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終活膠縁

2023-03-16 15:09:41 | 膠識
『あいまいなにほんのわたし』


大瀬の熟柿を頂いたその時分のその膠景が鮮やかに蘇ってきた。

峯下君が亡くなって久しい。
「せんねんの孤独」

われわれもまた、「御二人様の終膠活」その覚悟。

知っているかと思われたが未だに分からない、けれども戸惑ってなんかいない!

坊主でも、釣り糸を垂れて水面の風波を見つめていると、アースからの目線であることに気が付いて膠界していた。

砥部動物園でピースが生まれたその年に古里へ帰ってきてから間もなくしての事であった。

「相意膠」の揺らぎは多層構造だけではないと知ってはいる。
ノイズのごときなかでも、その膠点。

つまり視点のありようその導膠、つまり諦膠と言うべきか膠諦と言うべきか。

『時分の膠景』を求めゆく80億を超える膠民もまたゆく、
2060年問題とは錬金術師ニュートン。
そこの「疑問32」問題でもある。

その膠悌に流れる調べこそ「別れの曲」

祈念するべき新聞を読んで!







竹の秋

2022-05-17 13:11:13 | 膠識
   みかんやま ハチゼロニゼロ 竹の秋      虚私

 はじめもなくおわりもなくつみかさねるひび!

 三木清の言葉が思い出されたのはまたしても、クラスメートからの刺激であった。

 彼の生地で学び得たものの一つが『コロイドの発見」であった。

「しんじつの秋の日てれば専念にこころをこめて歩まざらめや」

 化学にうたれ、物理にうたれ更には熱力学にもうたれた。

グラハムの苦悩! “このおや”は母であり妹のマーガレットであった。“おやのこ”は父であった。

 若き学徒は貧窮に屈することはなかった。彼を語らせる論文は1831年とされる。

 その論文を確認するかのように翌年にLeslie(1766-1832)は、未完の著作を残して逝った。

 それからのグラハムはその教えを受け継いだかのように生涯その深化・拡散に邁進することとなる。

 その転機は30年後に訪れてきた。
そしてそこからの最期の日まで尽力したが未完であった。

 それが今なお新しい「プラズマコロイド」、熱力学と物理化学の「膠一対問題」である。

 つまり、そんな馬鹿な!と言われた、ビッグバン仮説に由来する宇宙問題であると同時にそれは生命の問題つまり細胞問題でもあると彼は既に喝破していた。

 そこにギュッと凝縮されたシンボル「膠象」をENERGIAと名づけてその実在をペクチンに託したのである。
その異化・同化にエネルギー保存則をも認めていたのであろう併せて「膠分子」にも気がついていた。

 彼の言うラジカルとは熱力学全盛の時代を止揚する画期的な発見であったとの意識がそこにはある。「しんかがく」・『隔壁 生膠学』と名づけておく。

 もっともその時代のラジカルには別の意味が付着してきたことには興味深い問題を孕んではいるが。






 
















「しんかがくの文法」

2021-03-22 11:23:14 | 膠識
 新型コロナ並びにトランピズムなどを想えば、心穏やかとは言われないだろうが、これらのような一過性の問題ではない「人新世」問題は既に時間との戦いに入っているらしい。

 「科学の文法」(科学概論)が思い出されてくる背景ともなった。

  進化論と共に歩み始める契機となった著者のその動機は、教科書問題であった。

第一版序 
 広く記されている力および物質に関する記述ぐらい言語道断に非論理的なものは想像するのも困難である。・・・かような教科書はほとんど教育的価値をもたぬという結論に達することを余儀なくされたのである。

第7章「物質」
① 「万物は運動する」- 但し概念においてのみ
⓽「完全な流体」「完全なジェリー」としてのエーテル
  実体として水とジェリーとは在る点では著しく一致していると共に、又在る点に於いては相違しているのである。

  一つの暗示として知覚的経験に目を転ずるならば、水はジェリーの根本成分であり、そして多少膠状の性質を加えたならば幾分抵抗あるジェリーになる程に硬くなり得るということが解かるのである。
 これはブラウン手法と言える。

