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Thomas Graham 20

2011-08-29 09:00:47 | colloidナノ
               世界化学年

執拗低音でもあるかのごとく纏わりついた拡散の、そのみちのべにコロイドの世界があった。

Thomas Graham は1869年9月16日に、その幽冥界を異としたのであったが、その同じ年の2月17日に、ドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフがあのperiodic table周期表を閃きその日のうちに仕上げる事に成功した。         
    
              

世界化学年というべき年を定めるとすれば、1869年を置いて他にはないと信じて好い。 



さて「かこさんのようになる!」って、一体どう言う事だったの?

あの⑨章は「化学のカレンダーをつくった青い鋭い目---ドミトリ・メンデレエフ」である。


君たちは少なくとも月に1度は床屋にいくだろうが、ドミトリ・イワノビッチ・メンデレエフときたら、年に1度しか散髪をしない人だった。しかし、その長くのびたかみと広いひたいの下には、青くすんだ鋭い目があった。
ぼうぼうのびたあごひげは、がっしりした肩や胸にたれていた。その眼光や体つきのようにメンデレエフは、物質のもとになる性質をズバリと見ぬき「化学のカレンダー」といわれる元素の周期表をみごごにまとめあげた大科学者であった。

どんなふうにしてそんな大科学者になったのだろうか?「化学のカレンダー」とはどんなものなんだろうか?

ドミトリは1834年シベリアのトポルスクで14人もの兄弟の末っ子として生まれた。父は高等学校の校長先生だったが、ドミトリが生まれた年、目の病気がもとで盲メクラとなってしまった。
気丈な母は、古いガラス工場をゆずりうけ、それを経営して大勢の家族をやしないながら、子どもたち一人ひとりを熱心に教育した。しかもそのなかで小さな教会をたて、日曜学校をひらいて村人のためにも力をつくした。


メンデレエフはペテルスブルグ大学を卒業し、やがてそこの先生になったとき、大きな厚い化学の本をかくことになった。その原稿をねりながらどんな順序にかいたらいいかまよっていた。

地球上の物質をこまかくわけてゆくと、当時約60の元素からなりたっているのがわかっていた。
たとえば、よく知られいる元素には水素・炭素・酸素とかがある。それを化学者は共通の記号H・C・Oなどであらわしている。しかしそれらの性質は、軽いもの、重いもの、臭いもの、はげしいものなどまちまちである。

なにかもっと整然として規則的な並べ方はないだろうか-----メンデレエフは考えた。そしてそれまでの学説と新しい実験結果をもとに、1869年ロシア化学会で一つの論文を発表した。その内容はこうであった。

①元素を原子量とよぶ重さの順に並べて表にすると、おなじような化学的性質・物理的性質のくりかえしがあらわれる。
②この表によって、いままで発表された原子量のまちがいを正しくすることができる。
③表のいくつかの空白のところはまだ発見されない元素で、その性質をくわしく予言できる。

このメンデレエフの考えにもとづいてまとめられたのが、「化学のカレンダー」とよばれている元素の「周期表」である。

その後元素の数は百以上になったが、
①でメンデレエフがしめした元素のくりかえしの性質はいまも変わらず、ますますその正しさがはっきりすてきている。
②の原子量の訂正は、白金の197が198、ウラニウム120が240など、数十をしめし、そのいずれも正しかった。
③の予言は十元素におよび、とくにエカボロン、エカアルミ、エカシリコンと仮にメンデレエフが名づけて予言した性質は、その後スカンジウム、ガリウム、ゲルメニウムとして発見されたとき、だれの目にもこの「化学のカレンダー」周期表のすばらしさがわかるほどぴったりあっていた。


カレンダーを見ながら、君たちが教科書の準備や休日の計画をねるように、この「化学のカレンダー」である周期表のおかげで、研究者や技術者たちはいろんな化学反応を考えたり、未知の化合物をつくる手がかりを見つけることができるようになった。
しかもこの周期表にしめされている元素のくりかえしあらわれる性質は、化学だけでなく自然科学全体の考え方にも大きな影響をあたえることとなったのである。

