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コスモスのai ③

2010-09-30 07:20:58 | colloidナノ
IPCC honoured with the 2007 Nobel PeacePrize  
Oslo, 10 December 2007
The Intergovernmental Panel on Climate Change and Albert Arnold (Al) Gore Jr.
were awarded of the Nobel Peace Prize "for their efforts to build up and disseminate greater knowledge about man-made climate change, and to lay the foundations for the measures that are needed to counteract such change".


「温暖化の科学」  独立行政法人 国立環境研究所 地球環境研究センター

水蒸気の温室効果
現在の地球は大気中に水蒸気や二酸化炭素などの温室効果ガスが存在することによって温暖な環境が保たれています。
このように二酸化炭素は大きな温室効果をもつため、その濃度が増加すると気温は上昇すると考えられます。
大気中の二酸化炭素濃度は、人間活動の影響によって年々増加しています。
 仮に現在の大気状態のまま、大気中の二酸化炭素濃度だけが2倍になった場合を考えると、地表気温上昇は1.2度程度上昇します。


地球の平均気温の変化に影響を及ぼす可能性のある太陽活動指標として、太陽黒点数の他にもいくつか候補が挙げられており、最近では、地球に到達する宇宙線(宇宙空間を漂っている電気を帯びた原子核)の強度が注目されています。
  ここでのポイントは宇宙線強度と地球の雲量の関係で、この説によれば、宇宙線により大気中に生成されたイオンが種となって雲を生成する、とされています。
 
執筆者の選出
 各作業部会の報告書は図1の手順で作成されます。

各々の工夫の効果を客観的に評価することは困難ですが、AR4にLAとして参加した経験の範囲で主観的意見を述べるなら、それぞれ有効に機能していると思います。
大量に寄せられたレビュー意見については、REの助言も得つつ、取り扱いに議論を要するもの、さらに文献をあたり情報追加が必要なもの、文法修正等の軽微なもの等に種別され、限られた作業時間の中で、それぞれ適切な対応がとられていたと思います。


これらのモデルでは、大気や海洋の運動やエネルギーの流れなどを表現する物理法則の方程式をコンピュータで計算して、大気や海洋の状態の変化を時間を追って求めていきます。

 一方、温暖化予測の場合には、初期条件は非現実的でさえなければどんなものでもよく、むしろ重要なのは、将来予想される大気中二酸化炭素濃度などの変化です。これを時間とともに変化する外部条件(シナリオ)として与えながら計算を行います。
 
エコとジオわれわれ踊る平和ショウ  

コスモスのai ②

2010-09-29 07:17:16 | colloidナノ
「訴状」等はネットに隈なく絡まりあって蠢きあっています。

 請求の趣旨
①被告東京大学は、別紙出版物目録記載の書物「地球温暖化懐疑論批判」に対する原告の編集により作成した前記書物とほぼ同一頁数の「回答書」を前記書物と同一部数印刷し、前記書物を配布したと同様の方法で全国に無料配布せよ。                以下略


謝罪広告  東京大学
「東京大学は、「地球温暖化懐疑論批判」(2009年)という書籍を醗酵しましたが、その中で、人為的温暖化説に反対する12名の先生方を名指しして、「三段論法の間違いなどロジックとしての誤謬ある」など10項目を挙げるなど、不適切な表現で侮りいたしました。
東京大学のような影響力の大きな組織がこのような行為をしたことは、重大な名誉毀損でありましたので、ここにお詫び申しあげます。
なお、この「批判書」に対し、批評された先生方による「回答書」も印刷・配布します。


 日本物理学会誌 Vol.62, No.2, 2007
CO2を削減すれば温暖化は防げるのか
槌 田 敦 (高千穂大学)
槌田敦氏講演「人為的地球温暖化否定論」 ビデオ





コスモスのai ①

2010-09-28 07:19:01 | colloidナノ
フリー大百科事典などのようなものが、よの仕組みを変えてゆく!

