<初出:2007年の再掲です>
巻二の七 水野信元、清洲へ参上すること
今回の織田信長・丹羽長秀・柴田勝家三人の決定
どおり、水野信元を仲介して松平元康と秘密裏に打
合せを進める運びであったが、水野側から急遽「直
接上総介殿にお会いして申上したいことがある」と
の連絡が入る。ちなみに水野信元は天文十二年(一
五四三)七月父忠政の死により家督をついだ時から
今川氏に背き織田信秀に服属していたし、その子信
長とも天文二十三年(一五五四)駿河衆に小河城を
攻められと時に救援要請したほどの間柄であり、自
他共に「尾張の身方」と認めている。一方信元の弟
(忠政の三男)の水野忠重は松平元康についており、
三河・駿河との釣り合いを取っている。したがって
今回の交渉も織田信長→丹羽長秀・柴田勝家→(水
野信元→水野忠重)→松平元康という経路で進めら
れ、もし露見したとしても他国から見て道理の立つ
形となっている。水野信元が尾張清洲に来ても何の
無理も無い。
清洲城では織田信長と丹羽長秀が待ちうけ、早速
水野信元が申上する。水野は紅潮した顔で、早口で
まくしたてる。
「上総介殿にあられてはご機嫌麗しゅうございます」
「まあそれはどうでも良い。金吾殿(忠政)の嫡が
直接来られるとは大儀である。早速はじめられよ」
「御意。すでにご存知かと思いますが、『尾張に降
参したい』旨申上するよう、三河の松平元康から申
し出がありました」
「うむ、聞いておる」
「その真意を確かめたところ、実は『現在、今川
氏真が自分を信用しているうちに三河を独立させる
いい機会とも考えたが、いかんせん駿河の属将とし
て出陣し岡崎に入ったため、国を経営するだけの資
金が無いし家臣もいない。どうせなら尾張から攻め
られた形にして一度三河を尾張に取り込んでいただ
き、自分を三河の主にしていただきたい』とのこと
でございました」
何とも都合のいい話である。
「ただ現在の三河は守護として吉良殿(義昭)がお
られるから、尾張が三河を取り込むには無理がある
ことぐらい竹千代もわかりそうなものだが」
「それは殿の仰せの通りですが、気のはやい元康殿
は『思い込んだら命がけ』のところがございまして」
「そうそう、その性格のために尾張のわれわれが苦
労していることをわかっておるのかどうか・・・。
また冷静に三河の国の様子を見た場合、知多・渥美
の海産物はそこそこ多いが、陸地は岩山が多く田畑
が作りづらい。換金作物の米が取れないとなると国
の税収が少なく、仮に尾張に取り込んだとしても経
営の難しい地域であろう」
「ですな。桶狭間開戦までの三河の財源は、海運業
者からの徴税と陸運業者、及び河川運輸業者からの
徴税となって
おります」
「うむ。知っておる」
「となると結論は一つ。『尾張は三河を攻撃しない』
ということになりますな」
丁度良い時に丹羽五郎左衛門が切れ味鋭く発言し、
織田
信長も水野信元もあいづちをうつ。
「せっかくおいでいただいた水野の殿には申し訳な
いが、拙も上総介も『三河の大たわけ』に深い遺恨
を持っている。したがって今回の元康殿の申し出は
お断りしたい」
「承知致しました。ただもれ承るところによります
と、上総介殿は近々美濃の斎藤義龍に弔い合戦を挑
むことになるとのこと。それならば、『元康は尾張
を攻撃しない。尾張も元康の動きを感知しない』と
いうことにしておく必要がありますな」
「さすが水野殿!」
今度は水野信元の頭の回転の速さに、織田信長と丹
羽長秀が相槌を打つ。
「さすが機転の利く方は話がはやい。では五郎左衛
門、後はよしなに。信元殿、三河での武運長久を!」
一段落すると、信長はそそくさとひきあげる。会
談後、細かい部分・足りない部分・危険な部分を二
人で煮詰めて行く。
*基本的には『降参したい』という申し出は受けな
いこと
*松平元康殿にあっては、駿河の今川家に代わって
三河に駐在していることを自覚すること
*「元康は尾張を攻撃しないかわりに尾張も元康の
動きに感知しない」という相互不可侵の立場を互い
に守ること
*守護の吉良殿との関係をよくよく検討すること。
下克上して長続きした者はいないので行動は慎重に
すること
*産業を奨励して税収を増やし国力をつけること
*協力者への手厚い保護を忘れないこと
などことこまかく言い含めておいた。
慣例に従い、引出物(箱の中身は小袖とその下の
金であるが)を信元に渡し、「くれぐれも早まった
行動を取らないように」元康を諭してもらうようあ
らためて依頼する。水野信元も笑顔で「承りました」
と出発する。城門から送り出し中に戻ろうと振り返
った瞬間、強烈な身震いが五郎左衛門を襲った。何
か、非常に良くない何かが起きる前兆である。すぐ
にそれは現実のものとなる。
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<JR岐阜駅前の黄金の信長公像>
