Ring-A-Ding 日々ロック,R&B,そしてゴスペル〜💋

おばちゃんがココロに浮かぶ由無し事を、気ままにつぶやく。ロックな時間。

和田アキ子 IN NHKホール

2017-11-30 04:05:07 | 音楽
友達に誘われて なんと!和田アキ子のコンサートに行った。
なんでも今年はデビュー50周年というアニバーサリーな年なのだという。先週末にはその記念アルバムがリリースされ、先月からもうアニバーサリーツアーが始まっているのだと。


和田アキ子というと私は実は一昨年のサマーソニックで観たことがあった。間近にみるその堂々とした体躯と空気を震わす声量は確かなものだった。
「やっぱり上手いっすね!」というのが素直な感想。
若者向けフェスで、ちょっと照れ臭そうに、でもレジェンドを感じさせるしっとりした落ち着きが流石だったね。
今回、本当は最も興味を引いたのはNHKホールということだった。初めてだったし、ここで演るタイプのヒトを観に行くチャンスってあまり無いし。「一度行ってみたい」とは思っていたんだ

溢れかえる花*花*花💐💐💐!
こういうのも凄いね!芸能界ってカンジ!
そして、ホール内は、まさにいつもテレビで観る観客席〜!一階のアリーナとも言える最前列と二列目は、例の紅白歌合戦の"審査委員席"なんだね〜(^。^)すぐわかる特別感があるね。そしてここに座っている方々は長年のファンクラブの方々かな?妙齢のご婦人方がペンライトを仲良く楽しそうに降って右へ左へたなびいている。



始まりはこの50年を振り返る、若い頃のニュース番組なんかを流してなかなか出てこない。すごいNHKっぽい。なんだろ、プロデューサーはこのホールの場合、NHKから来るのかね?司会者までは出てこないけど
いわゆる"歌謡ショー"ってカンジ!
そしてデビュー曲「星空の孤独」から始まった。
これくらいの大御所となると、ファンでなくとも曲は知ってるものばかりなのはやはり凄いね。
今年は作詞家 阿久悠さんの没後10年ということもありなおさらよくラジオなどから流れる懐かしのメロディーだしね。NHKの連ドラ「ひよっこ」などの影響からか昭和歌謡ブームも感じられるし。
私達の年代はそんな歌謡曲に浸って育った世代だからね。

緊張しいで名高いアッコさんの ドキドキがこちらまで響く前半が終わると、
ジャジィなイントロで中盤の洋楽コーナーが始まり、
今回リリースするグラミー賞カバーアルバムの中から
アデルの「Rolling In The Deep」、マーク ロンソンfeatureingブルーノーマーズの「Uptown Funk」
などを披露。英語の発音には、私が聴いても少々難ありとはいえ、努力してる姿は同年代への刺激になるんではないの?私は和田アキ子には洋楽をぜひ歌って欲しかったから、心意気で歌う迫力が なかなか良かったと思うんだけど…。

とにかく、照明がすごい。綺麗。
ダンサーも出て来て歌謡ショー!って感じ!
最後は懐かしい「あの鐘を鳴らすのはあなた」
(これはゴスペルとしても歌えそうだなー、と改めて思うが、なんとなく大晦日気分)を歌い上げて一度引っ込み、アンコールを受けて再び登場。真っ赤ドレス。あらためていうと衣装の方は始めゴールド→ブラック→白→真っ赤と替えてました。全てスパンコールのゴージャスなものでとても綺麗。でも、きっとかなり重いだろうな。
そして最後は「あなたのために歌いたい」
マイク無しで歌う部分があるので有名だが、生で聴けると思わなかった。
音響の良いNHKホールの、私は3階席だったが、よーく聴こえた。
そして、本当の最後の最期は満場の拍手👏に向かって両舞台袖から、金色のテープの爆弾が弾け、クモの糸のように1階席に降り注ぎ歓声が上がる!
まさに大晦日の紅白の最期みたいで、ちょっと笑う
友達がオペラグラスを持って来てたので、ちょっとだけ借りて観ると、和田さんはテレビで観る時よりもとても柔らかい表情で、ベテランなのにとても初々しい顔で笑ってました。

WE ARE THE CHAMPION

2017-11-26 13:31:25 | その他
テレビをつける度騒がれている大相撲暴行問題。
それほど相撲ファンでも無い私だが
たまたま出かける支度をして居た際に着けていたテレビで、白鵬VS嘉風の取り組みを観て居たため
「この先どうなっちゃうんだろう…⁈」という
漠然とした不安が胸にモヤモヤと湧いた。

確かにこのところの相撲界はモンゴル人力士勢の努力のお陰で盛り上がり、支えられていたと言ってよい状況だった。
その功績に重きを置かずに扱えば、国際問題に発展するとかいうようなモンゴル人側の言い分も出て来てしまうんだろうな。
今回の暴行事件が、なぜもっと組織内で、上手く解決が図られなかったのか残念でならないが、そういう風にうち内で解決されてしまう、普通のスポーツ界ではあり得ない角界の常識を貴乃花親方は1ミリでも変えたい、進歩させたいという思いがあるのだろうというのもわかる。

