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「漱石と寅彦」

2014-03-30 06:44:39 | colloidナノ
(続き)
(イグノラビムス)象徴化するが、現象の世界ではない私たちの概念的図表が、現象の世界に投射されている限り、又幾何学的観念、及び他の純粋に概念的な限界に対応する実在性を発見しようと試みられている限り、私たちは無智であるし、又将来も無智であろうと考えられる。
そんなことをしている限り、私たちの知覚的経験を概念的速記法に依って説明するのではなく、記述するにある科学の目的は誤れているのである。
一度、感官印象の変化は実在的であり、運動と機構とは記述的概念であるという事が明瞭に認識されたならばヂュ・ポア・レイモン兄弟の第一、第三の問題と、彼らのイグノラビムスの叫聲とは無意味なものになってくる。機構が純粋に概念的記述であるとすれば、物質と力と「隔たった作用」とは、魔法使いと青い牛乳のような問題である。

概念に於いて運動するものは幾何学的観念であり、運動すると考えられるが故にそれは運動するのである。
如何にそれは運動するかということが、極めて重要な問題となってくるが、それは私たちの過去の経験を記述し、未来の経験を預言する可く、私たちの機構の調整される手段だからである。此の運動が如何にしてというのが、次に転じねばならぬ点である。
運動の法則は、最も広い意味に於いて、すべての物理的科学を包含している---恐らく何であれ、すべての科学と言っても言い過ぎではないかも知れない。

すべての法則は、フォン・ヘルムホルツの説明する所に依れば、究極的に運動の法則中に吸収されねばならない。形質遺伝というような、あれ程複雑した現象すらも、ヘッケルの主張では、根底に於いて運動の転移である。

変化が如何に生ずるかを記述する科学の力が強ければ、科学は充分何故にということを無視することが出来るのである。
少なくとも心理学が、その立ち留まっている所に立ち留まる限り、科学はエミール・ヂュポア・イレエモンの第二のイグノラビムスすら受理するに充分な程先へは進まないであろうが、意識とは何であるか、又何故感官印象の順序が存在するだろうかという事に関しては、科学は今の所、「イグノラビムス」といって満足している。



摘要
物質の概念は、物理学者や、「常識的」哲学者連中の著述の中の定義を探した所で、矢張り曖昧であることが解る。
それに関する困難さは、概念的象徴の現実的ではあるが、知覚できない存在を主張することから生ずるように思われる。
感官印象の変化は、外的知覚に対する適当な名称であり、運動とはこの変化の私たちの概念的な記録の適当な名称である。
知覚に関して、「何が運動するのか」及び「何故に運動するのか」と言う疑問は馬鹿げたものだと解った。
概念の領域にあっては、運動する物体は単に記述出来る運動を伴った幾何学的な概念に過ぎない。
ヂュポア・レイモンのイグノラビムスと言う三つの叫びに就いて言えば、制限された意味に於いて、唯第二のものだけが科学的に価値があり、その他のものは訳のわからぬものである。と言うのは物質、力、及び「隔遠作用」等は現実的世界の実在的問題を言い表す言葉でないことが解ったからである。




失敗は成功の元とは言えども、正に失敗続きのアインシュタインが博士論文を仕上げた。
丁度その時に生涯の恩人ともなるマルセル・グロスマンの父の計らいで、スイス特許局の二級技師としての斡旋に応募したのは1901年末、12月18日であった。
その論文は『毛細管現象からの推論』として知られている。(マックスプランク編集の「物理学年報」4巻513-523)

その時の願書から、生活の様子が読み取れよう。
「1900年秋から1901年春まで、私はチューリッヒで家庭教師をして過ごしました。この時期にそれと並行して、物理学の勉学を完全なものにし、私の最初の科学論文を作成致しました。1901年5月15日から7月15日まで、ヴィンテルト工業学校で臨時の数学教師として勤務致しました。1901年9月15日以来、シャフハウゼンで家庭教師をしています。
私は、勤務当初の2ヶ月間に、同地で、気体運動論のテーマで博士論文を作成し、一ヶ月前に、チューリッヒ大学哲学部第二分科に提出致しました。」



丁度その頃の漱石は、「近頃は英学者なんてものになるのは馬鹿らしいような気がする」(藤代禎輔あて6月19日)
9月にはあの有名な“コスモポリタン”の所感を述べた手紙を、寺田寅彦に送った。

そして、12月18日には正岡子規あての最後の書簡を送った。相撲や伊藤侯爵(マーキス・アイトー)等に触れたあと。

「・・・・僕はまた移ったよ。五乞閑地不得閑ゴタビカンチヲイテカンヲエズ、三十五年七処移サンジュウゴネンシチショウニウツルなんと三十五年に七度居を移す位な事では自慢にならない。僕なんか英吉利へ来てからもう五返目だ。今度の処は御婆さんが二人、退職軍人大佐という御爺さんが一人、まるで老人国へ島流しやられたような仕合さ。この婆さんがミルトンやシェークスピアを読んでいておまけに仏蘭西語をペラペラ弁ずるのだからちょっと恐縮する。『夏目さん、この句の出処をご存知ですか』などと仰せられる事がある。『あなたは大変英語がお上手ですが、よほどおちいさい時分から御習いなすったんでしょう』などと持ち上げられた事もある。人豈自ら知らざらんや。冗談言っちゃいけないと申したくなる。こちらへ来てお世辞を真に受けていると大変な事になる。男はさほどでもないが、女なんかはよく“wonderful”などと愚にもつかないお世辞をいう。下手な方に“wonderful”ですかと皮肉をいうこともある。・・・・今や濃霧窓に迫って書斎昼暗く時針1時を報ぜんとして撫腹ハラヲブシ食を欲する事頻りなり。この美しき数句を千金の掉尾として筆を擱く。12月18日


正岡子規の直筆書簡発見 編集の新聞廃刊惜しむ大室一也  2014年3月29日15時32分朝日新聞デジタル

人生如斯(かくのごとき)ものかと観じ候(人生こんなものかと観念)――。俳人・正岡子規(1867~1902)直筆の書簡が五島美術館(東京都世田谷区)で見つかった。正岡子規の直筆書簡発見 編集の新聞廃刊惜しむ



「漱石と寅彦」

2014-03-23 06:48:28 | colloidナノ
⑬ 物質は何故運動するのか?