こうして1907年、73歳でなくなったこの青い目の大科学者を記念して、101番目の元素はメンデレビウムと名づけられている。



                       
あの1869年には大坂舎蜜局が開校された。

Thomas Graham 19

2011-08-28 12:57:18 | colloidナノ
グレーアムがこの世を去って、化学文献に長く痛恨の念を禁じ得ない一つの空虚が生じた。
かれが築きあげた困難な分野には、これまではまれに少数の協力者がいたに過ぎなかった。よほどの勇気と忍耐とがなければ、分子現象のみのり豊かな研究を妨げているこの大きい障害を克服するのに必要な献身をどうしてなし得ようか。同じ熱情と同じ精神力とをもって障害にひるまず、グレーアムが基礎をつくった大いなる建造物をさらに発展させるような第二の研究者は決して絶えはしない、今世紀をして生気あらしめた科学的精神こそはこれに対するより確かな証人である。


ひたすら科学への奉仕にささげられた一生の間に科学の表彰が与えられずにはいないことはあまりにも当然である。いずれの大学も、どの学会もグレーアムの名をその名簿に記入することを名誉としないところとてなかった。
とりわけかれの祖国の学術団体はきそってかれに尊敬と賞賛とをおくった。気体の拡散法則についてのかれの最初の大きい研究と同じ1833年にエジインバラの王立協会からKeith賞牌が与えられた。数年後ロンドンの王立協会から塩類の組成に関するかれの研究に対してRoyal賞牌が与えられた、1850年には同じ賞牌が再び与えられた、こんど授けられたのは気体の運動についての研究に対してであった。
最後に1862年に液体の拡散、浸透および特に液体拡散の物質分離への応用についてのかれの研究に対して、王立協会の与えうる最高賞で、多くの人々があこがれはするがきわめてまれにしか授けられないCopley賞牌が与えられた。
既に1847年にグレーアムはフランスの学会の寄稿者に指名され、1862年にパリのアカデミーからJecker賞を贈られた。またかれは1835年以来、わがベルリンのアカデミーの一員であった。

この一生の略伝を一応ここでおえることができはしたものの、筆者はグレーアムとは四半世紀のあいだ最も親密な交友関係をもって暮らしたことがあり、幸いにしてかれとならんでさんさんと太陽の輝くイタリアの平原やスイスのアルプスを、あるいはまたかれの友である故郷スコットランドのハイランドをさまよう機会にめぐまれたものであるが、最後にもうひとつ、この比類なき人の親しみやすい性格を回想することをゆるされたい。

ひょうきんな気分になることさえあったほど、子供らしいまでに快活な社交的の交わりで、いつも不思議な魅力にひきつけられて居心地のよいかれの屋根の下に集まった仲間に、かれは愛想よくあるゆる無邪気なじょうだんを言った。かれにすぐれた科学的研究をさせた崇高な単純性た謙譲性や正義感や真理愛がかれの友との交わりにもあらわれていた。最もささやかな境遇にあってもそれで容易に満足するもの、自負を去っておのれのはたらきを小さく評価するもの、他人の成功をより多く喜ぶもの、おのれに峻厳なもので、しかもかれほどに他人の過失をゆるすに寛大なものはないであろう。
かれは誠実であって、どのような犠牲をも苦にせずあらゆる尊い目的に対して喜んで力をかし、限りないおうようさをもっていて、とりわけ、科学のもとめに応じては献身的な教師であり、また最も信頼すべき最も有能な友であった。        
 



このまずしいスケッチに描こうとした人の像は------あなたがたもそう感ぜられることであろうが-----幸いにもかれに近づくことができた人々はいつまでも消えない印象で記憶に残る、しかしまたきわめて広い範囲においても、科学を尊ぶ人ならばたれでも、グレーアムの業績からくっきりと浮かびあがってわれわれに近づいてくるようなかれの像に喜びを感ずるであろうし、また、それをみつめるときは、たれしも心のうちに、人生においても、科学においても、ここに追想し賛嘆しているとおとい故人のそれに似た道を行こうとする熱い望みを起こすであろう。




                                 August Wilhelm von Hofmann

                                          

Thomas Graham 18

2011-08-27 09:00:45 | colloidナノ
(一部割愛)

非常に急いで述べてきた、そしていよいよ終わりに近づいた。化学会の会員のためにはこれ以上ほとんどつけ加えることはない。しかし偉人の白鳥の歌はなおもわれわれの耳に響いている。

われわれのたれもが一年たらずまえに、グレーアムがかれの研究の続きを行っているうちに得たすばらしい発見をおぼえている。
それは、水素はパラジウムと化合物を作って結合するが、その際にパラジウムの金属性は失われないようにみえるから、当然その化合物は一つの合金、すなわちパラジウムとHydrogeniumヒドロゲニウムとの二つの金属の合金と解すべきであるというのである。

