トウデイクムの時代の生理化学のいわゆる指導者が、ふさわしい形で忘却のかなたに去ってしまうまで、脳の化学の主題全体を新鮮な形で照らし出したこれらの発見が、ほとんど完全に無視されたというのはどうしたことだろうか?
トウデイクムは、ヴィクトリア朝のイギリス生理化学で重要な位置にあった誰の弟子でも助手でもなかった。
そのうえ、彼はドイツとイギリスの双方で、当時既成の科学的権威にそむくという不幸をしょいこんだ。
彼の研究から、ただちに、神秘的な物質のプロタゴンが脳の主要成分であるというリーブライヒの教義の誤りが明らかにされた。
不幸にも、この考えには強力な支持者があった。
その中には、「生理化学雑誌」の創設者で編集主幹であったフェリックス・ホッペ=ザイラー、マンチェスターのオーウェン・カレッジの生理学のブラッケンベリー教授であるアーサー・ガムギーが含まれていた。
ホッペ=ザイラーは、疑いもなく、自分の弟子のリーブライヒの成果が誤りであるとの論証に憤慨していた。
また、トウデイクムがヘマトポルフィリンの分離において先んじたことを、ホッペ=ザイラーはねたんでいたかもしれない。
ガムギーは、トウデイクムの発表をはげしく攻撃し、プロタンゴの存在を確かめる意図をもった研究を発表した。
不幸にも、トウデイクムへの忠実な弁護の中で、彼の共同研究者の中の2人が、当時通用していた教科書に不利益な論評を下したが、当時重要な生理学者であったその著者の感情を害した。
こうして、ドラブキンの言葉を借りると、「新しい強力な敵がつくり出された」。
その時以降、プロタゴンは、その世紀の終わりまで、既成の権威によって支持されていた。
「フォスターの生理学教科書」への明らかに、権威ある生化学の補遺の中に、トウデイクムの脳についての輝かし研究にほんのささやかな言及すらもなしに、プロタゴンの考えが宣伝されていたことを認めるのは、ケンブリッジの人間としてとくに不面目なことである。
トウデイクムはプロタゴンの考えに対してきわめて批判的で、当時のこれほど多数の学問的な生理学者に支持されていた脳化学の誤った考えに正当で辛辣な解説者であり、弱い精神の持ち主なら大部分が圧倒されてしまったであろうような残酷な不公平さが彼に影響を与えなかったのはいちじるしいことであった。
彼は、自分が正しいことを知っていて、相変わらず彼の世紀におけるもっとも多才で輝かしい科学者の1人であった。
彼の時代の権威ある生理学者によるはなはだ不公平な名誉毀損にもかかわらず、トウデイクムは、ロンドンの医師の多数の同僚の間では愛情と尊敬で大切にされていた。
この仲間の中では、彼の天才、教養、人格と個性の暖かさは、高く評価されていた。
彼は西ロンドン内科・外科医師会の元気づけてくれる精力的な会長であった。
彼の音楽と文学の素養、さらにもっと重要なことには、彼自身の家族の愛情が、彼に必要とされていた支えを与え、名声を確立したが愚かな人たちの頑固な非妥協的な態度との長くつづいた闘いをなだめた。
トウデイクムは、医学と脳の生化学の範囲外の多くの問題にも興味を向けた。
それらのすべてを、彼は透徹力のある心と明晰な記述で明らかにした。
これは、1978年に出版された「ブドウ酒の研究」の中に十分に例が示されている。
この本は優美な版画の挿画で飾られている。その中には、簡潔な化学用語で、ブドウ酒の熟成についての混迷と紛糾を消散させ、また「芳香」の本性について啓発的な考えを述べている。
トウデイクムの研究の目ざましい特質は複雑な精製と分析に基礎をおいていることだが、しかも幅広い科学的および医学上の重要さを決して見失うことはなかった。
「脳は動物の経済の中で、もっとも驚くべき化学実験室である。その中で、タンパク質、リン酸化された成分、窒素を含む成分・・・が、最も洗練された性質をもつ能力の形成のために、もっとも変化に富んだ形で関係づけられている」と、彼は述べている。
彼の洞察力は、いろいろな形の精神異常に化学的根拠があることを予見していた。
彼は「慢性のアルコール中毒に随伴する精神異常が、身体の外での発酵によってつくられた比較的単純な毒物による蓄積された効果であるのと同じように、身体の中で発酵して生じた毒物の脳への物質への影響の外的なあらわれ」として精神異常が生じるのであるという考えをさえ提示している。
彼は、このように、今日、精神医学に一般的な生化学的損傷と自己中毒の概念の創始者であった。
彼は、実際に、このような異常な産物が「体制下された酵素かそうでないものに引き起こされたかは今のところどうでもよいとして、永続的な発酵作用」----事実酵素作用のかたより----によって生じると考えた。
トウデイクムと彼の成果についての簡単な記述を、彼の歴史的な本の最後の文で終わらせるのが適切であろう。
「つづめて言えば、化学の助けによって、現在はまだ不明瞭な脳と心の多くの乱れは正確に規定できるようになり、また正確に治療に服するよになるであろう。また現在、経験的な不安の多いやり方の対象とされているものも、精密科学の誇ってよい行使の対象となるであろう」
昨今に至り、アルコールをあまり嗜まなくなった。
