Ring-A-Ding 日々ロック,R&B,そしてゴスペル〜💋

おばちゃんがココロに浮かぶ由無し事を、気ままにつぶやく。ロックな時間。

「セクハラ」にも品格

2018-04-26 11:05:48 | その他
私ら'60年代生れくらいのオバちゃん達は、比較的"セクハラ"には寛容だろう。というのも、わたしらの若い頃は、それが当たり前で、文句を言っても大して取り合ってももらえなかったからだ。
街を歩いても、会社にいても、「オンナのくせに」とか、「女の子なんだから…」「まだ結婚しないの」「なんで結婚しないの」「お茶淹れて」「トイレ掃除して」
などというのはごく普通。
当時は年に1度、大抵の会社では社員旅行というのがあって、会社で温泉旅行に行って、必ず宴会がある。女子社員は、まずお酌して回る、お返しに「ご返杯〜」とか言って部長のコップで飲まされる、酔いが回ってくると上司は肩を抱いてくる、嫌な顔も出来ず「イヤーん」なんて一緒にカラオケ〜、踊れもしないのに手を握って引き寄せられダンス、そして悪ノリして女子社員の部屋になだれ込んでくる営業部長、酔って若い頃の性体験を聞かせてくる上司、「結婚って良いもんだよ〜!早く結婚しなよー」と無邪気な説教をする先輩、etc。会社のOLの伝説では、夜這いして来る上司も居たそうだ。それで、翌朝には、ケロリとした顔でバイキングの朝食なんか食べに出て来るんだから呆れちゃうよねー。

酷いもんだった…今から思うと。でも、私達世代は、父親なんかもみんなそういった酔っ払い親父が多かったせいか、「しょうがないなあ」で、許されたんだね。
それでも、バブル全盛期の80年代末。なんとなくみんなが機嫌よく、金回りが良ければ全て良し…てな感じで、me tooな問題は、さほど取り沙汰もされなかった。


今の若い人達を見ていると、仕事にせよ、子育てにせよ、本当に男の人達がよくやるようになったのに驚くね。うちの真裏に保育園があるのだけど、ベビーカーを押したお父さんや、スーツ着て抱っこ紐つけたお父さんなど、送り迎えもよくやってる。運動会や授業参観、始業の前の本の読み聞かせに通うパパ。PTAの「父親の会」なんかも和気あいあいだし、私達世代にはまだ少数だった「協力的な夫」が、今や当たり前。子供の運動会に仕事上の接待ゴルフで行けない…なんてなったら離婚されちゃうかもしれないんだから。

私達の上司の世代が、みーんな定年退職で居なくなり、仕事帰りの一杯につきあわされる事もなく、くだらない社員旅行なんてものも絶滅して、せいせいしているんだろうなあ。
若い人達が男女協力し合って家庭を築き、同じ立場で子育てする姿は、羨ましく、微笑ましい。
昔からこんなだったらこんなに少子化しなかったろう。
やはり、この「結婚しない若者」、「少子化」問題は、今の子育て世代の若者の親である私達世代が、男尊女卑的不平等の「怨念」をとくとくと我が娘たちに吹き込んだからに違いないんだ…と、私は思うけど。


それでも まだ居るいる!私らと同世代の高級官僚なんかには、昔のバブル期の空気を吸って育ってきたクソ親父が!
私達の上司達の世代のおじさんたちには、なんかまだ、まったりとした可愛げがあったな。女の人に母性を信じて、甘ったれてる幼児性がまぬけっぽくてさ。

今のニュースで報道されてるセクハラ発言の内容は、セクハラ発言と言うより「公衆便所の落書き」だ。品性の劣悪さを感じる。目の前に居る人間を、メス扱いしている。
これじゃ怒るね。間違いなく。
多分この人は、男からも嫌われてるよ。と、私は思う。

不思議なもんで、セクハラっぽい発言でも妙に許せるものもある。それは品性の問題じゃない?センスとかさ。


愛があればこそ

時間の使い方

2018-04-23 04:30:01 | その他
毎日毎日 時間が無い。
これだけ生活が様々に簡便化されているのに、なんで時間が無いのかよく分からない。
家族から、何か用事を頼まれる。するとそれは単に労働が増えるという事ではなく、「時間を取られる」ということなのだ、私にとってみれば。
クリーニング屋にワイシャツを取りに行ったり、夫がスポーツクラブで使うシャンプーなどを買うためドラッグストアに行く…などetc…。本来私の為ではない用事は、出来るだけ本人がやるよう訴えている。
甘ったれないでっ!
それは、私から時間を奪っているのよっ!


