以前、新婚さんいらっしゃい!という記事で、キジバトの夫婦がウチの目の前の街路樹に巣を作ったハナシを書いたが、巣はそれきりそれこそ「空き巣」だった。
それが、コロナ禍に喘ぐちまたの空気をよそに、先月の中頃からその巣にキジバトの夫婦が住み着いた。
その巣をそもそも作ったつがいかどうかはわからぬ。しかも、キジバトについてのWikipediaを観ると、雑な巣の作り方をする上に、他の鳩の空き巣を使う場合も多々ある…ということから全く他鳩であるのかもしれない。
キジバト夫婦はまださほど暑さが迫る前から交代で巣を守り続けているようだった。
暑さが日を増して厳しくなって行く日々で、時々は激しい夕立などもあり。その度に我が家は心配で巣を、下から覗き込んだ。
すると、何も無かったかのように親鳥は平然としており、その様子はとても不思議だった。
やがて、
なにかふわふわした黄色い羽毛をまだらにまとった塊がうごめき出した!
時々は親鳥の留守の間に二羽並んで喉をヒクヒクさせている。
あっ!2羽のヒナだっ!
あーんな雑な巣に、それもこんな猛暑の中、野生の鳥は逞ましいものである。
親鳥は最近、度々いなくなるが、ヒナは物音を立てるでもなく大人しく待っている。
ウチの目の前で鳥が孵る…そんなことは目に見るのは初めてだ。しかし…
鳥は、古から繰り返されてきたことをそのまま繰り返してきているだけなのだ。
蝉も、何千年も前から同じ求愛の歌を歌って繰り返している…。
コロナ禍にあって、いったい今まで考えてきた将来のことって何だったのかを考える。
皆、将来のこと真剣に考えて頑張ってきた筈だ。それが…将来のことなんて、考えてなんの足しになったのだろう。この度の疫害は、中小の頑張ってきた企業ほど被害は大きいらしい。
どの国も、未来の国家繁栄に向かって、何も疑わず邁進していたはずだ。
今この世界になって
そんな中、将来…⁉︎
そんなもの考えられるだろうか。
それは、一時の安定した時代にのみ考えられることではないのか。
いま、この禍の時代にあって、生きとし生けるものは、みな今を生きる…今この時をどのように生きるかしか無いのではないか?
将来、未来⁉︎そんなものが、本当に計画通りに存在するのだろうか?
今、この酷暑の世を生きるキジバトの家族に、私達の甘さを翻させられる自然の摂理が平然とある…
そんなものを見させられている様な気がする。
備えは必要。
しかし、未来とか、夢など そんなものはあり得るのだろうか?