志茂田景樹さんのブログによると、むかーしも
協会側との対立で、決起した力士によるレボルーションが起きた事があったんだって(天龍事件とも言われるらしい)。


このままでは日本の相撲界はモンゴル勢に席巻されて日本の伝統的な様式は失われてしまうのではないか?
というのが、私のモヤモヤとした不安だった。
オリンピックのJUDOが日本の柔道とちょっと違うように、相撲も変わっていくのかなぁって。

話は変わるが、松井秀喜さんが現役のヤンキース時代、2004年のオールスターゲームに選抜され出場した時、ホームランダービーに出ないか?と打診された際
「僕が出たらビールが飛んでくる」と辞退したという話がある。
そんな松井選手はその後、紆余曲折あり、2006年試合中に左手首を故障。連続試合出場の記録が1768回で途絶えてしまった。その後124日ぶりに出場した試合では満員の観衆からスタンディングオベーションで迎えられるという風に周囲は変っていた。
さらに2009年にヤンキースはワールドシリーズで優勝し、その優勝に貢献した功績で松井選手は日本人選手初のワールドシリーズMVPを授与された。
ワールドシリーズで優勝したチームのMVPに日本人が⁉︎
私はこの日のテレビの放送を見ながら、仕事どころじゃなかったよ!感動で!

さらには、このメジャーリーグ現役の引退に当たってはニューヨーク・ヤンキースと1日限定のマイナー契約を結び、この日のレイズ戦の試合前にヤンキー・スタジアムのグラウンド上で引退セレモニーを行い、松井はヤンキースの一員として野球選手の生涯を終えている。

「ビールを投げられる」

多分薄々は日本人に対する差別的な空気と、アメリカ🇺🇸の国技の様なものであるベースボールに対するアメリカ人のプライドからそのように感じたのであろう…しかしそのように自ら感じられた選手の扱いが何故このようにまで変わったのか。
それはもちろん松井選手の努力の賜物には違いないが、それに加えて何を置いてもその「人格」だろう。
球界のジェントルマンと呼ばれるヤンキースの中でも、誰からもジェントルマンと評された松井秀喜さん。
それでも中学生の頃は、自分を敬遠する相手ピッチャーに、怒りの感情を露わにしたこともあったという。
その後の星稜高校時代の甲子園で社会問題にまでなった松井5打席連続敬遠はだれの記憶にもあるかと思うが、
その時の松井選手の表情は、怒りなど微塵も露わさない落ち着いたものだった。
数々の指導者に優れた人々と出会い、指導されたことも大きな幸運ではあったのだろうが、それを吸収する松井自身の「人格」が、素晴らしいものであるに違いないだろう。



WE ARE THE CHAMPION
を聴いてみる。
スポーツの勝利の場面で今でもいつも必ずかかる。
24日はフレディの命日でしたなぁ💧


夜空ノムコウ

2017-11-11 20:39:38 | 音楽
結婚生活30年。
世間の夫婦が、結婚前のお互いの過去の恋愛についてどれ程語り合っているか、知っているかは分からぬが、ウチの夫は洗いざらい私に語っているのよ。
私はそりゃあ好きになった男の子は数々いるが、実際の恋愛経験は残念ながら少ないので悔しい。

夫は中学から男子校育ちのせいもあるのか、女子に過剰な意識が高く、しかも当たって砕けろタイプで、恋愛経験というより、フラれた経験バナシがほとんどだが、ナンパした女数知れず。それらを面白おかしく話すのが大好きみたいなんだ。でも大学時代に付き合っていたカノジヨとは同棲までいき、両家の親ぐるみで付き合っていた…というのだから結婚を意識して付き合っていたのだろう。私は全部聞かされて知っている。だけどね〜、
そういうハナシは現妻に思い出語っても良いものか?

賛否は分かれるところだろう。
「それは、ルール違反」と、かなりカッ飛んでると思われていたストーンズフリークの68歳Cさんはおっしゃった。
実はこの話、Twitterでキースがマリアンヌと一緒のテーブルで談笑する写真をUPしたことから始まったのだ。時を経た今となってはこうして笑って語り合えても、さすがに、ミックは会えないよねえ…とかって。
(ストーンズの歴史に詳しくない方のため…マリアンヌはミックの元カノ。様々なスキャンダルの末破局…と、ザックリ付け加えとく)

そうか、かっ飛びの彼女でもこういう話は夫婦間ではエチケットを重んじよと思うわけね。実は私もそう思う。
考えてみれば、夫の母…つまり姑は一切彼女のことは語らなかった。姑はきっと「余計な話はするまい」と、思っていたのだろうな。彼女から元カノの話を聞いたことは無かった。で、墓場まで持って逝った。彼女はエチケットを知っていたのだろう。


そんな過去の話は、結婚30年にもなって、どうということはない。しかし、なんと現在その元カノと夫がLINEをしているとなるとどうだろう?