新聞を購読する人が減っているらしいが、確かに新聞を読む暇がないのは確かだ。
我が家は普通誌と、スポーツと2誌とってはいるが、丸々広げもしないで古新聞にしてしまうことがよくある。普通なら、「もう、ウェブニュースで十分、新聞辞めよう」となるところだが、仕事上、古新聞が必要なので辞めずにいる。厨房でいろんな場面で古新聞を使うのだ(揚げ物の周辺の油汚れを防ぐために壁に貼ったり、床の水気を吸い取るために敷いたり…と)。だから、将来、新聞紙というものが無くなったら不便だなぁと、薄々心配している。


毎日毎日 仕事や家事に追われているが、自分の為に使える時間を捻出する為に、朝、仕事のために起床する時間を1時間早めて、出来た1時間を自分の時間にしている。私の場合、仕事が朝5時から…なので、4時半には起床しなければならない。なので、そこからさらに1時間早めて3時半に起きている。
人に言うといつも驚かれるが、慣れればさほどでは無いことである。
子供の頃、夏休みの「ラジオ体操」が嫌いで、キチンと行けたためしが無かった。休みの日に朝6時に起きるなんて到底考えられなかったのだ。だから、私の「ラジオ体操」の通い帳は、スタンプが溜まらなかった。
日曜日に朝8時に起きる…と言うのさえバカらしく思ってた。小学生の私は、休みの日は昼近くまで朝寝坊をするもんだと思っていた。
そんな私が、新聞配達のような朝3時半起き⁈
人生って分からないものであるよ。


そもそも、この3時半起きはなぜ始まったかだが、本当は、死んだおばあちゃん(主人の母・姑)が、亡くなる数年前から認知症がひどくなり、明け方オネショをするようになった事からだった。オムツも良いものが既に沢山出回っていたが、認知症の彼女は、せっかく履かせたものを取ってしまうのである。
子供のオネショと違い、大人のオネショというものは深刻だ。何しろ厚い敷布団の下のマットレスまでぐっしょりなのである。
それで、「では、明け方3時半頃、起してトイレに行かせよう」と、なった。
そのうち、「えーい、どうせ3時半に起きるなら、また寝ても直ぐに仕事で起きなきゃなんないのだから、もう、起きちゃえ!」と、なった。
おばあちゃんの3時半起きは、季節が寒くなってきたあたりから本人が眠たがって、ガンとして起きなくなり、次第にオムツにも慣れてくれ、終わった。
しかし、私はせっかく着いたこの習慣を元に戻してしまうのが惜しくなった。当時は、このおばあちゃんの介護もあり、今よりも更に時間が無かったから、「おばあちゃんも、他の家族もみな寝静まって、誰にも邪魔されない」この時間が唯一の自由時間のようなものだったのだ。それで、この夜明け前を自分の為に使える時間としよう!と決めた。


今は、起きるのは全く平気になった。今日なんか、3時半前にトイレに行きたくなり目覚ましが鳴る前に起きてしまったくらいだ。そしてこうしてブログを書いたりしている。しかし慣れてしまうとこのせっかく作ったこの1時間も短いものだ。やはり、何をしても時間が無いのは変わりない。
人生で、1日のうち45分を勉強なり、研究なりに使うことが出来たものは大成する…と、誰かの本で読んだ覚えがある、ふーん、大成ねぇ…。


私の場合、その代わり夜寝るのは早い!もう、9時を回ると起きていられない。疲れた日は8時台に寝てしまうこともある。だから、捻出した分は、取り戻しちゃっているんだよね。睡眠時間は、減らせない。

それにしても、こんな朝型になるなんて。若い頃、しょっ中夜遊びをして、朝帰りだった昔が信じられない、我ながら。
だから今、私と全く真逆のライフスタイルをとるファミ吉息子とは、同居していてもたまにしか会わない。
人それぞれ時間の使い方というのは人生の季節によって変わるものなのだ。