われわれがわがドイツ化学会の昨年の創立記念祭に選挙によってグレーアムを名誉会員に推薦しようとしたが、その表彰を感謝したかれの手紙のなかでヒドロゲニウムについての最初の報告をしていることは確かにふしぎなめぐりあわせである。

私はいま、その手紙のその部分をぜひここへ転載したいと思う、それでどうかそれを転載することと、それに同封されていた非常によくとれているかれの写真肖像を故人への思い出としてのでることを化学会の会員にゆるしていただきたい。Thomas Grahamのヒドロゲニウムに関する報告はその年のうちに出た二つの論文の中に発表されている。

1月15日に王立協会で講演した初めの論文には、水素を含むうすい硫酸の中でパラジウムをガルヴァノ電池の陰極として荷電させたときにパラジウムの受ける注目すべき変化を詳しく述べている。

グレーアムによると、「水素は一つの最も揮発しやすい金属の蒸気であるということが、化学的根拠に基づいて既にしばしばいわれてきた。それでパラジウムはその中に吸蔵している水素と結合してこの揮発性金属との合金となり、その合金においては一つの元素の揮発性が他の元素と化合物を作ることによって失われて、その金属性の外観には二つの成分が同様に寄与していると当然考えられる。こにような解釈の妥当性は、それを金属とみんしてヒドロゲニウムと名づけた揮発性成分がこの合金の中で示す性質を注意深く研究すれば最もよくわかる。」としている。

このような性質は合金の性質から推論されるだけであるから、それだけでも広い実験対象であって、これを行うにあたってグレーアムは、かれが感謝し賞賛しているひとりの巧みな若い化学者Hrn.W.C.Robertローベルト氏の助力をうけた。この実験は合金の密度、粘度、電気伝導度、磁気的性質、高温における性質、および化学的性質に関するものである。

これらの実験の結果をグレーアムは次のようにまとめた。
「研究の一般的結論としては次のようになる。王立協会で供覧したパラジウム線にみられるように、完全に水素をとっているパラジウムにおいては、パラジウムと水素との化合物ができていて、その組成はそれぞれの当量比の化合に近い。両物質ともにかたい金属性で、白い外観を呈している。合金は1容のヒドロゲニウムに対して約20容のパラジウムを含んでいる。ヒドロゲニウムの比重は約2であって、したがってマグネシウムよりやや高い。当然想像されるように、マグネシウムとは幾らかの類似性がある。ヒドロゲニウムはある程度の粘性と金属の電気伝導度とをもっている。

最後にあげた事実はヒドロゲニウムと他の磁気金属との関係を暗示するものであって、それがいん鉄の中にあらわれているのはこれに関連がある。」

6ヵ月後にグレーアムはもう一度この問題に立ちかえっている。
かれは「ヒドロゲニウムについての観察補遺」と題する短い記録の中で、パラジウムと白金や金や銀との合金もまた水素を吸蔵しうることを示した。これらの三成分系合金の研究からはヒドロゲニウムの密度に対してさきに報告した値よりも小さい数値が得られた。この小さい値は、別な解釈をするならば、パラジウムーヒドロゲニウムについて観察された値からも算出されるものである。この記録がグレーアムの最後の報告となった、これは今年の6月17日に、したがって9月16日のかれの死去より3ヶ月たらずまえに王立協会に報告された。

死のわずかに数週間以前に、グレーアムはかれの友人のために小さなメダルをパラジウム水素で鋳造させた。そのメダルの一方の面に英国の女王の像を、他の面にはグレーアムの名と『パラジウムーヒドロゲニウム、1869年』という縁文字とをいれた。
かれの多くの友がこの美しい記念をかれの形見として所蔵するようになろうと果たしてかれは予知したであろうか。


 


Thomas Graham 17

2011-08-26 05:49:21 | colloidナノ
物質は気体状態では、液体状態や固体状態でもっているような多くの変化のある性質はもっていない。気体物質は少数の大きくかつ単純な特性を示すに過ぎない。そしてそれはすべての分子の運動性に基づく。ただ一種の物質があるとして、しかもその物質は同じ大きさの同じ重さの原子から成り立っていることになる。したがってすべての物質に同じ原子が共通であって、この原子が静止状態にある時は物質は完全に同一になるであろう。

しかるにこの原子は大なり小なり運動しており、かつその運動はprimerdial impulse原始的衝動
によるものと仮定する。空間充填はこのような運動によるものである。
運動が速いほど、その原子が充填する空間は大きい、それはあたかも遊星の軌道がその切線速度の大きさにつれてひろがるようなものである。
したがって空疎な物質や稠密な物質ができることになるから、物質は種々な形をとりうることになる。
原子の固有の運動は不変化なものであるから、軽い物質は重い物質には変わらない。一言にしていえば、種々な物質すなわちわれわれの考えでは分割し得ない種々な元素のできるのは物質の種々な稠密さによるものである。

