鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

反論です。

2015年05月09日 | 大鎌倉城

太平記、梅松論の文献より、
新田義貞軍が鎌倉に攻撃を加えても入り込めない防御壁の存在を文面より考えられる。
天変地異の引き潮で、唯一稲村路より鎌倉市内に入り込める場所を見つけて鎌倉を終焉に追い込めたと文献にある。それは城壁の切れた海の中です。
さて、
上記は一般に認知されていますが、鎌倉に城が無いと異論を展開するならば、
「文献の過ちを指摘し、否定する事から始めるのが筋と思います。」
 物的根拠として、
城の城壁に相当する七口を結ぶ切岸が存在するのですが、
「切岸と言われる防御ラインの存在を否定する必要がある事です。」
この2点を否定した上で「鎌倉に城が無い」と自論を展開するなら矛盾は無い。
従来説を否定する根拠も無く、自説を展開するのは矛盾を含む説を解決してない未熟な論説です。

「鎌倉に城が無い」説の講習を聞いて信じた方へ!
太平記、梅松論の文献で、どの記載が誤っているのか?
「防御ラインの存在」をどの様な言葉で否定したのでしょうか?
この2点を講師の言葉で明確にしてください。
コレガ、講師の言葉の真偽を明確にする根拠に成ります。


物的証拠の鎌倉へ侵入させない為に作った壁! 別名を「切岸」と呼び鎌倉城の城壁となりますが、それは現存します。
切岸の全容を調べた文献は無いが、遺構は莫大な量で在ります。
是非ご自分で切岸を調べ、新田軍主力部隊が化粧坂から攻撃したのに、鎌倉に入れなかった理由を実感してください。他人に教えられた知識でなく、自分の実感を持った経験となり、誰にも崩せない自分の意見に成るからです。
太平記、梅松論の文献を読み、自分なりに解釈してください。常識や定説を外れた事項が見つかるハズです。
それが貴方の考えの基になります。
疑問点を「鎌倉に城が無い」説の講師に質問をしてください。
その講師は「どれだけ切岸を見たのでしょうか?」

貴方自身が鎌倉の市内に立ち周囲の山を見渡して下さい! 

周囲の緑の山は総て切岸です!手あたり次第登ってください!それは人工的に登れない様に作った切岸で登れば怪我をします。それが体や感覚で理解する事で単なる知識ではない。

歴史の講習会を見聞きして、無批判に賛同するのは「知識が無い人が偽情報を得ただけ。」得た知識をキイワードにして、自分なりにそれ以上の情報を調べてください。それが貴方の知識だけでない貴方の教養に成るからです。
全容を掴むのは容易じゃありません。興味を持って60年間 鎌倉を面白く楽しんだ私でさえ、全容をオボロゲナガラ理解し始めた処です。
机上の研究と文献あさりをしてる人には荷が重い研究ですが、、何故か?・・
室内から野外に出る必要性があり時間が必要となる。興味を持って60年間掛かったのは、その様な意味です。
その上、知識を上回る巨大な遺構は、目前にしても人工物に見えない。

コメント
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