今が盛りのモッコウバラ^_^

無口になる理由

2018-04-11 16:48:10 | 音楽
平和で平穏な夜。
夜の9時には寝てしまう私は歯磨きをしようとしていた。そんな時に、ぽつっと電話のベルが鳴り歯ブラシをくわえたま受けた受話器の向こうから聞こえたのは、もう、10数年間顔を合わせていない友の声だった。
懐かしさの前に、睡眠時間の事を思ってしまうのは、日々のペースをなるべく乱したくない習慣からで、しかしながら普通の人にはこの時間はまだ宵の口といえよう。
彼女は中学時代から仲良くしていた元近所の同級生で、高校、短大まで一緒だった。当時は本当に良く一緒に過ごしていた友達だ。今は結婚して他県に住み、一男一女の子供も成人し、もう、孫がいるのは一昨年あたり年賀状で知らされた。

「実はね、同窓会があるんだって!」
「へー、いつの?高校?」
「ぜんっぜん思いもしない所!」
「どこ〜?」
「昔の、バイト先の本屋!」


そう、彼女とは短大時代のバイト先まで一緒。親友といっても良い仲だった。旅行も行ったし、昔の恋愛の隅々まで知ってる。
でも、オンナ友達って哀しいもんで、人生が本格化してくると、様々な境遇の違いから疎遠になって行く。喧嘩をしたことも無いし、好きで離れる訳ではないが、年々お互いの生活がそれどころではなく(どちらかと言えば私の方が)なって行き、あっと気がつくと遥か遠くに来てしまっているというわけだ。

彼女によると、実家の方に、ある時一通の手紙がきた。
読んでみると、昔のバイト先の後輩からだった。彼女は私達が学校を卒業して、バイト先を辞めた後、そこの同僚だった仲間と結婚しているそうで、そんなことから、懐かしさは私達より深かったため、最近のSNSや、FBなどを利用して、大分年月は隔ててしまった元のバイト仲間を探し当てているらしい。そして、最近はついに会を開くぐらい、輪が出来上がってきているのだと。



「どうする〜?」と、彼女。
「どーしよう⁈、あんたには逢いたいけど、他の人の中には…会いたくない人もいるよねぇ…」と私。
「そこなのよっ!どこまで?の輪なのか?そこが問題。」
「だよねー、ふっふっ。」この意味は、私達だけが分かる。
そこまで考えて、私は言った。
「私はいいかな。もう、別にそんな昔はいいかな…って、感じ。」
彼女は少しがっかりしたかもしれない。だから、「アンタ出て、後で話を聞かせてよ〜。」と私は言ったが、一人で出るのも案外勇気がいるかもしれないね。でも、その手紙は彼女の所に来たのだし。


いっとき、同窓会ばやりで、やたらと催される時期があった。懐かしさ…っていうよりも怖いもの見たさで何度か出たけど、長いこと合ってない人達って、結局、あんまり縁のない人なんだなって感じた。そこから復活した出会いは無かった。私の場合は。

遠い、昔の、若い頃のイメージ。
たいしたオンナじゃあ無くても、18、19は番茶も出花って言うじゃない。
若いってだけで輝いていたんだ。それは、みんなお互い様だけどね。
そんな頃のイメージをわざわざ壊すためだけに行くようなものじゃん?今の自分にそれだけの自信があるか?
自信なんてないね〜、だけど、結果を恥じてるわけじゃない。歳を重ねて、少しは人間的にはマシになってる所もあるかもしれない。でも、そんなはるばる来たこれまでの道程を語るのも面倒くさい。し、辛気臭いじゃないですか。
以前、小学時代の女子の超憧れの的の男子で、私立の中学に行って、そのまま消息が分からなかった人を見つけて、みんなでワクワクで合ったけど、結果的によ〜く考えてみると、女子の全員「やっぱ、合わなければ良かった〜」だった。