しかしグレーアムは心の中では思弁的な要素は重きをなすものではなかった。それでかれはその後再びさらに確かな実験的基礎の上に立った。

さきに液体拡散(透析)によって溶質を互いに分離することに成功したように、こんどは気体拡散によって気体物質の分離を行おうとして熱心に努力した。すなわち透析の中にatomolysis分気が加わったのである。しかしこのような実験を行うには小さな石墨板を具えた拡散計ではもはや用をなさない。
清山窯

その代わりにうわぐすりを施さない素焼き陶製の管を用い、その外側を太いガラス管で囲んだ。そのガラス管の口はゴム栓で封じこれにこれに陶製の管を通した。ガラス管と陶製管との間の空間を空気ポンプで排気し、他方それと同時に陶製管の中で気体混合物の気流をゆるやかに移動させた。そうすると拡散しやすい方の気体は拡散しにくい気体よりも多く真空中へ拡散して、陶製管から出てくる気体は容積重の小さい方の成分についてとぼしくなる。この原理に従って空気の分気を行うと、窒素の含量が79%から77%(容量)に減少した、また陶製管の入口で酸素と水素との同容積から成る混合気体は、出口では5%(容量)以上の水素を含まなかった。

コロイド隔壁による気体の吸収および拡散的分離の研究、においてグレーアムが得た結果は、さらに非常に適確なものであった。
かれの研究によると、防水絹布や小さい透明なゴム製気球の場合に見るような薄いゴム膜は、ぜんぜん無孔性で、事実空気もガスも完全に通さない。しかしこの膜は空気の気体状の成分、すなわち酸素と窒素とを液化させて、そうして液化した気体を膜を通して反対側に至らしめ、真空中へ蒸発させて、そこで再び気体状態をとらせることができる。ところが空気の二つの成分のゴムに対する透過能がその程度を異にしていて、酸素は窒素よりも21/2倍つよく吸収され、濃縮される、したがって両方の気体がやはりこの割合で膜を通過することになるという点でこの空気の透過能が興味をひいた。そのようなわけで、グレーアムは、ゴム皮膜が空気に対する透過ふるいとなり、通常の空気の中に酸素が21%存在しているのに対して、これによると常に41.6%(容量)の酸素が後に残ることを知った。
この隔膜は、事実酸素の半分をあとにとどめて、全酸素含量の残りの半分を通過させる。透析された空気は木片のかすかに赤い余燼で発火し、燃焼現象に関しては、空気と純粋の酸素との中間に位する。


余滴
ウラン濃縮の可能性ウラン235の割合を十分な値まで高めていくことができる。 他の元素の同位体分離のために用いられていた同様の方法では、通常素焼きの陶器の隔壁を使っていたが、これは分厚く効率が悪かった。

Thomas Graham 16

2011-08-25 09:00:04 | colloidナノ
液体の拡散の研究が生んだすばらしい成果をまえにして、かれの青年時代の研究から得た経験をこの新しい観察のなかへとり入れてさらに利用するために、気体物質の研究に立ちかえるのに、グレーアムが長くちゅうちょする必要のあろうはずがなかった。

事実、1863~1866年には早くも再びこの研究に活発に従事したことが知られる。まず拡散についての古い実験を異なった条件下で繰り返した。さきに用いた石膏のせんをした拡散管の代わりにこんどはBrockdonブロッケドンの圧搾石墨のオブラートぐらいの厚さの板でその口を閉じdiffusiometer拡散計を用いた。不均一な粗孔性の石膏隔壁を使ったさきの実験では拡散法則を確認しにくくさせていた偏差や不規則性がことごとく、均一な細孔性の石墨板を用いると直ちになくなった。種々な気体、たとえば水素、酸素、炭酸ガスのようなものの同一容積g厚さ0.0005mの拡散板をとおして流通する時間は厳密にその容積重の平方根に比例した。ところがこの現象に対する解釈がこんどは本質的に変わった。

グレーアムは、拡散能と容積重との関係を実験によって決定するだけではもはや満足しなかった。こんどはかれは拡散能と容積重との二つの性質が一つの原因、すなわち気体分子のとっている運動の特異状態に基づくものとして、そのころ再びいよいよ盛んになってきた物質構造についての物理的仮説にしたがって解釈しようとした。