私たちには、物体は何故運動するのかという第二の疑問を論ずる余裕は余りない。併しこの疑問に対する解答は、第一の疑問によって明らかにされたに
相違ない。若し私たちが何故感官印象は一定の仕方で変化するか?と言うつもりならば、---その時既に意識、知覚的能力の性質、及び近くの順序を考慮した場合のこの点に於ける知識の可能性とは何か、ということが解っているのである。
若し、感官印象物質的群を概念化する幾何学的象徴は何故一定の様式で運動するのか?と言うつもりならば、---解答は次のようである。


即ち多分推察を加えると、此等の運動の形式に依って、私たちの知覚の順序の過去を記述し、将来を推測する事が最も良く出来るということが発見されたと言うことである。
併し何人かが、運動の概念的象徴を現象化することを主張すれば、科学はこの何故に物質は運動するかと言う疑問に対し、私たちには解らないと答え得るに過ぎない。地球が実際に焦点に在る太陽の周囲を楕円を描いて運動すると仮定し、次いで其れは何故かと言うことを分析してみよう。

さて概念的にはこの運動は太陽と地球との基本的部分の一定の相対的運動から作り出されているのである。若し此等の基本的部分が、相互に存在する時一定の相対的加速度を持つとすれば、地球は太陽の周囲に一つの楕円を書くであろうと言われている。
此等の基本的部分は原子として、或いは原子の群として考えられるかも知れない。併し仮説を脱する爲め、簡単にそれらを物質の微粒子と呼ぼう。そこで二つの微粒子が相互に存在する時は、何故一定の様式で相互に相対的に運動するのであるか?引力の法則に依ると言うのでは解答にならないであろう。
その法則は、単にそれらが、どんな風に運動するかを記述するに過ぎない、---即ちそれは私たちには解らないと言うのを避けるための、形而上学的な言い方なのである。

互いにグルグル廻って踊っている二人の人を見ると、私たちは彼らが欲しているいるが故に、意思あるが故にそうしていると考える。一人が他の一人を支えているのでない限り、彼らはお互いの運動を強制しているとは言い難い。踊りをば、彼らの共通の意志に帰するのが、私たちが踊りに対して与え得る唯一の説明である。
お互いの周囲を踊っている物質の究極的微粒子を見る時、ショペンハウエルのように、意志は意識の存在を示し、意識と言うものは意識と結合した物質的感官印象の一定の形式なくしては論理的に推論され得ないが故にと言って、踊りをば踊ろうする共通の意志に帰して了うことは困難である。
このように意志は、運動の原因として何等かの意味があるとしても---意志がそうした意味を持っていないことは私たちの既に見た所であるが、---物質的微粒子の踊りに関して少しも助けとなるものではない。
科学的に言い得るすべては、その運動の原因が、その相対的位置にあるということであるが、併しこれはそうした位置にある時に、何故運動するかと言うことの何んの説明にもなるものではない。

既に充分言い尽くしたので此処で再び考察する必要はない。併し力は或る時には感官印象であると言われている---即ち私たちは力の「筋肉的感覚」を持っていると言われる。私は手を以て一つのものを押そうと思う。そしてその意志が行為となってゆくに従い、力の働きと呼ばれる「筋肉的感覚」が生ずる。併し何故にこれは運動の変化、乃至私の指先の微粒子の相対的加速度の感官印象ではなくて、力の感官印象なのであろうか?このことも、所詮力の「筋肉的感覚」は意識あるものと結合して居ると言うこと、又人の運動ある変化の主観的方面であると言うことを付加して見よ。そうしたらそれが絶対的に何故物質的微粒子が運動するかと言う理由を明らかにし得るものでないと言うことが解るのである。力は「何も客観的なものに対する名称ではない」とテイト教授は書いている。そうした矛盾に面と向かっては、運動の理由に関する何か明瞭な説明が、力の観念から抽出されると仮定するのは止めた方がよくないだろうか?

だが微粒子は二人の踊り手のやうに、手を繋、一方が他方の運動を「強制」しないものだろうか?仮に微粒子が90000000哩離れているにせよ、この手を繋ぐのは不可能だと言ってはならない。
光はエーテルの助けに依り、この90000000哩を容易に通過すると考えられるでものであるが、微粒子はエーテルと言う手段を用いて手を繋がないのだろうか?
すべての科学者は、未だ如何にしてそうなるかを考へたことがないにも不抱、兎に角、概念的に、そうであることを希望している。だが仮にエーテルを現象化し、その助けに依って、何百万哩の距離を隔てた作用を記述出来るにせよ、問題は矢張り残されるだろう。
エーテルの二個の近接した部分の相対的位置は、何故これらの部分の運動に影響するのか?
最初見ただけでは、二個の近接するエーテル要素は何故「相互に運動するか」を説明するのは、二個の隔った物質の微粒子が何故同じ運動をするかを説明するより、容易いやうに思われる。常識的哲学者は即座に一つの説明を持って待ち構えたている、それらは相互に引っぱたり、押したりするのであると。だがこの言葉は何を意味しているだろうか?
それは一物体が歪みを受けた場合に、その原形に戻ろうとする傾向であり、物体の諸部分の一定の相対的位置に於ける、その諸部分の一定の相対的運動に対する傾向とである。
だがこの運動は何故特殊な位置に伴われるものだろうか?今これは相対的位置というのが、大きな距離の代わりに、僅かな距離を含んだ所が違っているだけで、古い問題の蒸し返しである。
それを、媒質の弾性に帰しても、何にもならないだろう。というのは、それは、一つの事実に名称を付することに過ぎないのだから。事実、弾性の現象は概念的に記述されんと試みられたが、これは唯、近接せぬ微粒子、一定の相対的運動と結合される位置の変化から弾性ある物体を構成することに依るのみである。換言すれば、弾性の概念に訴えようとするのは、甲の「隔った作用」を、乙の「隔った作用」で「説明」せんとするに過ぎない。
エーテル要素の弾性がそうした配列の為であるにせよ、始めの運動を「説明する」には他のエーテルが必要とされ、その過程は無限に継続される可きものだろう。明らかに、エーテルの現象化は、何故物質は運動するかを説明する手段としては、絶対的に無意味である。同じ問題が、別の形態、何故エーテル要素は運動するか?でも矢張り残されているのである。そして此処では、如何なる解答も与えることが出来ない。機構を以て機構を「説明する」のでは、永久に先へ進むことは出来ない。機構の現象化を主張する人々も、究極的には、「此処からは私たちには解らない」と言わねばならず、又は同じことであるが、物質と力の中に避難しなくてはならなくなる。
パウル・ヂュ・ポア・レイモン(Paul du bois-Reymoud)に依れば、隔たった作用の問題は第三のイグノラビムスであるが、その問題は真実、エミール・ヂュ・ボア・イレイモンの第一のイグノラビムス、物質と力との性質の問題に一致しているのである。(未完)

