しかし複雑さも、長いリストに載る一つの要素に過ぎない。
われわれの科学的知識をもってしても、「生命について、一般的に受け入れられている定義はない」と、「ブリタニカ百科事典」の生命の項にカール・セーガンがそっけなく書いている。
哲学者マーク・ベドウはこの問題について、「哲学の根本的な問題の一つだが、哲学者はあまり真剣に考えていない。生物学者も然りだ。彼らの典型的な反応は、両手を上げて放棄してしまうことだ。自然としての生命の性質は、水を調べて、「その本質はH2O だ」と言う類のものではない。生命は物質ではなく、はかない現象的なものなのだ」と主張する。
哲学者もこのジレンマにはお手上げで、「こんな問題に、純粋に哲学的な答えが可能なのだろうか?」とエリオット・ソバーは書いている。
このウィスコンシン大学の哲学者は、この疑問は究極的には重要なものでないと主張しており、「ある機械が環境からエネルギーを取り出し、育ち、自分の体を修理し、再生するとしたら、それが『本当に』生きているか、問う余地などあるのだろうか」と述べている。
しかしこのような機械があったとしたら、問題の解決どころか、かえって新しい問題を引き起こすことになる。
このように、人工的な有機体を文字通り生きていると見なすことに、多くの人は恐怖を抱くのではないだろうか。
現在ほとんどの人は、自然の生物の有機体と同じ物質で作られていない物は、生きているとは見なさない。
物理学者のGerald Feinbergジェラルド・ファインバーグと生物学者のロバート・シャピロは、「生命はすべて炭素化合物でできており、水性の媒体内で機能すると信じている人」をさす、「カーバキストcarbaquistsという言葉を作り出した。それにしてもいまだ、生命が他の形態では生じえないと、きちんと論じた人がいないのも確かだ。
いま生きていると見なされているものは、もしかしたらもっと高い次元の生命の一部に過ぎないのかもしれない。また生命の歴史の不幸な偶然によって、われわれには可能な生命のうちの非常に限られた部分しか見えていないのかもしれない。
そうするとわれわれが挑もうとしているのは、われわれの知っている特性のうち、どれがその部分に特有なものなのか、またどれがあらゆる生命に共通なのかを見分けることだろう。
今後われわれがどんな生命体を目にするのかは分からないが、それらはきっと〈ありえたはずの生命life-as-it-could-be〉(この言葉は、最初の人工生命会議を組織したクリストファー・ラングストンが作り出した)を創造したものになるだろう。
「もし科学者が広範な生命理論を打ち立てるつもりなら、非有機物によってできた物も生きている、と認める根本的な発想の転換が必要になるだろう」とラングトンは言う。
「ほとんどの生物学者は、いまのところおしなべて、これをためらっている。人びとが生きているというのと同じ意味で、これらが生きているとみなせるようになるためには、少々時間がかかるだろう。しかしわれわれはそれを実現するつもりだ」。
この本では、まさにこの、生命の過程そのものを創造することで世界の見方を変えてしまおうとする目論見について紹介する。
もしラングストンや彼の仲間たちがこの目標を達成したなら、人類は自分たちをもっと違った光のもとに照らし出すことになるだろう。
その時われわれは、自分勝手に決めた進化の階層の頂点に立っているのではなく、ほかにもたくさんの可能な形態を含む生命の、ある部分集合を代表する特に複雑な代表に過ぎなくなるだろう。
われわれのユニークな点は、自分を継ぐものを創造できる、という点にこそあるだろう。
人工生命は、現実に十分に進化した生身の生命に基盤を置く遺伝子工学のようなものとは、かなり違うものだ。
人工生命を手掛ける科学者は、実際に生命系を生み出し、進化させ、観察することのできる方法を作り出そうとしている。
進化の行く末を操作し、地球上の生命系の範囲を広げ、その先を目指すような努力が続けられている。
この大実験から、生命自身についてのもっと深い理解が生まれ、その機構をわれわれの仕事に役立てることが可能になり、きっと最終的には、生物系を司る自然の力強い法則が発見されるばかりか、もっと複雑な非線形型自己組織化の相互作用に潜む法則が見つけられるだろう。
この人工生命への探求に人間を駆り立てるものは、われわれの前に繰り広げられている込み入って理解しがたい自然を、「生命とは何か」という最も意味深い疑問を通して解き明かしたいという欲望なのだ。
いろいろな経歴を持った研究者たちが出した結論は、この疑問に答えようとするには、ただ観察をするだけでなく創造してみるべきだ、ということだった。
まず最初に一歩は、これが可能だと信じることだ。
信じるに足る証拠は、実際にいくつもある。次には実行してみること。それが人間の寿命と比べてかなり長い時間を要しても、進化的な時間尺度からいえば一瞬の話だ。
ともかく、この恐ろしいまでの研究はすでに始まっている。そこでこの本では、これにかかわるすばらしい人びとを紹介しようと思う。
彼らの研究の成果によって、われわれに生きていることの意味が分かるかもしれない。生命を作ることによって、ついにはlife生命とは何かを理解できるかもしれないのだ。