こんどは、effusion奔出とtranspiration流出とは気体のかたまりの運動によって生じる現象とされ、拡散は気体分子の運動によって起こるものであるとされた。
かれの実験結果によれば、人工のgraphite石墨層の孔は気体が塊として通過し得ないほど小さくて奔出現象や流出現象はこれによっては起こらないが、分子だけでようやくにして通過することができ、しかもなんら摩擦によって通過が妨げられないように考えられた、それは石墨の細孔をどのように小さく考えるとしても、飛びまわっている分子にとってはいわばトンネルにでもたとえられるものである。

新しい拡散研究によってグレーアムはとにかくりっぱな物質観を得た。
グレーアムは次のようにいっている。「われわれが基本的物質として区別している物質の種々な形には運動状態の異なっている同一の分子が属していると考えられる。物質の本質的な単位についてのこの仮説は、すべての物体に対する重力の均一な作用と矛盾なく成立する。この重力の問題はNewtonニュートンが非常に興味をもって研究したところのものであって、きわめて慎重に考察した結果、「金属、石、木材、穀類、塩類、動植物質等」の種々な物体が同様に加速されるときはそれらは同じ重さであると結論したことはよく知られているとおりである。





Thomas Graham 15

2011-08-24 09:00:39 | colloidナノ
この略伝の筆者としては、幾つかの主な学会の思い出をここに新たにするよりも、まずグレーアムが透析法について行った非常に注目すべき応用のことを述べなければならない。
透析器の隔膜をとおして尿からクリスタロイド物質が非常に純粋にかつ完全に出ていくので水かめの中の液体を蒸発すると白い結晶質のものを与え、これを酒精で抽出すると化学的に純粋な尿素が得られる。

ショ糖とゴム質とを混合して、しかもゴム質の方をずっと多くして、その液体がぜんぜん結晶する力を失っているような混合物を分析にかけると直ちに結晶する純粋なショ糖溶液が得られる。
製糖工業では、その目的を達するにはどうしても拡散現象を利用しなければならない。甜菜糖工業ではことにグレーアムの研究に基づいた精製法が専ら一般に行われている。

亜ヒ酸やストリキニーネで有毒になった飲料から、拡散によって、亜ヒ酸やストリキニーネを普通の試剤で簡単に検出できる程度にまで純粋に近く分離することができる。

過剰の塩酸を用いてケイ酸ソーダを透析器の上で溶解すると、数日たつと、食塩と塩酸がことごとく水のなかへ拡散する、隔膜上に残った液体はケイ酸の純水溶液であって、加熱してもゼリー化することなく、14%の無水酸の濃度まで蒸発できる。またグレーアムは塩基性塩化アルミニウムの溶液を透析にかけて純アルミナの水溶液を得た。その後同様な方法で、過剰の塩酸と、スズ酸ソーダ、チタン酸ソーダ、タングステン酸ソーダ又はモリブデン酸ソーダとの混合物から、透析法でスズ酸、チタン酸、タングステン酸、モリブデン酸の可変性変態を得た。酸のきわめて微量を除去することは困難ではあったが、鉄の酸化物の可溶性変態をさえ作ることに成功した。

拡散によって水に可溶性になったこれらの物質はいずれも非常にゼリー化しやすい傾向を示す。ある種の塩のきわめて微量によって可溶性ケイ酸の非常に多量がケイ酸ゼリーになり、逆にまた少量のアルカリによって大量のゼリーが可溶性変態に転移する。

グレーアムはコロイド物質はすべて可溶性状態とゼリー状態とをとりうることを示した。そしてかれは可溶性水和物をヒドロゾルとして、ゼリー状水和物をヒドロゲルとして区別した。このような意味でかれはケイ酸のヒドロゾルとヒドロゲルと呼んでいるのである。
ところがこのような二つの状態は単に水和物んいおいてだけ現れるものではなく、ケイ酸のヒドロゾルもヒドロゲルも、水がアルコールやグリセリンや硫酸化合物(ケイ酸アルコゾル、グリセロゾル、スルフォゲル等)と、ゼリー状化合物(ケイ酸アルコゲル、グリセロゲル、スルフォゲル等)を生ずる。ケイ酸は一般にエーテル、ベンゾール、二酸化炭素やさらに脂肪酸とも結合してかなり安定な化合物を作りうる。