日本 [編集]
2007年頃から懐疑論が目立ち始め、関連書籍はセンセーショナルな内容で売れ行きをのばした[90][93]。そのような議論では海外の当該分野学術誌に発表していない「専門家」を名乗る人物などにより、温暖化の否定、CO2原因説や人為説の否定[90]、リサイクルなど対策の有効性の否定が主張されている(この項目で上述した内容、および武田邦彦を参照)。一方、そうした懐疑論に関してはその信憑性に関して様々な問題点が指摘され[74]、また反論もなされている(反論および学術的評価を参照)。このような「遅れてやってきた」[90]懐疑論が目立つ状況について、そのような主張はまともな議論とはみなされず、国際的にも通用しない、との危機感が表明され[97]、行政・公的機関・専門家らによる懐疑論への反論サイトが相次いで設置されている(外部リンクを参照)。また専門家チームによる「懐疑派バスターズ」などの取り組みも行われている[98]。


「地球温暖化懐疑論批判」     
著者: 明日香壽川 河宮未知生 高橋潔 吉村純 江守正多 伊勢武史 増田耕一 野沢徹 川村賢二 山本政一郎
 人為起源の二酸化炭素排出を主な原因として地球規模で気候が温暖化するという、いわゆる人為的地球温暖化説の信憑性や地球温暖化による被害を緩和するための対策の重要性に対し、懐疑的あるいは否定的な見解をとる議論が日本国内でも存在している。社会からの信頼にその活動基盤を置く科学者コミュニティは、こうした現状を座視すべきではないと考える。したがって、本稿ではこれらの議論から主な論点を拾い上げ、一方的な、あるいは間違った認識に基づくものに対して具体的な反論を行う。 (本文「our mission」より)

IR3S/TIGS叢書No.1


『The Gate』 
  あの木村剛とかの例にみるようにメール等が漏れ、正されるべくして正されてゆくのではあろうが、現場はいつも縺れ絡み合う修羅場。
 そこには大本営の如きものからハッカー紛いのものまでが渦巻く複雑系であってみれば、ソフトマターに同じ。
そこの原理も、また働くはずだが。



コスモスのai

2010-09-27 08:03:56 | colloidナノ
 アントニオ・ストラデイバリの音色が聞こえてくる。
その表材は高密度な“エゾ松”。それはマウンダー極小期のものである。




 日本においても「訴状」が出されるに至った。
それと、時を同じくして立ち上がった丸山茂徳、その人の言葉を引用する。

 『地球温暖化懐疑論は世界に蔓延し、科学者の世界だけではく、人文社会科学の科学者のみならず、政治、経済、産業から哲学の分野にわたり、学会を騒然とさせている。
 日本では、内嶋善兵衛氏、槌田敦氏、池田春彦氏、近藤邦明氏、渡辺正氏、伊藤公彦氏等が奮闘してきた。
 著者も本格的にこの論争に参加した。
その感想は予測されていたとはいえ異常な経験の連続である。』


 「日本には古来「武士道」という精神がある。これは孔子の儒教に遡り日本では陽明学となり、徳川家康が徳川家の永久に安泰であることを祈って浸透させたという背景があるにしろ、君主や国家の方向に忠実に従うのではなく、方向が明らかに誤っており、日本が破滅に導く方向ならば、命を賭けても闘争するという気分を沸かせてくれるものである。」
今そこに迫る「地球寒冷化」人類の危機


 2009年の黒点数の少なさを危惧する意見が目立つようになってきた。
これは1640年から1700年にかけて、異常に太陽の黒点の観測数が少なかった60年間に、相当する時期ではないのかという意見が出始めているのだ。この太陽活動の特別低調な時期を「マウンダー極小期」と呼んでいる。気候の歴史


みなまた!⑦     

2010-09-24 07:18:58 | colloidナノ
「平凡な人間がやるべき当たり前のことをやって来ただけですよ」と語った細川は、晩年夫人に時折「水俣病の研究をしている時ほど孤独なことはなかった」と語ったといいます。

  
 先生はこの日のために、猫実験ノートを大洲から取り寄せておられました。
念のために猫400号ノートを見せていただいたとき、私は一瞬自分の目を疑いました。
ノートの下のほうに書かれていた問題の〔註〕の部分が、ハサミで切り取られているではありませんか。