そもそも、夫は大分前から同窓会で知ったその元カノの電話番号を入手して、アドレス帳に入れていたらしい。大学時代同じサークルで活動していて、中年期以降度々サークルの同窓会が催されていた。ガラケーの時代はともかく、現代ではみな中高年もスマホに乗換えていて、それもよくわからないながらに操作しているので、LINEのアプリをダウンロードした際に、アドレス帳の全員に「招待」のお知らせが行ってしまう設定のままだったりして、その元カノにも「招待」が行ってしまう…という、まぁ、悪気のない(ー ー;)いきさつであったことは間違いはないようだ。


現在では、故郷の地元の名士の元へ嫁いだ彼女も還暦を過ぎ、子供4人に孫も居るとか。子供の中に障害児(と言ってももう成人)もいるとかで、夫はそんな元カノを時々LINEで励ましたり、悩みを聞いて上げたりしているらしい。
いちいち私に語って聞かせてんのね(ー ー;)
要するに、そういうコトの後ろめたさを人は皆己れが背負って人生を歩むものだろう。だが、ウチの夫はおそらくソレを一人で抱えていくのが出来ないんだな。だから洗いざらい喋るのよ。正直なわけではなくて、これはズルい事でもあるとは思う。
私としては、焼きもち焼いてもいないけど、妙にムカつく。この60歳過ぎの元カノ・カレシ同士にこの先、なにか間違いがあるとも思えないけど、この2人の「私に」対するデリカシーの無さがムカつくのよね


先週の連休に夫の故郷を巡る旅に出た。
その旅の前に、夫はその元カノの実家の前を車で通ることになるかも知れない(夫と元カノは同郷なのである)
から、「ちょっと寄って、お土産置いてこようかなー、あのお母さんには学生時代泊めてもらったりして世話になったし…」と宣った!
はー?そういう風になれるもんなのー?言っとくけど、私と2人の熟年夫婦の旅にするんじゃなかったっけ?

それは、朝の仕込みをしていた時で、ウチはいつもラジオを聴いている。その瞬間、ラジオの話題に行楽日和のニュースで昭和記念公園が出てきた。
すかさず、私は言ってみたね。
「昭和記念公園って、学生時代に行ったことあるわー。
その頃付き合っていた人と。私が作ったお弁当持って行ったのよ。」私はちょっぴり意味深な感じでつぶやいた。「その人、私にプロポーズしたのよ。卒業したら結婚しよう…って。」
へー、そうなんだーとか言う夫を無視して、私は続けた「結局、向こうはそこそこお坊ちゃんだったんで、私は引いちゃったのよね。逃げちゃったのかなあ。多分向こうはその後、相応しい人と結婚したと思うよ。」
近くの人?と夫が聞くので、「そう。多分私がここで暮らしてることは知ってるんじゃない?風の噂で。」
「逢いに来ないの?」
「来るわけないじゃん!来られても困るし。そういうもんじゃないの?…私は会ったっていいわよ、別に深い関係にはなってなかったし。大事にしてくれてたのかな、そういうことは結婚してから…みたいな感じだったから。だけど…むしろ逢いたくないわね。この歳になっておじさんオバサンになってさ。むしろいい思い出でとっておきたいの。」夫は黙って聞いていた。


夫は旅行で、元カノの家の前は通らなかった。
いくつか持ったお土産は残って東京に持って帰った。
考えて見りゃ、元カノのお母さんだって、夫のことを覚えているやら…認知症になっていたっておかしくもない歳だろう。覚えていて、よく来たねぇ〜!と歓待されると思い込んでいる方がおかしい。元カノだって、今は立派な地元の名士の妻なのだ。それも、初老の。

還暦というものは人をセンチメンタルにならせる年頃らしい。子供に還帰るから還暦という説があるのだから子供っぽいウチの夫もそんな傾向があるのかもしれない。だから還暦過ぎたからって、人生の全てが相殺されるってもんじゃない。


昨日、ラジオでSMAPの歌う「夜空ノムコウ」がかかった。
<誰かの声に気づき僕等は身を潜めた
公園のフェンス越しに夜の風が吹いた>
私は昔の彼との正真正銘のファーストキスを思い出す。
酔っ払って夜中の公園ではしゃいで遊びまわった。その頃だってもはや、身分違いなんて言うような言葉は死後になってるような時代なのに、私は諦めていた。
<歩き出す事さえもいちいちためらうくせに
つまらない常識などつぶせると思ってた>
でも気が重かったのだ。

<あの頃の未来に僕等は立っているのかな
全てが思うほど上手くはいかないみたいだ>
<あれから僕達は何かを信じてこれたかな
夜空の向こうにはもう明日が待っている>

この曲を聞くたびに涙が滲んでくる。
私は過去の恋愛で、愛し傷ついてきた。
今更会って何を語るというのだろう。
時を経たからってタダの友達になんてなって欲しくない。大切な「昔の恋人」なのだ。
夜空ノムコウを聴くたびに思い出す。

私の方が罪深いのだろうか?
そういう事は罪深くあるべきなのだ。
そして、己の人生に背負っていくものなのだ。


これは去年のスーパームーン