Thomas Graham 14

2011-08-23 09:00:26 | colloidナノ
以上の実験は物質を純水中に拡散させたのであるが、こんどは水の代わりにゲローズ(海草のGelidium corneumを煮出して得たゼリー)の溶液を使ったところ、次のような注目すべき結果が得られた。
すなわちたとえば食塩のような塩類はゲローズの溶液の中で純水中と全く同様に、換言すれば同じ速度で拡散する。デンプンゼリー、凝結タンパク質、動物粘質物、その他ある種の膜についても同様な挙動がみられる。塩類溶液の上にこれらの物質の層をおき、その上にさらに純水の層を作ると、拡散はあたかも塩類と純水とが直接に接触しているかのように直ちに起こる。


Central European (Northern) type of finished parchment made of goatskin stretched on a wooden frame

数年前に発明され、Warren De La Rueワレン・ド・ラ・リュの努力によって今では大量生産化されるようになった硫酸加工紙のいわゆるパーチメント紙(模造羊皮紙)がこの種の実験には殊のほかよく役に立つ。
拡散能の高い物質はパーチメント紙の隔膜を通してほとんど少しも速度を減少しないで通過するが、拡散能の小さい物質はその通過がほとんど完全に阻止される。

このようなことが観察されたので、グレーアムがdialysis透析と名づけた新しい分別法とそれを行うために用いる装置とがその後直ちに完成した。
まず広い円筒の下端にパーチメント紙を張ってひもでくくりつける。この円筒すなわちdialysor透析器の中へ拡散によってわけようとする混合物、つまり透析にかけようとする混合物をパーチメント紙を底にして20~25mm、の高さにまで入れて、それを約10倍量の水を入れたさらに大きい容器の中へ、内部と外部との液面が同じ水準になるように浸す。この簡単な装置で得られた結果は、グレーアムの実験によれば、同じ条件の下でパーチメント紙の透析器をとおして通過する種々な物質の量を比較すると次のようになる。

アラビアゴム 1、カラメル 1.2、タンニン酸 7.5、ショ糖 52、ブドウ糖 67、マンニット 87、アルコール 120、食塩 250.

化学のあらゆる分野に属する多数の物質の拡散についての新しい研究によってグレーアムは分子的構造の根本的に異なった物質の二つの類型のあることを認めた。そのあいだには明瞭な限界はぜんぜんないのであるが、そのような観点から物質はその拡散能にしたがって二つの大きい群にわけられる。

第一群は拡散能の顕著な物質に属している。すなわち鉱酸、有機酸、多数のそれらの塩、多くの結晶性有機化合物、種々の糖類、アルコール等であって、グレーアムはこれらの物質はおおむね結晶性であるからcrystalloidクリスタロイドと称した。
第二群は拡散能の小さい物質を含んでいて、これに属するものはケイ酸塩水和物、アルミナ、およびこれに類する金属酸化物の水和物、デンプン、デキストリン、ゴム質、アルブミン、ニカワ等でこれらはいずれもゼリー状の状態をとっていて、グレーアムはこれらをcolloidコロイドと称した。

多くの物質は二つの群のいずれかにはいる。そしてクリスタロイドとコロイドとをわかつ最もよい方法は透析である。



Thomas Graham 13

2011-08-22 09:00:35 | colloidナノ
1852年に発表した浸透に関する研究をもってグレーアムの科学的活動はしばらく停止するに至った。そして次の時代は新たに責任を負わされた重要な職務に専らささげられた。かれが熱愛する研究を再びやりはじめることができるまでには、その間に数年経過した。


1861年になってはじめてグレーアムは新しい研究を発表した。
それはまず、液体のtranspiration流失すなわち圧力下における毛細管を通じての液体の化学組成との関係についてであった。

アルコールと水とのあらゆる化合物のうちで、水和物C2H5O+3H2O の組成のものが最も密度が高くて、最もゆるやかに流出するというPoiseuilleポアズイユの経験に基ずいてグレーアムは多数の液体の流出を測定した。
硝酸においてはさきに恒常水和物として示された液体2HNO3+3H2O が、硫酸においては水和物
H2SO4+H2Oが、酢酸においては水和物C2H4O2+2H2O が流出時間の最も大きい液体であることが認められた。

蟻酸と塩酸とについて得られた結果はそれほどはっきりしていなかった。これに対して、エチルアルコールについてのポアズイユの観察はグレーアムも確認した。またメチルアルコールについては水和物CH3OH+3H2O の場合に流出時間が極大になることを認めた。同族列化合物、たとえば同族列アルコール、同族列エーテル等の研究において流出時間は沸点の高いものほど大きい、それでグレーアムは、H.Koppコップが沸点とその他の物理的性質との観察から既に導き出したのと同様に、流出の観測に基ずいて類似系列における物質が排列されるのではないかと考えていたようである。