 あとがきでは、官僚の責任は何一つ問われませんでした。
政府の諮問委員会の専門家、学者の責任も問われていません。


水俣病と行政の責任西岡久鞆



愛媛新聞 【11.13 朝刊】 [地軸]
宇井純さん死去                                 
水俣病の発見者は西予市三瓶町出身の故細川一医師。
チッソ水俣工場の付属病院長だったが、医師の良心として新しい病気を保健所に報告した。それから五十年、水俣病にかかわった「行動する学者」が亡くなった
▲宇井純さん。東大の研究室にこもらず、患者と暮らした研究には現場のにおいがあった。水俣病の調査研究から生み出された講義録の「公害原論」は、公害反対運動の指針としてよく知られている
▲一九八五年まで東大キャンパスで、自主講座を続けた。十五年間に約二万人の市民らが聴講したという。宇井さんの父方のルーツは足尾銅山鉱毒被害の旧谷中村にある。このつながりが宇井さんを反公害運動に駆り立てたのかもしれない
▲宇井さんは常に被害者側にいたから、万年助手。「何度か困難にぶつかったが、悲惨な状況のなかで水俣病などの患者が強く生きようとしているその姿が、仕事を続けていく支えとなった」。最後の自主講座の言葉が印象深い
▲沖縄大の教授に迎えられてからも、さんご礁を守る新石垣空港反対運動にかかわった。「沖縄での自然破壊は日本でも最悪の規模」-。人間の自然に対する暴力が許せなかった。環境保護に尽くした功績で、国連環境計画の「グローバル500」を受賞したのも当然だ
▲発見から半世紀を経ても、水俣病に苦しむ人たちがいる。関西水俣病訴訟で最高裁は国の責任を断罪したが、救済は不十分だ。宇井さんは心残りだっただろう。いつまでも、患者たちを支えていてほしかった。

みなまた!⑥     

2010-09-22 06:37:09 | colloidナノ
 熊本大学医学部研究班では、昭和31(1956)年11 月頃から原因と疑われた水俣湾の魚介類を大学に送ってもらい、ネコに食べさせて発症させようとしたが、定型的な発症はなかなか得られなかった。
 ネコの発症実験を初めて成功させたのは武内教授の要請で実験を始めた伊藤保健所長であった。
当時熊本大学医学部第二病理学教室の研究生だった伊藤所長は、武内教授の指示により、水俣保健所内の一室に7 匹のネコを飼い、昭和32(1957)年3 月から水俣湾内でとった魚介類を餌として与え、短いものでは1 週間、長いものでも40 日程度で自然発症の水俣病ネコと同じ症状を発症させることに成功した。
 伊藤所長は8 ミリ映画にネコの運動障害を記録し、熊本大学医学部と共同して病理解剖、組織学的検索を行い、これが人の水俣病と同一のものであることを県衛生部に報告した。
 この実験は水俣湾産の魚介類が水俣病発症の原因であることを科学的に実証したものとして、その意義は極めて大きい。
 一方、世良教授も、昭和 32(1957)年2 月から、健康なネコを水俣市の茂道・湯堂の漁家などに送って飼ってもらうという方法でこの地区のネコの餌である魚介類の有毒性を調査した。依頼した8 匹のネコは33~65 日で全て発症し、ここでも魚介類が水俣病発症の原因であることを証明した。

 昭和 32(1957)年2 月8 日の熊本県議会では、原因究明とともに、患者や漁民の救済に関する県の対応について質問が出されていたが、同年7 月には伊藤保健所長や世良教授のネコ実験の結果も明らかにされ、早急に水俣湾産の魚介類を食べさせないように手を打つ必要性が生じていた

[注釈]細川一氏は昭和31 年9 月に定年になるが、昭和32 年9 月に新しい病院長を迎えるまで病院長を続けた。その後は嘱託として診療を手伝いながらネコ実験を続けた。。水俣病の原因究明及び発生源確定の過程(その1)

  
先生のお話をお聞きしたあと、私は先生に猫400号の実験したノートを見せていただきました。

34)酢酸系排水を直接猫に投与した実験 病理組織学的所見〔九大遠城寺〕猫№400

        中略

実験方法  酢酸系の排水を毎日20cc宛基礎食にかけて経口投与した。
動物猫   当院で2回とりに行った。

   7/21・・・・・・10/7病状発現・・・・・10/24衰弱のためした。 
                               昭和34年
  

「註」①この実験は続行を切望したが出来なかった。
    西氏が排水をとりに行ったが拒まれた。
   ②病理所見は大島君から九大にたのんだ。
   ③工場長転勤の際許可を得て再び開始す。 之がH.I.液である。
    H.I.液実験は東大へ依頼したが(斉藤氏渡米前)紛失した。
   ④社内研究班会議   技術部側ー徳江、市川、上妻、川、
              病院側ー細川、久保田、小島、大島
                           昭和34.11.30
  
   病院側から係排水の研究(本実験)を強調したが徳江氏にけられた。



「ここから下は撮らないでください」と「註」以下の部分を指さされたのです。
細川医師の苦悩

みなまた!⑤     

2010-09-21 07:08:40 | colloidナノ
よみとける文体の希望!あり。

 あの1901年に愛媛県で生まれた岡金一、はじめの物語り。

 細川一先生のお名前を初めてお聞きしたのは宇井純さんからでした。
先生は猫実験の結果を1959年11月に開かれた所内研究班会議の席上、会社側に報告し、工場廃水による実験の継続を求めましたが、会社はこれを拒否しました。

