小山田信茂(をやまだのぶしげ)
<現代仮名遣い>おやまだのぶしげ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
武田氏に仕えた甲斐国都留郡谷村城主。譜代
家老衆二百五十騎持。父は左兵衛尉信有。信玄
に従い、武蔵国八王子の戦いに戦功があった。
1582年3月武田勝頼は新府の館に火をかけ人質
を焼き殺した後、正室・高畠のおあひ・伯
母大方・お松・信玄京上臈の女らを連れ
て勝沼から駒飼の山家に逃れる。がしか
し、頼りにしていた小山田信茂から受け
入れを拒否され、田子の平屋敷に入る。
結局信茂は、信長に討ち取られる。
※武田勝頼滅亡の一因を担ったのに
信長公から誅伐される・・いったい
なにがあったんでしょう・・
<現代仮名遣い>おやまだのぶしげ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
武田氏に仕えた甲斐国都留郡谷村城主。譜代
家老衆二百五十騎持。父は左兵衛尉信有。信玄
に従い、武蔵国八王子の戦いに戦功があった。
1582年3月武田勝頼は新府の館に火をかけ人質
を焼き殺した後、正室・高畠のおあひ・伯
母大方・お松・信玄京上臈の女らを連れ
て勝沼から駒飼の山家に逃れる。がしか
し、頼りにしていた小山田信茂から受け
入れを拒否され、田子の平屋敷に入る。
結局信茂は、信長に討ち取られる。
※武田勝頼滅亡の一因を担ったのに
信長公から誅伐される・・いったい
なにがあったんでしょう・・