液体の拡散についての研究も新しい情熱をもって再び始められた。
1861年に発表された広範囲の研究はグレーアムの独創力の失われていなかったこおとを示している。このまえの研究の結果は拡散を分析に利用できることを示している。こんどは、その示唆に従って、これまでは個々別々に行われていた観察を一般的に利用しうる一つの方法にまとめあげることを目的としていた。
このような意味でグレーアムは種々な物質の同一量が拡散する相対時間を求めた。塩化水素の一定量が拡散するのに要する時間を1とおくと、その他の点でまったく同一の条件の下で食塩の同量は21/3倍の時間を、ショ糖および硫酸マグネシウムは7倍の時間を、アルブミンは39倍の時間を、そして最後にカラメルは38倍の時間を要する。

温度が上昇すると拡散を促進するが、この促進は異なった物質に対しては等しくないから、したがって二つの物質について拡散による分別が最も容易に行われるような1つの温度があることになる。

Thomas Graham 12

2011-08-21 09:00:02 | colloidナノ
グレーアムは液体の拡散についての研究につづいて浸透現象を説明するために多数の実験を行った。
この現象と溶液中に存在する物質の拡散能とのあいだになんらかの関係があろうと想像するのはもっともなことである。拡散性は究極において浸透作用の原因では無いであろうか、・・・・
グレーアムの研究はこの仮定を否定した。
一つは多孔質の陶製容器の隔壁を、他は動物皮膜の隔壁を具えた浸透計を用いて行った二つの大きい実験で、かれは、液体の浸透的上昇は砂糖、タンニン、アルコール、尿素のようなすべての中性塩においてはほとんどとるにたりないが、クエン酸、酢酸、塩酸、硝酸において顕著になり、硫酸、リン酸、その他強酸、強塩基の塩が浸透計の中に存在するときは最もはげしくあらわれることを知った。浸透現象が十分に顕著に現れ、また隔膜物質に強くはたらきかけるのは、常に強力な化学試剤であった。それでグレーアムはややもすれば実験につかった物質が隔膜物質に及ぼす化学的影響を浸透作用の原動力であるとみなそうとする傾向にあった。


ここにあげた純科学的研究のほかに、応用化学の分野に属する多数の研究を成しとげた。それらの多くは恒久的な興味のあるものである。これらの研究の大多数は他の化学者との協力の下に行われたものであって、幸いにして筆者(<ahref="http://en.wikipedia.org/wiki/August_Wilhelm_von_Hofmann" target="_blank">ホフマン
)もグレーアムのおかげでこの分野において貢献することができた。

1850年代のはじめに、どのような方法で首都に新しい上水道の供給を行うかという問題に一般の興味が熱心に向けられた。現行の水道会社に対する激しい訴訟が提起されたりして、種々な提案が起こってきた。そこで政府はこれに対する報告をグレーアムに求めた。

およそそのころ、Biscayaビスカヤ湾に起こった恐るべき災害が全英国を震撼させた。豪華な新造汽船アマゾン号は英国の海岸を離れて数時間にして消失した。不安の念が海国民を襲い、このような発火珍事を起こすに至った原因をさらに深く追求することを望んでやまなかった。
ここでもまた、グレーアムは国会の貿易委員会の貴族たちからこの問題の化学的研究を委嘱された。

あるパリ人の教授が軽率にもその講演で英国においてはpale aleペール・エールに快適な苦味をつけるのに、ストリキニーネを用いているという機知に富んだ報告をした。すぐさま新聞界にセンセーショナルな記事が報ぜられた。エールを飲む国民たちは恐慌をきたし、Burtonバートンのいビール王たちはかれらの王座の上でふるえた。非常に困って、化学者たちに質問され、グレーアムの発表によってはじめて国民の憤激の高潮がしずまった。

多年ビール醸造業者は輸出ビールの麦芽税を弁償させる税率のためと、醸造の際に用いた麦芽の量を決定する原則のためとで税務署と争っていたが、グレーアムの指揮の下に作製された報告で、この問題は円満に解決した。

工業のある部門ではアルコールに対するぼう大な課税によって製造業者のこうむる損害が痛切に感ぜられた。なかでも、化学工業はこの圧迫下に苦しみ、科学的研究さえも他の国ではあり得ないような障害をうけた。すべての方向からのこの欠点の除去に対する声が高まった。この国の最高税務署(内国収税官)のすすめに基ずいてグレーアムを委員長とする化学委員会が設けられ、そのおかげでそれらの手によって工業および科学にメチルアルコールを加えたアルコールが支給される事になった。