JUST LIKE A WOMAN

ボブ・ディラン
Nobody feels any pain
Tonight as I stand inside the rain
Ev’rybody knows
That Baby’s got new clothes
But lately I see her ribbons and her bows
Have fallen from her curls
She takes just like a woman, yes, she does
She makes love just like a woman, yes, she does
And she aches just like a woman
But she breaks just like a little girl
Queen Mary
She’s my friend
Yes, I believe I’ll go see her again
Nobody has to guess
That Baby can’t be blessed
Till she sees finally that she’s like all the rest
With her fog, her amphetamine and her pearls
She takes just like a woman, yes
She makes love just like a woman, yes, she does
And she aches just like a woman
But she breaks just like a little girl
It was raining from the first
And I was dying there of thirst
So I came in here
And your long-time curse hurts
But what’s worse
Is this pain in here
I can’t stay in here
Ain’t it clear that
I just can’t fit
Yes, I believe it’s time for us to quit
But when we meet again
Introduced as friends
Please don’t let on that you knew me when
I was hungry and it was your world
Ah, you fake just like a woman, yes, you do
You make love just like a woman, yes, you do
Then you ache just like a woman
But you break just like a little girl

ミック・ジャガーは、自殺した恋人の葬式で歌った。

何故かこの曲を思い出したのは最後の歌詞が妙にこの感覚に似つかわしく感じたからかな。

やってられないよ
  もう別れるときがきたんだ
  再び出会って
  紹介されても
  知り合いだったなんていわないでくれ
  ぼくはきみにもてあそばれただけさ
  きみは振舞う 女のように そうさ
  きみは恋をする 女のように そのとおり
  きみは苦しむ 女のように
  でも最後に君は無造作に壊す 小さい女の子みたいに

昔の私は、分別のない小さな女の子みたいだったろう。でも、私を思い出す時は、そんな娘を思い出してほしい。ずっと、この先も。

でも、こんな突然の電話口でそんな気持ちを説明する事も出来ず、何となく無口になって電話を切った。


冥土のお客

2018-04-08 19:34:15 | その他
Gさんは昔からマメな人だった。
私の生まれた町の花屋さんのおじさんだ。
何故マメなのかといえば、例えば町の祭りの後の"鉢洗い(祭りの後片付け…からきた言葉で、いわゆる打ち上げの会などのこと)などで、子供達のために「東京サマーランド」に行くのが恒例行事であった。そういう時、当時はほとんど町会中の人が家族そろって参加したのだが、彼はその参加者の女性全員に声をかける。
「よっ!いいオンナだねぇ〜」
「粋な水着姿だねぇ〜!」
「たまんねぇな〜」などなど
下は3歳から上は70〜80歳くらいまで、漏れなくだ。
小さい子は、不思議そうな顔しているが、オバちゃん達はまんざら悪い気もしないようで、「やあねー!」とか言いながら笑っている。温厚な丸顔、たぬきのぬいぐるみみたいなおじさんだった。
釣り好きで、特に鮎が好きで、お土産にくれる釣果の鮎は、1匹づつ専用のポリ袋に綺麗に入れられているのだった。


我が家が隣町から今の場所に引っ越しても、Gさんはひと月に一度はやって来て、うちの店の「ごぼう天蕎麦」を食べて帰る。最近はあちこち体の具合も良くないようで、うちに来る日は病院通いのついで…と、なっていたようだった。
その日も午前中の、ちょうどお客が途切れがちの空いた時間帯にやってきた。いつも同じぐらいの時間帯に来る。何も変わったことは無かった。後から思えば、その日のGさんの服装が、いつものジャンパーのようなジャケットにキャップの帽子🧢ではなく、風変わりな筒そでの茶色いガウンのような丈の長い上着に、薄い髪の頭にピッタリのニット帽。ユダヤ人の被るような、外国の司祭さんが被るようなね…。
そんな所がちょっと違っていた。でも、その時は別に何とも思わずに、普通にいつものような世間話をした。


その時にはすでに私の母は葬儀も終わっていた。昔Gさんとも同じ町会にいたとはいえ、もう母は遠くに越して長いこと経っているし、わざわざ知らせて後から香典など持ってこられても困ると思い、その話はしなかった。
その代わり、本当は知らせなきゃいけない人がGさんの幼友達にいるのだが、連絡先が分からない。なので、さりげなくその友達の噂話をした。
するとGさんは、「おおっ!あいつなら東村山の花屋で知ってる人が居るんで、時々話聞くよ。」と言った。
普通に話をしていたが、どことなく元気がないようでもあった。
そのあと、バタバタとお客が入って来たこともあって
会話は遮られGさんは蕎麦を食べて帰った。
Gさんが「ご馳走さん〜」と出て行った後、私は両替のために銀行に行くので外へ出た。
うちの前の通りを反対側に渡った歩道の先にGさんの後ろ姿が見えた。茶色の筒そでのガウンの様な後ろ姿を見ながら、なんで向こう側に渡るのかなー?と私は考えていた。歩いて帰るなら渡る必要は無い。しかし、バスで帰るならその先にバス停がある。…だからかな?と、思った。


