マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

岐阜の由来

2008-03-04 11:33:55 | 古代史

最近は古代史の研究がちょっと小休止。小林恵子さんの本を買い集め、彼女の主張を整理してみたい。今のところ「陰謀 大化改新」と、「本当は万葉集・・」は読んで、、あと数冊手配済みだ。そのほかには、「億のうそみち」を解読中で、今までまったく考えもしない視点であり、大いに感激している。その延長線で、あることに気づいた。

私の住む名古屋のそばに岐阜がある、その岐阜の名は信長が名付けたといわれ、

「「岐」は、中国の「岐山」にちなんで付けられています。周の文王はこの山で立ち上がり、八百年の太平の基を築きました。岐阜の「阜」は、中国の「曲阜(きょくふ)」にちなんで付けられています。曲阜は、学問の祖、孔子の生まれた地であります。太平と学問の地「岐阜」であれという熱い願いでした。織田信長は、その説を生かして城下の井之口を岐阜と改め、天下統一の拠点として全国にその名を広めました。」

と教えられてきたはずだ。けれど、信長が本当にそう思って付けたとは限らない。

私は日本の歴史を研究するに当たり、よもや五胡十六国の歴史まで学ばなければならないとは思わなかった。しかし、実際はそこを研究しないことには日本の何も判らないだろう。

結論から言おう、岐阜の名前は「魏府」に違いない。日本の歴史家たちはそれを知っていたが、そうは言えなかったのだ。信長が鮮卑の出身かどうかは定かではないが、自分を魏の皇帝に見立てたことは疑いがない。

地名で歴史のすべてが判明するものではないが、文字は消され、改変させられてしまうが、地名は化石のように残っている。地名がなくならないうちに早く解読する必要がある。

さあ、がんばろう。

今、二冊本が入った。「解読謎の四世紀」と「興亡 古代史」だ。読むぞー。