英国では家庭用にコーヒーを細かくひいて併用する習慣であるが、そのためにこの重要なし好品料の模造品を作り放題であった。1857年にコーヒーの模造がとてもひどくなったので、このこまったことを救うために、グレーアムは助言を求められた。

1850年代には火災による致死者がおそろしく増加した。1852年から1856年の間に、イングランドとウェールズとの人民記録では9998人以上の火傷死が記帳された、そのうち2128人は衣服の燃焼によるものと記された。このしのび得ざる状態が皇后と皇太子の強い同情を起こさせた。このたびもまたしてもグレーアムは報告を要求された。かれは2人の若いドイツの化学者H.Fr.VersmannフェルスマンとAlph.Oppenheimオッペンハイムとにその起草を委託したが、かれらはこの問題を引き受けてりっぱな成果をあげた。




Thomas Graham 11

2011-08-20 09:00:00 | colloidナノ
気体状態の分子の運動現象について得られた経験から、液体の分子の運動をもその研究範囲の中へいれることになった。
かれの興味はまず、可溶性物質がその溶解に際して溶媒の中へどのようにひろがっていくかについての法則を求めることに向けられた。
そしてかれはこの目的のために、既にある溶媒にとかされている物質が同じ溶媒をさらにそれ以上加えたときにその中へ移っていく現象を研究した。

この研究の最初の結果はグレーアムが「液体の拡散」という標題の下にまとめて1850年と1851年とに発表した大論文の中におさめられている。
この研究は非常に多くの事実を明らかにした。そしてここでもまた、この方法の簡単なことと、無数の実験を行うにあたっての比類ない忍耐とにわれわれは驚くのである。

しらべようとする塩類の溶液を満たしたびん、すなわちsolution bottle溶液びんを大きい純水を満たした容器すなわちwater jar水かめの中へ入れる、この二つでdiffusion cell拡散容器ができあがる。
ある一定時間中に外側の水の中へ移動してくるdiffuse拡散する塩類の量、すなわちdiffusion product拡散量を蒸発によって決める。

このようにして得られた結果は重要であるが簡単ではない。
まず食塩の場合に拡散能と同様に拡散度が溶液の濃度に比例し、温度とともに上昇する。多数の物質の拡散度を求めると相互に随分大きい差異がある。その他の点では全く同じ条件の下では、硫酸は69部、食塩は58部、硫酸マグネシウムは約27部、ショ糖は26部、アラビアゴムは13部、タンパク質は3部の割合で拡散する。
多くの同形物質、すなわち塩化カリと塩化アンモン、硝酸カリと硝酸アンモン、硫酸マグネシウムと硫酸亜鉛とは同じ拡散度である。
拡散能の異なった二つの塩を拡散容器の中で混ぜるとそれらは互いに個々の拡散度とは無関係に拡散する。

グレーアムは常にいろいろな現象を実用に供しようとする意図をいだいていたが、ここでも直ちにこの現象が沸点の等しくない物体を蒸留によって分別するのに匹敵するような新しい分別の方法となることを認めた。
そして事実、塩化物を硫酸塩や炭酸塩からカリウム塩をナトリウム塩から、またナトリウム塩をマグネシウム塩から、ある程度まで拡散分別しうることを示した。
しかも機械的な混合物だけがこの方法でわけられるのではなくて、蒸留の場合と同様に化学的の化合物に対しても行いうることが知られた。たとえば、明礬から拡散しやすい成分の硫酸カリを拡散しがたい成分の硫酸アルミニュムとわけられ、また硫酸カリ自身においてもこれを多量の水に溶かすことによって水酸化カリと硫酸とへの部分的分解が起こることが拡散によって認めたられた。


グレーアムの液体の拡散に関する研究は化学者、物理学者、および生物学者に非常な興味をもってとりあげられた。それはやがて分子現象が新たに熱心に研究される誘因となった。種々の分野においてこの新しく知られた事実を利用しようとした。


そして多くの場合に全く予期しない結果に到達した。たとえばDrevermannドレーヴェルマンは紅鉛鉱、白鉛鉱、方解石等の人工結晶鉱物を作り出したが、この場合かれは二つの化合物を拡散によって徐々に混合して、それらの相互作用によって求むる鉱物を作ったのである。