(兼六園 「冬桜」11月22日撮影)
桜が日本人に好まれる理由の一つには、パッと咲いて散る潔さがあると言われる。
短期間だからこそ、開花の時期の喜び、盛り上がりはひとしおだ。
桜の多くは春のものだけれど、我が街金沢の兼六園には冬に咲く桜がある。
写真は11月下旬だというのにしっかり咲いている「冬桜」。
もうひと月もすれば雪がちらつき始めるこの時期に、けなげに、可憐に咲く桜だ。
ほかにも「晩秋桜」などがあり、兼六園の桜たちは春を待たずにひっそりと、
しかし力強くどこかで咲いている。
人との出会いは、なんだかこれに似ているような気がする。
多くの新しい出会いがあり、気持ちが昂揚する春の時期もあれば、
色々な事情で頻繁に会うことができなくても、決して忘れ去ることなく
気持ちのつながりを持ち続けている時期もある。
生きている限り、本当の「別れ」はないと思う。
「出会えた喜び」は消える事はなく、命つきるまで自分の中にある
大切な宝玉だ。
厳しい冬に耐えてひっそりと咲きつづけた桜も、また巡ってくる春には
一斉に咲く満開の桜吹雪に包まれる。来年も、その翌年も、桜の木が朽ちるまで。
昂揚と沈静はあっても、出会いの喜びそのものは失われない。
人との出会い、お付き合いとはそういうものなのだろうと、
私は信じている。
・・・想いをこめて。
ほんとうに。さようでございます。