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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

梅若家久(うめわかいへひさ)

2016-03-28 07:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
梅若家久(うめわかいへひさ)

〔現代かなづかい〕うめわかいえひさ


大夫。丹波猿楽の大夫。梅若は観世から

分かれた一派。

1582年5月信長は上国した徳川家康一行の苦労を

    ねぎらうため、安土城惣見寺で舞と能を

    興行する。近衛前久・信長・徳川家康・

    穴山信君・楠正虎・長雲・宮内卿法印・

    二位法印らが見学。幸若義重が舞をつとめ

    よいできであったが、丹波猿楽の梅若家久

    の能は出来が悪く信長から折檻を受ける。

    信長の要望により幸若義重は再度舞を舞い、

    信長から黄金十枚を下され、梅若家久も

    世間体を気にした信長から金子十枚を下される。


 ※短気で自己中と思われている信長公ですが、

  結構、人間関係・評判などを細かく配慮して

  います。ここで“金子10枚”は“金10両”

  として現代の480万円ほどです。“黄金1枚”

  は“金10両”として“黄金10枚”は“金100両”

  すなわち現代の4800万円!信長公、太っ腹!


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