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真玉橋幽霊

2005年09月10日 04時16分07秒 | 日記・エッセイ・コラム
「真玉橋」と書いてなんと読むでしょうか?

しんたまばし?

しんぎょくばし?

残念ながらいずれもハズレです。

正解はこちら

 ↓ ↓ ↓

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そう、「まだんばし」 と読みます。

ウチナー(沖縄)の固有名詞は難しいものが多いのですがこれもその中のひとつなんですね。 

この真玉橋は那覇市と豊見城市の間を流れる国場川に架かっています。

国場川は先日の記事で書いた漫湖の上流側に位置しています。

私が子供の頃はよく親父に連れられて橋の上から釣りをしてテレピア(川魚でエジプトでは高級魚らしい)をバケツ一杯に釣って夕飯のおかずに持ち帰ったものです。(とにかく驚くほどよく釣れたのを記憶しています)

この真玉橋は今から遡ること約480年前の1522年に琉球王府時代の首里と島尻地方を結ぶ交通の要として当時の琉球国王・尚真の時代に架けられました。

その当時は木橋の五連橋であり、橋の中央が真玉橋、北側が世寄橋、南側が世持橋といい、両端の橋は名前のない橋でした。

その後大雨による洪水で流されたため1707年に石橋に架け替えられたのですが工事中に何度も橋脚が洪水で流された末なんとかできあがったのが・・・・・・・・
これです。

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どうですか?

美しいアーチでしょう?

これは構造的および景観的にも当時のウチナー(沖縄)独特の石造文化を代表する橋でしたが残念ながら1945年の沖縄戦で破壊されました。

冒頭の写真は3~4年前に架け替えられたばかりの橋です。

アーチの部分は当時の面影を復活させたようですね。

当時のアーチ部分は架け替えの工事中に発掘されたものを遺構として現在の橋の入口に復元されました。

これです。

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当時の橋の架け替えには多大な費用と人力を要したという記録が残されていますがそれにまつわる伝説が今でも脈々と伝えられております。

それは当時、木橋から石橋に架け替える際に何度も橋脚が洪水によって流されたため、困り果てた役人はあるひとりのノロ(神女:神に仕える女性)にお伺いを立てたワケです。

そうするとそのノロいわく「水の神様を鎮めるために人柱を立てる必要がある」 といったのです。
つまり人身御供のことですね。

で、その条件とは「子年生まれで七色の元結い(髪飾り)をした女」といったのです。

役人達はそれから必死でその条件の女性を捜し回ったワケですがなんと結果として当のノロ自身がその条件に当てはまったのですね~!!

さあ、ノロは泣き叫びながらなんとか役人から逃れようとしたのですが強制的に連れて行かれてなんと生きたまま人柱にされてしまったのです。

そして死に間際に娘に残した言葉が「人より先にものを言ってはいけない!」ということでした。

つまりでしゃばるなということですね。

以来、人々は「ムヌユミムンヤ、ウマヌサチ、トゥーユン」

つまりこの意味は「おしゃべりものは馬の先を行って災いを招く」という戒めの言葉として伝えられているワケです。

そういうことで昔から草木も眠るウシミツドキになると幽霊が出没するといわれているのが真玉橋幽霊として今日まで言い伝えられているワケですネ~。。。

ああ、なんと恐ろしや、恐ろしや、

これをウチナーグチ(沖縄方言)でいうと → アイエーナー、ウトゥルシムン、ウトゥルシムン、

となります。

ところで、あなたは幽霊を信じますか?

ほら、あなたのうしろに・・・・・・・・


今回は夏も終わり頃のウチナー(沖縄)の怪談特別記事でした。


アンシェーヤ!(それでは!)






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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>フィジカルプランナー社長様 (沖縄のヒロシです)
2005-09-14 11:10:30
>フィジカルプランナー社長様

コメントありがとうございます。
確かにそうですね。
親子であれば親は我が子のためなら自らの命も捧げるのですが・・・・・・・
しかし最近はそれも成り立たない事件が相次いでいます。
悲しいことですね。
返信する
おもしろい伝説なんですね。 (フィジカルプランナー社長)
2005-09-14 09:15:17
おもしろい伝説なんですね。
おもしろいといったら何だか取り憑かれそうですが。
それにしても、人間というのは不思議な生き物ですよね。
他人を生贄にするのは厭わないが
やはり自分の身はかわいい・・・。
すごく人間らしいお話だなあと思いながら読ませていただきました。
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