 

アインシュタインのエーテルへの関心は先に触れたが、その頃の彼は毛細管現象に関して研究をしていたのだが、そこでボルツマンの気体運動論等との関連づけが閃いたと言うよりも自らの感官印象との共感を覚えたのであった。
「ドルーデの電子論とボルツマンの気体運動論は、アインシュタインにとってたまたま偶然に興味を持った二つの研究対象ではない。むしろ両者は、原子論的な考えを物理的・化学的問題へ応用した例なのである」(ユルゲン・レン)


「漱石と寅彦」

2014-03-16 11:18:14 | colloidナノ
⑫ 知覚的エーテルに関する困難

だが私は形而上学的な考えに就いて、既に充分語り尽くしてしまった。
事実という堅実な根底に戻って、運動しつつあるエーテルから引き出した端初原子に関する如何なる仮説も、現在科学的には受け入れられていないということを私たちは思い出さねばならない。

原子に対する典型的力学的体系で、原子が想像の領域からって、科学的速記法の一般に用いられる象徴になるという、私たちの知覚的経験を記述すべき広汎に普及した力を持っていることの示されたものは尚、未だないのである。その理由を求めるのは困難ではない。

即ち私たちは若し出来れば、エーテルの運動から端初原子を構成しようと思っているが、私たちのエーテル概念は現在極めて稚拙な限定を受けているのである。

エーテルが、歪みに抵抗する媒質として考えられねばならなぬと言うことは一致しているが、エーテル諸単位の位置の相対的変化に伴う相対的運動を、どうして最も良く表すかに就いては、確信がないのである。
完全な流体、完全なる膠質では未だ満足されず、エーテルの混乱した完全な流体概念を以てしても満足されてはいないのである。

エーテルを概念としてではなく、現象として取り扱うと、連続的な、且つ同一の媒質が、その諸部分のズレの運動に対してどうして抵抗を現し得るかを理解するに困難なことが解る。何となれば連続と同一とは、どんなに移動があった後でも、移動の前と同一であるあらゆるものを包含しているからである。
完全な膠質の観念は、次第に小さな要素が段々大きく廓大されてゆくに従って、構成上幾分の変化を含んでいるように思われる。
最後に、回転の運動とは違った如何なる相対的転移の運動も、絶対的に圧搾することが出来ない、という観念に依って拒否されているように思われる。

二つのものは、同一の空間を専有しはしないであろうが、運動が開始された時には、移り込んで来る或物の為に専有されない或る場所があるであろうと言っても、決して形而上学的逃げ口上ではないのである。

明瞭な事実と言うのは次のことである。
即ち概念に於いて、エーテルの運動している諸部分は点として表すことが出来、そして又これらの点に、私たちの知覚的経験を最も良く記述するような相対的速度、及び加速度をば付与することが出来る一方、而も尚、エーテルを現象的世界に投射するならば、それは直ちに、知覚的経験にあっては平行しない概念的限界として理解され、それでは窮屈に感じられるのである。

「重い物質」に関する、古い問題が胸に浮かぶ。
運動するエーテルの究極的要素とは何であるか?
又それは何故に運動するのであるか?
知覚的物質を、現象的なエーテルから作りだしてみよ。さうすれば再び、エーテル物質の性質に関する疑問が起こってくる。
精神は、再び点の運動の何処かに到達する迄、ボスコヴィッチBoscovichが仮定した所の大きさのない物質の究極的要素に到達するまで、呑気に休むわけにはいかなくなった。

私たちは自分が再び、現象的領域に於ける運動の実在性を主張することから生じた矛盾に包まれていることが解るのである。
再び、運動とは純粋概念であり、それは知覚的変化を記述するが、現象的世界に投射されれば説明できないような困難に包まれてしまうという結論に達せざるを得ないのである。



漱石が大著述を思い立ったのは1901年であった。
その年のアインシュタインは、ドルーデの電子論批判並びにボルツマンの熱力学第二法則の批判的発展を思い立っていた。
それが場の概念、エーテルへの関心であった事は言うまでもない。

「漱石と寅彦」

2014-03-09 13:33:59 | colloidナノ
⑪ 超感官的なるものへの物質的抜け道

さて読者は自然次のように問われるかもしれない。
エーテルが、噴出、即ち端初原子に対して注がれる時、エーテルは一体どこから来ると考えられるのか?と。

エーテルに噴出を原子に対する模型的、力学的体系と考えるならば、丁度私たちがエーテルと原子それ自身が何故現れるかを説明する必要がないように、その有効性を証明す可くこの問題に答える必要なないのである。
私たちの見地をもってすれば、もしそれに依って知覚的経験が摘要され得るとならば、それは概念として正しいのである。だが概念的なものを知覚的領域に投射しようとしている人々が沢山居るから、私はその問題を務めて暗示的に答えよるとしよう。

2枚の不透明な平面を水平的に二つ一所に重ねておき、その間に一匹の平たい魚、例えばヒラメを生かしておくような水を入れておくと仮定しよう。
さてそうすると、その魚の知覚は前方、右又は左の運動には制限されいるだろうが、垂直的に上方と下方とは魚には知覚することの出来ない、従って、恐らく考えることの出来ない運動であることは明らかである。
次に私たちは概念の中を、知覚では理解することの出来ない限界まで進もう。
即ち、その魚がバタバタし始め、面が近くおしつけられるに従って水の膜が益々薄くなってゆくと仮定して見よう。すると魚の運動と水の運動とは、概念的な目的には一つの平面で起こったと考えられるかも知れない。
次に一つの面に孔をあけて、水を注ぎ込まねばならぬとすると、魚がその水が注ぎ込まれた附近に来た時に、新しい感官印象を経験するだろうことは明らかである。
実際水の流れで生じた圧迫は、魚にその水の迸っている周囲を廻らせるかも知れない、---即ちそういう噴入は魚には硬くて突抜けることが出来ないのである。
単に水の運動であると言へ、さうした噴入から出来ていると聞かされたにしても、その噴入が何処から起こったものか、魚には考えることは出来ないであろう。
前からでも後ろからでもなく、右からでも左からでもない。
何故ならば、それは此等すべての方向に流れいるからである。

私たちが水は垂直的に上方、又は下方から来たのだ、空間には別に方向があるのだ、---即ち、平面国の作者が巧みに言っているように「自分の腹の上側の方向と外側の方向」があるのだと言ったとすれば、ヒラメは私たちを気狂いだと考えてしまうだろう。