  1845年ストークスによって提起された解決でありエーテルの膠質理論と呼ばれるものである。・・・端初原子の基礎として未だ研究を要するあるエーテル運動の体系と、果たしてどの程度調和し得るものであろうか。

  第1章へと戻ってみれば、過去40年間に人類社会の発達に於ける肝要な諸事実に関する渡したちの評価に、一の革命的変化が起ったので、・・・この新しい人生観に適応せしめることが必要になってきた。
  つまり19世紀中半からの科学革命が念頭にある。

  いま語られている地球問題は、2個や3個の地球では既に間に合わなくなっているともきく。
  SDGsの17の目標とか169もの標的などが産学とか官だけの問題で済むはずもない。

  膠智膠民、その心をもった『膠響子』からなる執拗低音、それはゼロの発見とも言うべき「空」膠観に重なってくる印度哲学。

  堀文子画(柳沢桂子文)「生きて死ぬ智慧」
・・・生命の根源に関心が集中しミジンコなど極微の生命宇宙を精力的に描くようになった。

  直ちに想起されてくるオストワルド親子のアメリカ大陸啓蒙活動時代。
1907年「コロイドの体系化について」は、息子の作品である。

  そこにみるBredig(1868-1944)の造語「ミクロ不均一系」

  われわれは直ちに思い出すであろう池田菊苗。立花太郎は池田菊苗とピアソンを結んで見せる。

  ところで調べを進めていくと・・・岡三郎氏が既に(夏目漱石)「文学論」の執筆にはピアソンの本が係っていたと推測していた。

  先生は更に彼らの哲学についても語っておられます。
エネルギー一元論。ではあるがオストワルドが語る世界観とは違った視座からのエネルギ~一元論である。

第8章 運動の法則
端折る事もできないから摘要の一部を転載しておく。

  私たちの取り扱わねばならぬ粒子は、エーテル単位、端初原子、原子、分子、及び微粒子である。・・・将来の進歩に対する希望は、エーテルの性質と、粗雑な「物質」の構成とのより明瞭な概念の中に掛かっている。

  カール・ピアソンならば、今何を誰との共同研究を希望するであろうか。更には教科書を執筆するのであろうか。

   



「核・拡散・誘導」 了

2019-09-16 10:00:00 | 膠識

  膠響誌「ENERGIA」とは私の見た膠景である。

 さてその主人公を演じるのはぺランではなくギブズかとも思えたが、新人を起用して見ようと思う。
田中豊一、20世紀末に亡くなったが彼の拓いた「ゲルの世界」は未完ながらも多くの示唆を私に与えてくれた。

 この脚本のネタはトーマス・グレーアム、1861年の論文、その序文だ。

 それが常識と、幾分かけ離れていると知らないわけではないが読み込んでいる内に暗黙智が騒ぎ出し、何とか宥められぬものかと綴り始めたら、御覧のような結果となってしまった。これを第二の創作と言えば聞こえがよいが、それを世間では嘘と言う。

 そもそもの切っ掛けは訳者のあとがきにある。

 その時分の想いが赤裸々に綴られている。つまり敗戦直後の米が眩い、卵が貴重品であった時代である。

 「・・・訳者としてはなんとかして英文の原文をも対照しながら翻訳したいと思い、できる限り手を尽くして探してみたが遺憾ながらそれをみることができなかった。」

 誰にでも原典が読める時代に生きている私としてはそれに一度も眼を通さないでそれを語ることが許されないとの覚悟を決めた。けれども浅学非才を顧みる事も無く挑むにはそれなりの流儀がいる。
それが結論は冒頭にあり!と見定めて臨んだのだ。

 原典は眺めれば判るように工夫を凝らしてあった。それだけに著者の想いがそこに滲み出ている!

