・アラモスの理論部門でピート・カラザズの腹心の部下だったマイク・シモンズを説得して非常勤の副社長になってもらったので、管理的な問題に関して、コーワンの肩の荷は軽くなっていた。
 
さらに彼らは、望んでいた例の社名も取り戻した。
当初、やむを得ず受け入れた「リオ・グランデ研究所」。
1年以上して、地元の会社がその名称を使いたいといってきた。
「結構ですとも。われわれが望んでいる名前を取り戻してくれるなら」と、彼らは答えた。するとその会社は、「サンタフェ研究所」の名を所有していた倒産寸前のセラピー会社からそれを買い取ってきた。
 交換が成立した。 

 しかしもっと重要なことは、コーワンらが、ゲルマンに大いに力を発揮できるような潜在的状況を巧みにつくり出したことだったろう。
ゲルマンはあいからわず1級の雄弁家だった。さらに彼は、知り合いを口説いて何人かの人間を研究所の委員会の新しいメンバーに引っ張ってきていた。
 「私はいつも相手が、「いや、忙しいので」というだろうと思っていたよ。ところがほとんどいつも、「もちろんさ!いついけばいいのか?そういう考えは私の好みだ。ずっとそれを待っていたんだ!」というではないか」と、ゲルマンはいう。

 しかし取締役会長----基金調達責任者----としては、ゲルマンはまったく何もしていなかった。
最大の礼儀をこめていうなら、彼は生まれながらの管理者などではなかったということだ。
 コーワンは腹を立てていた。
「マレーはいつでもどこかにいっていたよ」。
ゲルマンはあちらこちらに首を突っ込み、しかもそのかかわりは先はかならずしもサンタフェにあるわけではなかった。
 書類が机で山をなし、出先から電話も入れない。みなが気が狂ったようになっていた。みなが満足する形でその情況が解決したのは、1985年7月、アスペンのパインズの家での役員会議のときだった。

 ゲルマンは取締役会長を辞し、新設の科学委員会の委員長になることに同意した。
この委員会なら、彼も嬉々として研究所の知的な計画に打ち込めるというものだ。新しい取締役会長には、国立科学財団での任期を終えたばかりのエド・ナップがなりことになった。

 しかし、コーワンらが何度となく探りを入れたものの、頼みの百万ドルの天使は現れなかった。

大きな財団は、ちょっと薄っぺらな感じのするこういうアイデアには金を注ごうとはしなかった。
なにしろ当時は、レーガンの予算削減により、既存の研究プロジェクトが財団の手を借りようと必死になっているときだった。「われわれは現代的な世界が抱える大きな問題をすべて解決するつもりだった。大勢の人間に笑われたよ」と、カラザズはいう。


参考事項
Reaganomicsレーガノミックスの主軸は、減税、歳出配分転換、規制緩和とインフレ退治であった。
1.減税により、労働意欲の向上と貯蓄の増加を促し投資を促進する。
2.福祉予算などの非国防支出の歳出削減により、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカを復活させる。
3.規制を緩和し投資を促進する。
4.金融政策によりマネーサプライの伸びを抑制して「通貨高」を誘導してインフレ率を低下させる。
この政策群の理想的展開は、「富裕層の減税による貯蓄の増加と労働意欲の向上、企業減税と規制緩和により投資が促され供給力が向上する。経済成長の回復で歳入が増加し税率低下による歳入低下を補い歳入を増加させると共に、福祉予算を抑制して歳出を削減する。インフレーションは金融政策により抑制されるので歳出への制約は低下する。結果、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカが復活する。」というものである。
1984年には失業率の低下や景況感の回復がさらに強まったが、経常赤字のますますの拡大は日欧に莫大な経常黒字をもたらし諸外国へインフレを輸出しているとの批判を浴びることになる。

1985年秋に、プラザ合意が形成され、為替相場は一気にドル安となった。以後のアメリカ経済は1990年代初めまで輸出増大により経常収支が修正される一方で、国内需要が低迷し財政赤字は記録的に悪化した。



みち草・・・・「複雑系」

2012-11-21 09:00:00 | アルケ・ミスト
 研究所をどのように組織すべきか?