もしヒラメがその噴出を通過して、自分の空間に出ることが出来るとすれば、---物質を通り抜けて外の方向---ヒラメはその噴出が何であり、物質が実在的に何から出来上がっているか、知覚される新しい世界に到達するであろう。
針の孔を通って、平面国の物質を外へ通り抜けて、ヒラメは丁度私たちが、前や、後ろや、右や、左やへも進む様な三次元の空間の天国に到達するであろう。
辻褄の合うように言えば、それは感官印象の面の後ろを突き抜けることになるだあろうから。

さて、このヒラメの比喩は、いくら骨を折っても、その概念が知覚を超えた実在性の中に投射されねばならぬ自己の形而上学的傾向を抑止することの出来ない人々の為に、特に企画されているのである。
この形而上学的思考の危険は、それが感官印象の「彼方」にあるもから現象の世界に移る時に、私たちの知覚的経験と屡々矛盾するということに或のである。

そこで端初原子が如何に構成されているかということに就いて、すべて私たちの知覚的経験に適合した(即ち非常に厳密にそれを象徴的に、記述することの出来るような)適切な概念は、形而上学的な頭の人に、知覚的なものを、象徴化しない何物かに移る可く抜け道を残しておくかも知れぬので、従って又、独断的に超感覚的なものに属しているように考えられるかも知れないのである。
私たちの空間からエーテルの噴出を通って外へ、物質を通って外へ、私たちは丁度ヒラメのように概念の中で他次元の空間に移るのである。

この空間は幾年もの間、幾人かの最大の形而上学者連の、丹精こめた研究題目となって来たのであり、そしてこれは次のような利益を持っていたのである。
即ちこの高次の空間に関して導かれた結論から、私たちの知覚的経験の空間へと移る際に、更に古い形而上学から、私たちの物理的経験へと移る時多く見られるような、矛盾に包まれて了はないというのである。

物質という入口から入ってこられる此処、この新しい遊び部屋の中で、形而上学者と神学者連は、しばらくの間安全に感官的なものの彼方に蜘蛛の巣を張り回していることが出来るのだが、その蜘蛛の巣は、知識という住み心持ちの良い部屋の邪魔になる時は、何時でも科学という箒で掃き去られて了うのである。

高次空間の領域に於いて正しい探索の為めに求められる必要な数学的装置は、兎に角「感官的なものを超えた」軽率な遠征に対する護りとなるであろう!
恐らく疑わしいことだが、端初原子の構成に関する適切な概念が、知覚的事実であると解る時が万一来たならば、もし、そうした概念が四次元の空間の存在を含んでいるとすれば、---物質の入口を通って外へという、超感覚的なものに関する科学的理論の通り路の準備に、私たちの友人達は有力な援助をしたことになるであろう。


「愛・鯛」を召し上がる時に、愛媛産だとは知らないでいるが如く、3次元を2次元で、その逆に2次元を3次元で語られるその質感を、知らないで味読されている事は決して少なくはあるまい。

例えば漱石のあの有名なくだり、自然派と浪漫派のかけあいなども、また然りと思う。








「漱石と寅彦」

2014-03-02 12:06:40 | colloidナノ
⑩ 渦輪原子とエーテル噴出原子

エーテルの運動から原子を構成する為に、先ずそれ自身硬くもなければ、又形の変化に抵抗もないようなエーテルが、どうして硬さの感覚とその運動に依る抵抗とを生ずると考えられるかということに関して幾分の観念が獲得されねばならない。
ある一般的観念で次のような、即ち普通の回転出来る独楽をとって、非常に注意してその脚で立って平均をとるようにして行くと仮定する方法で、運動の特殊な形式に依って生じる一種の抵抗と言うことが容易に考えられる。
一寸でも手を触れたならば明らかに独楽は覆ってしまう。
独楽は手の運動に対して何の抵抗をも現さないのである。若し独楽の脚が関節結合の周囲を廻るとすれば、元の垂直の位置に戻ろうとするであろう。
幾つかのさうした回転している独楽は、独楽の高さよりも低い距離で、テーブルの上を滑らせてゆく手に大きな抵抗を現すであろう。
この例は、恐らく読者にどうして運動の一定の形式が硬くないような物体を充分硬くさせるかと言うことを明瞭に説明するであろう。物体を硬くするような運動の他の例は、煙草の愛好家よく知っている煙の輪である。
さう言った二つの煙の輪が結合しようとせず、互いにくぐり抜けあったり、お互いの周囲や、その途中に入って来る固いものなどの周囲をゆらいだりしており、その上その相対的な運動は、密接にその相対的な位置に依存していると言うことが解るのである。

さて私たちは煙の輪が、煙の中にある微量の湿気の為に、丁度微量の湿気が蒸気に見えるようにガスの混合物に見えると言うことを知っている。そう言う輪が渦輪と呼ばれ、そして若し空気や水の中ではなく、私たちの概念的に完全な流体の中のそう言う輪の働きを研究して見ると、それらが原子と同じようにそれら自身の個性を保っていることが解るだろう。
それらの個性は結合されるが、創造も、破壊もされないのである。
これがロード・ケルビンの物質の渦輪理論の基礎、---即ち氏の理論に依れば端初原子はエーテルの渦輪だと言うことなのである。渦の運動、即ち液体中に於ける回転しつつある液体要素の助けを借りて、液体でもズレの歪みに対して求められる程度の抵抗を現す程硬められると考えられ、従って完全な膠質としてのエーテルを、混乱した状態では完全な流体と取りかえることが出来るのである。
これが所詮回転エーテルと言うものであり、その性質はドクター・ジェー・ラアモア(Dr.J.Larmor)に依って展開された。

かくしてサア・ジョージ・ストークスの一寸した粘着としたと言う仮説なしですませることが出来る。しかし今後私たちがエーテルと原子に関する概念を作り出そうとする方針にとっては、これらの観念がどれほど暗示的であるにせよ、その観念は現在作られている所のものからは、遥かに遠いものであり、且つ本著者が余り望みをかけていない渦輪の理論---殊に引力を推論する理論の中には、かって克服され得ないような多くの困難が存在している。