そして寝酒にかえて「宝みず-ノンアルコール」、もしくは果物を少量欲するように変わってきた。
トウデイクムは、ヴィクトリア朝のイギリス生理化学で重要な位置にあった誰の弟子でも助手でもなかった。
そのうえ、彼はドイツとイギリスの双方で、当時既成の科学的権威にそむくという不幸をしょいこんだ。
彼の研究から、ただちに、神秘的な物質のプロタゴンが脳の主要成分であるというリーブライヒの教義の誤りが明らかにされた。
不幸にも、この考えには強力な支持者があった。
その中には、「生理化学雑誌」の創設者で編集主幹であったフェリックス・ホッペ=ザイラー、マンチェスターのオーウェン・カレッジの生理学のブラッケンベリー教授であるアーサー・ガムギーが含まれていた。
ホッペ=ザイラーは、疑いもなく、自分の弟子のリーブライヒの成果が誤りであるとの論証に憤慨していた。
また、トウデイクムがヘマトポルフィリンの分離において先んじたことを、ホッペ=ザイラーはねたんでいたかもしれない。
ガムギーは、トウデイクムの発表をはげしく攻撃し、プロタンゴの存在を確かめる意図をもった研究を発表した。
不幸にも、トウデイクムへの忠実な弁護の中で、彼の共同研究者の中の2人が、当時通用していた教科書に不利益な論評を下したが、当時重要な生理学者であったその著者の感情を害した。
こうして、ドラブキンの言葉を借りると、「新しい強力な敵がつくり出された」。
その時以降、プロタゴンは、その世紀の終わりまで、既成の権威によって支持されていた。
「フォスターの生理学教科書」への明らかに、権威ある生化学の補遺の中に、トウデイクムの脳についての輝かし研究にほんのささやかな言及すらもなしに、プロタゴンの考えが宣伝されていたことを認めるのは、ケンブリッジの人間としてとくに不面目なことである。
トウデイクムはプロタゴンの考えに対してきわめて批判的で、当時のこれほど多数の学問的な生理学者に支持されていた脳化学の誤った考えに正当で辛辣な解説者であり、弱い精神の持ち主なら大部分が圧倒されてしまったであろうような残酷な不公平さが彼に影響を与えなかったのはいちじるしいことであった。
彼は、自分が正しいことを知っていて、相変わらず彼の世紀におけるもっとも多才で輝かしい科学者の1人であった。
彼の時代の権威ある生理学者によるはなはだ不公平な名誉毀損にもかかわらず、トウデイクムは、ロンドンの医師の多数の同僚の間では愛情と尊敬で大切にされていた。
この仲間の中では、彼の天才、教養、人格と個性の暖かさは、高く評価されていた。
彼は西ロンドン内科・外科医師会の元気づけてくれる精力的な会長であった。
彼の音楽と文学の素養、さらにもっと重要なことには、彼自身の家族の愛情が、彼に必要とされていた支えを与え、名声を確立したが愚かな人たちの頑固な非妥協的な態度との長くつづいた闘いをなだめた。
トウデイクムは、医学と脳の生化学の範囲外の多くの問題にも興味を向けた。
それらのすべてを、彼は透徹力のある心と明晰な記述で明らかにした。
これは、1978年に出版された「ブドウ酒の研究」の中に十分に例が示されている。
この本は優美な版画の挿画で飾られている。その中には、簡潔な化学用語で、ブドウ酒の熟成についての混迷と紛糾を消散させ、また「芳香」の本性について啓発的な考えを述べている。
トウデイクムの研究の目ざましい特質は複雑な精製と分析に基礎をおいていることだが、しかも幅広い科学的および医学上の重要さを決して見失うことはなかった。
「脳は動物の経済の中で、もっとも驚くべき化学実験室である。その中で、タンパク質、リン酸化された成分、窒素を含む成分・・・が、最も洗練された性質をもつ能力の形成のために、もっとも変化に富んだ形で関係づけられている」と、彼は述べている。
彼の洞察力は、いろいろな形の精神異常に化学的根拠があることを予見していた。
彼は「慢性のアルコール中毒に随伴する精神異常が、身体の外での発酵によってつくられた比較的単純な毒物による蓄積された効果であるのと同じように、身体の中で発酵して生じた毒物の脳への物質への影響の外的なあらわれ」として精神異常が生じるのであるという考えをさえ提示している。
彼は、このように、今日、精神医学に一般的な生化学的損傷と自己中毒の概念の創始者であった。
彼は、実際に、このような異常な産物が「体制下された酵素かそうでないものに引き起こされたかは今のところどうでもよいとして、永続的な発酵作用」----事実酵素作用のかたより----によって生じると考えた。
トウデイクムと彼の成果についての簡単な記述を、彼の歴史的な本の最後の文で終わらせるのが適切であろう。
「つづめて言えば、化学の助けによって、現在はまだ不明瞭な脳と心の多くの乱れは正確に規定できるようになり、また正確に治療に服するよになるであろう。また現在、経験的な不安の多いやり方の対象とされているものも、精密科学の誇ってよい行使の対象となるであろう」
昨今に至り、アルコールをあまり嗜まなくなった。
そして寝酒にかえて「宝みず-ノンアルコール」、もしくは果物を少量欲するように変わってきた。