古代道が、
東中原E遺跡より、川の土砂で堆積サレタ平地より、下大槻道路遺構へ向かう山道へ登る取っ付きに在る切通し!
確認できました?
青丸印の場所です。
明治の地図にも載る道路ですが、、、
一般道とは違う特徴が有り区別が付きます。
地元の伝承? そんな言い伝えは無くて当たり前! 敢えて調べる気もありません。
それこそ、鎌倉街道伝説辺りが古い処でそれがこの「ブログ」の名の由来です。
大道の地名や、立石等の地名に残る事は有っても、古代駅路の跡なんて言う伝承は聞いた事が有りません。
この切通が古代駅路である根拠は、、、何か?
先ずは、下大槻道路遺構と、東中原E遺跡道路遺構のライン上にある事。
そして、、、
ラインに平行な切通である事!
他に???
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