ロード・ケルビンの理論は、原子の実体は常に運動しつつあるエーテルと同じ要素から出来ていると仮定している一方、その著者は敢えてその理論を押し進めて、エーテルは矢張り完全な流体であると見られるが、個々の原子は常に同じエーテルの要素から出来上がってはいないと言っている。
この理論では、原子とはエーテルが空間のすべての方向に流れる、エーテルの噴出と呼ばれるような点であると考えられている。
エーテルの中に於けるエーテルの噴出は、かように、噴出する場合、噴出口の仕掛けなしで済ませる場合を除いて、水の中で抜かれた噴出口のようなものである。
二つのそうした噴出はエーテルの中に置かれると、エーテルが噴出に注がれる平均の割合に対応して、丁度引力の作用を受けた微粒子のように、互いに相対的に相方の塊を運動させるものである。
噴出の群の相互作用に影響された場合、噴出の割合の周期的な変化から、化学的作用、粘着、光、電磁気等の多くの現象を推論することが出来る。

事実エーテルの噴出と言うものは、相当範囲の現象を記述できる概念的機構のように思われる。
勿論それは陰の物質、即ちエーテルの凹みの概念を含んでいる。何故ならば、圧搾できない流体中に噴出された量は、少なくとも外へ出てしまう量と等しくなければならないのだから。

しかしエーテルの噴出と、エーテルの凹みとは互いに反発すると考えられねばならなぬが故に、私たちの宇宙の諸部分が、陽の物質から出来ていると考えざるを得ないというものは何等驚く必要はないのであり、陰の物質、即ちエーテルの凹みは遥かその前に、エーテル噴出の範囲を脱してしまっているのであろう。




理化学研究所はあの両大戦の狭間、大正6年に半官半民の財団法人として設立された。

大正13年と言えば大震災の翌年であるが、その4月18日の寺田寅彦の日記。
「朝学校へ大河内君が来て理化学研究所員にならぬかと相談があった」


そこでの寅彦の研究は「墨流しの研究」等が有名である。


その理研の最新のリリースを見ると、電子スピンが渦状に並んだ磁気構造体「スキルミオン」、つまり渦巻に関するシュミレーションを見たときに、その昔ロード・ケルビンが提唱した「渦輪のスポンジ」を思い出していた。

一度は忘れかけられた、古典力学の残影と看做されていたのであるが、ここに復活!!というべきであろう。


独立行政法人理化学研究所


余滴
大正10年、仁科芳雄が英国やドイツを旅行して、コペンハーゲンのNiels Bohrのもとに6年間滞在し帰国したのが昭和3年となる。
その成果が電磁場の量子論を築いていく。



「漱石と寅彦」

2014-02-23 12:36:32 | colloidナノ
⑨ 「完全な流体」、「完全なジェリー」としてのエーテル

読者は確かに流動的であり、弾性的であると粗雑に記述されるような知覚的物体の二つの形式をよく知って居られる。此等二つの形式の見本として、水とジェリーとをとってみよう。
実体として水とジェリーとは、或点では著しく一致していると共に、又在る点に於いては著しく相違して居るのである。若し水とジェリーとをシリンダーの中の底部に近づけて入れ、重量のあるピストンの助けに依ってそれらを圧搾しようとすれば、その圧搾は知覚できないか、出来たにせよ、事実頗る僅かな量のものであるということが解るであろう。
精巧な装置を用いて注意深く試験してみると、これらの実体は圧搾され得るものではあるが、その圧搾の量はかりに測定されるにせよ、例えば空気が同じ重量のもので圧搾される時の量と比較して、遥かに微小なものであることが解るのである。
この結果は、水とジェリーとは共に歪み、即ち大きさの変化の一形態に対して大きな抵抗を現すと言うふうに言い表されるのである。
私たちの知覚的経験の働く限り、すべての大きさの変化に絶対的に抵抗する実体、即ち大きさの変化がそれに対して不可能であるような実在は存在していないのである。故に圧搾され得ない実体と言うものは単に、現象の世界にはその等価物を持たないが、知覚の裡に発した過程(或いは圧搾される物体の分類)を無限に押し進めることに依って概念の裡に於いて到達されるような概念的限界であるに過ぎない。

この水とジェリーとの一致した点から、両者の相違した点に転ずると、木片、又はナイフの刃をジェリーの上に当てて下に押したとすると、ジェリーを二つの部分に切り、分かつ為には、幾らかの力が必要であるが、之に反して水は何等感覚的な抵抗を受けることなく木片で分たれると言われるのである、さて此の場合関係してくる形の変化と言うのは本来ズレであり、水はズレる歪みに対して何等抵抗を示さぬが、ジェリーは相当な抵抗を示すと言われるのである。
此処で再び抵抗の量の問題が関係してくる。私たちの知覚的経験の働く限り、すべての流体は相互にその諸部分のズレに対し僅かであるとは言え幾分の抵抗を現すものである。
圧搾に対しては絶対的な抵抗を現し、しかもその諸部分---即ち互いに何等摩擦的作用の性質なく相互にズレあうような諸部分---のズレには絶対に何の抵抗も現さぬような流体は、唯概念的な限界である。そのような流体が完全な流体と呼ばれる。
之に反して、圧搾することの出来ないジェリーの場合に反対の限界の進むことに依って、即ち其れはズレによる形の変化に絶対的に抵抗すると仮定することに依って、圧搾に依っても、又ズレに依っても、其の形態を変化することの出来ない一物体が得られ、かくして概念的限界、即ち剛体に到達するのである。若し圧搾に対しては絶対的な抵抗を、又ズレに対しては部分的な抵抗を仮定すれば、恐らく完全なジェリーとして記述されるような媒質が概念の裡に持たれるようになるのである。

そこでエーテルに戻ってみると、物理学者はエーテルを圧搾できないものと考え、しかも或る目的の為にはエーテルを完全な流体として取り扱っているように思われる、又他の目的の為には完全なジェリーとして取り扱っているように思われることが解る。
このことは最初一見した所では概念の矛盾、衝突のように思われ、又疑いなくそれは現在物理学者が徹底的に克服し切っていないような困難さを含んでいるものである。
若しエーテルが純粋に概念的なものだと考えられれば、異なる状態の現象を記述する為には、確かにそれは、或る性質のものであり、次にその他の性質のもと先ず自由に考えられる可きなのである。しかしそうすることには、現象の二つの状態を同時に摘要し、しかも、二つの状態が同じ研究の下に於いて取り扱わるべきでないとしても、論理的矛盾に導き入れられないような、もっと広い概念の為の余地が残されているというのは明らかなことである。

かくして完全な流体としてのエーテルの運動形式から原子が記述され、又完全なジェリーとしてのエーテルから光の放射が記述されるとすれば、原子が発光の源泉として取り扱われる場合、エーテルが同時に完全な流体であり、そして又完全なジェリーであると言う概念に依って私たちが重大な混乱に陥るのは明瞭なことである。