 その数箇所を引き写し立入の訳を参照しながら、文意を探る。
最も重要視されていると判るのが、その最後を飾る「ENERGIA」である。これだけはゴシックで際立たせている。
それに続けて簡略な説明が付けられている。。

①生命現象
②有機化学的な現象
③その時の問題
と理解してよい、つまり立入の訳出でよいけれども、この造語に対する意訳は不要である。

 更にはその直前に置かれている、そこへと導く文章に眼を転じてみよう。氷等を語り始めて暫くすると、その書体が変えられて更には欄外の注が付されている。
「pectous* modification」に眼が留まるように工夫されている。欄外に付した凝縮の語源などへと続けてfibrin、casein、albumen等、その類似した事例を参照するようにと示されているのだ。

 著者の意図はこれらの事例を良しとせず、それらの膠象として「pectous* modification」を本文で使用しているのでる。それは多分、その時分の読者にとってはそれと理解できる事であったに違いないけれども、今では忘れられているのであろう。

 実はそこへと至る前段にも書体を変えたcolloidal condition of matter 等があるけれどもこれは単なる二分法によって説明するための便利さからきている記述の方便であるとは著者の記述からも理解できる。
読み飛ばしても差し支えはないけれども、付言すればリサイクルできる純粋物質と捨て去られてきた「汚染物質」とも言うべき比喩である。


 閑話休題
 「汚物」と言うやつは鈍感力があるらしく且つ固有の志膠回路をもっているからだろう粘菌のような嫌な奴だ。それでいて環境には、結構敏感に反応もする。
何故か思い出されるアルプスの氷河は地質学時代からの痕跡にも通じるからであろうか。地球だって動いているからと言うわけではないが「しんかがく」である。


 さて万物流転を凝縮したようなのものがペクチン質にはあるようだ。
細胞壁とは違ってその薄さときたら、丸でシャボン玉ではないか?つまり単分子層からなっているらしいのだ。だから動くだけではないそこでは原子の組み換えさせ思わせる。この多糖類の多さは、分類を拒み続けている不純物に相応しい。そうかここは「膠場」に違いない。それは眼には留まらないけれども、(気体)カオスナノかとトーマス・グレーアムが想像していても可笑しくは無い。

 その時分の生化学関係者の、あいだでの関心事は何故動くのかその秘密は何か、更に付け加えれば何でも吸着してしまうそこでの不純物の問題であったに違いない。

 つまり「pectous* modification」によって、その時分にはJ.Broconnot(1825)を想起出来たのである。
 其れから多くの化学者達の関心を集め続けていた、その想いはトーマス・グレーアムにおいても共感できるところであったわけだ。

 「pectous* modification」に込められているらしいのがマトリックス(生み出すもの)ナノ!?生命の不思議である。

 聞くところによれば、その機能には深遠なものがあるらしい、なにせ相手は植物の事であるから当然であるし動物だって似たようなものであるとその時分には解っていた。
細胞へと出入りするその全てをペクチン質等が担っているに違いないと思われても当然だ。水はもとより栄養分・消化・浸透圧・生長・生殖・情報などの全てだ。いわば生老病死を語るには欠かせないその核心であるからと。

 J.Broconnotから学べる事は実に多いのだが、その事例を少し挙げて置こう。キチン質等もそうだが、繊維素にも功績があり「膠分子の父」と語られてよいと考えられる。

 実はこうした背景とは別に、その論文を発表する直接的な動機は別のところにあったに違いないと私は考えている。


 第一回国際化学者会議、カールスルーエである。
それは良く知られているエピソードであるが簡単に触れておく。
会議に於ける原子論・分子論には見るべきものはなかったけれども、カンニツアロの「化学哲学講義要綱」(1858)のチラシが最大の成果となり語り継がれている。
 そこで語られるメンデレーエフの周期律の誕生150年となる。
ここで語られるべき事は不定比化合物である。グレーアムが若き日に取り組んだその問題でもある。

 トーマス・グレーアムがそのチラシに眼を落としたときには全てが氷解していた違いない。彼は若い頃から原子論・分子論を攻究してきた。尊敬するベリツエーリウスを公然と批判さえしている程である。

 丁度30年前のその公式は、ここで膠識に生まれ変わったのである。それを立入は欄外の注に付している。彼は遠慮がちに熱力学第一法則・第二法則と記したのがそれだ。

 しかしトーマス・グレーアムはもう少し深く読んでいたに違いない。
それはその語感からして化学を超えている。言うなれば自然哲学者らしい語彙である。対極と言うべきか二物衝突の問題では、ボーアの家紋をここで思い出せればなおさら好ましい。

