今回、憲法学者と言われる人が、安保法制に対して「憲法違反」と表明。
これに対して、安保法制に反対してきた人は、援軍を得たようにアピールが派手になってきた。
民主党をはじめ野党は、ここぞとばかりに国民に対しても意思表示が大袈裟になって来た。
某番組に出演していた人が発言していたが、今回安保法制の議論が起こって来たその原因は?と言う事を考えた方がいい。
日本はこれまで戦争をした事がなく、犠牲者を作る事も出す事もなかった。・・と発言し反対を挙げている人達はここを強調する人々も多い。
学者を呼び憲法に対してどうか?と発言させる事が日本の将来にとって妥当かどうか?である。
机上で勉強してきた人達から考えれば、厳密に考えれば違反だと言うだろうし、政党の影響を受けた人達が其々発言したところで、政党の代弁者だけである。・・この議論では自分から言わせれば、税金の無駄遣いであり議論そのものがエネルギーの使い方に対してどうかと思う。
国民の代表として自覚を持って国会を行っているのだろうが、与党も野党も国民側に立って考える事が必要だろう。
与党の幹事長が郊外へ演説に行き、そこで罵声を浴びせられるネットニュースが載っていたが、国民が理解できていない法案に対して、賛成側も反対側もそれそれの主義主張を唱えるだけでは、今回のケースもありうると思う。
憲法学者と言われる人たちが「憲法違反」と断言するのであれば、すべての行いに厳格な規則を当てはめなければならなくなる。
それはどういう事かと言うと、決められた法律通りに判断を下すならば、判決時に人間が勝手に解釈する文言は憲法違反になる。
其々の判決がされるが、裁判長や検察、弁護士が主張する状況や環境の背景は必要ない事になる。
犯した事を判断するだけでいいのだろう。・・それを行えば規則通りに判決が言い渡される。一切の状況、環境、感情、温情は必要ないだろう。・・それを言い(状況、環境、感情、温情)判断を鈍らせる行為は憲法違反となる。
例えば、日本には自衛隊が現実存在するが、憲法九条から考え厳密に審査すれば違憲になるのではと思う。条文1を遂行するための陸、海、空の戦力でなくても、武力は武力である。軍と同じ戦力がある。しかし、自衛隊がなければ悪質な周辺諸国は日本を武力で攻めてくる可能性は十分にある。規則通りに考えれば自衛隊は持てない事になるが、規則と現実は一致しない所から考え、存在して当然とする考えで自衛隊が日本にある。(憲法で自衛隊は軍と世界に表明出来れば、自衛隊員の心構えや取り組み方に変化が生じると思うのだが。)・・最近まで共産党は自衛隊の存在を認めてこなかったと思うのだが、これなどは共産党が現実を直視してない姿だろう。基本的な事は変わらないのが共産党であり、一見歯止めのように感じるが、実は悪質な周辺諸国の代弁者に変わりはないのが真実だろう。
憲法九条に関して昔から其々の解釈がされ、今回のような事案に対して合憲だとか違憲だという事がたびたび議論され、いっこうに決着しない。この事などは将来の日本を考えていたのか疑問が生ずる。
民主党は憲法学者の「憲法違反」発言から、安保法制の撤回を叫び気勢をあげている。
この姿勢で政権を取られては、国民が不幸になるだろう。今回の事を利用して政権を追い込もうとしているのだろうが、その姿勢は日本を取り巻く状況を考えていないという事になる。それこそ日本の事を考えているのか?と言えるだろう。
今回、安保法制の事が持ち上がったのはどうしてか?・・を国会議員も国民も冷静に考える必要がある。
安保法制が議論される事になった原因は、日本を取り巻く情勢変化と国際状況の変化では?
賛成か?反対か?だけの説明と議論では、日本を取り巻く状況と国際変化に対応出来ないだろう。賛成する側は賛成だし反対をする人は反対だけの意見で、収集がつかなくなる。現状がそうである。最後には数の結果で強行採決。・・となり後味が悪い。
特に共産、社民は反対だけの反対で、人間思考が働かない状況である。国民に危険だけを植え付けるだけでは、最近の中国に対処出来ないだろう。・・それとも共産、社民は日本に中国が力を行使しても良いと考えているのか?それとも中国の分党?
全てそうであるが、時代が変化しているのであるから、時代に対応しなければ。その事を考えずに決めた憲法だから!・・と考える発想は国を滅ぼす。共産、社民がそれを狙っているのであれば別だが。
安保法制が議論される事は、日本がその時期に来ているのだろうと思う。現実、米国との同盟関係は大事であり、日本の役割も変わらざるを得ないだろう。・・そこの所を抜かして各党の主張だけを国会で議論する事は税金の無駄使いである!
憲法学者も「憲法違反」の考えだけでは学生のレベルと変わらない。憲法について考え議論(思考)してきたのであれば、日本の状況を考えた意見が出されるべきである。ただ国会に呼ばれて教科書通りの意見では、憲法に携わってきた期間は無駄のように感じる。(憲法改正が現状では出来そうもないのであるから、柔軟な考えを打ち出すべきだろう。それが人間である。)
学者の方々も、教科書通りの考えで「憲法違反」という考えはいいが、人間が営む上での知恵が必要である。事例を挙げて中世のヨーロッパではとか立憲主義とか発言しているが、現場に即した対応意見を言う事が、決められた規則を生かす術である、と考えることが求められるだろう。其々の事案に対して。その事も人間の考え方として、生徒や世間に言う事が必要だろう。・・その考えが浸透すれば国民も判断しやすいのではと思う。安保法制や憲法改正についても。
以前も書いたが、おかしい方向に暴走しない歯止めと、常識的な判断を心がけるべきである。・・与党も議論に応じて常識的な野党の意見に対しては、修正も必要となるだろう。・・日本にとってはリスクも増えるが、国民に理解してもらう必要があるだろう。
決めた事に対して「違反」では、すべてが「違反」だらけである。
自分らの環境や状況を良くするための規則であるならば、そのように使用しなければ、規則中心の生活になり人間らしさが生かされない。
※ 一番の問題は、人間が何故?地球に存在するのか。目的は?使命は?を考えなければ、根本的な解決にはならないのだが。これは真理の次元に入るので、ここでは詳しく書かないが一番大事なことである。