事実私たちはこれら二つの概念の間に何等かの調和を見出そうと努めざるをえない。
一つの暗示として知覚的経験に目を転ずるならば、水がジェリーの根本成分であり、そして、多少膠状の物質を加えたならば、幾分抵抗あるジェリーになる程に硬くなり得ると言うことが解るのである。
同様の方法に依って、ズレに対するその抵抗に従って分類される、完全な流体から出来ている一系列の完全なジェリーを考えることが出来るのだが、それはあらゆる粘着の諸段階を通って完全な剛体に迄なるのである。
そこでこの系列のジェリーの中からその一つを選び出すことが出来るが、それは一定の大きさのズレの歪みにとっては感官的に完全な流体であり、他方もっと小さな歪みの場合には、発光の理論の中に含まれているような、完全なジェリーとして働く所のものである。

これは一八四五年、サアー・ジヨージ・ジ・ストークス(Sir George G. Stokes)に依って提起された解決であり、『エーテルの膠質理論』と呼ばれるものであろう。

エーテルの膠質理論は疑いなく沢山の物理的現象に関する私たちの概念を、単純化する価値あるものであるが、しかしそれは端初原子の基礎として未だ研究を要する或るエーテル運動の体系と、果たしてどこの程度迄調和し得るものであろうか?

ここでは私は唯一寸と簡単にしか言及し得ないような別の可能性がある。---即ちエーテルは完全な流体として考えられるべきであるが、このエーテルの運動に一定形式が原子に対応すると同じように、運動の諸形式はエーテルを硬くする為、乃至エーテルに弾性的な剛性を与える為に用いられるということである。
エーテルは完全な流体であるかも知れない。しかし、その運動が紛糾しているが故に、一定目的の為には完全な膠質として働き得るのである。この仮定は、端初原子が構成されているかも知れぬエーテル運動に就いてもう少し説明すれば、更に良く理解されるであろう。




ところで、ストークスは友人のケルビンとは恰も棲み分けるかのように電磁気などを避けて、縮まない液体の解析に専念していた。あの「膠質理論」の時分は誠に豊かな収穫の時分であったことか。
その一つの例はファラデーであろう。彼もまたあのグラハムとは棲み分けるかのようにあった事は時分の花と言うべきか。
それらは別の機会に譲ろうと思う。




「漱石と寅彦」

2014-02-16 12:24:06 | colloidナノ
⑧ 運動せる非物質としての物質

現在のところでは、「硬い、そして重い物質」が運動しつつあるエーテルだとされるだろうことが科学の大きな希望なのである。
他の言葉を以てすれば、若し感官印象の物理的群に対する象徴的基礎として概念的エーテルの運動の一形式がとられれば、或いは、少し厳密ではなくも、はっきり言えば、若し私たちの現象的宇宙に対する象徴的記述が無限に単純化されるだろうことを発見する可能性が充分あることになるのである。かくして、私たちの硬さ、重さ、色彩、温度、粘着、及び化学的構造等の感官印象は、すべて単一の媒質の運動の助けに依って記述される得るものであり、その媒質それ自身は何等硬さ、重さ、色彩、温度、及び普通知覚されるような弾性も事実持っていないと考えられているのである。
このことは私たちの科学的記述力の測る可かざる偉大な進歩を意味している。しかもその時になっても、物理学者等が概念的なるもを感官印象の圏外に投射し、エーテルの現象的存在を主張するならば、私たちは矢張り運動するものとは何であるか、エーテル物質とは実際何から出来ているかということに関して無智であらねばならぬであろう。

従って物質に関して、物理学者及び、常識的哲学者等に依って作り上げられている種々な言葉の分析は、それが悉く形而上学的であると言うこと---即ち彼らは感官印象の彼岸にある何物かを記述しようと企画しており、それゆえに良くいって独断であり、悪くすると矛盾していると考えられるということを示している。

若し私たちが自分自身を論理的関係の領域に限るとしても、現象的宇宙に運動しつつある物質を見るのではなく、感官印象、感官印象の変化、同時的存在と連繋、相関関係と順序とが見られるのである。
この感官印象の世界をば、科学は無限に広がっている媒質に依って概念の裡に象徴化し、その媒質の種々な運動の形式は、感官印象の色々な群に対応しており、それに依って此等の群の相関関係、及び連携が記述されるのである。

この媒質の運動しつつある要素は、思惟の裡においては幾何学的観念、即ち点、又は連続的面としてのみ考えられるものである。
私たちの象徴的な表、又は絵を、より良く知覚的経験に一致させる為には、此等の幾何学的観念に一定の相対的位置、速度、加速度等、即ち運動の法則と呼ばれる一定の簡単な法則中に、言い表される関係を付与させるのが必要であると解るのである。


私たちが概念的図表の運動しつつあるものを物質と呼ぼうとした所で、若しこの概念的な物質を、感官印象の実体としての、知覚的に運動するものとしての、空間を満たすものとしての、又重いとか、硬いとか、不加入的であるとかと言う風に限定され得るものとしての何か物質の形而上学的観念から注意して弁別するならば、物質という言葉に対しては何等反対はあり得ないのである。
このように概念的物質とは、単に私たちの外的の知覚の順序を記述する助けとなる一定の相関連した運動が付与された幾何学的観念に対する名称であるに過ぎない。

今後この著に於いて物質と言う言葉が用いられるのはこの意味に於いてであり、さもなければ私たちは明らかに形而上学者のいう物質のことを言ってしまうのである。
「重い」物質というのは、個々の単一に結合された感官印象の物質的群と呼ばれるものを表す概念的象徴に対する名称であろうし、一方エーテル物質は感官印象の他の状態、特に異なった物質的群に属する感官印象の空間、時間内の関係を記述する象徴に対する名称であるだろう。
私たちはその概念を知覚の領域に於ける知覚不可能なものへと投射しないであろう(!)

