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花燃ゆ 第十九回

2015年05月10日 18時41分17秒 | 2015年ドラマ

『女たち、手を組む』
「女たち、手を組む~松下村塾生が名誉かけ再び動き出す激動開始」

内容
文久二年。品不足と物価高騰で文(井上真央)たちは日々の生活に苦労していた。
一方、塾生たちも仕事がなく。。。
そんななか高杉(高良健吾)は、藩命で上海への視察が決まる。
そのため、妻・雅(黒島結菜)のことを頼むと文に伝えるのだが、
物怖じせぬ言いように、文達を戸惑わせる。

そのころ久坂(東出昌大)は、周布(石丸幹二)に京に行くべきと上申するが、
やはり、塾にいたことで。。。。話さえ聞いてもらえず。
それでも久坂は京に行くことを決意。

敬称略



こういう話が、面白いと思うかどうかは、好みの部分なので。

正直。。。。あってもいい。。。という程度だ。

個人的には、内容や展開、話自体を問題にするつもりはない。

ただ、今作の問題は、

こういう。。。現代風的なエピソードを、

わざわざ“大河ドラマ風”で仕立て上げていることだ。

腐っても“大河”なので、仕立てること自体は、ある程度仕方ない

だが、
登場シーンの問題もあるが、キャスティングに重みがないこともあって、

そういった仕立て方をしたことで、どうしても違和感が生じてしまっているのだ。

髷を結っているだけの現代劇。。。って感じ。

目で見ている話と、頭で理解する話。

と聞こえてくる音楽で感じる話にギャップが有り過ぎるのだ。

これは、今作が序盤から。。。ずっとやっていること。。。なのですが。

無理に“大河”に仕立てる必要って、あるのかな???


あんなこと、こんなことを描いて、散漫になりすぎているのも鼻につくが。

どうしてもギャップが大きすぎて、いつまで経っても慣れない。


しっかし今作は、あんなこと、こんなこと。。を描きすぎてしまっていることで、

話に柱がないだけでなく、演出的にも一体感が無いという。

なにもかもが中途半端というあり得ない状態を生みだしてしまっているね。

仮に、ラスト部分。。。そしてサブタイトルのように

“女”を前に出すならば、

他の。。。塾生たちの部分。。9割方削除すれば良いだろうに。


禁句になりますが。。。

そこまでして、久坂達を描かなきゃならないかな???

主人公は、文でしょ?

ラストのワンカットと、亀太郎の部分。。。

それも、2~3分で十分だったような気がします。