レベル999のgoo部屋

2011年4月に、、、本店の1つに格上げ
トラックバック、コメントも受け付けています。

純と愛 第36回

2012年11月10日 07時53分11秒 | 2012年ドラマ

内容
“生まれてこない方が良かった”と善行(武田鉄矢)に言われ、
ショックを受ける純(夏菜)
それを見た愛(風間俊介)は、母・多恵子(若村麻由美)に電話を入れ。。。


敬称略


まさか、こんな時点で。。。
あ。。先日書いたように。ほぼ4分の1だから、

作品全体のネタフリと考えれば、何一つ間違っていないんですよね。


実際、奇を衒っているような雰囲気があったり、
暗い感じの作風であっても、

基本的に、そういう部分を崩さず、
オーソドックスなカタチで描くことが多い作者ですので。

だから、演出次第。。。。。。と書いてしまうことが多いのである。


ただ、どうしても良く分からないんだが。

最終的に、純と愛が2人で。。。。
悲劇的結末を用意しているなら、面白そうなんだけど。

《朝ドラ》だから、絶対にあり得ない。

結局、この“前提”を考慮に入れているだけでなく、
前述したように作者がオーソドックスなカタチで描くことを考えると。

“2人だけ”で物語が進むとは思えないのである。

間違いなく“周りの人たち”も混ざってくるし、“家族”になるのである。


え?それが、普通だろ?

たしかに、その通りなのだし、

“純と愛”“周りの人たち”の構図を考えると、

そういうカタチで進むのである。


で。良く分からないというのは。

以前も書いたが、“周りの人たち”は、いろいろネタフリされているので
“家族”になっていくことに、全く違和感は無いのだが。

セリフで“孤独”“孤立”を強調しているということは、

“純と愛”だって、その“周りの人たち”に近づいていくはずなのである。

そうでなければ、“家族”として成立しないし
この世界観の中で“社会”“人間”が成立しなくなるからである。

なのに、自ら周りを拒否する状態を描いていることが、
どうしても理解に苦しむわけである。


もちろん、一部には、ネタフリされているのだが

ここまで来ても、その“兆し”は、あまり見えないわけであり。

どうも。。。その部分の理解に苦しむのだ。

この作者なら、やっていても良いハズなのに。。。。。ということ。。。


楽天ブログ版
楽天ブログ版は、こちら

TBが飛ばない場合は以下へどうぞ

http://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-3901.html