 さらに付記して置きたい。
彼の生い立ちの負の側面が重なっているかもしれないと、私には思われる。
父に対する裏切りとされている錯誤のスパイラルに陥ったあの事であるが、今彼はその父の夢をも超えてつまり聖職者をも超えて、実験哲学者としてその責務を果たしたとの安堵感が伝わってくる。つまり父やありし日の家庭に対する謝意が感じられるではないか。
 立志は揺らぎこそあれども生涯のものであった。


 気体分子運動論はここにきて熱力学と統計力学の統合を果たして「理膠学」へと止揚を果たしたのである。
その含意は錬金術に失敗したニュートンを受け継ぎその難題を解き放ち「揺らぐ膠界」を拓いたのである。膠結(セメンテーション)に成膠したのだ。
それとは知らずにいたのはアインシュタインだけではなかったに違いない。

 親しく接してくださった住職の最期の言葉が何故か、「結膠!結膠!」と狭い玄関に響き渡ったのは不思議である。それが別れの時となった。

 このような異質な組み合わせは何故か分割不可能な揺らぎを想起させる。
だからあの法則は今や『ENERGIA膠理』と呼ばれて良い。それを「幻実態」と呼ぼう。

 彼を表象するものは今やコロイドではない、「万有理膠学の祖」である。だから芭蕉は「不易流膠」で語られるとよいことになろう。


 因みに彼は、晩年の15年間はニュートンが勤めた造幣局長官の職責を全うした。




           高輪や 秋風あわい斎灘         膠一


 追記
 今年1月9日、立花太郎先生が亡くなられました。呼吸不全、105歳でした。

 「しゃぼん玉」その黒い膜の秘密;中央公論社。などの名著を残してくださいました。感謝いたします。そこから短く引用します。

 『生体内の化学反応において、さらに注目すべきは、そこに営む生体膜が存在し、化学反応が膜構造のなかで行われていることである。』171-2頁


「核・拡散・誘導」②

2019-09-06 10:00:00 | 膠識
  トーマス・グレーアムが気体から液体へと転進した時期には注意しておこう。

それは丁度、シュワンの「動物および植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」の英訳版が出た頃と重なっている。

細胞に関しては、様々な造語が生まれは消えていったけれども、この頃に生まれたプロトプラズマやコロイドは残った。
なかでもコロイドには病的な含意があったから、その採用には健膠を祈念した想いが込められていたものと考えて良いだろう。

 トーマス・グレーアムが気体から液体へと研究の方針を転換させた、と言うよりは拡大・深化させていった、その第一報とも言える1849年「On the Diffusion of Liquids」の冒頭は「生理食塩水その他可溶性物質」と始まり、その先で眼に止まるのは“endosmose”。

ここで論じられている諸事例が膠識化されてゆく事となる。
ここでは1854年論文に注意を喚起しておこう。そこでは透析が扱われている。丁度その頃にエジンバラのリチャード・ブライトが「腎不全の臨床機能診断」の問題に取り組んでいたそこに重なるのは注目される。彼の医化学戦略は相補的なのだ、そのような問題意識が伺えて興味深い。

1861年の論文では先の論文を受け記述されている。

そこでの分析方法は直ちに広く採用されものと考えてよい。
そのうちの一人がキューネ(1837-1900)の事例として認められよう。
彼は化学的な視座から生化学に貢献した、それはゾル-ゲル転移とか透析等を駆使してのモノであった。それらを
⑴膠分子と呼ばれて良い筋肉、ミオシンなど。
⑵膠素と呼ばれて良いペプトンなど。更には
⑶膠程とでも呼んで置こう中間的な代謝であると纏めておく。

他方、そこで論じられている件を読み解いて、ストーンと腑に落ちたのがトラウベであった。腎臓等に係わったルードウィッヒの弟である。

それがあのプルシアンブルー等、若きグレーアムのほろ苦い思い出の詰まったそれを扱った事項である。
そこから人工細胞もどきをつくって見せただけではなく、更にはパスツールとリービッヒの間で争われていた論争に割り込んで酵素論を更には筋収縮の生化学を展開している。
ここではグレーアムも看過できずに最晩年には一言あったが割愛しておく。

