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黒い膜

2011-12-08 10:28:19 | Tyndallナノ
顧みるいまに、わたしがある。
ひっくりかえるいまに、難行苦行のしゅうぎょう。
想いかえせば、そこから喜びもまた。
ゆくとしも、くるとしもまた、わたしがある。


春とはいえども遅き、皐月のころ『ソフトマター研究会』 は発足した。そこに至るながくも短いどうていを想う。

「ソフトマターの研究は学際的であるため、 様々な分野の研究者が同じ土俵の上で議論したり、 情報交換したり、 協力したりすることが大切です。
伝統的な学問の垣根を越えて人的な交流を広げることによって、 新しい研究分野が開拓されると考えられます。また、 大学の研究者と企業の研究者の交流も積極的に進めていく必要があります。 このようにして築き上げられる広範で自由なネットワークの存在は、 日本におけるソフトマター研究の存在感を世界に対して示すことにもつながります。」

発起人代表の1人である今井正幸教授の言葉も、またその1部を引用しておこう。

「特にソフトマターはエネルギー的な相互作用とその大きな内部自由度に基づくエントロピー的な相互作用との非常に微妙なバランスにより数nm~数μm程度の空間スケールで多様な構造を形成しているので、ちょっとした環境の変化で驚くほどドラスティックな構造相転移を示します。」



「シャボン玉」 野口雨情



シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ   

                                                              
                                                  
立花太郎先生の万感の想いはその副題に凝縮されている。その黒い膜の秘密、秘密とは何か?それがここでの主題となる。

目次を一瞥してみると、何かが読み解ける。
①しゃぼん玉と科学史
②しゃぼん玉の実験
③しゃぼん玉の色彩
④石けん膜の構造
⑤黒い膜の厚さ
⑥水面上の薄膜
⑦黒い膜の構造
⑧石けん膜に働いている力
⑨石けん膜の寿命
⑩生きている黒い膜

あとがきを抜粋しておく
しゃぼん玉の黒い斑点、つまり黒い石けん膜について、わたくしは大学に入るまで何の知識ももちあわせていなかった。それについて本をよんだ記憶もなかった。
大学に入って1年生のときに、鮫島実三郎先生の物理化学の講義のなかで、はじめてしゃぼん玉の膜に構造のあることを知った。そのとき先生の引用されたぺランの文献を読んで、黒い斑点の正体を詳しく知ることができた。それからしばらくして、ペランの「原子」の翻訳を読んでいるうち、そのなかに黒い膜に触れているのをみつけた。
しゃぼん玉の黒い斑点を意識して見るようになったのはそのころからである。それまでは、何やら黒いものがあるらしいという程度にしか見ていなかったのである。
大学3年生のときに、わたくしは卒業研究のために鮫島先生の研究室を選んでから、だんだん黒い膜に縁ができてきた。
わたくし自身は水面上の単分子膜の粘性を研究することになったが、同級のN君は実際液体膜の安定度の研究を課題としていた。そのようなことから、われわれの実験室で直径1メートルほどもある大きなしゃぼん玉をつくって、学生一同で楽しんだことがある。
そのとき、しゃぼん玉の表面に無数に湧き出てきた黒い斑点が妙に印象的で、いまもそのときの室の様子やそこにあったガラス器具の光といっしょに、ありありと思い出されるのである。

ニュートンの「光学」を岩波文庫版で読んだのは大学卒業後のことであるが、そのなかにしゃぼん玉の黒い斑点に関する詳細な観察記録があるのを偶然みつけたときは、非常に驚いたものである。

ニュートンの観察 
ニュートンは、彼の代表的著書である「自然哲学原理プリンキピア」のほかに、「光学」を世に残している。
このほうは前者と異なり、実験的研究を中心にしたもので、「光学」の邦訳者、阿部良夫・堀伸夫両氏の解説によれば、これは「近代における物理光学の基礎をなすものであり、実験的研究の模範的名著であり、その思索の中にも、疑問の中にも、また誤謬の中にさえも、現代の我々を啓発するものが豊かに含まれているのである」


その「ニュートン 光学」(岩波文庫)の中での紹介は、観測17と観測18として紹介されている。
その観測17の末尾には
‘上述の色の環のほかに、水の流失にいくぶん不均等があるために、泡の側面を上下に昇降する小さな色のついた斑点がしばしば現れた。また時には、側面に発生した小さな黒い斑点が上昇して、泡の頂上の大きい黒い斑点のところに到達し、これと合体することもあった。’