流行している物理的観念を批判するために必要なる限りの外は。科学とは概念的速記法に依る知覚的経験の記述であり、この速記法の象徴は一般には知覚的過程に対する観念的限界であり、何等厳密な概念的等価物を持つものではないという見地は一貫して企画され、保持されるであろう。

「運動しつつある非物質に物質」を還元し運動しつつあるエーテル物質に重さある物質を還元することは、重要であり、それに依って現象の科学的分析は単純化され得るが故に、私たちはその論の為に幾頁かを割かねばならない。
重さある物質の基礎的要素、即ち恐らく化学的原子それ自身が作られると考えられる可き要素は、端初原子と呼ばれるであろう。
かくしてエーテルの中に於いて、如何なる形式の運動が端初原子に対して可能な形態として提起されたかが尋ねられねばならない。それに関係する二つの提起が或るが、そのいづれもがエーテルに対する同一構造の仮定の上に依存して居るのである。此処でこのエーテルの構造を幾分明らかにするために簡単な枝葉にわたる論をしなければならない。


ロンドンに留学中の漱石がその翌日の新聞記事に目を止めて、その日のうちに寅彦へと書送った。
そのリュッカー教授の講演が終わるとリュッカーに対する感謝決議の動議が出され、ケルヴィン卿がそれに賛成演説をした、と立花太郎の論文にはある。

彼は前年のつまり1900年4月に「熱と光の力学理論を覆う19世紀の暗雲」と題する講演を行っていた。その暗雲の一つこそが、正にエーテルの問題であった。






「漱石と寅彦」

2014-02-09 16:58:07 | colloidナノ
⑦ 硬さは物質の特性ではない
さて、私たちには通俗にとされている物質に属している他の特性、即ち硬さを取り扱うことが残されている。
或る人達は、物質の性質に関する人々の無知がもちだされと、人は物質の存在と性質とを有効に証明するには、その頭を石の壁にぶっつけて見さえすればよいと言って満足して居る。
さてこの言葉に何等かの価値ありとすれば、唯単に硬さの感官印象なるものが、それらの人達の考えの中では物質の存在の本質的証明だると言うことを意味し得るに過ぎない。併し私たちの中の何人も、硬さの感官印象の存在が、他の一定の恒久的群の感官印象に結合して居ることを疑うものはないのである。
私たちはそのことを子供の時代から知っているし、今更その存在が試験的に証明されることを要求しはしない。
それは、後に説明するように、科学に依って私たちの肉体と外部の物体の一定部分との相対的加速度という言葉で記述されると考えられ筋肉的感官印象の一つなのである。
しかし硬さの感官印象が何故、柔らかさの感官印象に依って説明されると考えられる以上に、物質の性質に関して説明し得るかということを把握するのは困難である。
一般に物質と呼ばれ、しかも確かに硬くないものが沢山あるのは明らかである。又更に運動するもの、或いは空間を満たすものとしての物質の限定は満足させるが、事実硬さ、又は柔らかさという性質の或る感官印象を生ずるにはいささか隔たって居るようなものである。
又私たちが物質とは重いものだると言えば、その定義は満足されないにせよ、重さは確かに感官印象の物質的な群として、硬さよりも広く普遍的な要素である。

太陽と遊星との間に、物体の原子の間に、物理学者はエーテルが存在すると考えて居り、そのエーテルはその振動に依り、電磁的、光学的エネルギーが一物体から他の物体へと移動する手段となる道路を構成する媒質なのである。
第一にエーテルとは、その助けを借りて概念的空間に種々なる運動が互いに関係される純粋概念である。
これらの運動は、種々なる現象の群の間に知覚される連繋、及び関係を、私たちが簡単に記述する記号である。
このようにエーテルとは私たちの知覚的経験に投射し、その実在的存在を主張するのである。
この主張は、実在的実体、即ち物質は感官印象の群の背後にあると言う仮定同様、論理的でもある、又論理的でもないと言うのが正しいと思われる、両方ともに現在では形而上学的な言葉である。

だがエーテルは硬いか、重たかに考へられねばならず、しかもそれは引き伸ばされたり、又その諸部分が相対的な運動をなしうると言うことの何等それ以上の証拠となるものはないである。

更にテイト教授の見地を以てすれば、それは空間を専有すると言う。故に物質を硬さと重さに結合させる人達は、エーテルが物質である、と言うことを拒否するか、さもなければそれを非物質と呼んで満足せねばならんぬ。
それと同時に形而上学者連が---よし空間と、感官印象の恒久的実体との両者の現象的存在を主張する唯物論者であて、又或いは私たちに頭を石の壁にぶっつけるように言う「常識的」哲学者であれ、---物質とは運動するものであり、空間を専有するものであり、硬さと重さとを有する物であると言う時に、絶望的に相反した結果に到達するのは、少しの価値もあるものではないのである。




ところで、「ニュートン力学」とわれわれのその意識とは随分違っている。と改めて気づいて見るのも興味深いことであろう。

それはおよそ300年という時空を省みることとなるのだが、つまり1713年の「プリンキピア」の一般的注解等がそれである。

これまで天空とわれわれの海に起こる諸現象を重力によって説明してきたのですが、重力の原因を指定することはしませんでした。
事実この力はある原因から生ぜられるのです。・・・・けれどもわたしは仮説を立てません。

要するに、重力の成因ないし絡繰りについては好きなように解釈してもらえば良いと言うことで、さしあたってこのかぎりでは---ということは数学原理の範囲内では----ニュートンにとって万有引力とは数学的関係にすぎず、それ以上の存在論的意味を問うところではない。

つまり彼は、力が「HOW」如何に作用するのかのみを考え、「WHY」何故作用するのかを問おうとはしなかったのである。

このニュートンの方法論こそが18世紀そして19世紀のみならず、漱石の時代にも生き続けていたのである。


「漱石と寅彦」

2014-02-02 12:42:38 | colloidナノ
⑥個性は実験に於ける同一性を示さない

個々の原子は破壊されない、又不加入的なものであるという仮説は、原子から構成されている物体の一定の物理的、化学的性質を私たちが説明するに充分なものである。

併し物理的変化に際しての原子の連続的存在と、化学的結合の分解の際のその個有性の再成とは、個々の原子の不破壊性、不加入性以外の、他の仮説からも導かれ得るものであろう。

そのことは時を異にし、且つ場所を異にし、時には連続的にすら感官印象の同じ群を経験するが故にという論理的必然性、又此等の感官印象の基礎の上に、全く同じ物があるに違いないという論理的必然性は伴わないのである。

一つの例が読者に、私が何を言っているかを明瞭に示すであろうし、同時に、原子の不破壊性と不加入性とが、仮説としてはどんなに有用であるにせよ、矢張りそれは絶対的に必要な概念でもないということを証明するであろう。それによってよし原子が現象世界の知覚することの出来ないものに投射されるにせよ、感官印象の恒久的群の基礎的要素としては、何時、また如何なる場所に於いても変化することのない個々の在る物があるに違いないと言うことにはならないであろう。