そのような過程を経て、浸透と言う概念が完成してゆくにはファントホッフを待たねばならなかった。彼こそが第一回のノーベル化学賞受賞者でありそれ以降も、これを膠源としたかのような機能を発揮し続けている事は良く知られている。

とは言え一般的な関心は低かった。
多くの関心は、「アルプスの氷河」の探査談にこそ関心が集まっていた。

その論文は広く関心を集めたらしい。
フォーブスとの論争等も影響した事であろう。あのトムソン兄弟などやヘルムホルツ等もそこへの関心は深かったようである。

グレーアムのその論文でも金コロイドではなくて、「アルプス」へと言及している事が注目されよう。

Ⅶ 物質のコロイド状態について
この論文においてコロイド物質とクリスタロイド物質との間に仮定した最も本質的な分子構造に関する根本的な差異にもう一度立ち返って見よう。

以下省略されている事には格別の注意が必要である

「こういうと非常に奇妙にみえるかもし知れないが、氷でさえも融点またはその付近においてはコロイド物質の性質を示す。0℃より何度か下の温度で氷をつくると、水蒸気から雪や霜の形で作られた氷や薄い硫酸から凝結された氷(ファラデーの観察による)においてみられるように明りょうに結晶性の構造をもっているが、0℃で水と接触して作られた氷はガラス状の割れ目をもった均一体であって全く結晶面を示さない。海や川の氷結の際に氷板が徐々にできる条件が結晶化にどれほど適しているかということに注意するならばこれは奇妙に思われるに違いないが、パースンPersonが観察しているように氷の冷却に際して0℃よりも数度下の温度でもなを常に僭越が出るという事実はやはり最初に凝固しはじめた後もまだ分子変化が続いて起こっていることの証拠である。さらに、氷はピッチのような柔粘性を示さないまでも、コロイド物質に見られるような弾性と破壊性とをもっている。後にあげた方の破壊性では、氷は不完全乾燥ゴム質やにかわやその他の固体ゼリーなどとかすかな類似性を示す。氷はまた付着性コロイドに部類にも属する。すなわち、溶けつつある氷を互いに接触させると再び結合する(ファラデーの復氷*regelation)のはコロイド物質にはなはだ似ている。氷をコロイド物質とみなして考えていけば、氷河の運動において現れる氷の可塑性に関しても容易に解決する。*regelationとはゼラチンを含意している。」
つまりファラデー等はぼんやりと、グレーアムは明確に三重点を認識していたけれども表面張力など水の性質に関してはぼんやりとした所もあったであろう。


(ファラデー)チンダル現象でよく知られているが、ここでは進化論とも関係して彼の関心事でもあった生命の起源に係わる耐熱性芽胞問題を思い出せると良い。チンダリゼーション=間欠滅菌法はパスツールの自然発生説反証への反駁となった。
 現代においてはむしろ温暖化問題からの視点が注目されるのであろう。


(「コロイドの発見」立入 明訳。刊行されて70年となる。)




「核・拡散・誘導」①

2019-08-25 10:00:00 | 膠識
常識を破って「膠識」に止揚!

今日はファラデーの命日。

彼に関する数多くの偉人伝などはこれで良いのだろうか?


あの秘密の手紙は、それでよいのだろうか?

1832年3月12日付けの手紙は王立協会へと預けられた。


それを読み解く鍵の一つは長岡半太郎のファラデー没後50年の講演記録にある。


「先生は気体の拡散に関する攻究を枢要なるを認めて大いに之を開発せんとしたが、之をグレアムGrahamに譲り将に其大研究である電気学の方面に向かわんとして、1830年にはアンペアと意見を交換し、翌年を期して大飛躍を試みた。」


その前段に触れておこう。
デーべライナーランプは1823年の発明であるが、これに対して電光石火の如く反応したのがファラデーであった。

さて特異年となる1831年とは、細胞核のブラウン・拡散のグラハムそして電磁誘導のファラデー等で知られている。
「核・拡散・誘導」と纏めて置くのが便利であるばかりではなく、重要でもある。