シカゴ郊外のフェルミ国立加速器研究所長のローバト・ウィルスンは、研究所が実験と密接につながっていることが重要で、理論ばかりでは瞑想だけで終わりかねない、といった。
 IBMの主任研究員、ルイス・ブランスカムは、部門の壁をもたず、人々が創造的に会話し、相互に影響しあえる研究所、という考えを強く支持した。
 「アイデアを盗むような人間がいることが重要だ!」と、彼はいった。

 第1日目の昼食までには参加者は熱を入れはじめていたと、コーワンはいう。
幸運にも、その日は典型的なすばらしい秋のサンタフェ日和だった。

参加者たちはビュッフェの列に並んでから盆を持って外に出ると、スクール・フォア・アメリカン・リサーチの庭で議論を続けた(この学校は、220匹のイヌを埋めた変人の女相続人がかって所有していた土地にあった)。

 「参加者たちは何かが進行していることに気づきはじめ、うち解けていった」と、コーワンはいう。
2日目の日曜日までには「情況はとてもエキサイテイングなものになった」そして月曜日の朝、参加者たちが家路につくころまでには、ここは科学の中核が存在し得ることを疑うものはだれもいなかったと、彼はつけ加える。

 カラザズ個人としては、週末を天国で過ごしたようなものだった。
「なにしろ全世界の、多くの分野の、それもとても創造的な人間が多数集まっていたのだからね」と、彼は続ける。

 「結局彼らには互いにいいたいことがたくさんあったんだ。彼らは基本的に同じ世界観を有していたんだ。つまり、「新しい統合」とは科学の再構築ということ、異なった科学の共通のテーマを新しいやり方で統合することだと感じていた。ジャック・コーワン、スタンフォード大学の生物学者マーク・フェルドマン、それにいろんな数学者と議論したよ。われわれはみな異なった研究の世界からきていながら、テクニックの上でも仕組みの上でも、抱えている問題がひどく重なっていることを発見した。そう、人間の頭というのは働き方が同じということかもしれない。ともかく、あのワークショップでわれわれはみな本物の信者になってしまった。あれを宗教的体験と呼ぶつもりはないが、十分それにちかいものだった」

 ロス・アラモス研究所のエド・ナップは、当時、国立科学財団の理事としてワシントンに出向していた。
彼は研究所構想の話がもちあがったころから何度か議論に加わっていた。その彼にとって、多くの秀でた人間といまこうして場を共にしているというのは仰天ものだった。だから、カラザズに近づいてこういったものだ。

 「俺はここでいったい何をしているのかね?」

 スミソニアンのボブ・アダムズにとっても、同じようなものだった。
「それはものすごい論文の山だったね」と、彼はいう。
「あれこれ考えていても、どうにもつながりのようなものが見えてこない。そんなとき、あのサンタフェのシンポジウムのようなものに出かけていく。するとなんと、神経生物学だの、宇宙論だの、エコシステムの理論だのといったものの中に手がかりがあるではないか。となれば、そりゃ、かかわりたいと思うよ」

 参加者を総入れ替えしてひと月後に開催された2度目のワークショップも、最初と同じくらい効果的だった。
さしものアンダースンさえ感動した。「夢中にならずにいられなかった」と、彼はいう。
 このワークショップによって、懸念は晴れた。どうやらこの集まりは、彼が知っているどんな高級な研究所とも違ったものになるように思えた。
 「ずっと学際的なものになるように感じた。本当に彼らは分野のはざまに目をむけていた」と、彼はいう。その上、そこには何かがあった。「こういったものすべてが計画に乗るかどうかはわからなかったが、明らかに、そのうちの多くはそうなり得るものだった」

 しかしそれ以上の収穫は、このワークショップによって、統合科学というコーワンのヴィジョンがどのようなものかがそれなりにはっきりしたことだった。

 ゲルマンはこう回想する。
「驚くほどたくさん、類似性があった。いろいろな分野のはざまにある問題の中に、ひじょうの多くの共通する特徴があった。注意深く見なければならなかったが、ごたごたしたものをいっさいよけてみると、それがそこにあった」

 とくにこのワークショップにより、どの話題にもその中心に多くの「エージェント」からなる一つのシステムがあることが明白になった。
そのエージェントは分子であるかもしれないし、ニューロンであるかもしれない。種かもしれない。消費者や企業かもしれない。しかしそのエージェントが何であれ、それらは相互の調査と拮抗をとおして、たえずより大きな構造へと自己組織化してく。たとえば、分子は細胞を、ニューロンは脳を、種はエコシステムを、消費者や企業は経済を形成する。

 それぞれのレベルで、新しい創発的な構造が形成され、それが新しい創発的な挙動を示す。

 つまり、複雑性とはじつは創発の科学だったのだ。
コーワンが言葉にしようとしてきたものは、創発の基本的な法則を見だすことだったのだ。

そしてほぼこの時期に、この新しい統合的な科学はそれにふさわしい名前を獲得した。
 複雑性の科学、である。


「この言葉は、われわれが使っていた「新しい総合」などよりずっとよかった。私が関心をもっていることすべてを包含していた。たぶん他の連中にとってもそうだったろう」と、コーワンはいう。
 こうして2度のワークショップの後、コーワンたちは船出した。あとは支援者が出てきて、彼らに資金を授けるだけだった。