‘「光学」は全体として3篇よりなり、第1篇はプリズムの作用、第2篇は薄膜の色、第3篇は回析を扱っているが、第3篇の末尾に、ニュートンは「疑問」と題して、彼自身が疑問に思っている問題を31項目にわたって述べている。これは「他の人々によって、さらに研究が進められるために」提出されたものである’

「疑問30」の一部につぎのように書かれている。
‘密度のある物体と光とは相互に転化することができるのではなかろうか。そして、物体はその活動性の多くを、その組成のなかに入ってくる光の微粒子から得るのではなかろうか’

ニュートンの光の微粒子説は有名である。また「疑問30」のこの部分は、物質とエネルギーの相互転化を暗示した予言としてよく引用される。
また物質が光の微粒子を吸収して活性を得るというのは、光電効果や光化学反応の機構に対応している。
これら「疑問30」の部分は、いずれもアインシュタインA・Einsteinの仕事のなかで近代化されている点はおもしろい。


色々な濃淡をも考えてみるべきではあるが割愛した。それでも、ここで一言ふれて置かなくてはならない事がある。
                   
‘白い膜、黒い膜’のことであるが、それが‘あのよこのよ’の境界といえばいいのか、それとも物質からの生命へと、ひっくりかえる・・・・その表象でありうるのだが、またの機会に譲りたい。
とは言えども、忘れかけの記憶がくすぐる、ここでの主題。

「その黒い膜の秘密」であるが、ここではそれを述べることをしない。
代わりに参考文献を付して置く→膜 Vol.11 , No.5(1986)pp.297-302 構造変化を伴うミリポアDOPH膜の膜電気抵抗振動 三沢 顕次, 有沢 準二 北海道工業大学工学部応用電子工学科






少なからず気がついた事をメモしておく。
①生体膜の機能に関して、物質交換のくだりで、その能動輸送つまり、低い位置から高いところへともち上げるのと同様に、明らかにエネルギーを外から与えなければ起こらない。
このエネルギーは生体膜なかで、ATPというエネルギー貯蔵物質がATP分解酵素によってADPに変わることによって供給される。こうした分子レベルのポンプの作用の詳細もまだよくわかっていない。→Peter Mitchell「生体膜におけるエネルギー変換の研究」

②光で興奮する黒い膜に関するくだりで、光電気化学現象は、ベックレル以来100年近くもあまり人の目をひかなかったが、近年急に研究が活発になってきた。
とくに半導体を一方の電極にしたときの光電気化学現象は、太陽光線の電気エネルギーへの変換効率もよく、また電気をとり出さないで電気分解をさせると水の電気分解が起こり、水素の発生をみる。これは水素という未来のエネルギー資源の開発へ直接つながるだけに、世人の注目をあるめている研究でもある。気がついたのはこのくだりではない。

1893年に銀電極において発見したもので、今日ではベックレル効果ともいわれている。
→アレクサンドル・エドモン・ベクレル(Alexandre Edmont Becquerel, 1820年3月24日 - 1891年5月11日)は フランス・パリ出身の物理学者。父は物理学者のアントワーヌ・セザール・ベクレル。太陽放射、電気などの研究を行った。アンリ・ベクレルは彼の息子である。
1839年:光化学電池の研究において、光電効果による光と電流の関係性を見いだした。これは薄い塩化銀で覆われた白金の電極(真鍮の電極という説もある)を電解液に浸したものに光を照射すると光電流が生じる現象として報告された。
彼は電流が熱によるものではないことを示し、カラーフィルターを用いることで(大雑把ながら)スペクトル感度特性を示した。これが光起電力効果に関する最初の報告となった。



あとがき、と言うよりも謝辞と言うべきであろう。

わたしは本書の口絵写真を撮影された菊池俊吉氏のカメラワークに賛辞をおくりたい。
ニュートンのしゃぼん玉の観察を再現した写真で本書の主題を象徴したいというのが執筆をはじめた当時からの願いであった。
しかし、それは技術的にむずかしい仕事のように思えた。わたし自身はそういう写真をまだ見たことがなかった。
それがついに実現できたことを、心から嬉しく思っている。    1975年9月  著者しるす