グラハムの気体拡散の法則研究はキース賞を受賞した。
この賞は後にトムソン(ケルビン卿)やマクスウェルも受賞している。数学などがその対象である。
マクスウェルそれからテイトは、その年に生まれているのも奇縁である。


ところで先の手紙について語られている解釈は鵜呑みには出来ない。

その前に背景を見ておく。
時代の子として彼もまた気体に魅せられていた。
それはデヴィーが(医療)気体研究所にスカートされた事例に見るようにラボアジェ等の成果を受けて期待された医化学的な関心事であもった。彼の笑気は有名であるがこれは温室効果ガスとしても知られているのは内部エネルギー問題である。

彼が実際に従事した仕事の多くはその事を物語っている。丁度その頃に塩素の液化に気づいている。

アンペアの理論を念頭において、彼が気体に重ねあわせる事ができるとの確信を抱かせるに至った背景には、友人のホイートストンの示唆が大きかった。彼は楽器職人としての豊かな知識を供給し続けた。

デヴィー亡き後の多忙さや実験哲学者としての自覚はその道程が容易な事ではないと、はっきりとそこで認識されていた。時間との戦いとなるであろう!40年足らず!


電気と磁気。この異質なものの統合が実験的証明される日が来るであるように、全ての力は統合されるとの確信を心の奥深くしまいこんでおくより仕方がない。
それこそが実験哲学者の究極的な目的であると自覚していたのだ。

そこに書かれているアナロジーを読み解けば、音波の如く電波の如く、万物流転。波として可視化ができる、キット日常的な膠景なのだ。
こうして始まった怒涛のような1830年代は超有名であるが、それは序曲にしか過ぎない。

その確かな兆候を見出したのは普遍的な磁性を確信したその時をもって語られるべきである。それは直ちに自然哲学者等の注目を浴びた、ここからが正念場なのだ。

そうこうしている内にも、その時分でも早すぎる晩年と囁かれる時がくる。1849年以降の事となる。

ファラデー・チンダル現象として知られているように、膠継者チンダルを語ると簡便であるしし、理解しやすい。
ここではコロイド史で有名な「ファラデーの金」に触れておくけれども、何故かこれを割愛している事例も多いのには驚かされる。

彼の文体を、その言霊をそこに見たいのだが・・・!

That wonderful production of the human mind, the undulatory of light,with the phenomena for which it strives to account,seems to me,who am only an experimentalist, to stand mid between what we may conceive to be the coarser mechanical actions of matter,with their explanatory philosophy,and that other branch which includes, or should include,the physical idea of forces acting at a distance; and admitting for the time the existence of the ether, I have often struggled to preeive how far that medium might account for or mingle in with such actions,generally; and to what extent experimental trials might be devised which,with ther results and consequences, might contradict,confirm,enlarge,or modify the idea we form of it, always with the hope that the corrected or instructed idea would approach more and more to the truth of nature,and in the fulness of time coincide with it.

さっぱり解らないけれども、Aiと言う兵器があるではないか!この際思い切って使って見ようと思う。

「人間の心の素晴らしい働きかけによって、光の波動理論を検証して見ようと想う。
単なる実験主義者である私には、粗雑な合理主義者との中間にたち位置があるのでしょうか。そこからの説明責任を果たしておきたいと願っております。しばらくの間、光エーテルの存在を認めつつ、遠隔作用を考察してみたい。とは言ってもその媒体がどの程度説明するものか、正直に言えば苦労させられました。それにもましてどの程度まで実験的な試行が考案されるのだあろうか。様々なアイデアを検証し修正しながらそこでの矛盾、確認、拡大を図りつつ、アイデアが自然の真理にますます、お近づきになれますようにと祈念せずにはおられませんでした」

ここにはキット「コロイドのai」があったに違いない。

この序文の結語は、更に重要である。
後に続くうであろう多くの実験哲学者への嚆矢になればとの祈念であり呼びかけである。
錬金術由来の「膠態」とも言うべきものがあるよ!

1849年以来、目指してきた大統一はここにその豊かなヒントを残してくれたのである。

彼を以って「コロイドの祖」、もう少し丁寧に言い直せば「量子コロイド」を先取りしていた緊張の場なのだ!