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「しんかがくの文法」

2021-03-22 11:23:14 | 膠識
 新型コロナ並びにトランピズムなどを想えば、心穏やかとは言われないだろうが、これらのような一過性の問題ではない「人新世」問題は既に時間との戦いに入っているらしい。

 「科学の文法」(科学概論)が思い出されてくる背景ともなった。

  進化論と共に歩み始める契機となった著者のその動機は、教科書問題であった。

第一版序 
 広く記されている力および物質に関する記述ぐらい言語道断に非論理的なものは想像するのも困難である。・・・かような教科書はほとんど教育的価値をもたぬという結論に達することを余儀なくされたのである。

第7章「物質」
① 「万物は運動する」- 但し概念においてのみ
⓽「完全な流体」「完全なジェリー」としてのエーテル
  実体として水とジェリーとは在る点では著しく一致していると共に、又在る点に於いては相違しているのである。

  一つの暗示として知覚的経験に目を転ずるならば、水はジェリーの根本成分であり、そして多少膠状の性質を加えたならば幾分抵抗あるジェリーになる程に硬くなり得るということが解かるのである。
 これはブラウン手法と言える。

  1845年ストークスによって提起された解決でありエーテルの膠質理論と呼ばれるものである。・・・端初原子の基礎として未だ研究を要するあるエーテル運動の体系と、果たしてどの程度調和し得るものであろうか。

  第1章へと戻ってみれば、過去40年間に人類社会の発達に於ける肝要な諸事実に関する渡したちの評価に、一の革命的変化が起ったので、・・・この新しい人生観に適応せしめることが必要になってきた。
  つまり19世紀中半からの科学革命が念頭にある。

  いま語られている地球問題は、2個や3個の地球では既に間に合わなくなっているともきく。
  SDGsの17の目標とか169もの標的などが産学とか官だけの問題で済むはずもない。

  膠智膠民、その心をもった『膠響子』からなる執拗低音、それはゼロの発見とも言うべき「空」膠観に重なってくる印度哲学。

  堀文子画(柳沢桂子文)「生きて死ぬ智慧」
・・・生命の根源に関心が集中しミジンコなど極微の生命宇宙を精力的に描くようになった。

  直ちに想起されてくるオストワルド親子のアメリカ大陸啓蒙活動時代。
1907年「コロイドの体系化について」は、息子の作品である。

  そこにみるBredig(1868-1944)の造語「ミクロ不均一系」

  われわれは直ちに思い出すであろう池田菊苗。立花太郎は池田菊苗とピアソンを結んで見せる。

  ところで調べを進めていくと・・・岡三郎氏が既に(夏目漱石)「文学論」の執筆にはピアソンの本が係っていたと推測していた。

  先生は更に彼らの哲学についても語っておられます。
エネルギー一元論。ではあるがオストワルドが語る世界観とは違った視座からのエネルギ~一元論である。

第8章 運動の法則
端折る事もできないから摘要の一部を転載しておく。

  私たちの取り扱わねばならぬ粒子は、エーテル単位、端初原子、原子、分子、及び微粒子である。・・・将来の進歩に対する希望は、エーテルの性質と、粗雑な「物質」の構成とのより明瞭な概念の中に掛かっている。

  カール・ピアソンならば、今何を誰との共同研究を希望するであろうか。更には教科書を執筆するのであろうか。

   



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