今日のタイトルは短い。でもとても不思議。
日本には一都、一道、二府、あとは県がいっぱい。都は首都の東京だからまあいいとして、どうして道なの?府なの?と言う事で、昨晩は寝つきが悪く、今日は機嫌がよろしくない。
小林恵子嬢(年は知らないから、嬢にしておこう。)の本によれば、任那の日本府は教えられたような倭の出先機関ではなく、符堅という前秦(秦韓)の王が設置した都市のようだ。
任那は倭ではなく、日本だったのか?そして、日本は秦韓のことだったのか。符堅とは北方遊牧民のテイ(字がない、氏の下にー)出身だ。この日本が倭を乗っ取ったのではないのか。
とりあえず、謎にしておこう。
さらに、大宰府というのがあった。これもなかなか手ごわい。九州王朝が存在したとすれば、筑紫に首都があったと考える事に異論はない。では、大宰府はその首都なのか。それが大和地方へ移動したとしたら、ただの太宰という地名になるはずだ。どうも納得がゆかない。
どうして地名として残したのだろう。
大阪府、京都府は、かって首都があったから府にしたのだろうか。信長のいた安土は府ではない、鎌倉も府ではない。
とりあえず結論は出てこないのだが、何か意味がありそうだ。調べると面白そう。
ついでに、北海道はどうして道なの?大きい県だから道にしたの?
韓国へ行くと全羅北道とか、慶尚南道とか日本の県を道と表しているようだ。つまり、北海道は韓国なのか?
生れてから、どうして道なの?とか府なの?など考えてもこなかった。
ブログでも書いてきたが、私は大阪や京都が好きになれない。理由はというより、虫が好かない。いつも、大阪は日本じゃないみたいだ、と思ってきた。
正直に言うと、今、京都と大阪は日本ではないのかもしれないと思うようになって来た。
これはもう少し調べなければならない。誰か知ってる人がいたらお知らせください。
はだか祭りで有名な国府宮祭り、どうして国府と書いて、コウノミヤと言うのだろう。
不思議な事はまだまだたくさんあるな。