1969年春。
 岡本達明さんからの手紙を追いかけるように、石牟礼道子さんからハガキがきました。
“水俣へ行かれる途中、四国の細川先生のところに立ち寄り、先生の手元にある猫実験にかかわるノートの存在とその内容を確認してほしい。”

 今考えれば、医学は100パーセントの精密科学ではないのだから70~80パーセントの可能性があれば患者として決定していいのではないかと考えている。

板東克彦「先生がふんばられたのはどうしてか?」
細川一 「当時いい共同研究者がいた。これが非常な支えになった。」
会社  「工場の医師は工場のために働かなくてはならない。工場の役に立たなければならない」
細川一 「わたしは違う。医師としての良心を貫きたい。このことは若い人たちには話したくなかった。個人的に孤独に一人で対応していかなければならないと思っていた。」

新潟水俣病の30年
被害者側や弁護団が「事件を和解によって決着しようとしていることに納得できず」、 95年11月弁護団長を辞任し、以来、関係を断っている。

 「『水俣病に関する社会学的研究会報告書』の批判的検討」の直後のフリートーキングの中で、舌鋒鋭く、同報告書のあり方やメンバーに名を連ねた原田正純、富樫貞夫氏ら4人の研究会メンバーに迫った迫力は、弁護団活動から5年経ったとは思えない情熱を周囲にまざまざと感じさせるものがあったと、宮澤信雄元NHKアナウンサー。

みなまた!④    

2010-09-17 07:20:26 | colloidナノ
その② プロと芸術の関係

 プロの作品は、そのどの一部を取っても誰の作品とわかるほどの独自の世界を築いていることです。

 様々な努力のうちでも、プロとして最も大事なのは、社会が自分に期待する美を維持し続け、その完成に向けて精進することです。

 つまりプロとは社会が受容している「美しさ」の常識の上に美の極致を追求する人々です。
しかしこれは芸術活動ではありません。

 「プロの科学者に科学の研究ができるか?」
 バイオエタノール燃料は、時代の必要から来る必然的流れの感を呈しています。
理由の一つとして言われるのは「二酸化炭素排出量削減」ですら、これは全く間違った理由づけと私は自信をもっていえます。

 三十年前、石油危機の当時、私はサトウキビからのエタノール生産を軸とした太陽エネルギー変換農場を真剣に検討した事がありますが、結果は肥料生産、農耕機械などに消費される石油の総量が上まわってしまいま、計画を断念した苦い思い出があるからです。 

 この問題は少なからぬ人が気づいており、今後ますます深刻さを増すでしょう。


因みに「水俣病の科学」は、私の定年後の仕事です。

みなまた!③  

2010-09-16 06:53:07 | colloidナノ
「現代化学」2007年10月号の「watch」その①

 私の場合「化学プロセス工学」の確率は、「化学に回路論を作ってくれ」と助手の席を提供されてからの5年間の仕事でした。

「水俣病の科学」の研究は、現役時代に止められた仕事を定年後に再開してやはり5年間の集中仕事でした。
「人の値段;その考え方と計算」の研究・執筆は、青色発光ダイオード判決に刺激されて定年十年目の六ヵ月の集中仕事でした。

教官時代は学生を研究者に育てる事に忙しく、徹底した精神集中の必要な科学的総合の仕事はできませんでした。


「バイオエタノール狂想曲の裏側」は、二週間という短い集中で可能でした。

みなまた!② 

2010-09-15 06:56:10 | colloidナノ
東大紛争を契機として生まれたのが「環境問題研究法入門」

 水俣とか瀬戸内海などや自動車の排ガスなどの実践的な課題に取り組む事になった。

「公害の研究はそろそろお終いにしなさい。皆さんが困っている」と先生。

私から科学でのドンキホーテ的な挑戦を取り除いたら、わたしでなくなる。

2005年3月15日
「科学者になろうとしたことも、学者になろうとしたこともない。
就職口がなかったり、環境問題が大きな課題になって、それに近いものになってしまっただけである」と、中西準子さん。

2005年3月18日
「違いは政治との距離のとりかた。直接効果を求めるのか、考える人への原理と材料の提供なのか」と諌める西村肇先生。

「君よ歩いて考えろ」宇井純さん
「今、分っている事は、どうも生き方の選択しか解決はないという事実である」



「今日は、この件は主題ではないので申し訳ありませんが、ここではコメントを控えさせていただきます」鈴木治雄さん