現象的物体の恒久性と同一性とは感官印象の個々の群の中に存しているのであり、概念から現象に投射された、知覚することの出来ない在る物の同一性の中に存して居るのであろう。


海面の波の例を引用しよう。波は私たちにとって感官印象の群を作るものであり、私たちは波を、一個のものであるかの如く眺めたり、又話したりするのである。略

さて私は、この波の例を二つの理由から引用したのである。
先ずその例に依って原子が原子によって突き抜けられ、且つその実体が一瞬間一瞬間変化しつつあると考えることが出来、而も同時にそれは化学的結合をした後、その物理的恒久性と、個々の再生の可能性とを妨げるものではないと言うことも全く考えられることであり、その場合は私たちには明らかに第一に特殊な概念を実在的現象の世界に投射する権利もなければ、従って又それ自身突き抜けられる物質はその究極的要素、即ち原子に於いて不加入的であると強硬に主張する権利もないのである。明らかに不加入性なるものは、知覚に於いてもまた概念に於いても、感官印象の物質的群の欠くべかざる要素ではない。
また更に、さうした群の恒久性と、同一性とは、必ずしも恒久の概念、及び、群に対する同一実体を含むものではない。


この波の例を引用した私の第二の理由とする所は、「物質とは運動するものである」という言葉に含まれている可能性を明らかにする点にある。
波は一瞬間液を構成する実体中の特殊な運動形態から出来ている。この運動形態それ自身は、水の面に沿って運動する。それゆえに私たちは、実体の他に、何か或ものが運動していると考えられる、即ち運動の形態が考へ得られるということが解るのである。
結局の所、若し運動しつつあるものとしての物質が、運動の形態ということで最も良く概念の中に表され得るとすれば、運動とは何であるか、そしてこの場合にもその実体が同一であるろうか、どうだろうか?この提議については、その結果が特に得る所が多い故を以て、後にそれに戻るであろう。


波路はるかなる動向を、東京化學会誌が速報している。
1それが913年11月号「1912年に於ける物理化学の進歩」である。その一部を参考までに記しておく。

・イオンの移動速度の測定
ここで注目されるのはノイス及び加藤与五郎である。
彼は膠質、つまりコロイドに関しても造詣が深く日本では先駆者と言える。それは何れ取り上げることとなろう。

・吸着に関係ある他の研究など
ここでは寺田寅彦との関係において記憶も新たとなろう。それがフロイドリッヒ等の紹介である。


・晶態と膠態との関係
そこにはハーデイーの名も見える。



余滴
数日前の夜分にSTAP細胞の速報を聞いた時に、直ちに脳裏を過ぎったのは、丁度100年程前のJacques Loeb( 1859年4月7日 - 1924年2月11日)が、あのオストワルド親子鷹の詰問に応えるためにの、苦渋の決断をもってバイオコロイド研究へと転じた事が蘇っていた。







「漱石と寅彦」

2014-01-26 11:50:54 | colloidナノ
⑤「不加入的で、硬いという物質に関する「常識的」見解」

物質が不加入的であるという場合、如何なるものも其れを突き抜けて通り得ないと言うことは出来ない。

鳥は平らなガラス板を抜けて飛ぶことは出来ないが、光線は頗る容易に其れを通ることが出来る。光線は厚い板を突抜けることは出来ない。併し電気の振動の波は突抜けることが出来る。
これらの光る、電気の波の運動を記述する為に、物理学者達はすべての物を突抜け、且つすべての物を貫通するエネルギーの通過の為の媒質となるものを考えている。

物質とはそれゆえに絶対的に不加入的なものであるとは考えられないのである。

或いは物質が不加入的なものであると主張された時は、それに与えられている意味を忘れているのではなかろうか?
私たちは原子の実在的存在を仮定し、しかる後にそれらの群の個々のものを不加入的であると考えるべきではなかろうか?
此処で再び困難が生ずるのである。原子が物質的群の概念的分析の、最も簡単な要素とは考えられないと言うことを、物理学者に説きつけるような沢山なことがある。

ベルが鳴らされた時と同じように、空気を動かして、音を出して見よ。さうしたら原子は鳴らすことが出来、空気ではなくエーテルを運動させることが出来、私たちが其れを言い表せるように、エーテルに音を出さすことが出来ると考えられる。

これらの音は私たちに一定の光学的感官印象を生ぜしむるものである。---例えば、希薄な気体のスペクトラムの輝線のやうなものである。

物理学者は水素の原子と酸素の原子とを、未だ嘗てそのいづれもをも見たことがないにも不抱、それらから生ずると考えられる異なった光の印しに依って弁別する。

物理学者は実際に原子が歪みを生じ、即ちその形を変化しつつあると考えざるを得ないと言うことが解る。この概念に依り、原子はその相対的な位置を変化し得る異なった部分から出来ていると考えられるのである。その相対的運動によって、スペクトラムに於ける輝線の感官印象が記述されるこれらの原子の究極的部分と言うのは何であるか?私たちは未だ何の概念をも作っていない。

エーテル、又は何かその他のものは、原子のこれらの究極的部分を突きぬけることが出来るだろうか?私たちは何も言うことが出来ない。

私たちの知識の現状では、原子を加入的であると考えるか、或いは不加入的であると考えるかが、事実を単純化するか、単純化しないか何とも言われない。
それゆえに、よし例えば原子に現象的存在という概念を与えようとも、それは物質が不加入的であるという主張の如何なる意味であるかを理解する何の助けにもなるものではないだろう。


さて1913年はゾル-ゲルの臨界点の如く記憶されるのではないかと思われる。とは言っても焦臭いグローバルな問題ではない。

「漱石と寅彦」である。

漱石は修善寺の大患を経て意識されたとも言われる「則天去私」。
その翌年には辞表を提出するも遺留され、ようやく書き始めた「彼岸過ぎ」は1912年の1月1日。
その12月から「行人」を書き始めるも再び、病臥に伏す。

その続編となる「塵労」を完結したのが1913年の事であった。

その1913年10月5日の和辻哲郎あての手紙は驚きと感謝を込めての拝復、「私は今道に入ろうと心掛けています。たとい漠然たる言葉にせよ道に入ろうと心掛けるものは冷淡ではありません。冷淡で道に入れるものはものはありません」と言明されている。

他方、寺田寅彦は帰朝してから、まるで闇夜に星座を探すが如く苦心惨憺の揚げ句、x線分析に独自の「Laue映画」と称した手法に目処がたち結果を得ることが出来た。
その論文をNatureへと速報したのが1913年3月18日と4月6日であったのだ。

光る原子、波うつ粒子の始まりである。