巻二の七 水野信元、清洲へ参上すること
今回の織田信長・丹羽長秀・柴田勝家三人の決定
どおり、水野信元を仲介して松平元康と秘密裏に打
合せを進める運びであったが、水野側から急遽「直
接上総介殿にお会いして申上したいことがある」と
の連絡が入る。ちなみに水野信元は天文十二年(一
五四三)七月父忠政の死により家督をついだ時から
今川氏に背き織田信秀に服属していたし、その子信
長とも天文二十三年(一五五四)駿河衆に小河城を
攻められと時に救援要請したほどの間柄であり、自
他共に「尾張の身方」と認めている。一方信元の弟
(忠政の三男)の水野忠重は松平元康についており、
三河・駿河との釣り合いを取っている。したがって
今回の交渉も織田信長→丹羽長秀・柴田勝家→(水
野信元→水野忠重)→松平元康という経路で進めら
れ、もし露見したとしても他国から見て道理の立つ
形となっている。水野信元が尾張清洲に来ても何の
無理も無い。
清洲城では織田信長と丹羽長秀が待ちうけ、早速
水野信元が申上する。水野は紅潮した顔で、早口で
まくしたてる。
「上総介殿にあられてはご機嫌麗しゅうございます」
「まあそれはどうでも良い。金吾殿(忠政)の嫡が
直接来られるとは大儀である。早速はじめられよ」
「御意。すでにご存知かと思いますが、『尾張に降
参したい』旨申上するよう、三河の松平元康から申
し出がありました」
「うむ、聞いておる」
「その真意を確かめたところ、実は『現在、今川
氏真が自分を信用しているうちに三河を独立させる
いい機会とも考えたが、いかんせん駿河の属将とし
て出陣し岡崎に入ったため、国を経営するだけの資
金が無いし家臣もいない。どうせなら尾張から攻め
られた形にして一度三河を尾張に取り込んでいただ
き、自分を三河の主にしていただきたい』とのこと
でございました」
何とも都合のいい話である。
「ただ現在の三河は守護として吉良殿(義昭)がお
られるから、尾張が三河を取り込むには無理がある
ことぐらい竹千代もわかりそうなものだが」
「それは殿の仰せの通りですが、気のはやい元康殿
は『思い込んだら命がけ』のところがございまして」
「そうそう、その性格のために尾張のわれわれが苦
労していることをわかっておるのかどうか・・・。
また冷静に三河の国の様子を見た場合、知多・渥美
の海産物はそこそこ多いが、陸地は岩山が多く田畑
が作りづらい。換金作物の米が取れないとなると国
の税収が少なく、仮に尾張に取り込んだとしても経
営の難しい地域であろう」
「ですな。桶狭間開戦までの三河の財源は、海運業
者からの徴税と陸運業者、及び河川運輸業者からの
徴税となって
おります」
「うむ。知っておる」
「となると結論は一つ。『尾張は三河を攻撃しない』
ということになりますな」
丁度良い時に丹羽五郎左衛門が切れ味鋭く発言し、
織田
信長も水野信元もあいづちをうつ。
「せっかくおいでいただいた水野の殿には申し訳な
いが、拙も上総介も『三河の大たわけ』に深い遺恨
を持っている。したがって今回の元康殿の申し出は
お断りしたい」
「承知致しました。ただもれ承るところによります
と、上総介殿は近々美濃の斎藤義龍に弔い合戦を挑
むことになるとのこと。それならば、『元康は尾張
を攻撃しない。尾張も元康の動きを感知しない』と
いうことにしておく必要がありますな」
「さすが水野殿!」
今度は水野信元の頭の回転の速さに、織田信長と丹
羽長秀が相槌を打つ。
「さすが機転の利く方は話がはやい。では五郎左衛
門、後はよしなに。信元殿、三河での武運長久を!」
一段落すると、信長はそそくさとひきあげる。会
談後、細かい部分・足りない部分・危険な部分を二
人で煮詰めて行く。
*基本的には『降参したい』という申し出は受けな
いこと
*松平元康殿にあっては、駿河の今川家に代わって
三河に駐在していることを自覚すること
*「元康は尾張を攻撃しないかわりに尾張も元康の
動きに感知しない」という相互不可侵の立場を互い
に守ること
*守護の吉良殿との関係をよくよく検討すること。
下克上して長続きした者はいないので行動は慎重に
すること
*産業を奨励して税収を増やし国力をつけること
*協力者への手厚い保護を忘れないこと
などことこまかく言い含めておいた。
慣例に従い、引出物(箱の中身は小袖とその下の
金であるが)を信元に渡し、「くれぐれも早まった
行動を取らないように」元康を諭してもらうようあ
らためて依頼する。水野信元も笑顔で「承りました」
と出発する。城門から送り出し中に戻ろうと振り返
った瞬間、強烈な身震いが五郎左衛門を襲った。何
か、非常に良くない何かが起きる前兆である。すぐ
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