数日後、兄からLINEが入った。
「☆○*君(連絡を取りたかったGさんの幼馴染)に、母が亡くなったと連絡ついたらしい。Gさんの葬式で、知ったらしいよ。」と。
Gさんの葬式?誰が亡くなったの?
兄「え?Gさんでしょ?」
私「いつ?」
兄「さー?、先週ぐらいらしいよ。」
私「えー⁈先週、うちに食べにきたよっ!」



2〜3日して、Gさんの息子さんが挨拶に来た。
「実は、父が亡くなったんです。」
「聞いた。いつだったの?」
「8日の未明です。」
「お父さん、最後に食べに来てくれてたのよ〜。
じゃあ、その、直後に倒れられたのかしら?」
「まさか…。父は1日には、母に連れられて病院に行き、その直後からもう、動けなかったんです。」
「‼︎。うそー?たしかに来たわよ。ゴボ天蕎麦食べたもん。私、作ったもん。確か、私その後両替に銀行行ったから、その時のレシートあるはず!」
レシートを探してみると、日付は8日、となっていた。
たしかにGさんの歩いていた通りの向こう側、まっすぐ先には、Gさんの亡くなった病院の方向には違いなかった。


後から話を聞いてみると、Gさんは亡くなってるはずなのに親友のケータイにも着信を入れていたらしい。私が母の死を伝えて欲しかった人にも、結果的にはGさんのお陰で伝わったし…。
マメな人だったんだなと、つくづく思う。
私と夫はGさんの好きだった「ごぼう天蕎麦」を作り、
Gさんの奥さんにお線香代わりに上げてもらうようお願いした。毎度のご贔屓、ありがとうございました。


お花屋さんのGさんに捧ぐ

下手な考え休むに似たり

2018-04-07 04:28:26 | その他
下手な考え休むに似たり。
いつも、何かしら悩みが頭をもたげてきた時に必ずそう思う。
悩みというものは誰にでもある。
どんなに、どーんなに幸せそうに見えて、非の打ち所がないような生活をしているような人でも、必ず、悩みはある。
えてして、すんごく幸せそうなように見える人にほど、思いもかけず悲劇的な悩みがあったりするものなのだ。
これは、私も60年近く生きてきてつくづく分かったことである。
なぜこんなに良い人に…とか、なに不自由なく、はたから見ればこんなに恵まれている人がなんで…?という程神さまは、必ず試練を与えているものなのだ。
だから、人の幸せを羨んだりするのは考え違いだ。したがって、自分の不幸を人一倍悲観することもないのだ。

悩みはともすると体調を崩す。
体調がわるくなり、さらに悩みは増す。
そもそも悩みとか苦しみとかいうものは、考えたからといって解決するものではない。
大抵は成るようにしかならないのだ。

不眠とか、癌とかあらゆるストレスから来る病気は自分でも意識しないうちに忍び寄って来る。
抱えた悩みを向こうに押しやって、まんまと上手く遠ざけたつもりになっていても知らないうちに身体の方が痛んでくるのだ。
人というのは必ず死ぬように出来ている。
だから多かれ少なかれ、こういう影響を受けて、少しずつ加齢と共に死へと向かっている。
どんなに若返りサプリを飲んでも、ストレスは防げない。

下手な考え休むに似たり。
鬱々とすると必ずそう思うようにしている。
何か、考えなくては・悩まなくてはいけないような、解決に向かわないような不安感から、悩むのが人というものだが、大抵は解決しない。
それで、体調を崩したら元も効も無い。
昔から精神を鍛える…というのはそういう事なのではないのか?と、思う。
初めから悩まない!
そういう境地に達する人が、ハッピーなのだ。
ハッピーの種は常に自分の中にある。酷く能天気な様だが、その境地に行き着くのはどうやら生きる知恵というのか、「コツ」があるのかも知れない。


波高く風強し、勝浦の海