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ボロ「膠観」

2015-07-24 10:46:28 | 虚私
幽明境を異とする弟ではなく、その姉、鶴見和子が思い出されたのは南方熊楠とか、自らを山茱萸の花ではなくてその葉っぱに比喩して見せたそのことによるのだと思われる。

彼は60年安保。70年安保などをもって有名であるが和子は熊楠曼荼羅などで少しは知られているけれども、いつも弟に馬鹿にされているとは自意識であった。

彼らが学んだ頃にはパースは有名ではなかったのだし、今我々が読むことが出来る「SCIENCE AND PHYLOSOPHY」(1958)を考えてみればその時分は、浸透できないでいただろう。

西村肇は戦後のアメリカは変わったと書いているが、それはパースなき時分をもって語れるのかも知れない。

その「SIMPLICTY」は殊に味わい深いのはマックスウェルなどを髣髴とさせる記述にもあるが比喩としての“ゴム球”(elastic spheres)はその時分のアメリカらしいと思う。

そこに見るように物理化学を基軸としてその自然の均一性を解いているのパースは、ブリコジンはもとよりド・ジェンヌをも視座に納められているといっても過言ではない。





わたしの「膠観」とは何であったのか?
かように自問自答したくもなるけれども、今言えることは「目的の既視にはボロ膠観」それがパースの意識に上りかつ、和子の意識にも上ったに違いないところの、わたしの「膠観」である。