われわれの科学的知識をもってしても、「生命について、一般的に受け入れられている定義はない」と、「ブリタニカ百科事典」の生命の項にカール・セーガンがそっけなく書いている。
哲学者マーク・ベドウはこの問題について、「哲学の根本的な問題の一つだが、哲学者はあまり真剣に考えていない。生物学者も然りだ。彼らの典型的な反応は、両手を上げて放棄してしまうことだ。自然としての生命の性質は、水を調べて、「その本質はH2O だ」と言う類のものではない。生命は物質ではなく、はかない現象的なものなのだ」と主張する。
哲学者もこのジレンマにはお手上げで、「こんな問題に、純粋に哲学的な答えが可能なのだろうか?」とエリオット・ソバーは書いている。
このウィスコンシン大学の哲学者は、この疑問は究極的には重要なものでないと主張しており、「ある機械が環境からエネルギーを取り出し、育ち、自分の体を修理し、再生するとしたら、それが『本当に』生きているか、問う余地などあるのだろうか」と述べている。
しかしこのような機械があったとしたら、問題の解決どころか、かえって新しい問題を引き起こすことになる。
このように、人工的な有機体を文字通り生きていると見なすことに、多くの人は恐怖を抱くのではないだろうか。
現在ほとんどの人は、自然の生物の有機体と同じ物質で作られていない物は、生きているとは見なさない。
物理学者のGerald Feinbergジェラルド・ファインバーグと生物学者のロバート・シャピロは、「生命はすべて炭素化合物でできており、水性の媒体内で機能すると信じている人」をさす、「カーバキストcarbaquistsという言葉を作り出した。それにしてもいまだ、生命が他の形態では生じえないと、きちんと論じた人がいないのも確かだ。
いま生きていると見なされているものは、もしかしたらもっと高い次元の生命の一部に過ぎないのかもしれない。また生命の歴史の不幸な偶然によって、われわれには可能な生命のうちの非常に限られた部分しか見えていないのかもしれない。
そうするとわれわれが挑もうとしているのは、われわれの知っている特性のうち、どれがその部分に特有なものなのか、またどれがあらゆる生命に共通なのかを見分けることだろう。
今後われわれがどんな生命体を目にするのかは分からないが、それらはきっと〈ありえたはずの生命life-as-it-could-be〉(この言葉は、最初の人工生命会議を組織したクリストファー・ラングストンが作り出した)を創造したものになるだろう。
「もし科学者が広範な生命理論を打ち立てるつもりなら、非有機物によってできた物も生きている、と認める根本的な発想の転換が必要になるだろう」とラングトンは言う。
「ほとんどの生物学者は、いまのところおしなべて、これをためらっている。人びとが生きているというのと同じ意味で、これらが生きているとみなせるようになるためには、少々時間がかかるだろう。しかしわれわれはそれを実現するつもりだ」。
この本では、まさにこの、生命の過程そのものを創造することで世界の見方を変えてしまおうとする目論見について紹介する。
もしラングストンや彼の仲間たちがこの目標を達成したなら、人類は自分たちをもっと違った光のもとに照らし出すことになるだろう。
その時われわれは、自分勝手に決めた進化の階層の頂点に立っているのではなく、ほかにもたくさんの可能な形態を含む生命の、ある部分集合を代表する特に複雑な代表に過ぎなくなるだろう。
われわれのユニークな点は、自分を継ぐものを創造できる、という点にこそあるだろう。
人工生命は、現実に十分に進化した生身の生命に基盤を置く遺伝子工学のようなものとは、かなり違うものだ。
人工生命を手掛ける科学者は、実際に生命系を生み出し、進化させ、観察することのできる方法を作り出そうとしている。
進化の行く末を操作し、地球上の生命系の範囲を広げ、その先を目指すような努力が続けられている。
この大実験から、生命自身についてのもっと深い理解が生まれ、その機構をわれわれの仕事に役立てることが可能になり、きっと最終的には、生物系を司る自然の力強い法則が発見されるばかりか、もっと複雑な非線形型自己組織化の相互作用に潜む法則が見つけられるだろう。
この人工生命への探求に人間を駆り立てるものは、われわれの前に繰り広げられている込み入って理解しがたい自然を、「生命とは何か」という最も意味深い疑問を通して解き明かしたいという欲望なのだ。
いろいろな経歴を持った研究者たちが出した結論は、この疑問に答えようとするには、ただ観察をするだけでなく創造してみるべきだ、ということだった。
まず最初に一歩は、これが可能だと信じることだ。
信じるに足る証拠は、実際にいくつもある。次には実行してみること。それが人間の寿命と比べてかなり長い時間を要しても、進化的な時間尺度からいえば一瞬の話だ。
ともかく、この恐ろしいまでの研究はすでに始まっている。そこでこの本では、これにかかわるすばらしい人びとを紹介しようと思う。
彼らの研究の成果によって、われわれに生きていることの意味が分かるかもしれない。生命を作ることによって、ついにはlife生命とは何かを理解できるかもしれないのだ。